番外編

鉄板ネタはうますぎる1

 私ことエルア・ホワードは自分の屋敷内にもかかわらず、人生の危機に瀕していた。

 大きく喘ぐように呼吸をするが、視界では柔らかい質感の黒髪が揺れている。体も黒い燕尾服と締められたネクタイ、ぱりっと白いシャツに包まれていた。

 しかもいつもより視界が高い。具体的に言うと20 cmくらい。

 片方の耳朶には馴染み深い通信用のイヤリングの重みがあるが、それをかき消すほど腰と腕、足首等々そんなところにまで!? というべき場所に何かがくくりつけられている重みを感じた。

 なにより、目の前には驚き顔でこちらを見上げる、よく手入れをされた栗色の髪とけぶるような緑の瞳をした美少女、エルディア・ユクレールがいるのである。

 見覚えのある理知的な雰囲気で目を細めた絶世の美少女は、さくら色の唇を開いた。


「エルア様、ですね」


 私が普段自分で発している声で問いかけてきた口調は、間違いなく私の従者である……


「アルバートよね」


 私の声帯から聞こえて来たのは、私が十年以上全力で推している最推し、アルバートのものだった。

 回りくどい表現はそろそろやめよう。

 現在、私とアルバートが入れ替わっているのである!!!




 なぜ私とアルバートが入れ替わりなどということになっているか。

 ここまでの経緯をめまぐるしく思い返す。重要NPCであるフランシスを魔法アドバイザーとして雇うようになった後、彼はうちで使っている魔道具の改良を一手に引き受けてくれていた。その一環で、私がなんとなくそのまま使っていた物もまかせていたのだ。

 そして調整が終わったイヤリング型の通信機の受け取り、実験のためにアルバートにもつけてもらい、魔力を通した瞬間、これである。


「フランシスどういうことか今すぐ説明を……エルア様?」


 名前を呼ばれた気がしたが、それどころではなかった。

 私はわなわなと震えながら、両手を見つめる。サイズの合った黒い手袋は大きな手にぴったりとしていて、形のよい指の長さを強調している。何より袖との継ぎ目にわずかに見える手首の白が眩しく、芸術的な造形には惚れ惚れとする。この手がどれほど繊細に冷酷に仕事を果たすか知っているだけに生きて、動いていることはもはや感動物だ。

 無意識に頬に手を這わせると、手袋越しでもわかるなめらかな肌を感じた。あまり日に当たらない生活をしていることもあるだろう。それを差し引いても、これでなにも手入れしていないとか神の与えたもうた奇跡ですかよと叫びたい。髪は張りがありながらも柔らかくこの美貌を彩っていることだろう。何度見てもシャンプーCMいけると考えていた髪である。

 だが、自分で見て感じるというあり得ない状況下に脳が混乱した。


「私は、本当に、アルバートなの」


 自分の声帯を震わせても、出てくるのはアルバートの艶のある低い声だ。

 あまりに強烈な違和感に喉元を抑えると、やはり意外にしっかりとしている男の首筋だった。そう、細い腰も胸板もアルバートのもの。私がひっそりこっそりと舐めるように愛でて愛して惚れ惚れとしていたアルバートなのである。つまりこの服を1枚めくれば……。

 と、自分が燕尾服のジャケットを見下ろして考えていたことに気づき、私は耐えきれずにその場に崩れ落ちた。


「今すぐ死のう」

「なぜそうなるんだよ」


 フランシスの呆れた声に私はがっと顔を上げた。金色に近い赤毛を緩くまとめていて、柔和な面立ちに眼鏡をかけている。

 なんでって当たり前だろう!?


「この私が奇跡の造形とエモさとしんどみを持ったアルバートになっちゃってるんだよ、解釈違いすぎるし私が万が一理性を失ってアルバートを穢したらどうしてくれるの!!! 今すぐ元に戻してじゃなければ私がやらかす前に意識を失わせて……っ」

「……たしかに自分の姿でそう感情的になられるのは、少しくるものがありますね」


 眼前にいるアルバートがエルディアの緑の瞳を複雑そうにして見下ろしている。うわ美少女アルバートとか超おいしいとか思っていられない。

 この姿で私はいつものやつをしてしまっていた。あまりに罪深い。

 罰が必要だ、と考えたとたん、私の手は流れるように袖口から細い刃物を取り出していた。アルバートの体はとんでもなく性能が良い。


「万死に値するので首をかききってお詫びします!」


 そのまま喉に当てかけた刃物を弾き飛ばしたのは目の前の美少女アルバートだった。

 私の腕を拘束し、もう片方の手で私の顎を取るなり上向かせる。


「俺の体をあなたが傷つけるんですか?」


 眼前にあるのは、あの悪徳姫エルディアの美貌だ。見慣れたと思っていたが、その目は怜悧に細められ、その顔立ちの美しさが際立っている。


「美少女……」


 思わず呟くと、更に眼前の美少女の眼差しが乾いた。その冷めた目もそれはそれでおいしいと思ったが、ようやく頭が冷えて落ち着く。


「ごめんなさいだいぶ我を失いました。アルバートの体を傷つけるなんてあってはいけないことだった」

「それで納得されるのも不本意ですが、まあ、良いことにしましょう」

「面白すぎるからもうそのままで良いんじゃないかな?」


 立ち上がった私はアルバートに謝罪をすると、後ろから全力で笑うフランシスが茶々を入れてくる。が振り返ったアルバートと目が合うと、その顔は引きつる。


「わかってるって冗談だよ。んーそうだな」


 今回の元凶のフランシスは、不意に私になっているアルバートへ一歩踏み出して手を伸ばした。

 とたん、アルバートは普段の私からは想像がつかないほど素早く後ずさるなり、緑の目を眇めた。


「なんのつもりだ」

「あ、そっか。今はお前エルアじゃないんだった。アルバートはおっかないからエルアにしたのにややこしいな。どう考えても今発動した魔法のせいだから、通信機を確かめようとしたの。ちょっと見せて」

「……早く済ませろ」


 アルバートは納得したようで、だいぶ苦々しそうだがおとなしくしている。

 少し腰をかがめてイヤリングを観察したフランシスは、眼鏡を直しつつ私を見た。


「今回、君の通信機にかけられている回りっくどい魔法式をほぐして効率化したんだ。その結果、出力が上がりすぎて精神が互いの肉体を入れものだと錯覚してしまったようだ。悪いね」


 人が必死こいてくみ上げた魔法式を回りくどいってわざわざ強調したのは、脇に置いておこう。


「これ、イヤリングを外せば元に戻る?」

「やめておいたほうがいい。イヤリングで繋がっているパスを無理矢理切ったら、精神にどんな悪影響が出るかわからない。同じ理由で長時間離れるのもまずいだろうね。自分の体に思えていても、自分の体じゃないんだ。お前達、魔法が使いづらくなっているだろう? エルアから接続を切るのも厳しいんじゃないかな」


 フランシスの言葉に、私はイヤリングから繋がっている魔法に干渉できないと気づいた。得意な闇魔法もいつもより鈍い。


「とはいえだ、あくまでエルアの影を基準とした魔法だ。とりあえず、パスが切れないよう近くにいつつ、イヤリングに込めた魔力が切れるまで放置するのが一番だろうね」

「今回は長時間使用の実験も兼ねていたぞ。最大半日待てということか」

「まあそういうこと」


 アルバートの可憐な唇から舌打ちがこぼれる。だけどすぐ私の視線を気づき呆れた顔をした。


「エルア様、この姿は普段はあなたの物なんですよ。まさか……」

「……自分が中の人になったときと、別人が中に入っている時じゃ全然違うんですよ。客観的に見られることなんてないし、しかも中身アルバートの美少女からこぼれる舌打ちって心臓にクるなとか思いました。端的に言って新しい供給ありがとうございます」


 新鮮な萌えは大変にありがたいです。流れるように拝みかけた私だったが、今自分がアルバートだと思いだしてなんとか堪える。


「うわ、お前ほんとこじらせてるね、節操ないじゃないか」

「フランシスに言われたくないし、出来れば箱推しって言って欲しい」


 私はお前のアンソンに対するこじらせ具合を知っているぞ。という気持ちを込めて睨み返したのだが、フランシスは無言で肩をすくめた。

 だめだこの男、面白がることしか考えていない。まあそれよりもこれからの予定だ。


「とはいえまいったわね……うちの子達は非常時慣れしているから話を通せば大丈夫としても、今日の予定はキャンセルすべきね」


 今日は会合と会食がそれなりにあるが、こんな状態じゃ難しいだろう。

 アルバートにお願いして先触れを出して謝罪を……と、今は私がアルバートか。なら私が行く必要があるのかややこしいな。

 私がむむんと悩んでいると、アルバートが眉根を寄せて言った。 


「ずいぶんと平静ですが、仕事よりも先にご自身の心配をしたほうがいいのではありませんか。今の状態は体の感覚も肉体面に引きずられているようです。俺は特に……」


 珍しく言いよどむアルバートに、私はきょとんとする。私がアルバートになる以上にまずいことがあっただろうか、と考えたところで、先ほどから足の間に感じるものを思いだしはっとする。なるほど確かにこれはゆゆしき問題だ。

 すぐにきりっと表情を引き締めて、真摯に語った。


「ああ、安心して、男の体の構造は把握しているから、生理現象はなんとかするわ。気にならないかと言えば死ぬほど気になるけれども、ヲタクの矜持と命にかけてあなたの尊厳は穢しません。具体的に言うと目隠しして絶対に見ません」


 OL時代にたしなんだBLの描き手方は、恐ろしく正確に人体を描かれていた。それはすべてありとあらゆる性癖を魅せるためである。その膨大な煩悩がこうして役に立つとは思わなかったが、それで推しの尊厳を守れるのであれば、何でもしてみせよう。

 鋼鉄の意志で宣言したのだが、フランシスには「うわこいつなに言ってんだ」って顔をされた。

 とうのアルバートは名状しがたい表情をしている。


「そういう意味ではなかったとはいえ、尊厳は俺よりあなたが気にすべき事柄だと思いますがね」

「む、もしかしてアルバート女体化中のあれこれは知らない……? うわ不可抗力とはいえセクハラになるねごめん!」

「いえ……その反応もズレている気がしますがまあ良いでしょう。人よりは女性の振る舞いは慣れていますから余計な気を回さずとも結構です」


 そうですねそもそも性別を変えられる人なんてめったに居ませんからね! だから私は割と楽観的だったのだ。私にだって羞恥はあるけれども、それよりもアルバートの尊厳のほうが大事だし。

 まあそのほかにも理由はなくはないが、気にすることはないとはいえ、改めて男になっていると言う事実に、若干顔が熱を持つのを感じた。

 アルバートはまだ何か言いたそうにしていたが、小さく息を吐く。


「意識をしてくださるのは喜ぶべきですが、自分の顔で反応されると複雑ですね……。まあ良いでしょう。俺がこのままあなたのふりをして予定をこなしましょう」

「えっ」

「内容はすべて把握していますし、ホワード商会会長であるあなたでしたら、俺でも一時ごまかすことはできます。俺になったあなたなら同行できますから、後々の齟齬も少なくすむでしょう。なにより、今日を逃すと後に響く」

「そりゃあ、アルバートとはほぼ話を共有しているから大丈夫だとは思うけど」


 確かに今日の予定は、行けるものなら行ったほうが良い類いのものばかりだ。

 それでもアルバートを全面に立たせてしまうことを迷っていると、とん、と目の前にアルバートが立った。

 頭一つ分ほど小さいから、自然とけぶるような緑の瞳が上目遣いで見上げてくる。


「あなたを一番近くで見ている俺が、表のあなたを損ねるような失態を冒すと思いますか?」

「……可愛い」

「エルア様?」

「っは! 思いませんともアルバート!」


 うっかり心の声が漏れたが、反射的に答えると、アルバートはエルディアの顔で満足げに微笑んだ。うわ自信に満ちた美少女の笑みなんて尊い。寿命が延びる。


「ええ、その通りです……今回の相手には都合も悪くないですし」


 最後の声はいつもなら聞こえなかっただろうが、アルバートの聴覚はしっかりと拾った。まあ聞こえても、意味はつかめなかったけど。


「ところで、あなたの方が大変ですよ。完璧とはいかないまでも違和がない程度に付き人をして貰わなければならないのですから、立ち振る舞いを確認しましょう。万が一のことを考えて、護衛の戦力として千草を同行させた方がよろしいでしょうね」

「私がアルバートを再現する、ですと?」


 しかも言及する前に、アルバートが重大な事実を突きつけてきたのでそれどころではなくなった。

 そういうわけで、私たちは入れ替わったまま、本日の予定をこなすことになったのだ。


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