39 仕事後のご褒美は大事

 リソデアグアに戻ってきた私は、ようやく、ほんとうにようやく羽を伸ばす事ができて……――いなかった。


「あああちくしょうっ! 仕事つらい、仕事いっぱい! かなしい!!!」

「がんばれぇですよエルア様ぁー」

「空良たんに応援された、頑張るぅ……」


 ひんひん半泣きになりながら、ホワード商会の私しかできない決裁やイストワ政府のお偉いさんに便宜を計って貰った返礼だったりの事後処理に追われていたのだ。

 ええん。お仕事いやだーーー!!!!

 空良がしっぽをくねらせながら、のんびりとお茶を準備してくれるのに癒やされ切れないお仕事つらい。そんな気分でも、手を動かす。

 だってこのあたりの仕事私にしかできないんだもん。

 一生懸命ペンを走らせハンコを押し続けていると、無造作に入ってきたフランシスが、どかっと紙束をおいてきた。


「はい、これ術式に使った触媒やら魔晶石の領収書ね。あっちなみにハイエルフの森に行ってたアンソンは最高だったよ」

「うわああああそんなすぐ見たくなるようなこと言わないでよぉーー!」


 鬼か、鬼だった! フランシスがにっこり笑うと、おそらく視聴室にこもるため戻っていった。

 ぐうう……しかし、余計に楽しみになったのも確かである。

 やっぱり、ちゃんとお仕事した後のご褒美は大事だ。それが生きる活力になる。

 フランシスがおいていった領収書を手に取ったのはアルバートだった。

 ぱらぱらとながめた後、さっさと空良に渡す。


「これはうちの帳簿に付けるものだ、空良、そちらで仕分けを頼む」

「はあい。かしこまりましたー。その後はどうしますぅ?」


 空良がなんとも曖昧な笑みを浮かべて問いかけているのにちょっとおやっと思う。

 アルバートはちらっと私の執務机にある仕事の山を見た後、空良に答えた。


「まあ、問題ないだろう」

「りょーかいです」

「ところでエルア様、そろそろコルトヴィア様との約束の時間です」

「えっもう!? 着替えなきゃ!」


 私が読んでいた報告書を放り出して立ち上がると、空良と共に自室へ向かう。

 一歩後ろを歩いている空良だったが、ひょいと顔をのぞき込んでくる。


「エルア様ぁ。働きづめですけど、大丈夫ですぅ?」

「んん?」


 私は思わず止まって空良を見る。空良はその深い瑠璃みがかった瞳をやんわりと困ったように細めていた。


「大丈夫よ。だってこれ片付けない事には通常運転にも戻れないもの。私達がいない間、滞りなく取り回してくれてありがとうね。これ乗り切ったら、大きなお休み作るから!」


 彼女達がいなければ、私はこんなに自由にできてないからな。

 よく分からなかったが、感謝の部分だけは顔を上げて言うと、空良は嬉しそうにはにかんだ。けれど同時にそうじゃないのだが、とでも言わんばかりの、困ったような表情にもどる。


「まあ、いっか。これはアルバートさんが甲斐性見せるところですしー」

「?」

「なんかあったら相談してくださいね。あたしもあたし達も、エルア様の味方ですから。盗み聞きも潜入も、たとえアルバートさん相手でもやってみせますよぅ」


 ぐっと力拳をしてみせる空良に、私はなんだか嬉しくなってしまって。やっぱうちの子は良い子達ばかりだなと笑ったのだった。



 *



「っあーーーー……疲れたぁ!」


 コルトとの会食をはじめ、様々な場所への折衝を終えて帰ってきた自室で、私は思いきりソファに突っ伏していた。


「本日の業務はこれでおしまいですから、どうぞゆっくりお休みください」

「はあい」


 クッションを握りごろごろしていた私は、洗面用具一式を片付けるアルバートをぼんやりとながめる。

 リソデアグアに帰ってからこっち、めまぐるしいほど忙しかったから、仕事以外で話せることもなかったんだよね。


「ねーアルバート」

「なんでしょう?」

「私が、ウィリアムと接触するのを止めなかったの。わざと?」

「はい」


 問いかけると、アルバートはあっさりと肯定する。

 手を止めて私を向く彼は、だいぶあちこち歩き回ったというのに、くたびれた様子もなく燕尾服を着こなしている。

 あー顔が良い。姿が良い。かっこいい。

 じゃなくて、あれだけ警戒していたウィリアムに対して比較的寛容だったのが不思議だったんだよね。


「あなたは、推し、という部分以外に、彼に思い入れがあるようでしたから。どのように特別なのか、確認したかったんです。できるのならば完全に整理して断ち切っていただこうかと。効果があったようで何よりです」


 やんわりと微笑む姿には罪悪感はみじんもない。

 アルバートにも利益があったからこその、あの寛容さだったのか。

 確かに、ウィリアムと真正面から話して、私の中で一区切りが付いたと思う。


「ウィリアムは、推しではあったけど、弟みたいなもんだったんだなあと。ユリアちゃんやリヒトくんにだって。推しとしてあがめる以外の感情が少なからずあるようになったし」


 思えば遠くに来てしまったもんだ、と私は遠い目をしたが、アルバートは滑るように近づいてきた。


「おや、あなたも言っていたでしょうに。この世界に来た時点で、あなた自身も当事者なんですから。世界の外側にいられるだなんて勘違いも甚だしい」

「そう、なんだよなあ」


 正直、あの夢の中で言葉にするまで、まったく実感がなかったのだ。

 身を起こして膝を抱えた私は、自分の手を見つめる。


「私、いつかさ、この体、本物のエルディアに返さなきゃーって思ってたの。脈絡のないきっかけでこの体になったからさ。どこかにエルディアの人格が残っていて、不意に戻っちゃうんじゃないかって」

「それが、あなたが自分と俺たちを隔てていた、最後の壁ですね」


 こくり、と頷く。いつか消えてしまうかも知れないから、自由に動ける間に、ちょっとでも多く、彼らの手助けをしたかった。

 私が確実にエルディアの動きを知っていたのは、一章まで。神様がその通りに行動してくれる人間として私を選んだのなら、逃げ出した瞬間に意識が途切れててもおかしくないと思っていたんだ。

 そうじゃなかった時のために準備はしていたけれども。それでもいつだって手放すつもりでいた。

 ぼそぼそと、そういう部分を語ると、アルバートは小さく息を吐いた。


「ひどい人ですね、あなたは。自分の死後の準備までされておいて、黙っているなんて」

「いえないもん。だって。自分でどうしようもない事だったから。でもアルバートのコネクトストーリーあたりから、そうじゃないかもって思い始めて。ウィリアムの話で、違うってわかった」


 ウィリアムは自覚はないかも知れないけれど、彼の知る「エルディア」がもういないことを悲しんでいた。推しが悲しむのを前にして。私は。


「……すごく、ほっとしたんだ。少なくともこの体は、私のものだと思って良いって。消える心配をしなくて良いって」

「そこで、元の世界への帰り方が分からなくなった事を悲しまないんですか」

「アルバートがソレを聞いてくるとは思わなかった」


 私がびっくりして見返すと、アルバートは平然と答えた。


「俺は強欲なもので。あなたの未練はすべて断ち切りたいんです。俺で幸福にならないあなたは、そう。無理、というものなので」

「っ。愛されてるねえ私」


 どきどきどきと、心臓が鼓動を打つ。そう、萌えだけじゃなくて、甘いときめきが明確に混じる。


「未練がない、といったら嘘になるのかしら。やっぱり悲しいし、寂しいって思う。けどさ。やっぱり安堵だったんだよ。これで、腰を据えてこの世界にいられるって。だから、自分が消してしまったエルディアの分まで頑張んなきゃ、魔神を倒し終わったらどうするかまで考え始めたら色々気になりはじめてさ」

「それが、余計に忙しくしていた理由ですか」


 アルバートの言葉に、私は頷いてみせた。まあ、自業自得である。

 大変だけども、ようはお仕事たくさんできてありがたい! って状態でもあるので。アルバートが考えているよりも、前向きな理由なんですよ。

 でも、無造作にジャケットを脱いだアルバートは膝を抱える私の隣に、腰を下ろしたのだ。


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