38 趣味は大体許される

 私が目覚めると、そこは見慣れた部屋だった。

 フェデリー王都にある私のタウンハウスの客室みたいだ。

 私が横たわっていたベッドの傍らには、萩月を抱えた千草が微動だにせずに座り込んでいた。私が目を開くと、千草の険しくすがめていた金色の眼差しがばっと歓喜に彩られる。


「主殿っ無事でよかった! 体に違和はないだろうか!」

「ひっ」


 嬉しそうに耳を立てる千草のかわいさ爆発の顔面に、一瞬意識が遠のきそうになったがギリギリのところで持ちこたえる。

 推しに超心配されているのに、追い打ちかけるような事はしません!

 強ばっている体をぎしぎし動かして、周りを見てみると、床は魔法陣が描かれている。

 そして、その中央で大量の触媒と魔晶石に囲まれたフランシスが、ひどく疲れた様子でこちらを見ていた。


「ほんと、僕に、専門外のことやらせすぎだよ。時間外労働賃金要求するからな」

「主殿が昏睡されてから3日経っている。夢に取り込まれた主殿を追いかけてアルバート殿が向かわれたのだが」


 そこで、私は左手が大きなものに包まれているのに気づいた。

 何より左側に誰かが横たわっている。

 つながれた左手に力がこもったことで、私は反射的にそちらを向く。

 隣には、いつもよりラフなシャツとズボン姿のアルバートがいた。

 前髪は完全に乱れ、ほんのりと血色の良い肌に、長いまつげが震えて紫の瞳があらわになる。 

 つまり、私はアルバートに手をつながれながら眠っていたってことで。

 焦点が横にいる私に合うと、アルバートの表情が一瞬安堵に緩んだ。


「おはようございます、エルア様」

「ふぎゅう」


 寝起きの過剰供給で意識が飛び、千草に半泣きですがられたのは大変申し訳なかった。


 *



 というわけで、私は無事にウィリアムのコネクトストーリーを完遂し、夢の空間から脱出できた。


 夢の世界では数ヶ月くらい過ごしていたが、現実世界では三日だったらしい。短いなーとは思うものの、体はちょっと動かしづらくなっていた。

 アルバートは私とウィリアムが倒れた瞬間から、ナイトメアによる精神干渉だと判断。

 後からウィリアムを追ってきたトレントさんにウィリアムを押しつけて送り返した後、フランシスに私の精神空間への介入を要求した、という経緯だった。


「護衛役には、王子と共にあなたの治療をするために、身柄を要求されました。が、なにがあってもあなたを渡すわけにはいきませんでしたので。独断ですがイストワのコネをいくつか使いました」

「あとでお礼しなきゃなあ。しばらく無理な要求は通せなさそうだ」


 体も魔力も異常なしと診断してもらったものの、まだ安静を言い渡された私は思案する。

 が、側にいた千草が兎耳をしょんぼりとしていた。


「主の危難に出遅れたばかりか、拙者は押しかけてくる使いの者を送り返すぐらいしか用を為さなかった。相済まぬ」

「千草なら絶対安心だって思ったから、アルバートは行けたんだよ。それに使者さんたちを穏便に追い返してくれたでしょう?」


 実際、アルバートが潜行している間に、無理矢理押し入ろうとする王宮の人間もいたらしい。それを千草が押し返してくれたのだ。血を流さず、さりとてがんとして譲らずに華麗に対処できたのは彼女の功績が大きい。


「あいすまぬ。改めて、主殿の生還を祝いたい」


 私の言葉に、千草は若干表情を緩めてはにかんだ。

 うっその笑顔がまぶしすぎて最高。

 ちょっと我を失いかけたが今後の方針を決めるのが大事だ。

 千草にお礼を言った私が、アルバートを見ると、執事服姿に戻っている彼はさらに続けた。


「王宮に忍ばせた手のものから、勇者一行が旅から帰還しており、一日前に王子が目覚めたとの報告がありました。問題なく生還しています」

「良かった。ならきっと大丈夫でしょう。後は、なるべく早めにリソデアグアに帰りたいけれども」

「ええ、すでに手配をしております」


 助けに来てくれただけじゃなくて、諸々手配までしてくれるなんて最高では?

 私はうっとりしたものだ。


「あっユリアちゃんに手紙だけ届けて貰ったら、出発で」

「それはするんですね」

「そりゃあ、約束したもの。約束したことは守るんだ私」


 あれだけなつかれてたらやっぱり嫌な気持ちはしないので。

 そういうわけで、とっとと逃走の準備をしていたのだけれど。その日のうちにタウンハウスに手紙が届いたのだ。

 送り主は「ウィルソン・サイクス」。病み上がりのはずのウィリアムからだった。




 *




 ざわざわと興奮に震えるお嬢さん達のざわめきを階下から聞きながら、私もまた感動に打ち震えていた。

 リリー歌劇団の公演を最後まで見届けられたからだ。

 うっうっ前回の途中退場だった公演が、会場トラブルで延期になり、今日千秋楽を迎えたのである。

 前回よりもより洗練された彼女たちのパフォーマンスの輝きに涙が止まらない。


「課金する……いっぱい推す……ふぁんくらぶはいりゅ……」


 出窓席の一席で顔を覆って涙を流すよこで、執事服姿のアルバートが肩をすくめている。


「かしこまりました。加入要項はこちらです」

「さすがアルバートぉ……」


 ずびずび鼻をすすり、にじんだ涙をハンカチでおさえつつ、アルバートが差し出してくれる加入要項に目を通そうとする。

 けれども、そこで、傍らの席にいたウィリアムが目に入って硬直した。

 いや、はじめからいたんですけどね。だってここのチケットを「会いたい」という一言と共に贈ってくれたのだから。

 さんざん悩んだ末、アルバート同席だったらありとして乗り込んだのだ。

 そしてウィリアムは一人で来た。

 三日間寝込んでいた王子が単独行動で良いのかと本気で思ったが、ウィリアムは平然としている。その上、もう一度観劇したいと全部見てから話をしようと言うことになり、私は安定で情緒が突き崩されていたのだった。

 ウィリアムは申し訳なさそうな苦笑ながら、ゆったりとこっちを向いている。

 大変気まずい私は、一度アルバートにファンクラブ加入要項を返しつつ目で合図をする。

 我が意を得たアルバートは、一通の手紙をウィリアムに差し出した。


「そちらが例の手紙です。渡していただければ」

「ああ、承った。私もメッセンジャーをするのは初めてだね」


 ウィリアムはどこか楽しそうに、アルバートから手紙を預かってくれた。


「……でしょうね。あなたの立場を考えれば、こんなことする機会なんてありませんもん」

「おや? ここにいる私は警邏隊の小隊長だよ、エルモくん」


 そう平然と語るウィリアムはどこか、肩の力が抜けた様子でいる。

 彼がそう言うんだったら、私もそう振る舞おう。

 ちょっと落ち着いた私は、改めて訊ねた。


「では、どこまであの時間を覚えていらっしゃるんですか」

「ほぼすべて、だな。どうやら人格も統合されたみたいでね。また時を繰り返すのかもわからない。まあ、ともあれ、そもそもさほど変わりはしなかったからな。気にすることはないさ」


 あっけらかんと言うウィリアムはのんびりと傍らのティーカップを傾けた。

 その雰囲気で、ウィリアムの外見は若いものの、人格はあのアラサーウィリアムなのだと理解する。

 くっちょっとときめいたぞ、そのギャップ。


「それで、だが。あなたたちには手間をかけた。事件に関してはこちらで処理が済んだよ。エルモくんに手が及ぶことはない。それだけは私自ら語らねばと思ってね」

「ナイトメア、飼い慣らしていらっしゃったんですね」


 私が若干のとげをにじませてやったが、ウィリアムは肩をすくめるだけだ。


「何度も繰り返していると、先回りと予測はしやすいものでね。ちなみに、この劇場が捕縛の場になることもあったから、この席も先に確保していたんだよ」

「なんですかソレ天才ですか」


 まさかの自腹だった。私がびっくりしていると、ウィリアムがひどく楽しそうにしていた。

 けれど、すぐに笑みを納めて真剣にする。


「本当に、こちら側へ立つ気はないのかな」

「……ありませんよ」


 なぜ?と目で問いかけてくるウィリアムに私はにい、とあくどく笑ってみせた。


「私は悪役です。表舞台には姿を見せず、世界の裏から暗躍するのが活躍の場なんです。あなたたちが手の回らない闇を掌握するのが私のやるべき事ですから。何より1人ではありませんし」


 そう言いつつ、アルバートを見上げてみせると、彼は折り目正しく会釈をしてみせる。

 顔が良いなぁ。と思いつつ、私はウィリアムに顔を戻して語った。


「とはいえ、便宜を図るのはやぶさかではありません。なにかありましたらホワード商会へどうぞ」


 だってエルディアへの恨みは、フェデリーに深く根付いてる。アンソンが的確な例だ。

 ウィリアムに説得されたとしても、彼はエルディアが不幸にした人々を忘れず恨みを抱え続けるだろう。ヲタク、推しを、苦しませない。

 すでに、エルディアとウィリアムが歩むべき道は決定的に分かたれてしまっているのだ。

 だからこのままが良いのだ。

 それを重々承知しているウィリアムは一つ重々しく頷いたが、次の瞬間さらっと言った。


「では、エルモくんと文通友達になろうか」

「……は?」


 思わず私が真抜けた声が出ると同時、背後の温度がまたがくっと下がった。

 うあああ、アルバート激おこ一歩手前じゃないかぁぁぁ!!!!

 ウィリアムなんでそんなこと言うの!? と顔を引きつらせたのだが、王子様はこの空気に気づいているだろうに平然としたものだ。


「なにせ、ホワード商会とつなぎを作るのだろう? ならば個人的な友人のほうが収まりが良い。同性ならば勘ぐられることも少ないだろう。一石二鳥だと思わないか?」

「……おもい、ますね」

「私はエルア嬢でも良いのだが、そちらの目付役がうるさそうだからな」

「エルア様にも、エルモ様にも悪い虫を付けるつもりはございませんが?」


 ウィリアムに視線を投げられたアルバートは、慇懃無礼のお手本みたいな言葉で、毒をはいた。

 うわあぁい。

 けれど、ウィリアムは悠然と足を組むばかりだ。


「おや、私は趣味友達のエルモくんと文通を楽しみたいだけだ。エルア嬢には会ったことないからなぁ」

「!? ウィルさん、どれが気に入られたんです! 同人本ですか、小説ですか、それとも歌劇ですか!」


 ウィリアムに趣味ができたのなら歓迎すべき事だ!

 私が思いっきり身を乗り出すと、ウィリアムはちょっと決まり悪そうにする。


「ああ、いや。すまない。あれからひととおり、両方、同性愛の本も、歌劇もたしなんだのだが、君やユリアやリヒトのような熱量ではまだ楽しめない」

「そう、ですか……」

「ただ、そういった趣味に打ち込む君たちをながめるのはとても楽しいと気づいた」


 へ?と、落とした肩のまま私は硬直する。

 見返したウィリアムは、頬をうっとりと上気させ、青い瞳をきらきらと輝かせていた。

 そう、それは、かすかとはいえ、私のようなヲタク達が推しているものに遭遇した時に限りなく近い反応だった。

 ウィリアムはこういうことなんだろう、と言わんばかりに期待のこもった表情で私の返事を待っている。

 いやその、確かに。推しに正気を失うヲタクを見るのは大変に楽しい。わかる。だがソレ単体で愛でる方向に行くと思わなかったなぁ……と私は遠い目になった。

 しかし、私は学んでいる。

 人の趣味と言うのは、他人に迷惑がかからなければだいたいオッケーな事を。

 そう、私は多々良場で、あなたは森で暮らしましょう理論である。これでだいたいのヲタクは共存できる。


 なので、私はコホンと咳払いをして言った。


「……それでしたら、ぜひ、今回少なからずダメージを負った創作界隈の保護をお願いしますよ」

「ああ、もちろんだ。あんな風に輝く子達が多く生まれるのであれば、保護する価値がある」

「なら、よろしかった」


 そう言うと、ウィリアムはそっと椅子から立ち上がった。

 ほんの少しのあいだ、視線が改めて絡む。

 またいつ、こうして真正面から顔を合わせられる日が来るかはわからない。

 けれども、お互いに仮面をかぶっているからこそ、本音で語る事ができた。

 それはたいそう得がたいものだろう。


「では、また。だ」


 そう言って、ウィリアムは扉を開いて出て行こうとしたが、すぐに閉じた。

 ……? 私が不思議に思っていると、珍しくウィリアムが焦りを帯びた表情で振り返った。


「すまない。信じてくれるか分からないが、本当に不可抗力なのだ」


 すると、どんどんっと扉がノックされる音が響く。

 そうすると、その人の声だけ響くようになるのだ。


『ウィリアムさんっ、ここにいるんですよね! 護衛の人困ってましたよ』

『っお姉様っ!? もしかしてお姉様が中にいらっしゃるんですか!?』


 リヒトくんの声にさらに割り込むようにユリアちゃんの声まで響いてきて、私はぴしっと固まった。

 アルバートは小さく舌打ちをする。


「さすがに嗅覚が良いというかなんというか」

「本当に、すまない。あの子達は君に会えば周囲に隠せないだろうから。逃げてくれないだろうか」


 さすがのウィリアムも神妙に語る。

 まあそうだね。あの子達の負担になるのは私も不本意だ。


「良いんですよ、こう言うの、慣れてますから」


 私はアルバートからいつものペンライトを受け取ると、一振りして魔力を通す。

 ごく自然に私の傍らに寄り添うアルバートを確認した私は、ウィリアムに対してにっこり笑った。


「では、ごきげんよう」


 そうして、私は悪役らしくとんずらかましたのだ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る