33 カミングアウトは諸刃の剣
私がぽかんと、差し出された手を前に硬直していると、ウィリアムは言葉を重ねてきた。
「君は自分をエルアだと語った。ユリアもリヒトも、君のことをまだ信じている。アンソンは、私が説得しよう。もう、君は悪で居る必要はないんだ」
「で、ですけど、あなたは私をエルディアとして、受け入れるんですか。こんななのに」
私が震える声でといかけると、ウィリアムは少し困ったように眉をハの字にしつつ答える。
「この感覚を言葉にするのは難しいんだが、君もエルディアだろう? ならば私の気持ちは変わらない。私は、世界が不幸に陥れたエルディアを……そして君を幸福にしたいんだ」
「いや、めっちゃ分かります。腑に落ちました。同位体ならオッケーって守備範囲が広いっ……!」
「そうか、助かる。ならば……」
「ま、まだ! 納得してませんし!」
思わず間髪入れずに応じてしまったがいやいや、まだ良いよって言ったつもりないからね!
私はウィリアムの訴えにたじろぎながらも、ぐっとその正統派王子様顔を見返した。
「私がそれでも、拒否したら?」
「嫌だと思ってはいないのに? あれは夢だったが、君も本当はあのように過ごしたかったのではないのか」
ウィリアムの言葉を否定できなかった。やっぱり、ユリアちゃんとリヒトくんと旅をして、アンソンと和気藹々として、アルマディナを心ゆくまで愛でられるのは楽しくて。罪悪感も、憂いもなく、過ごせるのは心が驚くほど軽かった。まるで自分が主人公みたいな、世界。
夢を掌握しているウィリアムには私が羨んでいたことなど、お見通しなのだろう。
私がぐっと喉に言葉を詰まらせると、柔らかい慈しみの表情を浮かべた。
「でも、そうだね。拒否をしても、君が納得してくれるまで、幸福な夢を見せ続けよう。君が死なない事でも、私の目的は達成されるからね」
ああ、そうか。ウィリアムの目的は、『エルディアの幸福』だ。
この夢の世界に捕らえるだけでも、十分有効なのだろう。
とても幸せそうに、甘やかに笑うウィリアムに、私は本気を悟った。
ウィリアムのヤンデレルートって歴戦の夢女さんの妄想で何起きてたっけ。
あっ権力と魔力をフル投入した全力の囲い込みと洗脳だ!
この人のヤンデレもやべえ奴だったーーー! 自覚があるからさらにたちが悪い!
「それは、あなたも共に夢の中へとらわれるって事です?」
「ああ何せ夢の中だからね。時間は自由にいじれる。私はこういう悠久の時間には耐性があるから、我慢比べでも勝つ自信はあるよ」
ウィリアムは勝てない戦は仕掛けない。確かにどう答えようと彼の手中だ。
「ゆっくり考えると良い。ずっとそのような時間すらなかったんだ、君は。そしてその重荷を下ろしても良いんだよ。あとは私たちがなんとかしてみせよう」
それも、そうだ。だって私は、元からこの世界には関係なかった。
ただエモシオンファンタジーというゲームが好きだっただけの、一般人だったんだ。
私が世界を救うなんて豪語できなくて、圧倒的に年下のリヒトくんとユリアちゃんを矢面に立たせた。それでも、何もしないのも罪悪感があって、エルディアがしていたであろう事をなぞるのがせいいっぱいだったんだ。
怖くて、この選択で合っているか分からなくて、いつも心のどこかが悲鳴を上げていたのも確かだった。
ウィリアムが、私の中でも有数の頼りになる人が、私の功績を認めてくれて。もうやめて良いと、言っている。
それは、ひどい誘惑だった。
私はウィリアムの言葉に、ごくりとつばを呑む。彼の男らしい骨張った手を凝視する。
手を、取るだけで報われるんだ。
そろりと、自分の左手を上げる。ウィリアムは優しくすべてを受け入れるように待ち構えていた。
もう、手放して良い。
目に入ったのは、左の中指にある噛み痕だった。
強く疼く。
「っ……!」
立ち止まった私に、ウィリアムは問いかけるように見つめてくる。
それでも、急かすような言葉は一切かけてこない。時間はたっぷりあるのだから、焦らなくて良いんだもの。
だから、私は、ゆっくり息を吸って吐いて己の左手を握った。
「ウィリアム……いいえ、ウィル」
「なにかな」
「私はやっぱりエルディアではないわ。エルアなの」
自分で言葉に出す。そう、私はエルディアではない。
ウィリアムはそれも受け入れるとでもいうように肯定してみせる。
「ああ、そうだ。君は君だ。けれど、私が救いたい人だよ」
「ありがとう。……――だからね。少なくとも、私は不幸じゃなかったのよ」
目の前のウィリアムがかすかに目を見開くのに、私は微笑んで見せた。
推しに対してではなく、約9年間時間を共有した幼なじみに対してだ。
私は中指に今も残る噛み痕をなぞり、続ける。
「ねえ、ウィル。前々から思っていたけれど、あなたは一人で抱え込み過ぎるのよ。アンソンにも何度も言われてたでしょ。王子で多くの者を背負う立場だけれど、悪役だった私まで、背負う必要ないのよ」
「っ君は、悪ではなかっただろう!? この世界を救うために動いてくれていたっ。君は報われるべきだ」
「いいえ、ウィリアム、私は悪になりきれなかったけれど、確かに報いを受けるべき悪役だったのよ。あなたが本当に救いたかった、『エルディア』を消してしまっているもの」
語気を荒らげたウィリアムは、私の言葉に少しひるむ。
でしょう? たとえ人形でも、犠牲になる者を救おうとしたのは、ウィリアムの唯一のわがままだったんだろう。
その機会をなくしてしまった私は、やっぱり悪だし、為したことは悪役だ。
「君は、あれだけ、恐怖を覚えていたじゃないか。あのような事ができる性質をしていない。それでも、不幸でなかったと言うのか」
恐ろしいほど真剣な表情で、押し殺した声音で詰問してくるのに、私は苦く笑う。
というか、やっぱり私の思考ある程度筒抜けだな?
それでもこの態度って事は、私の鉄壁の防御でアレが見えてないんだね。
うん、よし。分かった。
居住まいを正した私は、息を吸い、覚悟を決める。
「確かに、エモシオンにくるのは、正直ご遠慮申し上げたかった。エルディアとしてやり尽くしたあれこれには、すごく申し訳なさを感じるし。けどね……ウィル、あなたは私をとっても勘違いしているわ」
「なん、だって?」
ウィリアムが眉を寄せる中、私は恐怖に震えながらも己の偽らざる本性を絞り出した。
「私はヲタクという種類の人間で、この世界とはゲームとして出会いました。でもこの、世界が好きで、好きで、たまらなくて。全財産をかけても惜しくない、あなたたちに出会ったんです」
そう、この胸には恐怖以外にも感動が確かにあるのだ。熱と表しても良い。
だって、ただの電子信号だと思っていた推し達が命と熱を持って存在した。
同じ空気を吸って、手が触れられる場所で生きていた。そこに、私も居るのだ。
「絶望の中でも、負けずに互いを思いながら、立ち向かって、絆を深める姿がもう尊くて号泣していっぱい元気貰って。私の人生が鮮やかに色づいたんです!」
私は今までためにためていた衝動と熱を込めて語った。
「エルディアになって、一生かかっても画面から出てこないはずの人たちに会えたんです! いやもう生で会えるだけで奇跡なのに、動いて話してしかも常に新しい供給があるなんてもうえっなに課金する? って思うんですよ!」
「……え、エル……?」
「ユリアちゃんはめっちゃ天使だし、リヒトくんは最高の主人公属性だし、アルマディナちゃん卑屈かわいいし、アンソンはもう兄貴ーー!って感じだし、千草たんはかっこいい上に血みどろかわいいし! なにより!」
私は何より愛している最推しの名前を呼んだ。
「血夜の暗殺者アルバート・ベネット! 私の最推しが助けてくれるんです!」
夜と血の気配がした。
ウィリアムが瞬時に抜剣し、背後へ振り抜く。
がんっ、と硬質な音が響いて長剣と短剣がぶつかり合った。
私は、ひゅうと息を呑む。
ウィリアムの背後にいつの間にか居たのは、黒衣の青年だ。
細身でありながらしっかりとした骨格は、黒一色の服に包まれている。けれど、裾が長いコートを翻す姿は華やかでどこか色気があった。
予想外だったらしいウィリアムは、すぐに彼の短剣を押し返そうとする。
その力に逆らわず、驚くほど軽い身のこなしで飛び離れた彼は、私の傍らに降り立った。
コートと共に、黒髪が揺れる。
中性的でありながらどこか男らしさを漂わせる容姿は繊細なのに、短剣を携える姿がひどくしっくりと来た。
理知的で冷徹な眼差しは紫色。
その姿を、私は知っている。親の顔よりもよく見て、親の声よりもよく聞いた。
ゲーム内、デフォルトバージョンのアルバートがそこに居た。
「アルバート・ベネット!? なぜここに入ってこられた!」
ウィリアムの詰問に、アルバートは淡々した表情で、薄い唇を開く。
「一度した契約は、必ず履行するのが俺の流儀だからな」
ひ、と、自分が上げた悲鳴すら意識の外だ。
そして、彼は、アメジストのような鮮やかで美しい紫の瞳を私に向け、一瞬驚きを浮かべながらも、かすかに目元を緩めて微笑んだ。
「お迎えに上がりました。エルア様」
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