28 悪人従者は正義の夢を見るか

 


 馬に似た形に凝った虹色のもや、ナイトメアがウィリアムとエルアを覆い尽くし、消える。

 その場に頽れるエルアを、アルバートは間一髪で抱き留めた。

 すぐに脈をとり、様子をたしかめるが、彼女は蒼白な顔で目を閉じ、体温も低く脈もひどく遅い。

 ナイトメアによって昏睡状態に陥った際の症状だった。

 傍らに転がっているウィリアムも同様の症状である。


 始まったのだ。ウィリアムのコネクトストーリーが。


 口に血の味を感じたことで、無意識に唇をかみ切っていた事に気づく。

 だが痛みは感じない。なによりも胸中ですさまじく荒れ狂う感情に振り回されていたからだ。

 アルバートの懸念通り、ウィリアムはエルアを引き込もうとしていた。

 何を今更という憎悪と、想像が当たってしまった落胆。何より、油断した自分への怒りと、エルアをそのまま見送らなければならなかった悔しさがない交ぜになる。


 ああ、そうだ。手出しはしてはいけなかったのだ。

   

「……アルバート殿」


 千草が、声を掛けてくる。声は落ち着いては居たものの、その声音に殺気が混じり、なにより千草が抜き身の刃をウィリアムに向けていた。

 その表情は今にも爆発しそうな怒りと殺意を押さえ込んでいるのは容易に知れた。


「切って良いか」


 ほんのわずか動かすだけでウィリアムの命は絶たれるだろう。だがそれを堪えているのは、エルアが倒れた場合の采配権が、アルバートにあるからだ。

 開いた扉のあたりで立ち尽くしている使用人達は、硬い顔で一様にアルバートの指示を待っている。

 アルバートは、エルアを抱える腕に力を込め、ウィリアムを見下ろす。

 起点となっているのは明らかにウィリアムだ。本人を殺せばエルアが戻ってくる可能性は高い。

 ナイトメアに乗っ取られていた護衛を実行犯に仕立て上げて、内輪もめを偽装すれば良い。

 その秀麗な顔に向けて、アルバートは拳を握る。

 この屋敷に居る者達は、みなエルアが傷つけられたのであれば、許さない。たとえ一国の王子であろうと、エルアを優先する。今なら、やむをえなかったと語れる。

 この男を殺しても問題ない。


 問題、ない。 


 アルバートは握った拳を振り下ろす。

 えぐったのは、ウィリアムの顔の横の床だった。

 拳を伝い、じんとしびれるような痛みが体を走り、アルバートの思考はわずかに余裕を取り戻す。

 そう、殺せる。殺せるが、そうではないのだ。

 眠りに落ちるエルアが最後にアルバートへ見せたのは、不安なんて微塵もない信頼だった。これから何が起きるのか彼女が一番わかっていたはずなのに、いつも通りで、軽やかに覚悟を決めて飛び込んでいった。

 アルバートが裏切るなど、微塵も考えない。

 ……いや、たとえ裏切ったとしてもエルアなら受け入れるだろう。

 だからこれは、己が彼女に対し、どうありたいかだ。


 大きく、深く呼吸をする。そしてアルバートはエルアを抱えて立ち上がると、使用人達と千草に聞こえるよう声を張った。


「エルア様を迎えに行かねばならない。部屋に居るフランシスを呼んでくれ」

「ここに居るよ。あんだけ魔力の揺れを感じたら出てこない訳にはいかないもの」


 さらりと赤い髪を揺らし杖を携えているフランシスに、ちょうど良いとアルバートは矢継ぎ早に問いかけた。


「エルア様がナイトメアに取り込まれた。ウィリアムも一緒だ。だがしかし、ウィリアムの様子が聴いていたコネクトストーリーと相違している。万が一に備えてサポート出来る位置に行きたい」

「まだるっこしいね。僕に何をしてほしいの」

「エルア様の夢に、俺の意識を送り込め」


 ざわりと、使用人達がざわめく中、フランシスは呆れながらも愉快げに口角を上げた。


「出来なくはないけれど、ナイトメアを媒介にウィリアムとエルアの意識が混ざり合ってる状態でしょう? そこに無理矢理介入するんだ。縁もないのに、無事にたどり着けるかもわからないよ」

「縁ならある。定期的に彼女の血を取り込んでいるんだ。足りない訳がないだろう?」

 

 血には魔力が宿る。長期間、定期的に取り込んでいる自分は、それだけ彼女の魔力に馴染んでいるのだ。これで足りないと考える方が難しい。


「でもねえ、普通、他人の意識に入り込まれるってよっぽどのことじゃない限り拒絶されるもんなんだけど……いやあの子ならお前を拒絶するわけがないね」


 懸念を語りかけたフランシスは苦笑しながら言い直した。

 そう、アルバートをあのエルアが拒む事だけはあり得ない。だからアルバートは焦れてフランシスに詰め寄る。


「雇い主の危機だ。全面的に協力して貰うぞ」

「お前、エルアが居ないとほんとぞんざいだよね!? わかったよ!供給源がなくなるのは僕が困るし。でも準備に丸1日貰うよ。ギリギリ二人までならいけるだろうけど、どうする?」


 フランシスの問いに、アルバートが振り返ると、千草がぴくりと兎耳を揺らして進み出てきた。


「主殿を救いに行かれるのだろう。拙者もお供したい」

「駄目だ」  


 端的に却下すると、千草の金の瞳にいらだちと怒りが浮かぶが、それは二重の意味でも得策ではない。

 だから、アルバートは早口で説明した。


「この屋敷の主力は俺と千草、お前で担っている。フランシスは魔法の維持で動けない。この上二人で一度に向かえば手薄になる。現実でエルア様を守る要員が必要だ。対外的な交渉であれば使用人達で十分だが、武力行使で来られればどうしても心許ない。ならば、エルア様が何をしようとしているか把握している俺が行き、お前が残るのが順当だ」

「だが、だな……」


 まだ諦められないでいるらしい千草に、アルバートは告げるべきか迷った末、結局小さく付け足した。


「俺の身柄を預けられるとすれば、お前しかいない」


 金の瞳を見開いた千草は逡巡するように眉根を寄せたが、最後にはアルバートをまっすぐと見据えた。


「あいわかった。お二人の守の任。この身に掛けて」   


 この侍は信頼している事を表に出せば、すんなりうなずいてくれるだろうとは考えていた。

 が、ここまでとは、とアルバートは若干の据わりの悪さを覚えながらも、腕に抱えたエルアをもう一度見る。

 健やかに眠っているようにしか見えないが、この体に意識がないのは、なんとなく感じられた。

 そこで思い出すのは、エルアの言葉だった。


『これからどんな状況になるか分からないから、約束はできないけれど。私が真っ先に助けを求めるのは、アルバートだよ』


 自分は殺すことが得意だ。それが一番の使いどころだ。様々な仕事をこなすようになってからも、そう考えている。

 だが、彼女が望むのであれば、正義の味方らしく振る舞ってみせようではないか。

 夢でも、偽りでも、幻でも。なんでもいい。

 なぜなら、アルバートは、エルアの従者を選んだのだから。

 エルアを抱く腕に力を込めたアルバートは、準備が整うまでにすべきことを猛然と整理し始めたのだった。


 

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