27 王子様の様式美

 私が超特急で男装を仕上げて出て行くと、応接室に穏やかな表情のウィリアムがいた。

 例の警邏隊の制服を着て椅子の一つに座り、先に出していたお茶をのんびり飲んでいる。傍らに居るのは、いつものトレントさんではなかったが、警邏隊の制服を着ているため、別の護衛なのだろう。

 まあ連絡先として、この屋敷の場所は教えてあったからおかしくはない。

 しかし先触れもなく突然に訪問するのは、上流階級としてはだいぶ常識外の行動だ。ウィリアムの行動には毎度驚かされているが、今回はぶっちゃけとびきりである。


「突然の訪問で驚きましたよ」

「いや、すまないね。こちらにいてくれて良かった。この時間ではないと、どうしても動けなかったものだから。非礼はわびるよ」


 謝罪されて私はどうにも居心地の悪さを感じながらも、テーブルを挟んで彼の前に座る。

 すかさずアルバートが給仕をしてくれた。だが仕事を終えると、私の背後に控える。

 ホームグラウンドとはいえ、乗り込まれている現状少々警戒するのはしかたないだろう。

 隣の部屋には念のため千草に待機して貰っているし、フランシスには絶対に部屋から出ないように言い含めていた。

 ここで邂逅したらややこしいことになること請け合いだろう?


「で、どんなご用件ですか?」

「君たちに協力してもらっていた、薬物組織の中枢部を捕縛できたと報告にきたんだ」

「ええ、騒ぎは聞き及んでいます。お疲れ様でした」


 捕縛劇は、結構派手だったからね。多少情報通の人間なら耳に入ってきた。

 ついでに今回捕まった人々の中には、上流階級の人間が何人も居たものだから、債権回収のためにそこそこ騒がしかったのだ。

 うち? 目星がついたあたりから、それとなく整理しておいたから被害は最小限だよ。


「すでに耳に入っていたか。さすがだな」

「私どもの仕事は、情報が命ですから。今回対象になられていた方々はそれなりの金額のつきあいがある商会も多かったので、こちらも少々事後処理をしていました」

「なるほどね。今回の処理は表沙汰になることはないが、やはり少なからず経済に影響を及ぼす事になったか。そちら側の補填もなにか考えたほうがよさそうだな」

「……ウィルさん、ちょっと心の声が緩くなっていますよ」


 直接的ではないものの、あからさまに警邏隊の職務から逸した話だ。

 さらっと口にするウィリアムに、私はさすがに顔を引きつらせると、彼は朗らかだ。


「君も一介の警邏隊なら、とてもじゃないが義憤に駆られるようなきわどい話を口にしているよね?」

「私はそもそも、後ろ暗さを疑われてあなたに監視されていた立場ですよ? 今更です」


 ああ、そっかこれはちょうど良いのかな? と思った私は、ウィリアムに予定を明かした。


「これで私どもの疑いは晴れた、ということでよろしいでしょうか」

「ああ、君たちは無関係だった。協力感謝する」

「こちらこそ、ありがとうございました。では私はイストワに帰ります」


 驚きを顔に浮かべるウィリアムに対し、私は続けて見せた。


「もうエイブ商会も落ち着きましたから。本拠のホワード商会に戻りますよ」


 ウィリアムは驚くが、青の瞳はすぐに納得に染まる。


「そうか、君はこちらの人間ではなかったものな」

「はい。元々エイブ商会のごたごたを処理するための遠征でしたから」

「私も、事後処理でこれから忙しくなりそうだからなあ。こうして語らえるのはしばらく不可能ということだな」


 帰ったら、エルモは消えるのだけれども。

 次に会うときは、ウィリアムのコネクトストーリーだろうけど、私はもう違う姿になっているだろう。

 まさかウィリアムと、こんな風に親しげに会話ができるとは思ってなかった訳だけど。

 ウィリアムがしみじみ残念そうにするものだから、私はちょっと驚いてしまうわけだ。


「随分惜しんでくださるのですね。はじめは監視体制でしたのに」

「私は職務上、悪意に対してはそれなりに見る目があるものでね。君たちには思惑があれど、悪意はないと早いうちから分かっていたさ」

「恐れ入ります。とはいうものの、私の趣味に興味を示されたのは驚きましたがね」


 まあ、それは本当だったので、曖昧に肩をすくめたのだが。ウィリアムは相変わらず朗らかだ。


「だがそのおかげで、随分私の視野も広がったさ。得がたい経験だったと思うし、何より君を知ることができた」

「大げさですね? 私たちはお互いの利益のために利用し合っただけなんですから。すっきり良好に別れられるのはめでたいことだとは思いますが」


 まあ、それでもちょっとウィリアムと共闘めいた協力ができたのは楽しかった。

 こちらが一方的に見守るだけじゃない関係を少しの間でももてたのは嬉しい。


「……いいや、私はこれっきりにはしたくはないな」


 そんな風に考えつつお茶を傾けていたせいか、ウィリアムがそう、つぶやいたことに面食らう。

 ぎょっとして、そちらを見ると、ウィリアムが青の瞳を真摯にすがめ、こちらをまっすぐ射貫いていた。


「きっと君の熱意は私の仕事に向いている。こちらにいる気はないかな?」


 おいまて、その私の仕事って国政って事だよな? あなたほんとだいじょうぶ?

 背後でアルバートの気配が若干硬化するのも感じた。

 とはいえ私は絶対しらんふりするので、肩をすくめて見せた。


「何言ってるんですか。私は見ての通り非力なんですよ。警邏隊なんてそもそもが無理ですし」

「君のような頭脳が必要な場はいくらでもあるものだよ」


 随分熱心に口説いてくるウィリアムに、いったいどうしたと思いつつ、買ってくれるのはうれしいんだが、行くのはありえない。

 だから私は、若干表に出ようとするアルバートを手だけで制し、表情を落としてウィリアムを見つめた。


「それは、あなたご自身の言葉ですか?」


 知らないふりをしているが、私はあなたの本来の身分を知っている。

 それが王子としての発言ならば、私は他国の権力者としての発言として、扱わねばならなくなる。

 ウィリアムがそのような横暴をするとは思えないし、なにより、私はそれなりに身分があると見せかけている少年だ。

 半ば強引に引き入れて、寵愛を1人の少年に与えた結果、周囲に生まれる軋轢や影響まで考えたら、思いとどまると思うんだよね。何より私にそこまで価値があるとは、冷静に考えて、ない。

 だから、私はすぐに曖昧な笑顔に戻った。


「気持ちは嬉しいのですが、私には姉の補助という役割がありますので。裏方が性に合っているんですよ」


 そもそも表に出て行くこと自体があり得ないからな。うむうむ。

 1人で納得した私は、椅子から立ち上がって彼を促す。


「それでも、あなたと過ごした日々は、私も有意義でした。……さあ、お互い忙しい身でしょう。お送りします」


 というか、実はまだちょっと動悸が収まらず落ち着けないので、ぼろを出しそうで怖いんですよ。

 ま、これからもウィリアムを見守るのは変わらないしな。

 ウィリアムも立ち上がるのを目の端で捉えつつ、アルバートへ見送りの支度をするよう合図する。

 いやあ、見られちゃまずい人がいっぱい居るからね。先触れ出して貰っとかないと、万が一は警戒するよ。


 アルバートが小さく頷いて、一足先に出入り口へ向かう。

 外に待機している別の使用人に指示を出しに行くのだろうな。

 そして振り返ると、金色が翻る。

 えっと思った矢先、私の足下に跪く王子がいた。

 何が言いたいのか分からない? 私も見たままでしか語れてないし何言ってるのか分かってない。

 制服の裾を床に美しく広げて、片膝を立てる姿は、普段の彼ですら滅多にやらない仕草だ。

 だって、本来なら国王以外に膝を折る必要がないんだから。

 にもかかわらず、その姿は見事に様になっており、お嬢さん達がきゃーきゃー悲鳴をあげること間違いなしの夢の体現者となっていた。

 なにより、そう、彼はその晴れた日の湖面のように美しい青の瞳で私をまっすぐに見上げているのだ。


「な……」


 私は思わず後ずさりかけたが、その前に左手を取られた!?

 滑らかながら、しっかりと剣だこの主張する手に私の手が包まれる。

 ふんわりと軽くだったけれど、離れられない断固とした意思が感じられた。


「私は本気だよ」


 その、表情が朗らかでありながら、ひどく真摯だった。


「人よりも制限が多かったとしても、君との関係は私の自由だ」

『私は人より制限が多いけれど、君のことをどう思うかは、私の自由だ』


 その言葉に、初めて出会った頃のウィリアムが重なる。

 まだ背も今より高くないけれど、8歳の私にはとても大きく見えて。思わずたじろいだとたん、膝をついてくれたのだ。

 その機微に気づいて気遣う事までできちゃうなんて、どんな14歳だよ。

 次いでウィリアムは、左にはにかむような少年めいた笑顔を浮かべて言うのだ。


「誰がなんと言おうと、君を大事にしたい」

『誰がなんと言っても、君を大事にするよ』


 その笑顔は、侯爵家の偏見も、聖女として価値も、一切挟まない。たった1人の女の子を慈しむものだった。

 1人と決めた人を大事にするときは、こんな風に見るのだと思い知らされて。

 そんな核弾頭級の破壊力で集中砲火を受けているのは、私なのである。

 夢小説ですら滅多にない超王道、すさまじい輝きを放つ、金髪青眼の、極上の王子様が、やっているのである。

 少年ウィリアムバージョンは、不安な女の子に対して精一杯の気遣いの尊みと、ロイヤルな雰囲気に殺られた。 

 私は、その笑顔に耐えきれずに、鼻血を吹き出しアルバートに介抱されてさらに失神するという醜態をやらかした。

 だって、だって……あの頃はまだアルバートにすら慣れていなくて、頻繁に情緒を崩して倒れかけていた頃なんだ。そこに少年ウィリアムの爆弾には耐えられなかったんだ。


 今はもう成人し、貫禄と余裕を感じさせながらも、まっすぐてらいもなくこちらに願う姿は、あの頃とは違う相手を確実に爆散させてくる威力がある。

 しかも、私はさっき、アルバートのどろっどろに溶かし尽くすような速効性の毒のような供給を食らったばかりだ。

 オーバーキルだった。


 私は、鼻腔に熱さを感じた時には遅かった。

 ぼたり、と私の鼻からぬるい血がしたたる。


「っ!!!!」


 はっと我に返った私が、とっさに右手袖で鼻を押さえる。

 さすがに恥ずかしすぎる。

 が、鼻血はすぐには収まらなくて、うろたえまくった私は離れようとしたのだ。

 けれど、逆に左手がぐっと握られ引き寄せられる。

 驚いている間に、立ち上がったウィリアムの顔が目前にあった。


「こっちを向いて」

「ふむぐ!?」


 何をという前に当てられたのはハンカチだ。香水でも使っているのか、ハンカチからは不思議な甘い香りがする。ぐっと根元を押さえる手際は手慣れてすら居た。そうだったな、ウィリアム一応軍属だから、鼻血の処理も何度かしてるだろう。

 いやあでも、14歳の頃はとっさに手が出ず硬直していたのに、成長したなあ。

 とっさに、押しつけられたハンカチを自分で押さえ直す。


「エルモ様っ」

「らい、じょうぶ……」


 アルバートが呼ぶのに私は答えて、猛烈に恥ずかしくなりながら、ウィリアムを見上げた。

 いやもう、意味不明でしょう。こんな醜態いつぶりだよ。


「ずみません、お手数をかけまひた……」


 けれど、私の言葉の途中で、ウィリアムの空いた手が私の首筋に回り、チョーカーを外した。ぼとり、と落ちたそれに「あ、」と声が出てしまう。

 響いた声は、元の私の声だ。

 ざっと血の気が引いて顔を上げると、ウィリアムの顔が怖いくらいの激情に包まれていた。

 青い目に渇望を宿し、握られた左手の強さが緩まない。

 けれども、懐かしさと悲しさと切なさと……何より嬉しさとごちゃ混ぜにした笑顔を浮かべたのだ。

 私は、その顔を知らない。


「……見つけたぞ、


 まるで、迷子の子供がようやく知り合いを見つけたような眼差しだった。

 それは、エルディアに向ける顔じゃない。なのに声は、ただひたすら安堵に満ちている。


 私は、とっさにウィリアムに握られた手を取り戻そうとした。

 けれど、そのまえにかくりと、膝から力が抜けた。

 自分の体の変化について行けずによろめくと、ウィリアムに抱えられる。


「だいぶ、賭けだったが。あの頃と同じ反応をしてくれて確信できたよ」

「エルモ様っ!」


 だんっと、アルバートが一足飛びに飛びかかってきたが、それは抜剣した護衛に受け止められる。

 今回の護衛は恐ろしく人間離れした動きで、アルバートはすぐに押さえ込めないらしい。

 すさまじい応酬が繰り広げられるのがどこか遠い。 


「エルア・ホワードも君だね? 姉なのは嘘だ」


 頭が急速にもうろうとしていく。おかしい、こんなすぐに異変があるようなことは……。

  ハンカチがどけられたことで私は気づいた。

 あの組織は急速に眠気をもたらす薬をばらまいていたのだ。

 ハンカチに染みこまされていたのがソレだと思えばおかしくはない。

 一つ一つ暴いていくウィリアムの意図が全く読めなかった。


「なに、が。もく、てき」


 すでにろれつが回らないほどのあらがいがたい眠気の中でも、かろうじて聞くと、ウィリアムが切なげに目を細めた。

 それはどう考えても憎しみ裁きを受けさせるために捕らえたようには感じられない。

 どころか、ゆっくりと髪を撫でる仕草はやさしみを帯びてさえいた。


「今回は、幸せにしてやりたいんだ」


 今回は、だって?

 意図が読めない中、大きな扉の開閉音が響く。


「っ!!」


 抜刀の音が聞こえたとたん、アルバートが私を抱えるウィリアムへためらいなく襲いかかる。

 その脇にはあの護衛が地に倒れ伏していた。刃を携えた千草が抑え込んでいる。

 いつになく殺意をみなぎらせたアルバートが、こちらに向かって刃を振った。

 けれど、ウィリアムが厳然と命じるのが早かった。


「ナイトメア、お前の餌はここだ」


 その声が響いた瞬間、地に倒れ伏していた護衛から、虹色のもやが勢いよく吹き出す。

 馬に似た形に凝ったかと思うと、再びほどけてウィリアムと……抱えられている私を覆い尽くす。

 アルバートの顔に焦燥が乗った。


 アルバートの焦り顔、めっちゃ貴重じゃん。


 朦朧とした意識が容赦なく眠りに引きずり込まれる中、思考力が落ちた私が最後に考えたのは、いつも通りの事だった。

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