26 考察は公式ではありません

 私は顔を覆って訴える。


「……アルバート、ほんとうに、ごめん。顔が良すぎて話が入ってこない」


 ぴた、と止まったアルバートのまとう空気が、さらに冷えた。


「このまま押し倒しましょうか?」

「それだけはやめてください何度もやられると心臓が持ちません」


 ヲタクの心臓は弱いし、今でも息が止まりそうなんです。

 早口で答えた私は、ようやく呼吸を再開できるようになった私は自分の手をちょっとずらして彼を見る。

 アルバートは未だに暗い紫の瞳をしていたが、ひとまずは止まってくれた。

 ほんとヤンデレアルバートなんて見られるとは思わなかった。しかも全力で引きずり落として絡め取っていこうとする手腕が、やばい。ぐらっときた。というか今もぐらっときてる。

 ハイって言っちゃいそうになるんだけど。

 私は自分の唇をかばいつつ、一生懸命視線を合わせて言った。


「まずアルバート、考察っていうのは、あくまでプレイヤー側の妄想の産物なのよ。だから公式として正しいと決められた訳じゃないの。しかもここは私の知るゲームストーリーに酷似していても、違う道筋をたどってるのよ」

「ですが……」

「あなたが生き証人なんですけど? 私の執事をしている血夜の暗殺者、アルバート・ベネットさん」


 私がいえば、アルバートがわずかに息を呑む。

 そうなんです。考察というのは勇者個人の妄想と推理でしかなくて、限りなくそれらしくはあるけれど、その通りじゃない可能性のほうが高いんだ。

 考察自体は、この世界の異変を予測するのに役立っているから、私も参考にする。

 けど、齟齬が見つかった時には、必ず私は、今遭遇している現実を優先していた。


 もう一呼吸して落ち着いた私は、目だけでも笑んで見せた。


「それからね、アル。大前提が違う。私はエルディア・ユクレールじゃない。エルアなんだよ」


 その名前も、正しく自分を表すのか分からなくなってしまっているんだけど。

 意図が分からない、と目だけで問いかけてくるアルバートに続けた。


「私さぁ、今の状態が心底、解釈違いなんですよ。エルディア様も推しだったもので」

「……悪徳姫を、ですか?」


 信じられないとばかりに目を見開く彼に、私はしみじみとしてみせる。わりと、アルバートって私のこと、健全で純粋に明るい部分ばかりが好きだと思っているよな。

 確かに、私も悪を好んでいる訳じゃないけれども。


「エルディア様は、ほんと終始一貫してるし、すがすがしいほどの悪意にまみれていたけれども。その行動の裏側にあった感情や想いの重さと厚みは今でも理由があったんじゃないかと思うんだ」


 そう、悪徳姫は悪だった。間違いない。けれども、その悪の中にあったかもしれない。わずかな人間らしさに惹かれた。まさにエルディア沼に落ちたのが、ウィリアムのコネクトストーリーでの彼女だったのだ。わずかな人間らしさを見せながら、自分の行いを一切後悔しない、いっそすがすがしいまでの意思に惚れこんだのだ。

 だからウィリアムが劇場で、「知りたい」と語った理由に果てしなく頷いてしまったと同時に、ものすごい罪悪感に襲われたんだ。だってね。


「もう、私の好きだったエルディアは居ないの。私がこの体に入った時点で殺してしまったから」 

「……ああ。あなたに、エルディアの記憶はないのでしたね」


 アルバートの目に納得が浮かぶのに、頷いて見せた。

 そう、私は7歳のエルディア・ユクレールの体に入った。けれども、私はエルディアがソレまでに学んだらしい言葉使いや文字の書き方、道具の使い方、マナーなどの知識は覚えていても、人にまつわる記憶や感情……人格は一切残ってなかったのだ。

 だから、残りはわがままお嬢様ロールプレイと、ゲーム知識で乗り越えるしかなかった。

 あれは今から考えても大変だったわぁ。アルバートがフォローしてくれなければ死でしたよ。


「私はこの体に入った時点で、もうすでに解釈違いなんですよ。解釈違いの塊である「私」は、ウィリアムの手は絶対取らないよ」


 私はもう聞き間違いようもなくしっかりと宣言したつもりなのだが、アルバートは納得がいかない様子で目を細めた。


「あなた、ウィリアムと初めて会った時の醜態を忘れてませんか。その上で、その言葉を信じろと? 心を奪われないと?」

「それ、忘れて欲しいんですけども。めちゃくちゃ忘れて欲しいんですけども。まあそうだよねえうん。うん」


 だって、アルバートは、私がウィリアムと共闘して親密になるんじゃないかと思っているんだもんね。

 あれ、これ嫉妬? えっ私嫉妬されてるの??? この部分考え始めたらだいぶ情緒がめちゃくちゃにされるので、なんとかおいといて。

 それでもだいぶやに下がっているだろう顔で、宣言した。


「これからどんな状況になるか分からないから、約束はできないけれど。私が真っ先に助けを求めるのは、アルバートだよ」


 これだけは確信できる。私はウィリアムよりも、千草よりも、まず真っ先にアルバートを呼ぶ。だって知ってるんだ。私のアルバートはさいつよなんだって!


「あなたは、世界でも、悪徳姫の味方でもなく。”私”の味方なんでしょう?」


 アルバートから言い出したんだから、ちゃんと言葉の責任は取ってよね。

 そんな意味も込めて笑ってみせると、ふわ、とアルバートのまぶたが伏せられる。

 長いまつげの影が濃くなったことに息を呑んだ、とたん口元を覆っていた左手の中指に痛みを覚えた。

 指越しにわずかに吐息が絡んで舐められる。


「っ……!」


 私が声も出せずにいると、味わい、確かめ、探るように血を舐め取ったアルバートのまぶたがあげられ、再び視線が絡む。

 その紫には、もうよどみはなく、悔しげな色があるだけだった。


「なんて、甘い味、させてるんですか」


 味について、言及するのは珍しい。まあ、口を付ける位だからまずくはないのだろうと思っていたけど。

 けれど意図が読み取れず私がぱちぱちと瞬くと、アルバートは深くため息を吐くとこちらをまっすぐ見つめてくる。


「必ず、ですよ」

「うん。だからちゃんと助けてね」


 それで、納得してくれたのかアルバートはすっと離れてくれた。

 だが、時間差で襲ってくる特大感情に私はその場から動く事ができない。

 脳内では今の一連のアルバートの仕草がリフレインしている。

 いや、ちゅーした事あるけど! 手を挟んでいたはずなのに、吐息がふれあいそうな位置で、アルバートのまなざしを強く感じて、何よりもすがるようなそれが熱くて。特に牙を立てられた指が燃えるように疼いた。下手なキスよりもどきどきしてしまった。

 あ、やばい、興奮が収まらん。

 私が口元を抑えたままでいると、案の定気づいたアルバートがだいぶ残念な子を見る目をした。


「……拭くものが必要ですか?」

「いや、だいじょうぶ。これ以上はまずいけれどもなんとか」


 そうだ、私だってこの10年でだいぶ成長と耐性がついて居るんだぞ。

 まあ、それでも過剰供給がくると、キャパオーバーしてしまう事もあるんですけどもね。


 これは何度もお世話になっている般若心経を唱えるべきか、と考えていたのだが、アルバートが訝しげに扉を振り返る。

 ガチャリと慌ただしく入ってきたのは、焦った様子の千草だ。


「千草、騒がしいぞ」

「あいすまぬ、緊急事態ゆえご容赦を。主殿! 王子殿が訪ねて参られた!」

「……は?」


 私は間抜けた返事を返すしかなかった。

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