23 知らぬは本人ばかりなり

 

 アルバートが投げたナイフが私の頭の上をかすめ、壁からにじみ出てきたゴーストに突き刺さる。

 けれど背後の存在は、今までのゴーストには足止めになっていたはずのナイフをものともせず動く。

 そして、その瘴気をまとった実体のない魔物は、私とお嬢さんに向けて手を伸ばしてきた。

 奇しくも、私が腕に抱えているお嬢さんが目を覚ましてしまう。

 薄い緑の瞳をおびえさせるお嬢さんをとっさに抱き込み、魔晶石の腕輪をはめた手をかざす。

 しゃあねえ、私の萌えゲージは十分だ!


「イーディスの祈りよ、ここにっ!」


 教会所属の神官が使う呪文と共に解き放たれた浄化の魔法は、いつもよりも威力が弱い。

 それでも、相手をひるませるには十分だ。


「こいつリッチだ!」


 リッチはいわゆるゴーストの上位種だ。

 単純な行動しかできないゴーストよりも、より複雑に狡猾に動く事ができる。

 実体を持つのも持たないのも自由に切り替えられるし、壁をすり抜けて奇襲する頭もあるんだよ! 

 叫んだ私が後ずさっても、リッチはさらに追いすがろうとしてきた。

 ゴーストを相手取っていたウィリアムが焦った様子で、杖の魔晶石を輝かせてこちらに駆け寄ってこようとする。


「エルモくんっ」

「いりません! ゴーストを引きつけて!」

「だがっ」


 ゴーストの群れだって押しとどめて貰わなきゃいけないんだ。

 リッチはその腕に持っている杖を振りかぶってきた。

 さすがに私はほぼ丸腰なんだが。その杖に赤黒い鎖が巻き付いて妨害した。

 それは、アルバートの吸血鬼の能力、ブラッドウェポンだ。

 助けてくれるとは確信していたけれども、その助け方は予想外だよ!?

 吸血鬼の能力をウィリアムの前で使うとは思っていなかったが、まあ私のほうが見せちゃいけないものが多い。今もだいぶぎりっぎりだけどさ!

 そらされた杖の先から、魔法が放たれ、着弾した先の壁が腐食している。

 うわあいアレちょっとでも食らったら危なすぎる。だが、決定的な隙だ。


「千草っ」

「承った!」


 私が呼べばどんっと、床を踏み抜く勢いで千草が加速する。破いたスカートを大胆にはためかせた彼女は、短刀ごとリッチへ肉薄する。

 アルバートに捕らえられた杖を捨てたリッチは、腰の剣を抜きはなって迎え撃とうとした。

 だが千草はそれよりも早い。


「兎速、針月しげつ


 リッチの骨張った首に、針のような銀線が走る。

 本来なら、実体を持たないゴースト系の魔物に物理攻撃は通りづらい。

 けれども、千草は油断なく短刀を構えながらも冷静だった。


「兎月の極意は、何よりも早く、確実に屠る事こそ至上としておる。死せるものを屠れずして兎月は名乗れぬ」


 あ、やばい。

 私はとっさに、お嬢さんの目元を手でふさぐ。


「っ!」

「あなたは見なくて良い」


 一瞬もがいたが、私がささやくと、お嬢さんは黙ってされるがままになってくれた。

 そのさきで、リッチは剣を取り落とし自分の体に起きた異変が信じられないようにもがき、こちらに手を伸ばしてくる。

 だが、首が落ちた瞬間体がぼろぼろと崩れ去って消滅した。

 そこまで見届けた私は、ようやくお嬢さんの目から手を外す。

 まあ、お嬢さんといっても、いまの私よりも年上で、だいたい20歳前後だろうか。

 ネイビーのドレスに身を包み、気弱げな雰囲気で、強く主張するのが苦手そうな雰囲気を醸し出している。

 今も潤んだ薄い緑の瞳で、不安げに周囲を見回している。うん、だからあの仲介人に強く出られなかったんだろう。

 けれども、私に視線を合わせると、ぽう、と頬を染めた。


「あの、ごめんなさい。助けて、いただいてありがとうございました」

「うん、無事で良かった。立てるかな」


 こくこくと頷いたお嬢さんがよろよろと立ち上がる。

 はーびっくりしたけど、なんとかなって良かった。

 ほっとした私だったが、背後から足音が響いてくる。


「エルモくん」


 振り返れば、ゴーストを倒しきったウィリアムがかけよって来ていた。

 その表情は戸惑いと驚きに満ちている。

 まあ、不測の事態だったとはいえ、こちらの手札をさっくりと見せてしまったからな。


「緑の瞳をしているとは、思っていたが……君自身が、浄化の魔法が使えるとは思わなかったよ」

「教会で、神官になれるほどじゃなかったんですけどね」


 緑の瞳はイーディスに愛された、とされていて、浄化の魔法が使える者が多いんだ。

 だから、瞳が緑色ならば、一度は男女関係なく教会で魔法の訓練を受ける。

 とはいえ、多少浄化が使えたとしても、神官として働けるほどになるかは別問題。緑の瞳をしていても全員が神官になるわけじゃないんだ。

 実際目の前のお嬢さんも緑色だし。それくらいの言い訳はあらかじめ考えてあるさ。

 ああ、そうだ。ここで言えば自然だな。と隣にいるお嬢さんに顔を向けた。


「君も、浄化の魔法でゴースト達をけん制してくれたおかげで助かりました。ありがとう」

「あの、わたしが、めいわく、かけたんですから……気を失ってしまいましたし」


 お嬢さんは顔を真っ赤にしてもごもごと言いよどむ。

 うむむえぐい場面は見せなかったとおもうのだが、調子が悪いのだろうか? とちょっと不安になっていた。けれども、ウィリアムがお嬢さんの瞳の色に気がついた。


「確か、君は攫われそうになっていたのだね」

「あの……は、はい」

「……そういえば、緑の瞳をした少女が失踪する事件も複数報告されていた。まさかこれはつながっているのか?」


 そうだよウィリアム、つながっているんだ。このお嬢さんをはじめとした少女達は、薬入りのお茶や恫喝で従わされた少女を通じて、緑の瞳の少女を探しだし、攫っているのだ。

 だめ押しで私はふと気づいた風を装った。


「あのゴーストとリッチも、迷わず私達を狙っていた気がしますね。普通なら光魔法に惹かれるはずなのに」

「っ……!」


 ウィリアムが、はっと千草を見た。千草は動揺して兎耳を揺らす、が彼はじっと凝視したあと、青の瞳が私を向く。


「その、兎族の女性には、以前助けられた事がある」

「そうでしたか。彼女はうちの大事な用心棒なんですよ」


 闇オークション会場にいたのはあくまでコルトの「友人」だ。

 あの後ウィリアムに詰問されたが、コルトもそういう風に説明したと言っていた。まあ、あんな場所で悪い友達に助けられたとあっては、ウィリアムにとって不本意な事だったろうな。だからなんとか探り出そうとするのも当然だ。

 そしてここでばれるのは、あの場で助けてくれたのはホワード商会の人間であるということだけだ。

 つまり私たちは、一方的にウィリアムが王子である事実を握っている構図になる。 

 逆にウィリアムは動揺に青い瞳を揺らしていた。


「君は、どこまで」

「私は“姉”からお願いされています。だから、あなたが誰であろうとも、私はあなたに協力しますよ」


 曖昧に笑って見せれば、真意が読み取れなくなるのは、過去の経験で知っている。

 ごくり、とつばを呑み込んだウィリアムは、何かを答えようとした。

 けれどその前に私は無邪気を装って明るく言ってみせる。


「それよりも、ウィルさんが抑えてくれて助かりましたよ。いやあさすがにアルバートと千草だけじゃ難しかったので」

「あ、ああ……」


 ウィリアムの顔に明るくにっこり笑った私は、すぐにアルバートへと駆け寄る。

 だって、思いっきりブラッドウェポン使ってたんだもん。ウィリアムは吸血鬼に遭遇したことがあるから、一気に警戒されてしまうだろう。

 今、ウィリアムの秘密を握っているってけん制したから、いきなり無謀なまねには出ないとは思うんだが。

 まさか、アルバートが自分でばらすとはって驚きでいっぱいなんだ。

 いやいやそれはともかく、ブラッドウェポン使うにはどこかに傷を付けなきゃいけないんだもの。


「アルっ。傷だいじょうぶ?」


 私がよっぽど焦っていたからだろう、アルバートは少々面食らいながらも、赤く染まった左手を無造作にハンカチでぬぐおうとしているところだった。


「問題ありませんよ。後で手当てしますし、サイクス様は理解のある方なので……ですよね。サイクス様?」

「ああ、今回はベネットさんが必要だった」


 私にとってその意味は明白だ。いつの間にアルバートとウィリアムそんな風に話すようになってたの?

 取り越し苦労だったのは、ほっとした。うわぁいちょっと恥ずかしい。

 でも、ちらと視線を交わす二人を見てると、背筋がぞくぞくするんですけれども。

 殺気だろう。この場に居たくはないのですが。

 二人とも妙に名前の部分を強調しているけれども。ちょっと私の腐った心がうずくんですけども。

 傍らを見るとお嬢さんが若干きらきらした顔をしている。

 なるほどあなたは薔薇の心を持っていらっしゃったか。

 納得していたらアルバートにすげえ冷めた目で見られたため、慌てて表情を戻す。

 うっ目で会話できてしまうのが恐ろしい。


「えっとじゃあ、アル、せめて傷口消毒しよ。そのままにして調子が悪くなったらまずい」

「恐れ入ります」


 アルバートがなぜか少し態度を和らげて、おとなしく左手首を差し出してくれた。

 ほんと、躊躇なくざっくり行くなあ。見慣れているとはいえこのためらいのなさは毎度心配になってしまう。

 鞄の中から消毒用の薬を取り出して、塗り込み、清潔な布で傷口を縛る。これも明日にはいらなくなるんだろうけど。うむむ、次の血液摂取は早めが良いかもなぁ。

 そうこうしている間に、ウィリアムの部下達が駆け込んでくる。


「そろそろ公演が終わるね。帰宅するお客さん達で混乱するよ。お嬢さんから、話を聞かなきゃいけないんじゃないかな?」

「あ、ああそうだな。……――ご令嬢いいだろうか」

「は、はい」


 私がウィリアムに言うと、彼は我に返った様子で頷き、令嬢に声をかける。

 これでさらに1歩進んだぞ。

 私は密かに満足しながらも、立ち上がろうとすると、するりと手を握られる。

 骨張った手は、治療したばかりのアルバートの手だ。

 んんん??? ぎょっとして私はそちらを見るが、アルバートはこちらを見ず、立ち上がる。


「俺はこのままいると不都合ですから、先に撤退します。あなたは千草の服をどうにかして差し上げてください」

「あ、そうだった! じゃあ後で」


 その通りだったので、私は慌てて千草のほうへ行く。

 もちろん、こういうときのために替えの服はもってきているのだ。

 私がちょっと所在なさげにしていた千草へ駆け寄ると同時に、アルバートは顔色を変えずに去って行く。

 その切り替えの早さは、いつも通りだ。だけど、私は一瞬だけ絡んだ手が、まるで引き留めるようで。ほんの少し気になったのだった。


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