21 推す理由は人それぞれ
私が息を呑んで硬直していると、ウィリアムが苦笑をこぼす。
「歌劇を楽しみ、趣味に没頭して、楽しんでいた、と語られてまさかと思ったよ。血も涙もない。おおよそ普通の人間のような心を持たない人なんだと考えていたんだ。そんな健全なものに熱心になる想像がつかなかった。それくらい行動原理が私たちには理解できなかった。でも仲間達から語られた彼女の活動はとても人間くさくてなあ」
「……後悔、してるんですか」
「後悔はしていない。彼女の行動は確実に悪だった。ならば一番近しい私が、引導を渡してやるべきだったと今でも考えている。それが私が彼女にできる唯一の手向けだ」
否定の声は力強かった。
けれど、ウィリアムは青の瞳を細めて、開演を今か今かと待ち望む会場を見下ろした。
「……ただ、な。私は幼い頃から彼女と顔をあわせて言葉を交わしていたはずなんだ。その上で、私は性根は変わらないのだとあきらめて見捨て、決別した。なのに、私が知らないだけで、彼女にもこういったものを楽しむ心があったんだ、と教えられてな。知りたくなったんだ」
その横顔のまっすぐなまなざしと、切なげな表情に、私は大いに頭を抱えたくなった。
だが、ここで転げ回る訳にはいかない。ただの不審者になってしまうし、私はウィリアムの言う彼女の事を知らないんだから。
「そんなに気にしなくて良いんじゃないですか。だってもう、終わった事でしょう?」
「まあ、そうだとは思う。けれど、私しかいないからな」
若干うわずりかける声で言葉をかけると、ウィリアムはこちらを振り向いて、笑った。
「はじめは義務感だったんだが。君に教えられながら様々なものを見ていると、なんだか、彼女の追体験をしているようでね。彼女も、君と似たように様々な立場にがんじがらめになっていた人だったから。彼女も君のように楽しんでいたのかと想像できて楽しいんだ」
そのあどけないとも言えるような表情で朗らかに語るウィリアムに、私は細く息を吐く。
……まあ、私本人ですからね。という言葉を再び腹の底にまで押し込んでいると、その間をどう取ったのか、ウィリアムが少し慌てる。
「すまない。媒体自体を楽しんでいるとは言えないな。あまり気持ちのよいものではなかっただろう」
「別に、そこはかまわないんです。高尚な趣味ではありませんからね。教えられた通りに楽しむなんてお行儀の良いものでもないんですよ」
私が答えてあげると、ウィリアムはほっとした顔になった。
そういうところ律儀なんだよな。うん、知ってる。まあ反省は後だ。
今度はウィリアムが聞いてきた。
「じゃあ君は、この活動にどんな魅力を感じているんだろうか」
「そういえば、以前にも聞かれましたね。あれって、その人の本心が知りたかったんですね」
質問で返すと、ウィリアムは曖昧に笑っていたが、それは肯定でしかない。
あーーーすごく。ものすごく。答えづらい。けれどはぐらかすのも違うだろう。
どうしてこんなことになったという気持ちでいっぱいだけれども。
うん、よし。エルモとして答えるだけだ。それがエルディアの答えと同じだなんてウィリアムには分からないんだから。……分からないんだから。だいじょうぶ。
息をついて、私はなるべくさりげなく答えた。
「なぜ楽しむか、なんて。それを愛しちゃったから以外の何物でもないんですよ」
「愛、する?」
ウィリアムがゆっくりと瞬くのに対して、私は小さく笑う。
「今回、このリリー歌劇団は初めて履修しますけど、彼女たちは、私たちを楽しませようとしてくれる。そのエネルギーがまず尊いと思うんですよ。そして、いろんなどきどきに巡り合わせてくれる。そのどきどきを楽しみに、毎日が過ごせる。これってすごいじゃないですか」
そう、私はエモシオンファンタジーでそれを知った。あのゲームのおかげで、そしてこの世界のおかげで、毎日が充実した。
いろんなハラハラどきどきを教えてくれた。しんどい時も、仕事がきついときも、推しが待ってると思ったら頑張れたのだ。
何の因果かこの世界に来たけれど、ならば、多くのものをもらったぶんだけ、彼らの明るい未来のために動きたいと思うのだ。……たとえ、ここに来たこと自体が悪だったとしても、ね。
「だから私は、そんな力をくれる人たちには幸せになって欲しいんです。そして愛したものが穢される事を許しません」
まっすぐ見つめてそう語ると、ウィリアムはかすかに目を見開いたが、少しだけ寂しげに目尻をさげる。
「それを聞いて、君には上に立つものの資質を持っている。と思うあたり、私にはやはり難しいのだろうなあ。残念だ」
「良いんですよ、無理に楽しむものじゃないんですから。ほらウィルさん、本来の仕事に戻りますよ。たぶん一部上演時間中は大丈夫でしょうけど。休憩時間と二部が勝負なんですから」
「分かった」
そうしてオペラグラスを片手に私は観客席を眺め始めたのだが、背後でぽつりと声が聞こえた。
「結局私は。エルディアの事を何も知らなかったんだな」
幕が下り、休憩時間を知らせるアナウンスの中、会場内が明るくなる。
と、同時に私は席を立った。
「どうかしたかい?」
「……ちょっとトイレ行ってきます」
ウィリアムにそう答えて、私は出窓席を出る。
よろよろと会場内の通路を歩いていた。
出窓席があるあたりは上流階級が多いせいか、階下の会場席よりは騒がしくない。けれどそこら中ですすり泣きと、興奮を抑えた声が聞こえた。
まあそうだよな。舞台は素晴らしいできだった。
男装の麗人のやるせない想いと、そんな彼女に惹かれる騎士の青年が友情として抑え込もうとしながらもにじみ出る感情に会場からはすすり泣きが響いていた。
きっと常の私だったら、はまり込んでいた事だろう。
でも今は……と気もそぞろに歩いている私の手を引っ張られた。
驚いたのは一瞬で、柱の物陰に連れ込まれた先にいたのは、アルバートだった。
劇場スタッフの制服に身を包んでいる彼は、先に潜入していたのである。
うむ、ここはシンプルイズベストって感じで良いんだよなあ。しみじみしてしまったが、私を見下ろすアルバートは眉を寄せていた。
これは、案じている表情だ。
「目標は見つけました。誘導できます。実行は予想通り二部中でしょう」
「うー残念だけども、しかたないね。わかった。それとなくウィリアムを連れ出す。特徴は」
「下手側、舞台から数えて3つめ。ネイビー色のワンピースドレスにヘッドドレスを着けた女性です」
「了解」
「何がありました。舞台は楽しめませんでしたか」
やっぱり追求してくるよなと思って、私はほろ苦く笑ってみせる。たぶんあのときのウィリアムと同じ顔をしているのかも知れない。
でも、ここでは話せない話だ。ただ、こぼすしかなかった。
「あー、うん。ちょっとしんどいなあ、と思いまして」
「……変わりますか?」
即座に甘いえさを下げてくるアルバートに、私は苦笑する。
「大丈夫。私のほうがまだ適任だし。そんなに甘やかさなくていいんだよ」
そう返すと、アルバートが私の首筋に触れてくる。この劇場の制服は手袋はないから彼の掌がそのまま触れて、ひんやり冷たい。
「アレをこのひとときだますくらいなら問題ありませんよ。あなたのここを、ひと噛みさせていただくだけで。俺はあなたがアレと何を話したかも自分のものにできるんですから」
するりと撫でながら、当たり前のように語るアルバートの誘惑はたいそう甘やかだ。
あーもう確かにそうなんだけどさあ。油断も隙もないなあ。
「じゃなくても私が必要だって話をしたでしょう。今回で糸口はつかめた、と思う。だから、今を乗り越えたい」
「……かしこまりました」
時計を気にしたアルバートはおとなしく引き下がってくれた。けれど、そうやって気遣ってくれるのは嬉しい。
だから私は彼の手を取って、ほんの少しすり寄ってみる。
「ありがと、アル。今のはかなり滾ったからイケる」
どろっとおぼれさせようとしてくるアルバート氏はまさにゲーム時代の彼そのもので、たまに見るとぐっとくるんですよね。
まあその一面を見るために甘えてしまうと、アルバートが評価を下げる原因になるので案配が大事なのですが。
私も随分変わったものだ。
しみじみしつつちょっと気恥ずかしくなった私に、アルバートが目を丸くして、す、と顔を近づけてくる。
おうふ?
「千草は例のターゲットから耳を離さないように言いつけてあります。彼女を探す方が早いでしょう」
「わかった。向こうの出窓席だよね? ひとまず千草を確認してくる。あなたは周辺の工作をお願い」
「かしこまりました」
「それと、不意に顔を近づけられられるとどきどきが止まりませんね」
吐息をこぼして笑ったアルバートに内心ガッツポーズした。
私は赤くなった顔を冷ましつつ、向こう側へ回るために足早に通路を進んだのだ。
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