20 歌劇鑑賞では必需品です
そうして、男の格好ながらもある程度おしゃれをして、ミゼリコルト劇場へ乗り込んだのである。
ひとまず席の確認をしようと言うことになって、連れだって歩き始めたのだが、その最中ウィリアムはちょっと驚いた顔になる。
「目立つことも覚悟していたが、意外に視線を感じないな」
そう、ほかのお客さんは一瞬だけこちらに目を向けて驚くけれど、皆足早に劇場へ入っていくのだ。
この可能性をうすうす予測していた私は、なんてことはなく答えてあげた。
「だって彼女たちの目的は、舞台であり、リリー歌劇団の役者さん達ですから。たかだか路傍の石である私たちなんて気にしている余裕なんてありません」
「そ、そういう物なのか」
ぱちぱちと目を瞬かせた彼に私は重々しく頷いてみせる。
「だって、彼女たちは推しを楽しみにしてきてるんです。ほかの物に脇目なんて向けられません」
何せ私がそうだったからな。ずっと楽しみにしていた映画で隣に座った人が家族サービスに来ていた上司だったのに気づいたのが、上演後の大号泣の後だったとか。
……今思い出しても致命的で震えが止まらないわ。何で気づかなかった、ほんとなんで気づかなかった私。
当時のことを思い出して私が若干頭を抱えたい気分に陥っている中、ウィリアムは興味深そうにしていた。
「彼女たちにはそれだけ、夢中になれるものなんだね」
眼鏡の奥の目を細めて語るウィリアムのまなざしには、羨望のような複雑な色がある気がして、私は少しだけ眉を寄せる。
ウィリアムのことはずいぶん見てきたと思うんだけど、ぶっちゃけしっかり言葉を交わせる位置で見ることはほぼなかった。
だから、こんなに老成した色を見せる人だったかと戸惑いがあった。妙に胸に引っかかったけれども、私が話すべきは現在のことである。
「ええ、だからサイクス様。そんな中で暗い顔で気もそぞろな人が居れば、私は怪しいと思いますよ」
「……すまない、皆気もそぞろに見えてしまうな」
ウィリアムが途方に暮れた顔で来場している娘さん達を見つめていた。
あーうん。そうかもしれないなあ。私にはそこそこ分かるんだけれども、確かに難しいかも、しれない。
どう説明したものか、と思っていると、ウィリアムがじいとこちらを見ていた。
「なんですか?」
「なあ、この場で様というのは少し仰々しいとは思わないか」
「えっ」
ちょっと待ってウィリアム、なんで敬称付けのありなしなんて気にする質じゃなかったよな。というか当たり前のように敬称付けされている立場なんだから気にしないだろう?
目を丸くしてしまっていると、ウィリアムは眉を上げる。
「今は潜入捜査中というわけだ。友人として振る舞った方がおかしくないだろう?」
「では、サイクスさん?」
固持するのもおかしい気がして、試しに呼びかけると、ウィリアムは少し固まったあと、いたずらっぽい表情になる。
「いやいや、ウィルと呼んでくれれば良い。ほら、君もこういった活動をするときは愛称のようなものをつけると言っていただろう?」
「ええ、ペンネームというか、ハンドルネームという奴ですけど……」
ウィルって、一応婚約者だった私も呼んでた一般的な愛称だぞ? 本当にいいのか?
と、思ったのだが、ウィリアムは大変にわくわくしている。
まあ男なんだよな、今の私。こういう距離の詰め方って男同士だと普通なのか? それとも陽キャだとそんなにおかしくないのか。それともウィリアムだけなのか。
わかんないけれども、商会で遭遇してからのウィリアムの突拍子のない行動は今に始まった事じゃないしな。
「ウィルさん。ですね?」
なんかこの声で、こう呼ぶのは不思議な気分だなぁ。
ウィリアムは、まるで少年のように嬉しそうにした。
それはまさにユリアちゃんとリヒトくんに向ける、気を許しているときの表情だったから。
「ああ、良いな」
ふぐっ……やっぱりウィリアム、かわいい子なんだよなぁ。
ちょっと心に致命傷を食らいながらも表情を変えるのをこらえる。
私がウィリアムにぐっときたのが、このギャップなんだよなあ。としみじみしてしまう。
私は比較的、主人公周りのキャラクターにハマる事が多いんだけど、ウィリアムは、立場から来る張り詰めた気配が魅力になっている。
けれど、その国を背負わねばならない重圧から、ふっとはずれた瞬間の明るい表情のギャップにやられたのだ。
これをまさか目の前で見れるとしみじみしてしまうが、今は任務中だ。
「私もそれとなく探してみるので、目立たないように顔を覚えていていただけると」
「わかった。顔を覚えるのは得意だ。……そうだな、取引をするのであれば、公演が終わってからだろうね。ならば全体を見渡せるところに行こう」
「どこです?」
「席だよ。出窓席だからよく見えるだろう」
「ほう、それはいいですね」
出窓席はちょっと見づらくはあるのだが、その席がある部屋ごと貸し切れるタイプのお高い席である。さらに言うと、視線をあまり気にせず階下をじっくり観察もできるんだ。
さすがだな、と思いつつ、ウィリアムを見た。
「ウィルさんオペラグラス持ってます?」
「オペラグラス?」
やっぱり知らなかったらしい、ウィリアムに予備のオペラグラスを渡してやる。
階下を眺めていると、わくわくしている女の子達がいっぱいで、こっちまでわくわくしてしまう。
いやもちろん寂しそうな顔をしている子が居たらすぐに分かるよう、目を皿のようにするのは忘れないよ?
まあ、アルバート達もそれぞれの位置で眺めているはずだから、あまり心配はしていない。
でも、リアルイベントならではの高揚感の中に居られる喜びをかみしめる。だって貰ったパンフレットがほんと好みド直球でわくわくしかないんだ。
ビリーさんが言っていた通り、男装の麗人と、彼女を男だと思ったまま恋をしてしまった騎士の王道ラブストーリーなんだよ。これは期待しかないのでは、ないのでは???
ふぐぐ、こんな時じゃなければきっちりパンフレット見るのにな!
「君は本当に楽しそうにしているね。本のことも、絵のことも。生き生きと話す」
そわそわしているのがばれていたんだろう。ウィリアムにそう声をかけられて私はちょっと顔を赤くする。
「そりゃあ楽しいですよ、好きな物に関して語るのは」
「同人活動について聞いていても思ったんだが、そこまで一つの情熱をもてるのは、少しうらやましいな」
ウィリアムにまぶしげにされた私は、ほんのすこしテンションを落ち着けて彼を向く。
「ウィルさんはどうして、こういった話を聞きたがられるんです? 本来なら全く興味がない人でしょう?」
そう、私が知るウィリアムは、どちらかというとアルバートに近いタイプだ。外部要因が強いとはいえ、特別な趣味を持たず、役目のために邁進してきた。陽キャ陽キャとは表すけれども、ぶっちゃけ言うと、別の何かに打ち込まなくても人生が充実しているんだ。
全く接点がないはずのヲタク活動というこちら側に、どうしてそこまで興味を示すのか。
はじめはこうして事件に関わる部分だからかと思っていた。けれど仕事のためと納得するには、別の何かがある。
彼の異変は一つ一つ調べていくべきだ。そのためにこんなリスクを冒しているんだからな。 さりげなく切り出すと、ウィリアムは少しだけ決まり悪そうにする。
「確かに私自身は、君のような情熱を持ってはいないと思う。気分を悪くしただろうか」
「いいえ。あなたは私たち文化を頭から否定せず、敬意をもって接してくださいますから。全くかまいません。そういった方にならいくらでも教えて差し上げたくなります。正直、男性同士、女性同士の恋愛と聞いて、読んでみようとなるのは素直にすごいと思います」
そのあたりは、ウィリアムは性格が良いんだよなあと思う。
偏見を持たず、先入観なく見る目を忘れない。上に立つものとして良い資質だ。
「褒められると少しこそばゆいな。ただ、確かに君にはずいぶん世話になっているのだから、話しておくべきだろうな」
ウィリアムは椅子に背中を預けて、少し照れくさそうに語った。
「その、私の妹のような人がこの世界が好きだったと聞いてね。どんな世界なのか知りたくなったんだ」
私の耳が思い切りダンボになった。
えっまってえっそれってユリアちゃんのこと!? ねえねえウィルリア入るの!?
この世界のウィリアムとユリアちゃんはまだ親愛以上の関係にはなってなかったと思うんだけど! そうウィリアムはあれだけユリアちゃんを可愛がっていても、ついでにがっつりエルディアを敵認定していても、まったくユリアちゃんに恋愛を匂わせていないのである!花束をプレゼントとかは平気でやるんだがなこの男、つまりウィル×ユリアはまだ私の妄想の産物だったんだな…。
だがウィリアムよ、そんなかわいい顔して……趣味まで知りたいと思うほど愛が想いが深まったというのか! ウィリアムやるじゃんっ。
私の脳内は一気にテンションが上がったが、表面上は平静を保って、よりスムーズに情報収集をするための方策を練り上げている。
「それは、もしかして即売会でお使いを頼まれていた人ですか?」
「いや、その子もなのだが。私が考えていたのは、別の人でね」
私の目的の話が聞けそうな予感にどきどきしていたのだが、ウィリアムは否定した。
確実にあのお使いはユリアちゃんなのだが、それ以外となるとならリヒトくん!?……いやいや落ち着け妹みたいなって言ってるんだからリヒトくんじゃないよね。冷静になれここは性別変更で台詞が変わらないんだ。
えっまってじゃあ別の人って誰だ!? ウィリアム誰か想う子ができたと!?
ひーふーひーふー息をついていた私だったが、ふとウィリアムの笑みがほろ苦い事に気づいた。
「その人は、幼い頃から顔を合わせていたのだが、互いにプライベートな話をしたことがなくてね。だんだん疎遠になっていったんだ。……最終的には決別し、ひどく憎んだ」
私はつかの間息がとまる。それに当てはまる人を私は一人だけ知っている。
「褒められない行為に手を染めていた人だった。私は正義のためにその人を断罪した。彼女が原因で不幸になった人間が山のようにいたからね、私は彼女に必要な罰を与えたと考えている。……だけどなぁ。すべてが終わった後に、彼女を信じていた人たちに、彼女が別の一面も持っていたと教えられたんだ」
疑いようもなく、それはエルディアの事だ。そして紛れもなく「私」の事だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます