18 倫理の時間ではありません

 アルバートが今までになく性急だったのは、ウィリアムの姿を見つけたからだったのだ。

 私は肩を震わせた。今のアルバートと同じくらい心臓が早鐘を打ち始める。

 だって、今私は女性の格好をしている。髪の色も変えていない。

 しかも化粧で雰囲気を変えていたとしても、この人相を曖昧にさせる眼鏡は近しい人には通じない。

 つまり、今ウィリアムと顔を合わせれば、高確率で「エルディア」だとばれる。

 な、ナイスプレーだよアルバート! だけどもなんでウィリアムとこんな場所で遭遇するの!? 

 振り返った瞬間すべてが終わる。ど、どうする。そんな気持ちで視線だけ上にやると、ウィリアムを見つめていたアルバートは、たった今気づいたように紫の目を細めた。


「奇遇、ですね。サイクス様。このような場所でお会いするなんて。お仕事でしょうか?」

「ああ、まあ、その通りだ。君こそ、このようなところで会うとは思わなかったよ。エルモくんの供、というわけではないようだが……そちらのお嬢さんは、どなただろうか?」


 ウィリアムが堅い声音で訊ねるのは、もちろん私のことだろう。うわあい! これって顔を見せない方がおかしいのでは?

 私は声すら出せないまま、アルバートに任せるしかないの、だが、アルバートは片眉を上げて悠然と答え見せるのだ。


「今日の俺は、休暇中なんですよ。そんな日に共に出歩く女性なんて、決まっているでしょう?」


 言葉と共に頬をなぜられた時、かすかに魔法の気配がして、息を呑む。 

 だらだら冷や汗が止まらないなかでも、必死におとなしくしていると、なぜか背中に感じるウィリアムの気配が、硬化した、気がした?


「……そのお嬢さんは見たところ10代の、まだ親の庇護下にある娘のように思える。君が相手として選ぶには、少々若いのではないかな?」


 ピシッと、アルバートが固まるのを感じた。私は言葉の意味が飲み込めず数瞬考えて思い至る。

 あ、そういや私外見年齢は17歳で、アルバートは26歳。ぎりぎり健全と言い張れる年齢差だとは思いますけど、それなりに歳が離れてますね。この世界でもちょおっと怪しい。ウィリアムはつまりアルバートが若い女の子……年下趣味だと指摘して若干引いているのだ。

 ……ごめん年齢差割と失念してました。わーアルバートの顔がすごくきれいだぁ。

 そして、ウィリアムが私へ言葉を投げかけてくる。


「すまないね。お嬢さん、初めまして。私はウィルソン・サイクス。今ベネットさんと同じ仕事をしている者だ」


 声なんか出せるわけないため、私は髪で顔を隠すように、ほんの少しだけそちらを向いてかすかに会釈をする。

 けれど、その一瞬だけ見えたウィリアムが食い入るように私を見つめているのに、どきりとした。

 何かを暴き、探りだそうとする目だった。ウィリアムはこちらを疑っているのだ。

 きっとアルバートが気づいて路地に引き込むまでの間はわずかだ。見られていたかもしれない時間はほんの少しだけ。たったそれだけで、ウィリアムは疑ったのだろうか。

 まさか、という気持ちの中、私の心臓がどくどくと嫌な音を立てる。無意識にアルバートのジャケットを握った。

 が、やはりそちらを向かないのはウィリアムに不審がられる元だっただろう。ウィリアムが訝しそうな声を出す。


「よければ、顔を見せてはいただけないだろうか」

「……彼女はとても恥ずかしがり屋なんです。女性に無理強いは嫌われる原因ですよ。サイクス様」

「それは失礼した。何せ私が探している人にあまりにも似ていたものでね。そう見間違うことがない、特別な人だったものだから」


 アルバートの釘差しにも意に介さず、ウィリアムがこつりと、靴を鳴らして距離を詰めて来るのを感じる。


「それとも、見せられない、理由があるのかな」


 こうなったら影で逃げるしかないか……? 私の指が護身用の魔晶石を探りかけた。

 けれどその手をアルバートにするりと捕まれる。


「もちろんですよ」


 堂々と言い放ったアルバートは、私の手をなでるように持ち上げて、ごく自然な仕草で口づける。そして、艶やかに笑うのだ。


「俺があなたに見せることすら腹立たしいほど、この人に惚れ込んでいるんですよ。だから本心を疑われるのも心外です」


 ウィリアムを追い返すための言い回しだとわかっている。けれど、私の顔がぶわりと赤らんだ。

 それすら楽しそうに、アルバートは私の頬をなぜ、耳の輪郭をたどる。

 アルバートの顔が見れないのがだいぶ残念なくらい、それは相手を愛おしむような仕草だった。そのくすぐったさに思わず目をつぶって震えてしまうが、耳飾りに触れられた時に、思念が滑りこんでくる。


『十秒後、表通り』


 私はその意味を理解して、そろりと暗がりに干渉を始める。

 その間も、アルバートはウィリアムから視線をそらさず、くすり、くすりと笑って見せる。 


「ですが、どなたにも秘密の関係なものでしてね。彼女を見せびらかしたい気持ちもあるのですよ。いまもほら、たったこれだけでこんなに赤くなって、かわいいでしょう?」


 まるで見せつけるように、私の髪をかき上げて横顔をあらわにする。

 私はそっと、恥ずかしがり屋を意識してウィリアムをおずおずと見返した後、さっとアルバートの後ろに隠れた。

 凝視していたウィリアムは腑に落ちないながらも徐々に警戒をほどいていった。


「……すまない。別人だったようだ」

「納得していただけて何よりです。……俺のわがままを聞いてくれてありがとうございます、よくできましたね。後でご褒美を差し上げましょう」


 アルバートが背後に隠れた私の頭を撫でる。

 その顔に準備ができたと目で語って見せると頷かれた。

 けれど、ウィリアムはまだ立ち去らない。青の瞳で今度はアルバートの姿をじいっと見つめていた。


「君は本当に、アルバート・ベネット。なんだね?」

「? ええ、そうですが?」


 さすがにアルバートもその意図がわからなかったのか、訝しくしながらも肯定する。

 そして、アルバートから合図が、きた。


「君は……」


 何かを探るようなウィリアムが、さらに言葉を重ねようとしたとき、表通りで悲鳴が上がる。


「消火栓が吹き飛んだぞ-!?」

「こっちは下水蓋が吹っ飛んだ!?」


 私が影をつたって下水道に侵入した後、マンホールを吹っ飛ばしたのだ。

 わあわあと悲鳴が上がる中、ウィリアムが背後を気にしたことで、緊張の糸が途切れる。

 すかさず私の腰に手を回したアルバートが、さらりと歩き出す。


「何かあったようですね。警邏隊であれば、駆けつけたほうが良いのではないですか?」

「あ、ああ……ではまたいずれ」


 ウィリアムが頷き、私たちを気にしながらも表通りへ去って行く。

 私たちも路地を回って速やかに離れて行き、完全に安全地帯へ離脱した頃。

 私は大きく息を吐いた。


「あり、がとう。アルバート。幻覚魔法、さすがだった……」

「間に合うか厳しい瀬戸際でしたが。なんとか。見せるのが一番でしたからね」


 今の私の顔はアルバートがいつも使う幻覚をかけて別人に見えるようにしてくれたのだ。

 ちょっと鞄からコンパクトを取り出して鏡を見てみると、そこにいるのは素朴な顔立ちをした少女だ。なんか、記憶の彼方にある元の私の顔に似ている気がする。

 あんな短時間でここまで違和感ない顔にするなんて、アルバート位しかできない。

 ウィリアムに見られた時点で、アルバートは最悪の事態も想定していたのだろう。吸血ブーストをつかってなんとか整えてくれたのだ。

 冷や汗をかきつつも、どっとほっとしてもう一歩踏み出そうとしたら、かくんと膝が抜けた。

 そのまま崩れ落ちそうになるのをアルバートに支えられる。


「大丈夫ですか」

「いや、まさかあそこまで疑われると思ってみなくて。ほっとしたらちょっと膝に来た」

「……転移、使えますか」


 こくりと頷いた私は、魔晶石の一つを探り出した。

 なるべくここから早く離れた方が良い。


「次の接触の時、ウィリアムにどうしてあんなとこにいたか聞いてね」

「もちろんです。あなたは大丈夫ですか」


 アルバートに訊ねられた私は、ウィリアムの強いまなざしをまざまざと思い起こす。


「もちろん、大丈夫よ。ひえってなったけども、やっぱウィリアムすごいなって感心しちゃった」

「……そうですか。チラシは別の者に取りに行かせますね」

「アルバートフォローが手厚すぎる嬉しい」

「不測の事態とはいえ、次はしっかりまともな逢い引きにします」


 なんか今日はもう、色々ありすぎた。

 ぐったりしたのは確かだったが、若干悔しげにそう決意するように語るアルバートに思わず顔がほころぶ。


「これ以上に楽しいデートなんてなかったから大丈夫」


 うん、今日はなんだかんだ楽しかったのだ。夢女子になってしまうくらいには十分すぎるくらいに。

 とてもとても楽しかったのだ。

 アルバートがきょとんと目を丸くするのに、笑いかけた私は影に干渉しはじめたのだった。


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