17 貢ぎ方にも色々ある
喫茶店があった大通りは、活気ある店が軒を連ねていて、歩いているだけでとても楽しい。
けれど、古くから営業を続けている店というのもあるもので。私たちが入ったのはその一軒だ。
こっちにいた頃には、ほぼ大手商会の訪問販売を利用してきたから、個人店に足を運ぶことはなかった。
けれども、人伝に良いお店だというのを聞いていて気になっていたのだ。
入った店内をくるりと見渡すと、こぢんまりとしていたが、落ち着いた内装にインクの良い香りが漂っている。
出迎えてくれたのは60代後半くらいのおじさまだ。おそらく店主だろう。
「おや、いらっしゃい。何をお探しかな」
「万年筆を見せていただきたいんです。彼にプレゼントしたくて。普段の書類仕事に使えるようなものが良いんですけど」
アルバートがぎょっとしたようにこちらを見たけど、私はおじさま店主を見つづける。
おじさまはちょっと驚いたようにしていたけれど、うんうんと頷いた。
「わかったよ。試し書きをしてもらったほうが、より良いものを選べるからね。少し時間はかかるけれど、かまわないかな」
「ええ! もちろんです!」
おじさま店主が奥へ引っ込んだ瞬間、アルバートが顔をひくつかせて言いつのってくる。
「……あなた、俺の話を聞いていました?」
「だって推しに貢ぐのが私の息抜きなんだもん。いつも通りでしょ」
私が真顔で言い返すと、アルバートはたいそう渋い顔をしていたがあきらめたように息をこぼした。
「アルバート確か、まだ付けペン使ってたわよね。万年筆あってもいいんじゃないかしら?」
「確かにそろそろあってもいいか、とは思っていましたから自分で買いますよ。見たところ値段も手頃ですし」
「あ、それはだめ! 私が買うんだから!」
「……なぜ?」
さすがに剣呑な目を向けてくるアルバートに対し、奥に行ったおじさまへ聞こえないよう、早口で告げる。
「あなたあんまり物にこだわらないでしょ。だから長く使える物を一つくらい持っていて欲しいと思っていたのよ。それが自分が贈った物だったら、あなたが使っているのを見るたびに嬉しくなれそうでしょ。だから、私が贈りたいの」
ひいては自分のモチベーションのためなのだ。推しであるとはいえ、これくらいなら許されるのではないか。いや許されたい。
とはいえ、アルバートは立場上は執事で使用人だ。そんな彼が持っていてもおかしくないもので、なおかつ日常的に使うものは限られている。タイピン、カフス、時計などなど……考えてみたけれども。そんな中、万年筆は最適だと思うんだ。
しかも万年筆は良いものを選べば、それなりのお値段になる。推しに堂々とできる課金最高!
私が断固として譲らないお気持ちで見上げていると、アルバートは紫の目を見開いた後、唇を引き結んだ口元を手の甲で隠した。
お、おおう? それは嬉しさをこらえている表情ではございませんか。貴重なスチルに気持ち悪く顔が緩みそうだ。なんで急にそうなったの?
私が心のシャッター切りつつも面食らっていると、彼はぼそりとつぶやいた。
「あなた、いつも通りの課金だと思っていそうですが。今回のそれは、男が恋人に貢ぐ論理と変わりませんよ。自分の気配がする物を身に付けさせたいんですから」
「っ……!」
「ようやく、俺に自分の色をつける気になったんですね?」
指摘されて私はぶわりと顔が真っ赤になるのを感じた。アルバートはからかうように私をのぞき込みながらも、わずかにけれど確かに喜色をにじませている。
そんな素直に感情をのぞかせるアルバートはすごく珍しくて、本気で嬉しいのだと理解してしまった。
「わかりました、ならおとなしく贈られましょう。代わりにあなたも気に入った万年筆を選んでください。俺が贈ります」
「うぇっ!? アルバートに贈られる!?」
そそそんな身に余ることをされて良いんですか!? 私今日幸せ過ぎない!?
思わず身を引いた私が二の句を継ぐ前に、アルバートが続ける。
「俺が何か贈ったら、あなた冗談ではなく毎日身に付けようとするでしょう? まだあなたの敵が多い以上、妙なものを差し上げて、外部に付け入る隙を与えるつもりはありませんので」
「いや、飾るわ。アルバートから貰った物なんて大切に飾って毎日拝む」
マジと書いて本気と読む勢いで語ると、アルバートは若干遠い目をするが、すぐ真顔で言った。
「俺が贈った物を使わないなんて、よほどお仕置きされたいんです?」
「………………使います」
断腸の想いで掌を返す羽目になった。アルバートのお仕置きは絶対こわい。知ってるんだ。
アルバートは満足そうにすると続ける。
「ですが万年筆のような実用の身の回りの品でしたら、毎日持ち歩いても不審ではありませんし、俺が眺めるのも楽しいでしょう。ただ……」
そこで、言葉を切るとするりと私の髪を掬い取った。
「いつか、あなたに似合う装飾品を贈ります」
うやうやしく手に取った一房に唇を落として、アルバートは淡くほほえむ。
以前なら、きっとそんなのとんでもないと言い出してたし、恐縮してただろう。
でも、今の私は、その日が楽しみだと思ってしまう位には、私は欲深く変わってしまったのだ。
アルバートが戻ってきたおじさま店主に、女性向けの万年筆も出してくれるように頼むのを見ながら、私はふよふよと緩んでしまいそうになる顔を戻そうとしていたのだった。
アルバートとの半日デートはびっくりするほどそれらしく進んだ。
『良いもののほうが使いやすいとはわかっているのですが、使いつぶしてしまうことを考えると、積極的に選べなかったのですよ』
そんな風に言いながら、外見こそ質素ながら、ペン軸のしっかりした書きやすい一本を選んだアルバートが少し嬉しそうだった。
もちろん私は心のシャッターを何枚も切った。が、私は私でアルバートに万年筆を贈られて家宝にするしかないのに、飾っていることがばれたらお仕置きをされてしまうのだ。
そのため、私は頑張って使わなきゃいけない。アルバートという神とも言える存在から特別な存在から貰うことにヲタクとしての感動は胸にある。
けど、彼個人からの贈り物が、嬉しいとも思ってしまうんだ。
買った万年筆はアルバートの鞄にしまわれている。紙袋に入れて貰ったとはいえ、万が一落としたら怖いので、預かって貰ったのだ。
手を握られて連れだって歩く。紫の帽子を目深にかぶってなければ正気を保てなかっただろう。
手から鼓動の早さが伝わってしまうのではないかと心配になる。けれどアルバートは素知らぬ顔で、所謂恋人つなぎをしたまま歩いて行く。
こんなに心臓が壊れそうでどうして私は生きているんだろうと思いつつも、ふわふわとしたままついて行く。
うわあ、私本当に恋をしてしまっているんだな。となんだか照れくさい。
「そろそろミゼリコルト劇場の近くですね」
「そうだね、すれ違う人に若い女の子が増えてきたし」
アルバートの言葉に私もようやく周囲に視線が行く。そう、着飾った女の子達が落ち着かない様子で歩いて行くのとすれ違った。
うん、こんなどきどき楽しみにしている彼女たちを利用して食い物にしようとしているなんて絶対許さない。
私は改めて強く決意をしつつ、劇場近くにあるはずのチラシ置き場を探す。
ふふふふ、アルバートの鞄大きいから、きっと皺なく持ち帰れるぞ……。
「っ……!」
アルバートが息をのむ音が聞こえたと同時に、引っ張りこまれたのは近くにあった路地だ。
表に出る感情はかすかだけれど、その驚きの色を表に出すこと自体が珍しい。
壁に押しつけられた瞬間、アルバートに腕を取られる。
「すみません、乱暴にします」
「な、っ痛ぅ……」
私が何事かと聞く前に、つ、と唇が手首の血管をたどり、思い切りかぶりつかれる。牙がぐっと食い込むのを感じたとたん、吸い上げられて、アルバートがごくりと嚥下するのが見えた。
いったい何事だと思いながら声を押し殺していると、一口で顔を上げたアルバートにぐい、と引き寄せられる。
押しつけられたのは、アルバートのジャケットに包まれた胸だ。
ふわりとコートが追いかけるように包まれたことで、私は、アルバートに抱き込まれたことを一拍遅れて理解する。
反射的に抵抗しようとすると、アルバート頭に回された手にぐっと力を込められ胸板に押しつけられた。
どどどどどどうして!?
一瞬で私の理性はあっという間に吹っ飛んで、動揺の極みになりかけたのだが、耳に響くアルバートの心音が、恐ろしく早い。
普段平静な彼がだ、とっさに降り仰いだ彼の顔は、険しく前方を向いていた。
思い至ったと同時に私の背後から慌ただしい足音と、声が響く。
「……っ。ベネット、さんか?」
それは、唯一私の変装を見破れるかもしれない存在。
ウィリアムの声だった。
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