16 デートイベは突然に
彼女が去って行った後、放心状態で喫茶店の席に座ったままでいると、背後の観葉植物の向こうから、こちらに歩いてくる音が響く。
そして、今まで推し絵師がいた場所に、私の最推しであるアルバートが座った。
「お疲れ様でした。エルア様」
「神様がやさしすぎて、燃え尽きた……」
アルバートはずっと観葉植物ごしに話を聞いていて、ビリーさんの話し方や仕草を観察していたのだ。
それはビリーさんの姿を借りて、仲介人に接触するためである。下調べができるのならば、アルバートには楽な仕事だ。
だがしかし、予想以上にビリーさんは協力してくれたもので、私はもはや放心状態で、せっかく頼んだパンケーキすら手をつけられていない。
それでも、よろよろと、私は手元に残された紙をアルバートに滑らせる。
「聞いていたと思うけど、標的はリリー歌劇団の公演にほぼ毎回現れるみたい。会場の指定された場所に、声をかけてきた仲介人が待っているんだって。それがビリーさんに声をかけてきた仲介人の顔だそうです」
「これだけ、的確に特徴を捉えていれば、探せるでしょう……エルア様?」
その紙はビリーさんがの目の前で描いてくれた仲介人の似顔絵だった。
けれどアルバートに紙を手放さないことを訝しく思われて、がくりと肩を落とした。
「推している絵師に直筆でしかも目の前で描いて貰ったイラストが標的である申し訳なさと、神が無から有を生み出す瞬間を目の当たりにした感動にどうして良いかわからない……」
「ああ……。なるほど」
「とりあえず額に入れて飾りたい気分と、これを飾るのはちょっとという理性がせめぎ合っています」
「ひとまず情報伝達が目的の絵であることを認識しましょう」
はい。
なんとか正気に返った私は絵から手を離した。
私がぽかんとしている間に、きれいにささっと描いてくれちゃいましたからね。ビリーさんの親切さに感謝すると同時に、神の技に感動を覚えたのだった。
経緯はアレとはいえ、心はもう満たされ過ぎていて、あふれそうである。
「充実した時間だったようで、よかったですね」
心を見透かされたようにアルバートに言われて、私はこくんと頷いた。
ビリーさんにはリリー歌劇団の布教を受けたし、私も同じ沼に関していっぱい語りあかしたのだ。一瞬で約束の時間が過ぎていた。今私の頭の中はリリー歌劇団めっちゃ見に行きたいでいっぱいである。
「やっぱり、ヲタクは見かけによらないなあ。あの方がまさかドシリアスアブノーマル系人外BL書きだとは誰も思うまい。いやでもイラストのおにいさんが、たぶん実物よりちょっとエロいのは描き方としてらしいかもしれない」
さすがのアルバートもだいぶ驚いた様子で私を見る。けど、そういうものなんだよ。だって人は見かけによらないんだ。そして趣味の前では誰しもが一人のヲタクになるのである。
だからこそ、秘密は墓場まで持っていかないといけないんだ。
にんまりと笑っていると、アルバートはこほんと咳払いをする。
「まあ、話を聞く限り、仲介人も大してこの文化に詳しい者ではないでしょう。今そろった情報で十分なりすませます」
「さすがアルバート。観劇……できたら嬉しいけど。さすがに危ないよね……」
「その姿で見破れるのは、あなたと複数回言葉を交わした上で魔法に長けている者でしょう。あなたは、悪徳姫時代、あまり周囲と深く交流を持たないようにしていたでしょう。それこそ、気づけるのはあなたを引き込みたいと考えている二人くらいですよ」
「それは、ちょっと、だいぶ安心してるけど……」
とはいえ、貴族のお嬢さんが山のように詰めかけるだろう。自分がおたずね者なことは重々承知しているのだ。
さすがに身の安全と引き替えにはしないよ。めっちゃくちゃ行きたいけど。観たいけど。
ぐぬぬと顔をしていると、アルバートが苦笑している。
「確かに、仕掛けるのは劇場の前でしょうからね。チケットを取る必要まではありません。……とはいえミゼリコルト劇場はここからそれなりに近いはずですし。劇場でチラシパンフレットだけでも手に入れてみますか?」
「……へ?」
それまでどうか続いていてくれ……! 私が内心で祈るような気持ちでいたら、アルバートがそんなことを提案してきて間抜けた声を出した。
なして、そんな都合の良いことを言ってくれるの??? とばっと彼を見ると、やんわりと微笑んでいる。
「せっかくの二人きりの外出ですし、もう少し散策を楽しんでもいいでしょう」
「え、あ、あの、アルバートサンいったいなにを!?」
私がマジ狼狽えをしていると、神直筆の似顔絵を鞄にしまっていたアルバートは長い足を組んで小首をかしげた。
「想い合った者同士で外出するのは、世間一般的にデートと言うのですが。違いました?」
「そそそそうですが、今はま、まだ仕事の範疇では!?」
「おや、今日の予定は終わったでしょう? ならこのあとすることはすべて趣味、ついでです。あなたが商会の仕事に戻るにも、一度その姿をほどかないといけません。なら、このままお互いに羽を伸ばす方がずっと効率的ですよ」
からかうように朗らかに告げてくるアルバートに、私の頬がぶわりと熱くなる。
急に周辺の音が遠のいた気すらして、私はこの喫茶店がどういうところかを否応なしに思い出す。
ここは大通りに面した、ちまたで人気のおしゃれな喫茶店。
看板メニューのパンケーキを求めて、女友達と来るグループや、
そんな場所に、この美しい男と一緒にいるのである。今日の彼の服装は当然のごとく私服だ。王都で暮らす労働者階級のようなズボンとジャケットに、帽子を合わせている。神絵師に会うからそれどころじゃないけれども、普段見慣れない私服姿というアルバートの特殊立ち絵は貴重ですね???
おしゃれで大変によく似合う上、全身を暗色で統一されていて、ゲームで何度も惚れ込んだデフォルトアルバートの服装を彷彿とさせて二度おいしい。
とはいえ、そんな風に萌え転がる気持ちもあるけれど、こみ上げてくる羞恥と照れが勝ってしまうのだ。どうしちゃったんだ私、なんだかいつも以上にアルバートがまともに見られないぞ。
私が言葉を失って視線をさまよわせているのにも、愉快そうに目を細めたアルバートは、椅子から立ち上がると、そりゃあもう優美に手を差し出した。
「そういうわけですし、つきあっていただけますか?」
そんな、甘い声音で言われたら、私が断れるわけがない。
真っ赤になっているだろう顔で、私はアルバートの手に、自分の手を乗せた。
「リリー歌劇団が公演をしているのは、中通りの劇場ですね。歩いていける距離ですし、靴が問題なければ歩いても?」
「も、もちろんだよ」
かかとの高い靴とはいえ、歩いて十数分の距離なら問題ない。
喫茶店を出た私たちは、連れだって歩き始めた。
フェデリー王都は、リソデアグアとは違い、歴史を感じさせる重厚な作りの町並みだ。
石畳の舗装された道は、ほんの数ヶ月前までよく移動していた通りである。
けれどもそれは馬車でさっと通り過ぎて、窓から眺めるだけだった道でもあった。
そんな、歩道をアルバートと一緒に歩いている。しかも彼が隣にいるのだ。普段は従者として私の少し後ろを歩いているから、なんだか隣にいるというのに妙な感慨を覚えてしまう。
そっと隣を見てみると、腰の位置が高いし、何を着てもよく似合う。もはや夢概念から抜け出したような顔のいい男でしかないんだよな。
今は素に近いのか、執事の時には浮かべている柔らかい表情は形を潜めている。けれど、怜悧さが際立ち、端正な面立ちが強調されていた。
ほら、すれ違うお嬢さん達がみんなアルバートに見惚れている。わかる当たり前のようにイケメンのお兄さんだもんね!
というか私だって歩いている姿をすれ違うお嬢さんみたいに眺め倒したい。
その気持ちが勝って無意識のうちに距離をとろうとしていたらしい。
なぜか右腕をとられた。それはもちろんアルバートで、普段手袋に包まれている素手が、私の腕をたどり、掌をにぎ、にぎっ……!!!???
私が発作的に振り仰ぐと、紫の瞳とかち合ってしまう。
思わず肩を揺らすと、アルバートは目を細める。
「今日は離れるのはだめですよ」
「な、なななんでっ」
私がまじうろたえして問いかけると、アルバートは心底不思議そうにする。
「なぜって、想い人に離れて歩かれるなんて、悲しいじゃありませんか。せっかくの休暇ですし、俺はらしいことがしたいんです」
「なんかいつにもましてファンサが過激じゃありませんか!? そんなに恋人らしい振る舞いがお好きな方でしたっけ!?」
あまりにもまとう雰囲気が柔らかすぎる。砂糖菓子に蜂蜜をかけた上で、マシュマロをトッピングしましたレベルで甘ったるい。普段の塩対応から想像つかないサービスである。いやそのたまにの甘さと素っ気なさのギャップがぐっとくるんですけど。
なんで、ときめきすぎて怖い。
耐えきれなくなった私が叫ぶと、アルバートはくっとのどで押し殺すように笑い出す。
「おや? 俺が目的のためなら、手間を惜しまないのはご存じでしょう?」
「いや、でも、こんな……ひえ」
私にサービスをする理由が思い至らなくて。という言い訳は、きゅっと右手を握る手に力を込められたことで封じられる。
さらに、指を絡めるように握りこまれた上で、困り顔に眉を寄せられた。っひ。
「あのですね。さすがに、俺の気分が良いという可能性を考慮されないのは遺憾ですよ」
「そうなの!?」
本気で思い至らず目をまん丸にして驚いている先で、さすがのアルバートもため息をついていた。はい、すみません。今のはさすがにだめだったなって思います。
だけれども、アルバートの手が離れることはない。
「自覚を持っていただくためには、それらしい扱いを増やす方が早いと考え直したんです。自分でも、どんなものかと思っていましたが……やってみると意外と悪くないものですね」
私はすべての発声機能が停止した。
あのアルバートさんあの。興味深そうに握った手を眺めるのは反則です。なんでそんな楽しそうなんですか。急成長すぎやしませんか。日々進化して私を萌え殺すのに特化されるんですか。
私だってだいぶアルバートに対する許容量が大きくなったと思っていたのに、いつもあふれるほど新たな姿を見せてくれるのだ。
心が追っつきません。でも一周回って気すら失えない間にアルバートは淡く笑うのだ。
「あなただって、あなた自身に戻る時間が必要でしょう? 最近は緊張し通しでしたからね」
私は真っ赤になっているだろう顔を左手で覆った。確かに外に出るときは絶対男装だったから、久々に外でスカートを履いた位だ。
それに男装で顔を合わせるのはあの、絶対ばれてはいけないウィリアムである。
供給以上にがりがり精神力を削られる要素が多すぎた。
「あのにこやかウィリアムだけでも大混乱なのに、悪魔のようにヲタクを追い詰める質問ばかりしてくるんだもん。ほんと、ほんと……んっ」
少し握られた手に力が込められて、ちょっと驚く。
とたん少し身をかがめられて、耳元でささやかれる。
「こういう時、ほかの男の話題を出すのはマナー違反というやつです」
「ハイ」
顔はほんの少し笑んでいるけれど目は真剣だった。私は即座にうなずくと、アルバートは姿勢を戻すとゆったりと続けた。
「ですから、今はあなたも、普通の娘として振る舞ってください。俺もあなたをそう扱います」
そのフォロー力が完璧すぎて、推せる要素しかない。
私だって嬉しくない訳じゃないのだ。こうやって町中を歩いたり、貴族らしくや、経営者らしくだったり過ごさなくて良いのは。
しかも隣にいるのはアルバートな訳で。なんかもうそれだけで十分なんですけど。
「こんなの夢女子になってしまう……」
「ではその夢女子とやらがされるようなことやっていきましょうか。何をするんです?」
「なんで課金できないの……」
まじめにアルバートが本気らしくて、もう溶けそうなんですけど。と、行きたい場所……はっ!
「あのウィンドウショッピング的なこととか、すると、思うので。寄り道、しても、いいですか」
「なるほど、デートとしては王道ですね。ええ、もちろん。どちらへ?」
「文具屋さん!」
アルバートがきょとんとしている間に、私は正気を保っているうちに、握られたままの彼の手を引いて歩き始めたのだった。
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