15 神(絵師)との遭遇

 真昼の大通りに面した、こじゃれた喫茶店。賑やかで明るいここは、おいしいパンケーキがとっても有名な人気店だ。

 表のテラスに面した見晴らしの良いテーブル席で、私はかちこちに固まっていた。

 服装はなんとか掘り起こした平民風のワンピースだ。秋らしい色合いにかわいらしい刺繍が施されている。悪徳姫の印象が出ないように化粧で雰囲気を変えた上、人相がわからないようにする魔法をかけた特製眼鏡をかけていた。そう、ウィリアムがかけているのと同じようなやつだ。

 目印として、テーブルには葡萄色の帽子を上に置いてあった。

 ああ、とっても懐かしい。Web上で知り合った人と出会う時は服装の特徴を教え合うものだった。

 けれど、同時に緊張で私の胸が壊れそうだった。私はそろりと目の前に座る女性を見る。

 彼女は20歳半ばほどの、全体的に小作りなかわいらしさがある人だ。ふわふわとした髪をスカーフで押さえて、柔らかい色彩のワンピースが大変よく似合っている。

 まあ外見上は年上なのは理解していた。雑誌に投稿している文面からして、働いているっぽい気配はしていたから。

 けれど彼女は、明らかに年下だろう私に対して、落ち着かない気配を漂わせつつ、おずおずと伺ってきている。うっわ、かわいいな。一回同人即売会で顔は見ていたけど、こんなかわいい人があの神絵師なのか。

 なんだかハムスターのような、小動物感を漂わせる彼女は、今回薬の仲介役に声をかけられた本人であり。

 ……――漫画技法をいち早く幻覚本にしてくれた神絵師である。

 しかしながら、彼女も私もド緊張していて、はじめの一言がうまく出てこない。

 すると、片耳に付けていた通信機から、ざざりとノイズと共にアルバートの声が響いた。


『そのようにいつまでもお見合いをしていたら、先に進みませんよ。自己紹介くらい始めたらどうです?』


 うううその通りですね!

 私は意を決して、声を張り上げる。


「「あのっ」」


 なんと、神絵師と言葉をかぶらせてしまった。なんと言うことだ。


「す、すみません、お先にどうぞ!」

「い、いえいえ、私なんてほんと、たいしたことじゃないので、すみませんすみません!」


 うう神絵師をうろたえさせるなんてほんと申し訳ない。ただ、このままじゃ話が進まないのも本当だ。

 申し訳ないと思いつつ、私は慎重に口火を切った。


「改めて、自己紹介させてください。初めましてビリーさん。私はオシウリと言います」


 なぜ、本名じゃないかって? 実際の名前を知ったところで役には立たないからな。

 ただ私は彼女の本名も知ってしまってるのは許してほしい。一生口をつぐんでいるから。

 私が呼びかけると、神絵師ことビリーさんは、はにかんだ笑みを見せた。


「なんだか、ペンネームで呼ばれるの、変な感じですね。私はオシウリさんと呼べばいいですか」

「はい、ぜひ! ビリーさんのストーリーイラスト集。とってもすてきでした」


 これが一番言いたかったのだ。私がようやく彼女と目を合わせて語ると、ビリーさんは息を呑んでまた縮こまってしまう。


「ご、ご丁寧にありがとうございます……。変なものを買ってくださっただけじゃなくて、あんな、お手紙まで……」

「そんなことありませんよ!」


 思わず身を乗り出すと、ビリーさんから小さく悲鳴が上がったが、それだけは看過できずにまくし立ててしまう。


「あのですね、以前からビリーさんの細やかで繊細な筆致だけでなく、感情のニュアンスを描かれるのがお得意だなと思っていたのですが、その裏に一枚イラストでは描き切れないものを持っていらっしゃるなと感じていたんです。今回それをイラストをストーリー仕立てに連ねることで存分に良さみを発揮されていて私とっても感動したんですよ! 私はこのお話に出会いたかったのだと打ち震えてお手紙書くのもめちゃくちゃはかどりました!」

「はひっ」

「あなたが生み出したものは間違いなく流行りますし、何よりもっと拝見したいです! あ、もちろんご無理が、なけれ、ば……なのですが……」


 正気に返った私がつ付け足す頃には、ビリーさんは、顔を真っ赤にしてうつむいてしまっていた。ひえ、熱くなりすぎた恥ずかしい。この勢いはさすがに気持ち悪いぞ……。


「ごめんなさい、ちょっと忘れてください……」


 私が浮いた腰を元に戻すと、今度はビリーさんは慌てた様子で身を乗り出してくる。


「いいえいえ! そんなことはないんですっ。あの、オシウリさんの感想、とてもうれしくて……。まっすぐなお言葉で、自分でも知らなかった良いところをあげてくださって、その。ちょっとだけ、絵を描く自信になった、というか」


 彼女は机の上で組んでいた指にそっと力を込める。


「私、本名はヴィクトリアと言うんですけど、とっても仰々しいでしょう? 強い女性、麗しい女性ってイメージがあって、昔から私が自己紹介すると、相手はみんな変な顔をするんです。私が絵が趣味、というとさらに渋い顔をされて……きっとイメージと違うから肩すかしなんでしょうね」


 確かに、ビリーさんはまるで妖精のようなふわふわな容姿をしていて、やわやわで愛らしい。でもそれがコンプレックスだった、というのは彼女の表情でよくわかった。


「えっとね。ずっと家族に名前にふさわしい姿でいなさいって言われ続けるのがいやになったの。それで、私の名前と顔が見えない場所で。私の好きなことを思いっきりやってみたくなって。この活動を始めたのよ」


 そう言い切ったビリーさんは、おそらく素に近いのだろう。肩の力を抜いた笑みをこぼした。

「自分で満足できるイラストを描ければいいと思っていたのだけれど。オシウリさんが、まっすぐ絵と、物語を褒めてくださって。誰かに読んで貰うって良いなあと思ったんです」


 うっ、私の感想が神絵師の糧になったのならば、これ以上ないほどご褒美なんですけれども。私は断腸の想いで声を絞り出した。


「こ、今回ご相談した内容も内容ですし、会ってくださったからってそんないきなり信用しなくていいですから、ね?」


 だってこうやって仲良くなった上で、薬のことを持ち込むのが常套手段らしいじゃないか。

 なら、私だって疑ってかかるくらいがちょうど良いのだ。まだ同志との情報共有にワンクッション入ってしまうため、被害は拡大しやすい。絵師さんも字書きさんも自衛していくしかない。


「これから、同人雑誌社を経由して注意喚起が回ると思うんです。それでも、注意深くしていられるほうが安心ではあるので……」


 私がおずおずと言うと、ビリーさんは少々気弱ながらも、ほっとした表情をしてみせてくれた。


「だからですよ。オシウリさんはお手紙にもそうやって書いてくださいましたし。私は、その仲介人さんと会っているんです。雰囲気も知っているから、あなたがそうじゃないってことはわかります。職業柄、嘘をつく人の気配もわかるんですよ」


 いたずらっぽいビリーさんに、私は諸手を挙げて降参するしかない。


「じゃあ、その聞いて良いですか。その仲介人さんの話」

「ええ。……ところでオシウリさんは、観劇はされます? 今ミゼリコルト劇場でやっている、女性に人気の舞台があるのだけど」

「っ劇団員全員女性の、リリー歌劇団ですか!」


 私がうわずった声で答えると、ビリーさんはきらっと目を輝かせた。


「その様子だと、守備範囲ですか」

「ごめんなさい。まだ行ったことはなくて……。でもあのエモコミの中でもリリー劇団のお話を扱ったご本が並んでいるのを見て気になっていたんです」


 そう、今フェデリー王都では、宝塚ばりの女性オンリー歌劇団が人気を博していたのだ。

 私が正直に言うと、ビリーさんはその琥珀色の瞳に熱を帯びさせて答えた。

 そのまなざしはまさに沼に入ろうとする獲物を逃がすまいとする、狩人の目だ。


「是非一度行ってみて。私も次はあの物語のその、イフを描いたお話を描いてみようかと思うんです」

「絶対観に行きます」


 耳飾りからため息が響いた気がしたがそんなの関係ねえ。感性の合う推し絵師がはまったジャンルなんだ。もしかしたら新たな沼が広がるかもしれない機会を逃したくない!

 つい熱くなっちゃったが、そうだこれが本題じゃない。


「で、リリー歌劇団が、今回何の関係があるんです?」

「ええ、あのチケット今抽選倍率がすごくて、なかなか手に入らないの。それでね、その仲介組織は同じようにリリー歌劇団のチケットが手に入らない方達に向けて、観劇チケットを融通する代わりに、自分たちに協力してほしいってお願いするのだって」

「その、お願いが、お茶を配ることだと?」

「ええ。ほら、同人交換会では、色々差し入れを持って行くのが慣例になっているでしょう。それと一緒に配ってほしいって言われたのよ」


 ビリーさんはほほえむような柔らかい表情でいたが、私は彼女の目が笑っていないことに気づいていた。私もその気持ちには同意だ。


「私たちの萌えの場を穢すだけでなく、利用としようとするなんて転売屋にも劣る行為ですね」

「ええそのとおりよ。私の本業は薬師なの。だからその成分を分析して、危ないってすぐわかったから、友人達には注意喚起は回していたの。でも親御さんや近しい人に趣味をばらすと言われて、そのまま手伝っている方もいるみたい」

「ビリーさんとっても有能ですね」

「だって、私たちの場所は、私たちが守らなきゃいけないでしょ」


 私が驚いていると、ビリーさんはまっすぐ私を見つめてそう語った。


「ビリーさん、本名が似合わないっておっしゃってましたけど。私にはとってもぴったりだと思います」


 彼女が勝利をつかもうと、迷いなくそう言い切れる姿はかっこいい。

 ちょっと顔を赤らめてもじもじとするビリーさんに、私は自分が彼女に誠意を見せられないことに罪悪感が募っていく。


「ごめんなさい。ここまで語っていただいておいて、私が誰かをほとんど明かせないんです」

「良いのよ。でも、あなたはこの犯人を捕まえようとしてくださっているんでしょう? なら、あなたは私たちの同志だもの。信用するわ」

「ありがとうございます。必ず誰も傷つけず、事態を収拾してみせます。その上でもう一つ協力をお願いできるでしょうか」

「私で、お役に立てるのなら……何でしょう?」


 ビリーさんに対し、私はその身を乗り出して言った。


「あなたの姿をお借りしたいのです。犯罪者達に接触するために」


 目を丸くするビリーさんだったが、詳しく話していくうちにとても楽しげな色を帯びた。


「まるで物語みたいね。良いわ。終わった後、差し支えない範囲でいいから、ぜひ話してくださいな」


 それは私が知っている、創作者の好奇心だ。世界が変わっても、何かを作る人の好奇心は変わらないなあと思いつつ、絵師の糧になるのなら否やはない私は、頷いて見せたのだった。

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