14 用法用量は計画的に

 



 私はエイブ商会から帰宅したとたん、床に崩れ落ちた。

 いやだってエイブ商会内で崩すわけにはいかなかったから、一番安全な家の中まで耐えるしかないんだよ。

 もう恒例になっていたから、アルバートも驚かない。


「……ある、ばーと」

「はい、何でしょう」

「私に冷え切ったまなざしを向けて罵ってくれないか」


 私が口走ると、さすがのアルバートもぴしりと顔を固めた。

 ちょっとだけオールバックを崩した彼は、眉間をもみながら懇願する私を見下ろした。その仕草もぐっとくるけど、まだ、まだドS要素が足りないよ。


「その心を聞いてもよろしいですか」

「あのウィリアムのくそ甘過剰供給がやばすぎて情緒が崩れきってるから、アルバートからの塩対応でバランスをとろうかと」

「そのような理由でしたら、俺もとことんまで甘やかしますが?」

「やめろください私がだめ人間になる」


 アルバートに真顔で言い放たれた私は、なんとか自力で立ち上がる。

 うっうっこれはこれで塩対応だから、なんとか正気に戻れたぞ……。


 そうなのだ、ウィリアムと、エイブ商会で合同調査を始めて2日経っていた。

 その間、補助役の私に何くれとなく友好的に話しかけてくるのである。

 友 好 的 に ! 話しかけてくるのである!!!


「なんなんだよ、ウィリアムどうしてこんな親切なんだよ。私が何かしたか、なんであんなに親しげなの。陽キャなの……仕事に一切支障を出してないのが腹立つ! 何で? 距離近くない? 何で関西のおばちゃん並におやつあげようとしてくるの。褒めてくるの。頭なでようとしてくるの!?」

「勇者と聖女にはあのような感じでしたよ」


 男装をほどき、化粧を落とした私が頭を抱えていると、そっとアルバートがカップを差し出してくれる。かぐわしい香りはいつもの紅茶ではなくコーヒーみたいだ。


「ミルクと砂糖は?」

「いらない。このくっそ甘いのを中和する……」


 気分の問題だが、ないよりはマシである。苦めのコーヒーをすすっていると、こんこんと戸が叩かれる。

 アルバートが開くと、そこには旅装に身を包み、小包を持った千草がいた。


「ただいま戻った。コルト殿からの返信と、空良殿より預かった包みにござる」

「お疲れ様千草、ありがとう! やっぱり、足が速いあなたにたのんで良かったわ」


 餅は餅屋と言うことで、コルトヴィアに薬のサンプルを送って、事情の調査をお願いしていたのだ。ものがものだし、最速でやりとりできる千草に往復をお願いしていたのだった。


 早速千草から貰った手紙に目を通していく。

 ほんほん。リソデアグアにもそれらしき薬が出回っているのか。そっちの販売組織はすでにわかっているが、末端組織で意味がない。トップはわからないから、解決してくれるのなら便宜を図る、と。それは助かるな。

 コルトが添えてくれた協力をとりつけてくれた組織一覧と、怪しい組織一覧をざっと眺めたあと、顔を上げる。


 そこで、考察ノートに手を出そうとした矢先、アルバートが声を掛けてきた。


「エルア様、例の方から返信が来ております」


 差し出してくれた手紙に、私は即座に背筋を伸ばして座り直す。

 いつの間にかアルバートが持っていた盆の上に乗る手紙に、ゴクリとつばを呑んだ。

 震える手で受け取って裏返してみると、ここの住所は書かれているが、送り主の住所は書かれてない。けれど、目が覚めるような紫色の封蝋に捺されている封印の紋章は、薔薇の花束に意匠化されたイニシャルが入っている。同人業界で流行っているオリジナル封印紋章だ。言わば直接名前は書けないけれども、自分だと知らしめるための、サインみたいなものである。

 こんなことで連絡を取りたくはなかったが、それは、私が敬愛してやまない人からの返信である。

 大きく息を吸って吐いて。アルバートに頼む。


「ペーパーナイフをちょうだい……」

「ええこちらに」


 美しく磨き抜かれたナイフを受け取り、そっと差し込んで開く。

 目の前に広がる、かわいらしくも美しい文字群を一つも意味を見落とさぬように眺める。

 だってこれは、神からの言葉なのだから。

 緊張と震えを覚えながらも読み切った私は、ぐっとこみ上げるものをこらえながら顔を上げた。


「アルバート。了承が取り付けられたわ。神が会ってくれるって」

「それはおめでとうございます」


 会釈したアルバートの隣で戸惑っている千草に、私は目尻ににじんだ涙をぬぐいながら向き直る。


「ごめんね千草、ありがとう。よく休んでちょうだい」

「……う、うむわかった」


 千草は戸惑いながらもうなずいて退出していく。

 こういうとき、千草は察してくれて深く聞いて来ないでいてくれるのはとても助かるのだ。


「しばらくあなたも堪能されるでしょう。俺も退出しますね」

「うん。また後で相談するから」


 アルバートが優美に一礼するのも、今回ばかりは見れなかった。

 ぱたん、と扉が閉まったあと、私は喜びを爆発させた。


「うわあああああファンレターの返信だーーーーっ!!!」


 そう、それは、あの同人即売会の参加者の一人である娘さんであり、私が愛したご本の作者さんからの手紙だった。

 ウィリアムから情報を得た後、私は自分のつてである雑誌社を経由して、主に同人即売会の参加者へ連絡を取った。

 私たちは良くも悪くも運命共同体であり、身内意識がある。赤の他人の権力者よりも、同じ活動をしている同志のほうがしゃべりやすいだろう。

 それにかこつけて、私は最速でご本の感想を送りつけた節もあるんですが。それはそれ。

 結果、数人のお嬢さん達から返事をもらえた。だけでなく、実際に遭遇したというお嬢さんが名乗りを上げてくれたのだ。

 だが、何より嬉しいのは、返信をくれただけでなく「感想が嬉しかった」って書いてあることなのだ。

 本当は、ファンレターなんて一方的なもの。返信なんて求めるものじゃないと私は考えている。その分創作に時間をつぎ込んでもらった方が神本いっぱい読めることになるし! でも、やっぱり自分の投げた言葉に答えがかえってくれるのは恐れ多くてありがたい。

 さて、会うのは人通りの多い喫茶店だ。あんまり浮かないように、失礼がないようにしなければいけないぞ。


「はっ、着ていく服あったかしら!?」


 全部ちょっと装飾過多なドレススーツ系しかないぞ。一般人に擬態しやすい服装あったか!?


「こうしちゃいられないクローゼット漁らなきゃ。なきゃ調達!」


 ああもうこういうオフ会ひっさしぶりだな-! 日本にいた頃は、SNSで知り合ったヲタ友と現地でグッズの交換会とかしたもんだけども。まさかこちらでも似たようなことをできるようになるとはなぁ。

 しみじみしつつ私はクローゼットルームへ突進したのだった。





 *




 部屋から退出したアルバートは、廊下の向こうで待っていた千草に呼び止められる。


「アルバート殿、それは、エルア殿にお渡しした包みではないか?」


 アルバートが小脇に抱えているのは、千草が先ほどエルアに渡していた風呂敷の中身だ。

 

 エルアが大事にしている手製の本。ゲームキャラクター本だった。

 キャラクターの行動や台詞回し、そしてストーリーの演出からすら意図を推し量り、読み取り考え抜いた仮説である。

 だが、彼女が元の世界には数多くいたというあまたの「勇者」という名のプレイヤー達が考え抜いたそれは、アルバートですら驚くほど正確だ。彼女がキャラクター達の行動を予測したおかげで助けられた場面は数え切れない。

本編、イベントストーリー、設定集とある中で、しかし。この考察ノートをエルアはけしてアルバートには見せようとしなかった。


「自分のことを赤裸々に書いてあるのは気分が悪いでしょう」と答えられ、そのときこそ引き下がった。しかし、今はこれが必要なのだ。


「俺にも閲覧許可が下りているものだ。気にするな」

「……それは、主殿のためになること、なのだな?」


 念をおす千草に、アルバートは頷いてみせる。


「これは彼女を害するのではなく、より彼女の望みを叶えるために必要なことだ」


 事実、これは彼女の思惑を把握するための作業なのだから。


「あい、わかった」


 いぶかしみながらも引き下がった千草と別れたアルバートは、自分の部屋でさっそくページをめくる。

 しかし、そこに綴られていたのは、四種類の文字からなる文章だった。アルバートが普段なじんでいる公用語もあるが、圧倒的に多いのはこの世界の人間からすると暗号文かと思われるほど未知の言語。それは彼女が「ニホンゴ」と語る言語だ。

 アルバートは思わず、ふ、と苦笑いしてしまう。

 こういうところが、エルアが別の世界の人間だったと納得するしかない要因なのだ。

 アルバートはジャケットを脱ぎ、机に向かう。


「さて、エルア様に教えられたのは、暗号に使える程度の文法だったか。解読する場所を減らすには必要な部分を見つけて……まあ、結局は時間との勝負だな」


 シャツの袖を腕まくりすると、その考察ノートに向き直ったのだった。



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