9 バッティングはこまります!

 ようやく従者の少年である私に気づいたエイブが、うわずった声を上げた。


「ま、まさかエルア・ホワード……!」

「ええ、わかって頂いて良かったわ。お久しぶりねエイブさん」


 にっこりと微笑んでみせるけれど、エイブは後ろに控えるアルバートの方に怒りを向ける。


「なぜだベネットさん! こんな小娘にどうして従うんだ!?」

「言わなければわかりませんか?」


 アルバートは明らかな嘲弄をにじませながら、鼻で笑った。


「あなたなぞより、エルア様のほうがずっと俺を楽しませてくれるというだけですよ。そもそも、この程度のずさんな手口で俺を手懐けようなんて片腹痛い」

「あら、私。アルバートがここを乗っ取ってくれてもよかったかもなぁ、と思っていたわよ」


 私が振り返って言うと、アルバートが心外そうに腰を曲げて顔を近づけてくる。


「おや、俺が裏切ったらどうなさるので?」

「アルバートが楽しければそれでオッケーよ!」


 それよりもオールバックのアルバートの顔が近くて情緒が壊れそうなんだけども、必死に顔面崩壊をこらえる。

 ぶっちゃけこんなつまんないところでアルバートが裏切るくらいなら、とっくに私の従者なんてやめていると思うんだよな。


「な、な……」


 わなわなと震えているエイブに対し、私はにっこりと悪徳姫仕込みの微笑をしてみせる。


「さて、わたくしの商会をひっかき回し、利益をかすめ取った報いはきちんと受けてもらうわ。それと今までの監査員はどこにいるの?」

「ははは、本人が来るなんて愚かとしか言いようがない! ここは私の城だ! 誰にもわたさん、わたさんぞ!」


 唾を飛ばしながら、エイブは近くに飾ってあった豪奢な置物に手を伸ばす。

 とたん、館内に響き渡るのは警報音だ。

 部屋の隅にあった怪しい壁が開き、わらわらと武装した人間が出てくる。 


「私の命を訊かないというのなら、居なくなれ!!!」


 わらわらと現れた男達は3人ほどだったが、すぐに警棒を手に襲い掛かってくる。

 即座にアルバートが応戦した。彼が鋭く投げた皿は、先頭の男にあたり足が鈍る。その間にアルバートは軽々とテーブルに飛び乗ると、最短距離で男達へ肉薄した。

 そこからは、もう彼の独擅場だ。まあ普通の人だしアルバートにかなうわけないだろう?


 アルバートがジャケットの裾を翻し、最後の一人をみごとな蹴りで吹き飛ばす。

 すっと、長い足を納めたアルバートは超絶かっこいい。充分に堪能した私は、呆然としているエイブへ穏やかに話しかける。


「表からの応援は来ないわよ。うちの護衛は優秀だからね」


 私の片耳のピアスからは、千草の声が聞こえてくる。


『主殿、外の処理は終わり申した。警報音の後いきなり襲い掛かられたのでな、全て制圧した』

「お疲れ様。ありがとう」


 あえて声にだしてみせると、エイブの表情が明らかに青ざめた。そしてしゃにむに私にむかって来ようとする。

 それを音もなく背後に近づいたアルバートが、当て身を食らわせ意識を狩った。

 隅にいた事務員がおびえたように出口に走る。

 だがしかし、すぐに足が止まる。なぜなら私が影で彼の影を縛ったからだ。

 やれやれ。


 ゆっくりとこちらを向いた事務員に対し、私はにっこりと笑ってみせる。


「さあて、黒幕さん。お話しましょうか」

「わ、私はエイブさんに命じられていただけで……っ」

「でもあなたでしょ、秘書って。ずっとエイブさんの近くに控えていた、と言うのは調べが取れているの。ねえ、あなたがこのお茶を持ち込んだのでしょう」


 それくらいの調べはついているもの。なのに秘書とすら紹介されなかったなんておかしいったらありゃしない。

 エイブはかなり規則に厳しいと調査資料にはあった。だから、たかだか事務員の彼がお茶を配ったあと、留まったのに彼が注意しなかった事がおかしかった。

 それが、無意識のうちにいつも通り秘書を置いているという意識があったのだろう。

 硬直している秘書をアルバートがあっという間に拘束していきながら、淡々と言う。


「お前、ずっと暗示をかけていただろう。最後にエイブを捨て石にして逃げようとしたようだが。暗示が雑だぞ」


 アルバートに床に押し付けられた秘書はもう、抵抗できないだろう。

 さて、ここから私がおくりこんだ監査員の行方を聞かなきゃいけないのだ。

 彼に近づいた私が冷めた目で問いかけようとしたのだが、その前に秘書が焦った様子で話しかけていた。


「な、何でもする。何でもするから警邏隊に突き出すのはやめてくださいっ」

「……は?」


 警邏隊に引き渡せば必要な情報が取れなくなるから困るから、もとよりそのつもりはなかった。

 けど、秘書の様子は一種異様な熱意とおびえを宿しながら、すがりつかんばかりに言い募ってくるのだ。


「あ、あの監査員を探しているんなら、ただ記憶を消して閉じ込めてるだけです。場所も教える。殺してない! 横領はエイブさんがやったことなんです。あっ証拠の場所も教える! 私はあの薬を飲まないと、広めないと……!」


 そのままべらべらとしゃべる彼の焦点が、エイブと同じように合っていないのに気づいた。

 流石におかしいと思ったのだろう、眉をよせたアルバートが私に聞いてくる。


「眠らせますか」


 ああ、その方がいいかもしれない、と口にしようとした矢先、秘書がざっと血の気を引かせた。


「ね、眠らせないでくれっもう悪夢は嫌だ!!」


 彼の目の下に色濃い隈がある事に気づいたとき、ぞわっと悪寒を覚える。

 これは瘴気の気配だ。それは目の前の彼からで、私はとっさに浄化の魔法を走らせたが遅い。

 ふっ、と秘書の瞼が落ちかける。まるで急に睡魔に襲われたように、ぐらぐらと頭を揺らしてあらがおうとしていたが、その目から光が失われがくりと床に伏した。

 静かで、でも劇的なその変化にアルバートは困惑しながら、秘書の脈を取り状態を確かめる。


「眠っているだけ、のようですが。……おかしい、目を覚ます気配がありませんね」


 ぼき、という音については気にしないようにするよ! でもそれに対しては心当たりがあった。


「今、浄化が効いた手応えがした。不完全だけど」


 私が端的に言うと、アルバートの顔色が変わる。私もしゃがみ込んで秘書を注意深く観察した。今は何も感じないが、あの感触は間違えようがない。この秘書に一体なにが起きたのかはわからないけど、一つ確かなのは。


「少なくとも、魔界の門に影響された魔族か魔物がかかわっているのは確かよ。アルバートが目覚めないって言うのなら、何らかの魔法がかけられているのかも知れない」

「なるほど、ではやめておきましょう」


 というか、そもそもあのお茶だよ。


「アルバート、あれ飲んでたけど大丈夫だった?」

「問題ありません。口に含んだだけですから。あの感覚は幻覚作用のある成分が含まれていますね」

「っ要するにあれって違法薬物で。私の商会でこれが日常的に出されていたってことね?」

「ええその通りです。手口はあまりに手慣れていましたから」


 アルバートの言葉を聞いたその瞬間、私は怒りで頭が真っ赤になった。

 私の、商会で、薬を取り扱っていたって?

 私がどれだけ手塩にかけて、リヒトくん達のために準備してきたと思っているんだ。

 推しが関わるものはすべて健全にクリーンに! 一切の不利益にならないように注意していたのに!

 まさか、違法薬物の温床になっていたなんて!

 これを見逃していた自分の失態に悔しさもこみ上げてくる。いいや待て、それはあとだ。


「原因を突き止めるわよ。なにがなんでもこの薬の出所を突き止めて、これを流通させてる組織があったら潰す。許さないわ」

「かしこまりました。とはいえ、コレが知っていたはずの情報が抜けないのは手痛いですね。そのための口封じだったのかもしれません」

「なるほどあり得るわ」


 エイブは十中八九秘書に操られていた。お茶に関する情報が手に入る望みは薄いだろう。それでも、黒幕は絶対に捕まえて報いを受けさせる。

 私が改めて決意をしていると、念のために秘書を縛っていたアルバートが顔を上げた。


 一気に警戒の色を帯びたとたん、扉が間髪入れずに開けられた。

 なだれ込むように現れたのは、剣で武装した男達だった。彼らが着ている制服は、フェデリー正規の軍服である。

 アルバートが僅かに私をかばうためか、動きかけてぎりぎりで押しとどまる。

 その間に、なだれ込んできた男達の一番後ろから靴を鳴らして、青年が現れた。


 私は呆然とするしかない。


 金色の艶やかな髪に、晴れた青空のような瞳の美丈夫は、フェデリーの第2王子、ウィリアムだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る