8 お仕事には意外性が必要です
がらがらと馬車に揺られて辿りついたのは、フェデリー王都の1等地にあるエイブ商会の本拠だった。瀟洒でありながら重厚な建造物だ。
入り口前の車付けにぴったりと止まったあと、扉が開く。
開けたのは外側に乗っていた千草で、今日はブラックスーツに身を固めている。控えめに言って超かっこいい。淡いクリームみがかった髪をきっちりと結い上げて、腰には刀を固定するベルトで萩月を携えている。
私が車を下りるのはいつもは一番最後だけれども、千草と目が合った私は大きな鞄を持つなり、するりと先に下りた。
建物の前で待っていたのは、このエイブ商会の従業員達だ。支部長クラスから商会長まで、軒並み出迎えに並んでいる。
まあ妥当だね。と私は思いつつ邪魔にならないように脇に寄り、何より素晴らしいそれを見逃がさないようにそちらを向いた。
かつ、馬車のステップを革靴で踏み、石畳の地面に下り立ったのは、アルバートだった。
ただし、いつもの執事服ではない。仕立ての良い三つ揃えに、フロックコートを羽織っている。
もうそれだけで凄まじい品の良さをかもしだしていた。しかも、沈着冷静な表情で前を向くアルバートは、いつもは下ろしている前髪を後ろになでつけ……オールバックにしていたのだ。
私の脳内ではペンラとうちわを振り回りまくりだ。
はーーーーーー最高では? 上に立つ者の貫禄をにじませたアルバートやばやばでは。
大人の色気とできる男のオーラで歩く凶器になってるよ!? 出迎えてくれた女子社員が職務忘れてぽかんとなってるよね? わかるわかるよその気持ち! さあいらっしゃいアルバート沼!
え、もちろんここまで一切表情動かしてないけどね? 大丈夫大丈夫。こんな一般人がいるところで顔面崩壊させるわけないじゃないですか。悪徳姫時代の研鑽はこの程度で崩れません。まあ事前に散々吐き散らかしていたのもあるけれども。
ちらっとアルバートに目を向けられて、私は改めて表情を引き締めると彼の3歩後ろに控える。そんな私といえば、胸は押さえた上にスーツを身につけ、革靴を履いている。ああズボンがとっても歩きやすい。
そう、今日の私はアルバートの従者の少年なのだ。
もちろんアルバートは私をエスコートすることなく、堂々と顔を上げて出迎えに来ていた社長へ歩みよる。
社長は実業家モードアルバートに対して緊張を帯びながらも、握手を求めるように片手をさしのべた。
「ベネットさん、ようこそいらっしゃいました。突然の来訪で驚きましたが……」
「エイブさん、迎えて頂き感謝します。後ろにいるのは護衛と従者ですのでお気になさらず」
紹介してもらったので私は会釈をする。社長と目が合ったが、興味なさげにアルバートの方に視線を戻した。よっし、私はバレてないな。
この社長が、ジョージ・エイブだ。私がまだフェデリーにいた頃に、一回か二回顔を合わせたけども、そのときは彼は幹部の一人だった。最近、社長が交代したという話があったかと思うと、あっという間に経営体制が変わったんだよな。
あらかじめプロフィールを確認していたけど、エイブ氏は40代前半というところで、業務態度はまじめ。温厚で勤勉な人間だって評価だったんだけども、横領が疑われる時期からなぜか事業拡大に熱心で、売上げを成長させる事にも意欲的なのだよな。
思えば、そのあたりから異変があったのだろう。手が離せなかったとはいえもう少ししっかりチェックできれば良かったなと思う。とはいえ今からするんだけど。
エイブの手を事務的に握ったアルバートは、淡々と続けた。
「我が主はお忙しい。が、全ての事業に対して目を行き届かせたいという意向があります。こちらからは足が遠のいていましたから、だからこそホワード会長の名代である私がきました」
ま、その主ここにいるんだけど。
「ご配慮ありがとうございます。ええ、もちろんです。この支部もまたホワード商会の一角を担う支部ですから。どうぞご自由に視察なさってください。もちろん案内もご用意してております」
「さっそくたのみます。……――エルモ、行きますよ」
「はい、かしこまりました」
アルバートの口調がいつもよりずいぶん気安げなのが果てしなく滾る。
脳内は大変騒がしかったが、私は綺麗に押し隠す。そして従者として丁寧な所作と言葉遣いを心がけつつ、アルバートの後ろについていったのだった。
アルバートはホワード商会会長の名代として各地に赴くことが多かったため、他の支部では実質的なナンバーツーとして知られている。
端的にいうと、彼はエイブ商会トップより上の存在だ。エイブ商会はホワード商会からの助言と金銭的援助で、経営難を抜け出した。けれど、まだまだうちの資金力が必要なはずだし、今までの出向社員と同じように扱うわけにはいかない。むしろ少しでも機嫌を損ねたら首が飛ぶくらいの意識があるだろう。
それでも、トップではない。そこが、彼らの意識にどう作用するかが今回の罠である。
順調に視察をしていったアルバートは、この会社の経営状況を見るための資料を閲覧していた。まあもちろん私も一緒に資料を見ていくが、収支は綺麗にそろっているし経営的にもおかしい所はない。
まあ当然だな、ここら辺の資料は改ざんされているだろうし、そもそもうちの子に原本を写してもらって確認している。まあこれはこれで黒なのが確信できるからいいんだけれども。
さてさてどうするか。と私が報告書を精査するアルバートを手伝う振りをしつつがっつりのぞき込んでいると、再びエイブが現れた。その後ろには盆を持った事務員が続いて入ってくる。
私が立ち上がってアルバートの後ろに控えると、エイブがアルバートに話しかけた。
「我が商会はいかがでしょうか」
「ああ、こちらに報告されていた通りの数字が並んでいますね。それにしてはこの社屋の内装はずいぶん手をかけているようですが。理由が?」
「事業内容上、上流階級のお客様ももてなす事が多いですから。相応しい内装にしているのですよ」
ふむ、それにしてはずいぶん成金趣味なんだよなあ。
私が心の中で独りごちていると、アルバートの前のソファに座ったエイブはなんてことはないとでも言うように続けた。
「ところで、そろそろ休憩を入れてはいかがでしょうか。ささやかですがお茶を用意させました」
エイブの言葉と同時に、事務員の男性がお茶と茶菓子を並べていく。
綺麗なティーカップに琥珀色の美しいお茶と、クッキーだ。
ふんふん、器もけっこう贅沢な品だな。
「従者の方もよろしければ……」
事務員さんは私にも親切に言うなり、部屋の隅に立って控える。
おおう、私にまで勧めてくるなんて珍しいな。
どうするか、と思ってアルバートを見る冷然と言った。
「従者に気遣いは不要です」
了解、待機ね。私はそのまま、アルバートの後ろで出されたティーカップのお茶を眺めた。
赤みがかった琥珀色なんだけれども、紅茶ともほうじ茶系とも違う色合いで、香りも不思議な風合いだ。
アルバートはそのティーカップを手に取ると、中身をしげしげと眺めている。
「このお茶はあまり見たことがない種類のようですが、いったい?」
アルバートの問いに、エイブは喜々として答えた。
「実は、今後うちで扱って行きたいと考えている商品なんです。とある地方で作られる特別なお茶なんですよ。リラックス効果が望めまして、そちらのクッキーも茶の葉を使ったものです。今回感想をおきかせ願えればと思いまして」
「……ほう。素材の輸入の他にも事業拡大を考えたのですね」
「ええ、私も少し前までは不眠が続いていたのですが、このお茶を飲み始めてからよく眠れるようになりました。私の秘書の故郷で飲まれていたものらしくて。これは是非広めねばと! 是非召し上がってみてください」
言うなり、私達の目の前で、同じものがだされたエイブもお茶を傾けている。
ちら、と私がアルバートを見てみると、ごく自然な動作でお茶を啜った一瞬目を細めた。
そして無造作にティーカップから口を離すなり、残りは床に流してしまう。
「なっ……」
突然の暴挙にエイブがぽかんと見入る中、アルバートは傲慢に足を組んでみせる。
「ベネットさん?」
「俺に毒を飲ませてどうするつもりだった」
ああ、やっぱり。と思った私が見守る中で、エイブが不思議そうな信じられないというような表情になる。
しかし鋭く目をすがめた。
「……なぜ?」
エイブのその声は肯定だった。
アルバートは淡々と答える。
「別に。ただ、俺にはこういった薬品は効かないとだけ言っておこうか。致死性ではないのは、横領がバレないよう、他の監査員にもこれを飲ませて暗示をかけていたからか?」
そうなんだよね……。暗殺や諜報員として働くために、アルバートはいろんな毒に馴染まされていたもの。その上、吸血鬼化の実験の後には、人間の薬が効きづらい体質に変わっていた。
アルバートに指摘されたエイブはけれど、言い訳するそぶりも見せず、命乞いをするでもなく、逆に目を輝かせた。
「それでこそだベネットさん。だが、これは本当に普通のお茶なんだよ。ただ、とてもおいしくて幸せな眠りにつけた上で、素直になれるお茶でね。だからベネットさんも幸せな気持ちになって、あんな小娘に使われている不満を打ち明けてもらえたら、共闘できると思ったんだよ」
「共闘、だと」
私がエイブをよくよく見てみると、彼の目の焦点も合っていない。
だが、私のぶしつけな視線など完全に無視をして、エイブはアルバートに注目している。
アルバートが眉を上げると、その目にどんどん異様な熱を帯びさせて語りはじめた。
「ええ、そうだとも! 前のホワード商会長はまともだった。にもかかわらず、表にも出てこない二世のお嬢さまによって動かされているなんておかしいじゃないか。殆どをベネットくん、君が動かしていることくらいお見通しなんだよ!」
「それで、俺を素直にさせて何をさせるつもりだった?」
アルバートの問いかけに、エイブは身を乗り出した。
「私は小娘なぞに良いように扱われる器ではない。エイブ商会はこれから大きくなるんだ。君も小娘の下で働かず、乗っ取ってしまえば良い。その協力をする準備が私にはある。さあ、君は上に立つ事を約束されているんだ! 上に立つ者同士、手を組もうじゃないか」
エイブの演説が室内に響き渡った。しん、と静まり帰る中。
くっ、とアルバートは楽しげに笑みをこぼす。
「俺が、彼女を、裏切る、か……」
一つ一つ確かめるようにつぶやくアルバートが、乗り気なのだと思ったのだろう。エイブは勝利を立ち上がって手をさしのべる。
「私たちは良い共犯者になれそうだ」
「ああ、本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。お前からべらべらとしゃべってくれて楽をさせてもらったな」
「……は」
ぽかんとするエイブをそっちのけで立ち上がったアルバートは、背後にいた私に向けて優美に頭を下げた。
それだけで振る舞いが様変わりする。
あっという間に俺様実業家モードから従者様モードに戻った彼に、エイブはまったくついて行けずぽかんとするばかりだ。
「こちらでよろしいでしょうか。エルア様」
「ええ充分よ、アルバート」
がらっと言葉遣いまで変わる。
エイブは放っておいて、アルバートが私に話しかけてくるのに、私は変声器であるのど元に巻いたチョーカーを取った。
そうして私はアルバートの代わりにソファへと座り、傲然と足を組んでみせる。
「さて、私をどうするって言ってた?」
たちまち少年の声から元の声に戻った私に対し、嵌められたことを思い知ったエイブの顔色が変わったのだった。
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