4 当日トラブルはまれによくある

 王子ウィリアムの登場に硬直したが、すぐさま我に返る。

 おーけい私、落ち着こう。

 なるほどアルバートがすごい変な顔をしていたのは、これが先に見えていたからなんだなと理解した。

 ……いやいやまてまてまて!? なんで一国の王子様が同人即売会にきてるんだよぉぉ!?

 お前みたいなリア充が来る場所じゃないぞ!?

 そもそもなんでウィリアムが一人で出歩いてるんだよ。……はっそうだったアンソンがいなければ一人でふらふらする妙なところでアグレッシブ野郎だった!

 落ち着けるわけもなく絶叫したが、私の顔には一ミリたりとも出ていないはずだ。ふっこれくらいやべえ修羅場の中でも、私の表情筋はちゃんと言うこと聞いてくれるんだよ。


「どう、したのだろうか?」


 だが硬直していればいぶかしげにされるのは当然だ。けれど、ウィリアムの表情や態度からして見知らぬ人に対する態度だ、つまりまだ気づいていない。

 この会場の中で逃走するのは難しい。なら私が取るべき行動は一つだ。

 乾いた喉へ密かに唾を送り込んで、私は首を横に振って応じる。


「ああいえいえ、なんでもありません。私になにかご用でしょうか?」


 自分の声帯から出てくるのは低い少年の声だ。言葉遣いは丁寧に、けれど初対面でいきなり声を掛けられた困惑をにじませる。

 緊張の一瞬だったけれど、ウィリアムがうかべたのは安堵だ。


「よかった、すまない。こんなにも女性ばかりだと思わなくてだな、男性である君を見つけて思わず声をかけてしまったんだ。どうやら少し注目を浴びてしまったようでな……」

「でしょうね?」


 どうやら周囲の人間は、まさかこの国の王子様がこんなところにいるわけがないと思っているんだろう。人の先入観はそれくらい強固なのだ。

 それに今の同人業界を率いているのは若い女子ぞ? 残念ながら男子にはまだ浸透してない。闇のような、どろりとしたフラストレーションを解放するまでには至ってないのだ。いつかその闇鍋も覗いてみたいと思うんだけどね。

 私が思わず喰い気味に肯定すると、ウィリアムは確信した表情を浮かべる。


「君はこういった場に慣れているんだな。もしよければ私にこの場での振る舞い方を教えて貰えないだろうか」

「へっ!?」


 その申し出に私はすっとんきょうな声を上げるしかない。

 まさか、私の正体に気づいたのか!? と一瞬考えたが、すぐに私が男だからだと思い至る。

 そりゃあこんなアウェイな場所に来て、数少ない同性に見える参加者を見つけたら声を掛けたくなるかもしれない。普通のヲタクならすごすご帰るだろうけど、なんて言ったってウィリアムは根っからのリア充の陽キャ。さらに言えばコミュ力お化けだから、人に聞くって事を当たり前のようにしてのける恐ろしいロイヤル野郎なんだ。

 今も彼はとても物腰低かったが、礼儀正しくしていれば、断られる訳がないという信頼が見え隠れしている。

 まあ普通なら気圧されてうなずいちゃうでしょう。私知ってる。それなりに彼の側にいたもの。

 だからこそ、ウィリアムがヲタクとしてこの場に来る事が考えられないと知っているんだ。

 私は眼鏡の奥で眉を寄せて、ウィリアムの眼鏡を掛けた顔を見上げた。

 というか眼鏡男子気取るってなんだよイケメンかよイケメンだった、似合うじゃねえか。


「あの、ここは趣味の場なんですけど。お兄さんこういう場を好んでいる訳じゃないですよね? なにがしたいんですか」

「実は、私の友人が私的に作られた本を読むのを趣味にしていてね」


 あれちょっとまって。私は大方の予想が付いて内心顔を引きつらせる。しかし、少し照れくさそうに続けるウィリアムは無情だった。


「彼女達はいまとても大事な仕事で街を離れているんだが。どうしてもこのイベントに来たがっていて、せめて本を入手してきてほしいと懇願されてしまったんだ。私としても頑張っている彼女達のために手に入れてやりたいんだが、望む本がどこにあるのかがわからなくてだな」


 ユリアちゃん王子様になんてお使いを頼んでいるんだーーーー!!!???

 私は絶叫こそこらえたが、耐えきれずに天を仰いだ。嘘だろうユリアちゃん……一般人に自分の性癖を晒してまで本が欲しかったって事なの。その後まともに顔合わせられるの!?

 ……と、思ったけどユリアちゃんなら平然と顔を合わせそうだな。笑顔でウィリアムにお礼を言いそうだな。

 きらきら笑顔のユリアちゃんを夢想した私は、ごくり、と唾を飲み込むと、試しにウィリアムに訊ねてみた。


「ちなみに本のタイトルは」

「一応、一覧でもらっていたんだが、どうにも表記がわからなくてね……」


 ぺらり、と差し出された紙をみて私はさらに顔を引きつらせる。

 なぜならそこに並んでいるのは見事に百合ものとBLだった。しかも私の買い物とだいぶかぶってるぞ。そうだよな、顔がわかるまでは最高に趣味の合う魂の友だった。それにラインナップ的にリヒトくんの買い物も入ってるなこれ。

 今まで私はなんとかウィリアムを撒いてアルバートと緊急会議、じゃなくても助力を請いたいと思っていた。

 だが、これは、やばい。まじでやばい。


 私がリストを見て硬直していると、背後からかつこつとヒールの歩く音が響いてくる。


「エルモ、お帰りなさい。……あなたは私の連れにどのようなご用です?」


 その声はアルバートだ。背後にいるのがわかる。私がうまいこと断れない事に気づいて助け船に来てくれたんだろう。

 あくまで見知らぬ人間に対する困惑のみをにじませながらも、私には氷点下の苛立ちをにじませていることがよくわかった。

 だがしかし、私は自分が持っていたお宝を入れたトートバッグをアルバートに押し付けた。


「エルモ?」

「ごめんアルバータ、私はもう一回戦場に行かなきゃいけない!」


 このリストの半分は今、私が狩ってきた売り切れ必至の大手サークルの本だぞ!? 今すぐ走らなきゃ間に合わなくなる!

 ウィリアムにバレていないのなら! ユリアちゃんの心の栄養を絶対に確保しなくては!

 だからとにかく私は、ぎっと修羅を瞳に宿すなりウィリアムに向き直る。


「この本達は今すぐ狩り……買いに行かないと無くなります、ついでに作法教えますから早足でついてきてください!」

「おお、助かる、よお!?」


 だああおそい! 戸惑うウィリアムが遅れたので腕を取った私は、ずんずん人混みの間をすり抜けて突き進んだのだった。






 そうして、私達はなんとか一番危ない大手サークルの本を完売寸前で確保した。即断即決が間に合ったおかげで最後の一冊だよこわい。

 会場内は絶対に走っちゃいけないため、ぎりっぎりの早歩きで攻めて華麗に奪取しましたよ。

 緊張と安堵に、私が会場の隅に行ってぜえはあしていると、ウィリアムが感心したように言った。

「いやあ、驚いたよ。本というのは常に並んでいる物だと思っていたが、売り切れてしまう事もあったんだね」

「そりゃあ、そう、ですよ……。だって、これ、全部私費で作っているんですから。なんなら文章作って組版して、表紙をデザインするところまで全部自分でやってるんです。刷ったぶんが無くなったらおしまいは当たり前なんですよ」


 若干恨めしい声になったそれに、戦利品をのほほんとした顔で抱えていた彼は青の瞳を丸くした。


「そうなのかい? いやはや、個人的な活動とは聞いていたが、本の作成までこなしているとは。しかもここにいる者全員がだろう? 知らなかった」

「基本はアングラ……地下的な活動なので知らないのも当然かと。商業作品として成り立ちにくい物語や詩集を、利益度外視で自分で作りますから。そもそも同じ趣味の人しか集まらないはずなんですよ」

「なるほど……。私の友人達はそんな場に出入りしていたのか」


 その私の友人達ってユリアちゃんとリヒトくんのことだよね……? あの二人一体ウィリアムにどこまで明かしているんだ。

 すごく不安になったが、私は戦利品を眺めるウィリアムを盗み見る。

 感心した様子で薄い本を見ているウィリアムは、私がエルディアだとは気づいていない。

 もし気づいているんなら、ウィリアムがこんな風に穏やかでいるわけがないんだから。

 それくらいには、蛇蝎のごとく嫌われて……というか憎まれている自覚はあったから、こうして普通の表情でいる彼を見るのは久しぶりだ。

 ……だがそれよりも何よりも、圧倒的一般人オーラを放つウィリアムがこの場にいるのには、ものすごく違和があった。この場合の一般人は我が同志ではないという意味での一般人だな。ぶっちゃけかなり浮いている。

 ユリアちゃんの大事な心の栄養を確保しなければと吹っ飛んでいたが、ぼろを出す前にずらからないといけないんだが。

 しげしげと薄い本の表紙を眺めていたウィリアムが、ページをめくろうとしたのを即座に止めた。


「できればご友人の尊厳のために覗かないでやってください」

「気になる本があったら読んでかまわない、といわれているのだが」


 きょとんとするウィリアムに私はもう隠しようがなく顔を引きつらせた。

 ゆ、ユリアちゃん、リヒトくん……ウィリアムを引き込もうとするんじゃありません。相手は王子だぞ!? 

 こう、人によってはかなり拒否反応を示すジャンルだし、ウィリアムがフィクションを楽しむ趣味がある感じもしていなかったのに。

 だがしかし、ウィリアムは興味津々だ。


「あの、こういった活動に興味があるんですか」

「……まあね。友人が読むだけじゃなく打ち込んでいると聞いてね。一通り学んでみたいと考えているんだ」


 ウィリアムの言い方に私はなんとなく含みがあるように感じられた。

 ちょっと引っかかったが、その前に彼がのぞき込んで聞いてくる。


「君はこういった活動は詳しいのかい? 良ければ他にもこの文化について教えて貰えたらと思ったんだが」

「そ、そりゃあ、今回は本を頒布する側で、参加してますから……」


 ウィリアムに気さくに問いかけられた私はうっと詰まりながらも、渋々答える。すると彼ははたと思い出したような顔になる。


「そう言えば先ほど知り合いの女性がいたね、その人と参加してたのか。それはもしかして悪いことをしてしまっただろうか」


 ええその通りです! とよほど言いたかったが、とりあえず肯定するだけにとどめる。


「はい、従姉妹に連れてきてもらったんです。だからあの人が休憩できるようにそろそろ戻らなきゃ」

「それはすまなかった。だがこうして本の買い方を教えてくれてありがとう、助かったよ。ただ一つ教えて欲しいのだが」


 ウィリアムはその育ちの良さを発揮して、あっさりと引き下がってくれるようでほっとしつつ、先を促すように彼を見上げる。


「利益のためでなければこういった活動をして、君たちは一体何を得ているのだろうか」

「ふぐっ」


 酷く真摯な眼差しがぐっさりと胸に突き刺さった。

 ああうん、ええうん。こういう活動したことない人には。まったくもって意味不明なことだろうね? 大丈夫、聞かれても傷ついたりしない。だって私だって我に返るとそんな風に思うんだもん。私、なにしてるんだろうって。今まさに戻ってますね。

 い、いやでもちゃんと理由があるんだよ!


「それ、は……」


 私が答えようとした瞬間、背後で悲鳴が響いた。

 


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