3 祭りでしか得られないものがある
私は感動に打ち震えていた。
フェデリー王都から少しはなれた場所にあるこのダンスホールには、酷く懐かしい光景が広がっている。
長い机が等間隔に並び、安っぽい椅子が一つ、あるいは二つ添えられている。
その間には準備しながら期待と興奮にひそひそとざわめく少女達がいた。時々男性もいるけれども、圧倒的に10代以上の女の子やマダムが多い。
自分のスペースはだいたい長机半分。みんな手作りのテーブルクロスを敷き、その上に今日この日のために己の萌えを突き詰めた本をそっと並べてゆく。
ああ、まさに。これは私が待ち焦がれていたイベント、同人誌即売会!
このお祭りの準備をしている感じに、泣きたくなりそうな郷愁を覚えて立ち止まってしまう。
私の隣に並んだのは、清楚なワンピースドレスに身を包んだ黒髪の女性だ。
薄化粧をした彼女は女装したアルバートである。今回はキャラ付けもなくただアルバートが美女になっただけだ。清楚系なのにどこか影と艶があって、職場にこんな女性が居たら高嶺の花としてあこがれられそうなお姉様である。私はあこがれた。
黒髪を品良く纏めたアルバートは後れ毛を直しつつ、今日の荷物を抱え直す。
「行きますよ、準備があるんでしょう?」
「う、うんわかったよ」
いつもとはまったくちがう低い声が私の喉から響いて違和感を覚えた。
おもわず喉をおさえたが、アルバートはどこか満足そうだ。
「フランシスは専門外とはいえ、これだけ違和のない調整をするとは、まあまあ良い腕ですね。少年の声にしか聞こえません」
「……ねえここまでする必要あった?」
私は地味に違和のある服装をぱたぱたした。
本日の私はズボンにシャツにベスト……つまりは男装をしていた。服は全体的に仕立てが良く髪の毛もまとめ上げた上にカツラをかぶって短くみせている。ちなみにズボンはサスペンダー吊りという徹底ぶり。コンセプトは商会に行儀見習いに出されている中流階級の少年で、今回は親戚の女性=アルバートに連れてきてもらったという感じだ。
さらに、眼鏡をかけるという変装付きだ。人相がわかりづらくなる魔法がかけられた特注品でよっぽど親しい人じゃないとばれない。
ははは! 何でこんなことしてるんだろうな!
「人という者は多少見た目顔立ちが同じに見えても、性別が違うだけで別人と思い込むものなんです。あなたが知り合いに会ったところでわかりませんよ」
「確かに男性レイヤーさんは女の格好しているとわからなかったな。びっくりするくらい」
日本にいた頃のイベント会場でみたコスプレイヤーさんの七変化を思い出しつつ納得するが、それでもまさか自分がやることになるとは思わなかったよ。それにこういう場で男だと目立つから遠慮したかったんだがな……。
私の思考を読み取ったようにアルバートは言った。
「あなた自身が頒布するのなら必要な処置です。女性のままだと万が一の確率が跳ね上がりますから……趣味を偽りたくないんでしょう?」
「そのあたりは心底感謝してるわ。アルバート」
「今はアルバータ、でお願いしますよ。エルモ。あなたも言葉遣いを改めて」
「わかった。じゃあこのまま設置作業に入るよ。なんて言ったって私にはご本という名の人権がある!」
私はキャリーに載せた本を愛おしく見つめる。
ふふふ途中プロットの行き詰まりを見つけた時はどうしよう詰んだと絶望したけれども、昨日の昼に印刷所へ特急料金を献上してなんとか間に合わせた。
私のひっさびさの幻覚本である。くううぅ! この自分の幻覚を物理にした高揚感をあじわいたかったんだ。今私は溢れるような達成感に満たされている!
さらに現場にこないフランシスの作ったアンソン分析本も託されてきている。
今日の頒布会には雑誌に載っていた時に惚れ込んだ作家さんも参加するんだ。もう何もかもが楽しみでわくわくするしかない。
スペースについてすぐ、私は隣の参加者に丁寧に挨拶する。
まあ案の定女の子だったんだけど、私を見て二度驚いた。アルバートが「一人じゃ不安で……付き添いなんです」とにっこりすると、顔を赤らめながらも受け入れてくれた。どちらが、どちらの付き添いだなんて関係ない。ほっとしたので隣のお嬢さん方のご本をありがたく戴く。
今回のイベントは日本で一大勢力を持っていた二次創作ではなく、自分たちの妄想を具現化した一次創作本の発表の場だ。二次創作が起きるほど社会現象を引き起こすような作品がまだないからな。
ぶっちゃけまだ創作畑が育ち始めたばかりだから、これから業界が成長して大ヒット作が出て私が新しい萌えに出会わせて戴くためにも思いっきり盛り上がって欲しい訳ですよ!
そんな風にうきうきしていたのだが、テーブルクロスを敷いて、本を並べていくうちに徐々に緊張で血の気が引いていく。
「うええ、アルバータ。だいじょうぶかな。私、そのはじめてじゃないか。来てくれる人いるかな」
そうなのだ。流石に今までのペンネームである「ゆくゆく」じゃなくて、今回は「オシウリ」という新しいペンネームで参加している。今まで書いていた百合ものやがっつりBLでもない。作風もまったく違う。ぶっちゃけ誰かが求めてくれるかもわからないんだ。
私だけの萌えだったらどうしよう。
「い、一冊も受け取ってくれる人がいなかったらどうしよう」
私が真っ青でおろおろする私に、アルバートは淡々と肩をすくめてみせる。
「ちゃんと事前に雑誌へ広告カットを出したのでしょう。皆それだけで買いに来るんですから条件は一緒です」
「だけど、でも……」
私がまだいじけていると、アルバートはぽむぽむと頭を撫でてくる。
「あなた、いつも言っているじゃないですか。無から有を生み出して、本を作ったこと自体が偉いんでしょう。本はこの催しに参加するための参加資格を得るためで。そのためにあれだけ無茶をして作り上げたんですから誇ればいいじゃないですか」
「うううそうする……!」
私が涙目でうなずくと、アルバートはそれで良いとうなずいたとき、会場内に開始のアナウンスが響く。
私の感覚からすると、今回の頒布会規模はさほど大きい方じゃない。だがそれでも本を頒布する側であるサークルの机はダンスホールいっぱいに並んでいた。入場は自由の上、それぞれが持ち寄った古本のフリーマーケットも同時開催だから、それなりの一般客も見込めるという手はずだ。
きっとサークル参加のひと達はみな、多かれ少なかれどきどきしていただろう。
「じゃあ、アルバータ。私推しの本を買いに行くから店番よろしく!」
事前のうちあわせの通り、私が宣言すると、アルバートは呆れた目をした。
「本当に行くんですね」
「いいか最大手はいつだって売り切れの危険性があるんだ。自分で買いに行っていつもうまく書けない感想とお礼を伝える! このイベントに参加する一番の意義なんですよ! 私の所は気になったひとが立ち読みで買ってくれるパターンだろうから、午前中はお客さん来ないだろうし」
「まあ、私は店番をやるだけですね。どうぞ気をつけて」
アルバートが手を振ってくれて見送ってくれる中、私は意気揚々と、お目当てのサークルへと旅立つ。ぶっちゃけいうと現実逃避も含まれているが、ご本を手に入れる事こそ我が使命!
一般参加者の入場が始まると、会場は一気に熱気に包まれた。
お目当てのサークルに突撃する人、興味深そうに見学している人、どれを買うか品定めをするためにサークルの机の間をゆっくりと回る人、古本市場のほうで立ち止まって読みふける人それぞれだ。
すぐにダンスホールは本来の使用用途の時よりも人でごった返す。今回参加するサークルは事前に主催者である雑誌の誌面で告知されていた。だからフェデリーの読者達はこぞってこの日に合わせて王都に来ているのだ。だから本気も本気の彼女たちは美しい装いで武装して、お目当てのサークルへと突撃をかましていった結果、あっという間に行列ができる。
けれども私は一般参加者よりも前に入場しているサークル参加者である!
私は行列ができる前にお目当てのサークルさんの本を入手して、そっと差し入れである有名パティスリーの焼き菓子セットを渡すことに成功した。
当然のごとく男にしか見えない私はちょっと驚かれたけど、ごまかし笑いで乗り切ったぞ。肩にかけていたトートバッグの重みが幸せだが、それでも思ったよりも時間を喰ってしまった。
そろそろアルバートにも休憩を入れてもらわねばとも思うし、一端荷物を置くためにも帰るか。
自分のスペースに戻ろうとした私は、少し手前で立ち尽くす。
ざわざわと人が行き交う中、私のスペースに人が立っていたのだ。今日という日のために着飾ってきたのだろう、素敵なワンピースに身を包んだ女性だ。
女性に扮したアルバートが愛想良く朗らかに私の、あっ本を、あっあっ。
「ありがとうございます」
「楽しみに読みますね」
その娘さんは嬉しそうに本を抱えるとぺこりと頭を下げて去って行ったのだ。
私は今、自分の本が売れる現場に立ち会ったのだ。
目の前で起きた光景を飲み込むのに時間がかかり、けれどそれが腑に落ちたとたん、こみ上げるような高揚感とアドレナリン的なやばい分泌物がどっと溢れる。
ああ、これだ。反応を貰えた。少なくも手に入れたいと思って貰えるものを書き上げられた。嬉しさとひとくくりに纏めるには強烈な感情だ。
勝手に頬が紅潮する。じーんときてしまって動けない。
まあでもそんなところ突っ立ってればアルバートが気づかない訳がなく、こちらを向く。
だけど、すぐその顔は驚きに染まった。
うん? どうしたんだろう。
「君、少し良いかな」
「ひっ!?」
後ろから不意に声をかけられて、私はびくうっと全身を震わせる。
さっきまでの昂揚がざあっと引いていく。だって、私はその声に聞き覚えがあったのだ。
それは低く穏やかで、不思議と良く通る男性の声だ。けれどこの声が鋭く張られると兵士は皆士気があがるのを私は知っている。
まさに王族として恵まれたカリスマが宿っているものだ、と感心した覚えがめちゃくちゃある。
私が、ぎしぎしと体を軋ませるように振りかえると、その青年は少し申し訳なさそうな表情をして見下ろしていた。
仕立ては良いものの普通の平民の服だが、にじみ出るようなロイヤルな雰囲気を押し隠せない。金色の髪はラフに、鮮やかな青の目元を隠すように眼鏡を掛けている。変装のつもりなのか。いやたぶん変装なんだな?
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだが」
眉尻をさげる彼は、この国の第2王子である、ウィリアム・フェデリーだった。
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