2 究極の二択で得るべきもの

 千草が私がつい黙っていた事柄に驚きをあらわにする。


「なんと、主殿の古巣であり敵地ではないか!」

「何よりエモコミは貴族の令嬢達が中心となった頒布会です。『エルディア・ユクレール』の顔を知っている者も少なくありませんよ。あなただと万が一にでも気づかれたらどうするのですか。余分なリスクを背負う事はありません」


 言葉を引き継いだアルバートの正論は容赦がない。


「これだけ修羅場になられているのは、締め切りに間に合わせるためでしょう。創作活動も本の頒布自体にも文句はありません。頒布でしたらいつもの通り、文芸雑誌に広告を掲載して郵便通販をなさってください」


 郵便通販とはこの世界で確立された個人通販形式だ。為替を発行主に送って代わりに本を返送してもらう。私が地球でイベント頒布をしていた時ですら、もう廃れた方法だけど知識だけは残っていてな。萌えのパワーは偉大だ。

 のんきにしているが、一応私は悪徳姫として指名手配されている身、国の移動にだってそれなりにリスクがともなう。

 だからアルバートは正しいんだけど。それでも悲鳴を上げる心が、魂が譲れなかった。


「でも、フェデリーには2週間後に私とアルバートだって行くでしょ。エモコミの開催地は王都とはいえ郊外だし、絶対参加しそうなユリアちゃんとリヒト君がフェデリーに居ない今しかないのよ」


 そう、今聖女と勇者は本編ストーリー上でいう3章に入り、魔界の門が害をなすようになった理由を知るため、世界の始まりを知るハイエルフに会う旅に出ていた。

 ハイエルフが居るエルフの森は西の果てにあり、片道だけで一ヶ月。旅に出てすでに一週間ほどが経っている今、絶対に王都には居ない。

 私に対するユリアちゃんの謎の嗅覚も、距離の壁は越えられるはずもない。

 だから、それに合わせてフェデリーにある支部の監査を一気にやってしまおうって話になったじゃないか。


「何より薄い本入手は通販もできるけど、対面で直接本を買うのはお金には変えられない価値があるのよおおおお!」


 同人即売会は萌えを買うだけじゃない。本を作り、ディスプレイを考えて、読者に出会って直接本を手渡す事ができる交流の場なのだ。

 そこには様々な体験が詰まっている。あの麻薬のような昂揚を知っている身としてはよくアレ無しで10年間も耐え続けられたと思うよ!


「2週間後のフェデリー支部視察とエモコミが重なったのってもう運命だと思ったの! 仕事を優先にするし、変装もしっかりするから、1日だけでいいからエモコミ行かせてくださいお願いします。これが最近の生きがいだったんです!」


 説得はちゃんとご本にめどが立ってからと思ってたから、こんな中途半端なことになった。けど、どっちみちアルバートに許可を取らない事はあり得ないし、協力も必要なんだ。

 そういった気持ちも込めて誠心誠意頭を下げると、頭の上から深いため息が響いた。


「どうしても、参加したいんですか。俺が代打で頒布は?」

「やめてください私の羞恥がしんでしまいます。それになるべく私が現場に居たいです」

「……仕方ありませんね」


 はっそれって……! 私がばっと顔を上げるといつの間に座っていたのか膝を付いたアルバートが私をのぞき込んでいた。

 ひっ顔が良い。と思っているうちに手を取られて立たされた。


「条件があります。絶対にバレない変装をすること。俺が監修を入れます」

「むしろ助かります」

「次に当日は俺を同伴させること。いくら何でも一人では行かせられません」

「……うっ」


 私は己が今切っているテーブルのブツに目を走らせた。今回の頒布会では18禁はない。そもそもまだ芽吹いてすらいないのだ。

 いまだこれらの趣味は秘匿される部類のもの。万が一中身を覗かれたとしてもバレにくい、小説の方が主流である。だがしかし今回私がほとばしらせたアレはとてもBでLを彷彿とさせるきわどい内容である。

 ブロマンス!!!と言い切るし、こいつらは絶対にくっつかねえ!と言いはるが、どうしたって買いに来るのは女性客、しかもまだ同人界隈に浸かって間もなく羞恥心が残っているお嬢さん方だ。

 買うのにすら勇気のいるブツを売っている中にこんな顔のいい男が居たらどうなるか。

 気まずいに決まっているだろ???

 そんな逡巡が顔に出ていたのだろう。だがアルバートは私の考えている事などお見通しとばかりに慈愛の微笑を浮かべた。


「あなたが描いているのが、男性同士の友情以上の濃密な精神交流なことはわかっていますよ。その様子ですと今回はだいぶきわどいようですが」

「いいえどこに出しても恥ずかしくないブロマンスです! ただアルバートみたいな顔の良い男が居たら尻込みするお嬢さんがいっぱい居る」

「ならば女装します。元々目立たない姿に変装するつもりでしたし。俺は、ですけど」

「アルバートのコスプレが見れるですと!?」


 最後ぼそっとつぶやかれたのが不穏だけども、それならありがたすぎるし私にとって美味しすぎないか!


「売り子してくれるの嬉しい行かせてくれるなら全部呑みます! ありがとうアルバート頑張る!」

「最近あなたに冴えがなかったのも確かです。意図せぬ場所で爆発されるよりは、ずっとましでしょう」


 ほんとうに不本意そうなアルバートだったけど、許可してくれたんならこっちのもんだ!

 拳を突き上げて喜ぶ私だったが、千草がおずおずと言ってくる。


「主殿。喜ぶのはいいのだが。本の進捗は……」


 ぎくりと肩を振るわせると、じっとりとしたアルバートの視線を感じた。


「今回の仕様と印刷方法と冊数と現在の進捗は」

「さ、30ぺージ印刷は転写手刷りで30部。進捗は……まだ3ページ、です」

「エモコミは確か2週間後ですね。途中フェデリーに移動がある上、現時点で視察が4つ、会食が7、会議が20を越えますが……間に合いますか」

「当初の60ページのお話から変更したんだよ。間に合わないけど」


 私は半泣きになって白状した。

 自覚させないで、なんでこの世界でも一週間は7日で1日は24時間なんだよお! 異世界なんだから1日が30時間になったっていいじゃないかぁ!

 厳しい表情をするアルバートに私は慌てて言い足した。


「ホワード商会だって、今しっかり手綱を締めとかないといけないでしょ。また一任しなきゃいけない時期が長くなるから今仕事を減らしたくないし、そうすると睡眠時間を削るのが手っ取り早くてですな」

「……うすうす思ってたけどエルアって馬鹿?」

「フランシス! 私は萌えに狂ってるだけだから!」


 だからそれを馬鹿って言うんじゃないの?って顔するな! 

 はっこんなことしてる時間はないんだよ。寝落ちするまでにちょっとでも進めとかなきゃっ。明日から数日は原稿できないんだから。

 時々何でこんなしんどいことしてるんだって気分になるけど、そこに具現化したい萌えがあるから仕方ないじゃないか。私が悲壮な覚悟を決めて再び原稿に向かおうとしたら、その隣に開いていた席にアルバートが腰を下ろした。


「すでにプロットは切られてるんですね。あなたの執筆速度からして順当に行けば2週間……ならば手刷りで締め切りを確保するより、現地の印刷所に持っていった方が早く確実に刷り上がります。何より原稿を完成させた後に手刷りをする魔力と体力があなたに残っているとは思いません」

「うっその通りかも知れないけど」

「こういう無茶な要求を通すために印刷業を盛んにしたんでしょう。いくつか心当りがありますから、手紙を書いて予約入れてください」

「わかった……ってアルバート!? なななんで読んでるの!?」


 なんとか打ち込み終えた原稿と手書きのプロットを読み始めたアルバートに、私はマジうろたえした。けれどアルバートは平然としたものだ。


「本文が完成しても、組版と表紙があるでしょう。そして誤字脱字チェック」

「あ」


 完璧に忘れていてさあっと青ざめると、アルバートは慣れたものでぱらぱらと読みながらぞんざいに言う。


「フランシス、お前は印刷だな。マニュアルを渡すからなんとかしろ」

「わー雑。だけどまあいいよ」

「千草、まだ手伝う気があるのなら、誤字脱字のチェックをしておけ。あれは何度見直してもわくものだ」

「あ、あいわかった」


 私が白目を向いている間に話を進めていたアルバートは、とうとう私に話しかけてくる。


「この話のボリュームですと、多少の前後はあれど30ページ以内に収まるでしょう。ただ、これだけ内容が濃いと、表紙はあなたがいつも頼むイラスト系にしてしまうと手に取りづらいかもしれません。確か、庭師のレニーがいくつか植物の模写をしていました。意匠として使わせて貰えないか交渉しようと思いますが、いかがでしょう」

「あの、その。まさに今そんな感じのことを考えてましたが」

「わかりました。とはいえそれは明日以降です。あなたは今日分が終わったら睡眠をとってください。流石にクマが化粧でも隠せないほど濃くなっています」

「あう、でもですね」


 私があわあわしている間に、千草はいそいそと机の前に座ると私が打ち出した紙とペンを持って向き直るし、フランシスもマニュアルをもらってせっせと試し刷りをしている。

 私は手が増えれば間に合うのわかってたけどでもですね!

 あの、アルバートが見てるのって、私が荒ぶる萌えをこれ以上なくねっちょりと書き殴った男と男の熱い友情の話だぞ。夢だとわかっている妄想の産物だぞ。概念イケメンとも表現すべきお約束とテンプレのオンパレードだ。

 そんなこっぱずかしいものを同好の士でもない親しい、しかも推しに見られるって私の罪悪感と羞恥がその他諸々ごめんなさい感が爆発するんですが。

 だが私の動揺も完全にスルーして、アルバートはやんわりとしたアルカイックスマイルを浮かべた。


「尊厳を守って完成しない本と、羞恥を捨てて完成する本とどちらが良いですか?」

「手伝ってくださいお願いいたします」


 私は即座に己の尊厳を捨てて平伏する。


「特別手当に期待しますよ」


 執事服の袖をまくりをしたアルバートのすまし顔は大変に麗しかったのだった。

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