21 舞台に上がらぬ魔法使いの独白

 



 フランシス・レイヴンウッドにとって、アンソン・レイヴンウッドは大事な家族だ。

 レイヴンウッド子爵家は典型的な貴族の家柄で、すでに長男が跡継ぎとして申し分のない資質があったため、フランシスはスペアとしてそれなりの教育をされた。

 そのため平民の言う「家族」らしい交流はなかったものの、そういうものだと、特に寂しさも覚えず受け入れる位には、自分は貴族だった。

 だがそれも、アンソンが生まれてすべてが変わったのだ。

 両親はそれなりに仲が良かったのか、他家とのつながりを持てるよう将来婚姻ができる女児が欲しかったらしくもう1人子をもうけた。しかしそれが男の子のアンソンだったのだ。

 赤ん坊の彼を見た瞬間に、フランシスはもう魅了されていたのだろう。

 あんなにやわこくて、温かくて理不尽に泣いて機嫌が良くなる生き物と、自分が血でつながっている。それが不思議で、衝撃で、驚きだった。

 目が離せずに、その頃には趣味になっていた魔法の勉強の休憩ことあるごとにふくふくとした頬を突っついていた。

 もうフランシスがいたために、男の予備はいらない。そのせいかアンソンはフランシスよりもずっとほうっておかれた。

 だがしかし、アンソンは驚くほどまっすぐに育った。同じ両親から生まれたとは思えないほど天真爛漫で快活な彼は、使用人からも愛されて太陽のようだった。

 彼に触れたことで、初めて温かさを知った己が大事に思うのは当然だろう。

 少し構っただけで、「兄上」と後ろをついてきて、くるくると表情が変わる楽しい生き物。ほだされないわけがない。あの明るさが損なわれないようにしたいと願った。

 あの子が唯一の弟。自分の家族だ。

 だから、兄として絶対に守らねばならない。


 しばし、過去に意識を飛ばしていたフランシスだったが、アルマディナに呼ばれて現実に引き戻される。


「……フランシス、来たぞ」


 傍らにいたアルマディナがしゃらり、と衣装の装飾を揺らして動いた。現在フランシスがいるのは、フェデリー郊外にある魔法研究施設を望める場所だ。

 フランシスも双眼鏡を覗くと、ちょうどフェデリーの第一王子ヘンリーの乗った馬車が研究所前にたどり着き、彼が降りてくる所だった。


 どこかウィリアムに似ていながらも、より落ち着いた品のある空気をまとうヘンリーは出迎えの研究員や所長達に、王族特有のやんわりとした微笑みで応えている。

 ヘンリーは国王に命じられた各地の視察のため、今日この魔法研究施設の一つを訪れていた。恐らく、国王は有能な王子達に己の進めている計画が知られないよう遠ざけているのだろう。特に視察場所は新聞などで常に告知されているため、こちらとしては狙いやすく大変に都合が良い。

 ヘンリーが施設内に進む前に、フランシスは双眼鏡を下ろす。

 そして、傍らに準備していたトランク……魔界の門発生装置を展開し始めた。

 自分が追放された後も研究を続けた結果、任意の場所に門を開けるようになった。

 展開実験は繰り返していたものの、いまだに不安定な代物で、こちらで大きさも指定できない。あらかじめの詠唱にも時間がかかり、希少な素材を使い潰す。

 何より、魔界の門を開けた瞬間の悪影響はフランシスにも及ぶ。そう何度も連続して使えない。

 それでもこの場所で使う価値があると判断したのだ。

 開いたトランクから魔法陣が多重に展開し、やがて虚空にどす黒い虚が開いていく。

 フランシスの精神に、侵食するような、直接握りつぶされるような圧力がかかるが飲み込んだ。

 耐えるために大事な者のことを、アンソンのことを考える。


「アンソンが、生きているのなら。僕はどうなったっていい」


 太陽のように朗らかで、明るく照らしてくれたあの子が生きていてくれるのなら。それだけでこの重みを引き受ける価値はある。

 フランシスのその想いに呼応したのか、魔界の門は今まで一番大きく開く。そしてその奥からずず、と現れたのは、サソリの尾を持った蛇のように細い胴体を持った生き物だった。

 それを見て、アルマディナが憐憫を浮かべた。


「ムシュフシュの荒野に繋がったのか。あそこは侵された者も多い。これで楽になってくれれば良いが」

「感傷は禁物だよ」


 フランシスが言うとアルマディナはわずかに視線を向けるが、無言でフランシスを抱えて跳んだ。

 今まで居た場所にムシュフシュのサソリの尾が突き刺さる。

 魔物はすでに理性が吹き飛んでいる。呼び出したフランシスとて攻撃の対象だ。

 だが、アルマディナが人ならぬ声で吼えると、群れとなって現れたムシュフシュ達は一瞬ひるんだ後、視界に見える施設へと向かっていった。

 すぐに施設はムシュフシュに気づき、たちまち悲鳴と怒号が飛び交う。


「簡単な誘導だがしばらく持つ」

「じゃあ行って」


 アルマディナはフランシスを抱えたまま悠然と研究施設へと入り込んだ。

 突然ムシュフシュの大軍に襲われることになった研究施設だったが、ヘンリーの護衛兵に加え、研究員の中に魔法が使える者が多く居たせいかなんとかけが人以上を出さずにすんでいるようだ。

 その中をアルマディナは誰にも見とがめられることなく悠然と駆けていく。

 アルマディナの魔法による隠蔽だ。彼女の種族的特性とかみ合った魔法のおかげでどんな場所にも入り込むことができる。

 奥へと走って行くと、1人の護衛に引き連れられたヘンリーがいた。

 彼は第一王子だ、故に何があろうと彼は生き延びなければならないため、この選択は正しい。それでも、フランシスの心にどす黒いものが湧く。


 これがアンソンが命をかけて守る存在の一部だということが受け入れられない。


 アルマディナがちらと視線をこちらにむけて来たため、フランシスは無言でうなずくことで答える。

 そうすれば無造作に下ろされた。

 一応自分もいざという時のための後詰め要員であるとはいえ、アルマディナ単独の方がよかったことは確かなのだ。

 ここだけは絶対に見届けなくてはいけないと考えていたため、この場に同行させてもらっていた。

 アルマディナは、制帽を目深にかぶった近衛騎士の後ろに早足でついて行くヘンリーの背後に、音もなく忍び寄る。

 人間は魔族などよりも脆い、あの両手剣であれば、問題なくひと太刀で刈り取れる。


 アルマディナは無造作にだが正確に刃を振りかぶった。

 しかし鈍い金属音が響き、フランシスは目を見開く。

 制帽をかぶった近衛騎士がヘンリーとの間に割り込みアルマディナの刃を受け止めていたのだ。

 アルマディナは目を見開くが、そのまま近衛騎士に押し込まれてたたらを踏む。

 まさか、魔族のアルマディナと互角に戦える人間がいるとはと驚きつつも、フランシスは杖をかざしてヘンリーに迫った。


 ここでやらねば全てが無駄になる。

 フランシスは剣の振るい方がわからずとも、魔法は一番弱い攻撃魔法ですらただの人間を殺すだけの威力はあるのだ。

 ヘンリーは多少剣術の心得はあるが、魔法は不得意だ。

 だからフランシスは最速で心臓へ向け貫通の魔法を繰り出した。

 しかし、走っていたはずのヘンリーが振り向きざま、フランシスの魔法をはじいたのだ。

 ガラスが砕けるような音が響く中、呆然とするフランシスはヘンリーが握る使い込まれた短剣を見る。


 それを手慣れた仕草で回して持ちかえた、ヘンリーの金髪青眼が曖昧になる。

 再び輪郭がはっきりした時にそこに居たのは、黒髪に紫の瞳の怜悧な面立ちをした青年だった。

 同時に、ヘンリーだった男の影が水面のように波打ち持ち上がるなり、1人の女の姿をとる。

 フランシスはその顔を知っている。

 栗色の髪をあでやかに結い上げ、女神イーディアルに愛された証である緑の瞳をした少女、エルディア・ユクレールだ。

 フランシスが携わっていた研究に協力していた時期は、王子の婚約者に相応しく、常に穏やかな微笑みを浮かべていて心の内を悟らせなかった。

 アンソンから断片的に彼女の本性を知っていたフランシスはその完璧さに感心したものだ。

 聖母の微笑みを浮かべながらも、この世の悪徳に身を浸す毒婦のくせに、よくぞまあきれいに隠しおおせられるものだと。

 そう、考えていた。彼女がプレイヤーだと気づいたときはより憎悪が増したものだ。

 けれど、今眼前にいる娘は、以前とは違う活動的なボリュームの少ないドレスを身にまとい、フランシスを不敵に見返している。


「さあ、お話し合いをしようか。フランシス」


 その顔は、強く明るい活力に満ちていた。



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