20 従者は本性を押し隠す

「詳しい内容と行程纏める!」とエルアが泣きはらした目もそのままに、猛然と書き出し纏めはじめたのを見届けて、アルバートは部屋を辞した。

 その瞬間、冴えた金の刃がのど元に突きつけられる。

 刃の元には、萩月のきらめきよりも鋭い黄金の瞳に殺気を混じらせた千草がいた。

 予想していたアルバートは、強いて抵抗はせずに紫目を細めるだけでいつも通り答える。


「エルア様は次の計画の立案をされている。ただかなり目を腫らしているから空良に温おしぼりを持ってくるよう伝えてくれ」

「アルバート殿、ごまかされるな。拙者は全て聞いていたぞ」

「……ああ、お前は耳が良かったか」


 事に及ぶ前も、あの部屋には特に防音などの対策はしなかった。

 むしろ途中から千草が扉の向こうに待機していたことを感じていたから、アルバートはあそこまでやったのだ。動揺しないアルバートを見透かすようにじっと見つめていたが、ふっとその喉に当てられていた刃の圧が離れる。


「主殿の本心を聞き出すためでござれば今回は見逃す。……が、貴殿がもし彼女を傷つけるならばその首刎ねる」

「お前は単純だが、その潔さは買っている」


 千草が本気ならば、すでに殺し合いになっていた。そもそも当てられた刃にも殺意は乗っておらず脅しだったとわかっている。

 納刀した千草は静かに問いかけてきた。


「しかし。主殿は冗談に思わせていたようにござるが、あの言葉は本気でござろう」

「あれ、とは?」

「『俺が特別なのだと言うのなら、俺だけに翻弄されていれば良い』。主殿の痛みを覚える姿を好ましく感じていたのだろう」


 まさか額面通りにしか言葉を受け取らぬ、よく言えば純粋、悪く言えば単純な彼女にそれを指摘されるとは思わなかった。

 一瞬だけアルバートが浮かべた驚きの色に気づいたらしい千草が、少し決まり悪げにしながら答えた。


「室内での振る舞いが主殿をいさめるための芝居でござれば、そこまで高ぶることはあるまい」

「……なるほど、殺気を読むのはお前の得意分野だったか」


 納得するアルバートは押し殺していた感情を解放する。薄氷の下に隠していたそれは、暗くどろりとした荒ぶるものだ。

 びり、と肌が焼けるような殺意を浴びているだろうに、千草はむしろ楽しげに口角を上げた。


「その気配よくぞ押し殺し抜いたものだ。主殿を手折るようであれば部屋に押し入るつもりでござったが。貴殿の意思の強さには感心する」

「まさか、こんなくだらないことであの人を味わう訳がないだろう」


 与えるのであれば「ストーリー進行」などという不純物が混じらない状態で、極上の刺激で満たしたい。

 もちろんぐずぐずにとろけて、幸せそうに己を見つめてくるのも、一挙手一投足に顔を真っ赤にして羞恥に耐えながらこちらに応えようとしてくる姿も愛おしい。

 ただ今回また思い知ったのだ。エルアが苦痛に顔をゆがめて混乱する姿は、純粋に己だけを、推しでもなくストーリーすら交わらず己だけを見ている姿は酷くそそる。

 自分の与える物に対してエルアが翻弄され傷つく様にも、変わらない愉悦を覚えるのだと。

 

「アルバート殿」


 千草に呼ばれて視線をやると、彼女はちょっと気まずそうに顔を赤らめている。


「その顔は、主殿には見せないほうがよろしいかと。あまりにもその、色気と加虐にあふれておられる」


 アルバートが己の顔を撫でると、確かに唇は愉悦にゆがんでいた。

 どうやら自分で考えているより緩んでいるらしい。明日までには抑えておきたいものだ。

 それにしても、とアルバートはエルアの反応を思い返す。

 彼女が怖がるように、忌避を覚えるようにわざと高圧的に振る舞い仕向けたとはいえ、あそこで音を上げるのだ。信じられないとばかりに呆然としながら、怯えに潤んだ緑の瞳はふだんとは全く違う色を感じさせた。が、しかしああいった事を常にしていれば、これからの事にも支障がでる。もう一度見たいという欲求は押し殺すと決める。

 万が一にでも彼女が自分から逃げる心配がなくなるまでは、徹底的に隠し通すつもりだ。

 本来ならすぐに覗かせる気すらなかったし、ともするなら生涯見せるつもりもなかったもの。

 だからこんなところで出すハメになって腹立たしくはある。が、仕方がないだろう、エルアはああでもしなければ平気で自分の懐に入れた存在を優先するのだから。

 ……自分の中に溜まっていた鬱憤を、多少なりとも晴らした事は否めないが。


 存外、己もまだ青い。アルバートは小さく息をはいて千草に答えた。


「以後、気をつけよう」

「貴殿は本当に、悪い人間なのだな」


 じんわりと苦笑する千草の言葉はいまさらな事実だったため、アルバートは軽く肩をすくめてみせる。


「あの方には決定的に毒が足らんからな。俺がいてちょうど良い。お前はエルア様の側にいれば釣り合いが取れる。……――では頼んだ」


 そうしてアルバートが足早に去ろうとしたのだが、即座に脇に跳ぶ。

 ひゅん、とアルバートが居た空間を裂いていったのは、音速で抜き放たれた萩月の刃だ。

 反転し、距離を取って構えれば、刃を振り抜いた状態をゆっくり戻す千草がいた。

 凶行を成した彼女は、普段と変わらない涼しい表情で、おや残念、とばかりに小首をかしげている。

 アルバートはぐつりと腹の底が蠢くのを感じながら、冷えた声音で詰問した。


「なんのつもりだ」

「いやなに、万事に完璧な貴殿がかように急ぐ理由は、その荒ぶる衝動をおさえこむためでござろう? ならばその熱、発散するのに拙者が一役買おうと思った次第」


 まさにその通りだった。普段なら、おしぼり程度他人に頼んだりはしない。頼むにしても気心が知れた空良に直接頼みに行く。だがそれをする時間すら惜しかったのだ。

 エルアの高ぶった血液を摂取しただけでなく彼女の泣く姿まで目の当たりにした。それで溢れかける余計な衝動を押さえ込もうとしていたのだから。

 千草はそこまでの事情を察しているわけではない。だがその鋭い直感で、アルバートのほの暗い衝動を見抜いたのだろう。

 だが千草はそれに対して一切忌避感を見せることなく、むしろ朗らかに抜き身の刃を携えて言ったのだ。


「かような時は一暴れするのがいちばんにござる」


 そうして優美に萩月を構えた千草に対し、アルバートははっと鼻で笑ってやった。


「そう言って、お前が俺と立ち会いたいだけだろう」

「おやばれたか。仕方なかろう。今は同じ主に仕える身同士、あまり殺し合いすぎるのはよろしくない。……が、大義名分があれば別にござる。それに、貴殿の上品さがはがれた太刀筋を見れるかと思うとわくわくしてな」


 いたずらがばれたような顔で笑うが、千草の瞳に宿るのは明確な殺気と、立ち合いに対する昂揚だ。その様は、血に飢え、獰猛さを帯びた鮮烈な闇を感じさせる。

 アルバートはこのような人種を少なからず知っていた。戦の中でしか生きている実感を得られない。あるいは、満たされないのだ。健全とは言いがたく、しかしこちらの方がよほど肌に馴染む。


「……訂正しよう。お前も、それなりにこちら側だな」


 アルバートがそう言うと、千草は少々面食らった顔になるが、その殺気とは裏腹にはにかんだ。


「案ずるな。拙者はここの使用人のようにもろくはなく、ちいとばかし体力に自信もあり申す。貴殿が精根尽き果てるまでおつきあい申し上げよう」

「行くなら訓練場だ。お前を地べたに這いつくばらせてやる」


 もう抑える気のない殺気のままに、タイを緩め始めたアルバートは背後を振り返らないまま言う。


「そういうわけだ、空良。後は頼む」

「りょーかいしましたー。ほどほどにしといてくださいよ」


 少し前から待機していた空良の肯定を聞いたあと、アルバートと千草はほぼ同時に交錯する。

 自分でも追うことのできぬ攻防を繰り広げながら去って行く二つの影を見送った空良は、ふうと息をついて苦笑する。


「アルバートさんも変わりましたねー。ガス抜きできる相手がいると、ちょっとちがうのかな?」

 

 彼は、空良を始めこの屋敷の使用人の事を、多少なりとも信頼しているとは思う。

 しかし、知力か武力どちらかが彼と同じ域に達するような者は居なかったのだ。そのため一歩引いているかのようなもどかしさを感じていたが、ある一面では彼を凌駕できる千草が来てからはどことなく、その線が緩んだような気がしている。

 空良も上司であり同僚である彼の事が心配ではあるので。


「それにしても、エルア様がよろこびそーなので。落ち込んだときに話す種にしてやりましょー」


 まずはあっためたおしぼりだったなあ。とつぶやいた空良もまた、足取り軽く闇の中へと溶け込んだのだった。


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