8 情報過多は処理落ちする

 お酒が回ってきたらしく、赤らんだ顔をしているアンソンは話し始めた。


「昔はな、仲が良い兄弟だったんだ。長兄が家督を継ぐことが決まっていたから、三男の俺は半ば厄介者で、両親にも放置され気味だった。そこを次男のフランシスが良く世話を焼いてくれたんだ」


 そうやって語るアンソンは、ゲームで描写されていた通りのことを、だけどすこしだけ詳しく語った。

 私にとってはゲームで知っていたこと。けれど確かにそのときを過ごし笑い合った日々を感じさせた。本当に兄のことが好きなのだな、とわかる優しい表情を目の当たりにするだけで印象はより心に強く残る。

 ああ、そうだよ。ゲームでシナリオを見ていたとき、まさにそんな表情だろうと思っていたんだ。


「主殿、大丈夫か」

「だい、だいじょばない」


 見かねた千草がくれた手ぬぐいで涙をぬぐって、もう一回集中する。

 アンソンも声こそ張り上げないがリラックスしているのがよくわかる上機嫌さで続けた


「俺にとって兄上は親の代わりも同然だった。三男坊なんて物はやっかい者あつかいされるからな。そこで面倒を見てくれたのが兄だった。まあ悪夢を見たときには布団に潜り込んできた。とからかわれるのは少々気恥ずかしかったものだが……こほん。忘れてくれ」


 HA!? ショタアンソンが兄ちゃんに甘えて一緒に寝てた!? そんな二次の具現化エピソード忘れる訳がないだろう!?!?

 しかも頬杖をついて聞いていたアルバートは、クスクス笑いながらも慈愛に満ちた笑みでアンソンを見つめてるし!かーこの千両役者!っおひねり投げたい!


「本当に好きなのね、お兄さんのこと」

「ああ、とても優秀で尊敬できる兄だ。今の主君に出会う前は、あの人がずっと研究が出来るように国を守りたいと思って騎士になった。……そうだ、おもって、いたのだ」


 そう語ったアンソンの表情が曇る。


「思えば、俺が騎士を志してからぎこちなくなったのだろうな。兄上は俺が騎士になることに反対した」


 私はびっくりした。なぜならゲームでのフランシスはアンソンが騎士になることを応援していた、と描写されていたんだ。ここからすでに違ったのか。

 これはもしやフランシスのほうに異変があったんだろうか。でも何の?

 私が首をひねっている間に、会話は続く。


「俺には兄のような頭の良さはないが、身体を動かすことは得意だったんだ。三男の俺が身を立てるためには順当な道だったはずなんだが、兄上は『自分の助手でもすれば良い』と言って引き留めた。俺には魔法の理論はわからんと何度も言ったんだが」


 ため息をつくアンソンですがね、あなた普通の研究者が頭かきむしって理解できないと叫ぶ脅威の防御魔法やら貫通攻撃を繰り出すんだよ。

 勘で使ってるって説明入ってたけどそんな勘があるか!!!って総突っ込みされていた。

 まあそれは置いておこう。

 そこからアンソンの表情はどんどん苦悩にまみれていった。


「俺が騎士養成学校で良い成績をとっても顔を曇らせるばかりだった。もちろん己のための研鑽だから努力は怠らなかったが。騎士学校から帰るたびに兄との会話がぎこちなくなって行くのはつらかった。俺と話すときはためらいがちになるしため息が多くなってな。自分が何かしてしまったのなら謝りたかったが、兄は『お前のせいじゃないよ』としか応えてくれなかったな」


 兄に避けられる弟……つっらい。と私は涙をこらえていたのだが、途中でうん?となった。

 なんか、聞き覚えのある反応のような?


「子供のようだが、俺は兄には良くやったと褒めて欲しかったのだろうな。それでも望みがあると思えたのは、騎士学校の開放日やトーナメント戦には必ず来てくれたことだ。あれはうれしかった。不思議と俺は遭遇しなかったが、ウィ……友人は良く俺の様子を聞かれた、と言っていて、まだ希望があるのだと思ったんだ。だが、ある日のトーナメント戦で観客席にいる兄を偶然見つけて後悔した」

「何があったの」

「表情が強ばっていたんだ。まるで激情をこらえるみたいに。しかも俺と目が合うとすぐに立ち去ってしまった」


 深くため息をついたアンソンは苦しそうに息を吐いて、くしゃりと、自分の赤い髪をかき混ぜた。


「いつの間にか、嫌われていたのだなと思い知ったよ」


 その苦い笑みは自嘲に満ちていて、どれだけ彼が衝撃を受けて嘆いたのかよくわかって胃がきゅうっとなったんだけども。

 私はだらだらだと冷や汗が止まらないほど混乱の極みにあった。

 その反応に心当たりがめちゃくちゃありすぎた。

 毎回顔を合わせるたびにため息がこぼれて? 会話がおぼつかなくて?

 それが「お前のせいじゃないよ」って言ったって。

 ……それ、我らオタクの推しの尊みをこらえる典型的な反応では???

 ヲタクが推しの前で狂うのは仕方のないことなんだ。生きてるだけで幸せなのに、目の前に居て会話なんてされたら息が止まるし話そうとしていたことなんて吹っ飛ぶよ。失礼なことをしゃべらないように言葉少なになってしまうし、取り繕うとしても一番ましなのが仏頂面なんてことは良くある良くある。

 さらに、トーナメント戦は一騎打ちの決闘試合のこと。つまり騎士を志す人間の晴れ舞台だ。

 そんなかっこいい所が見られるに決まっている場所でアンソンを目撃したフランシスが顔を強ばらせて走り去った。それも無様に供給過多で崩れ落ちる様を晒さないように自衛したと考えればつじつまは合う。大嫌いだなのだと言われるよりはよっぽど。

 あれ、うそ、まじ? え? いやまさか気のせいだろう。


 私は自分の荒唐無稽な推論を振り払おうとしていたけれど、うつむくアンソンの見えないところで、アルバートがめちゃくちゃしょっぱい表情をしていた。

 その冷めながらもあきらめに似た目は今の私と同じ感想になってるな。

 まじか……フランシス兄ちゃんもしかしてアンソンのことものすごく好きなのでは。

 その衝撃に絶句していると、心を落ち着けたらしいアンソンが、少し気恥ずかしげにする。


「すまない。子供じみた話を聞かせた」

「聞きたがったのは私だもの。いいのよ。あなたが本当にお兄さんのことが大好きなのが伝わってきたわ」


 目が合う前にまた顔を取り繕ったアルバートは柔らかく笑んで見せる。

 アンソンはかっとお酒だけじゃなく顔を朱に染めた。はーかわいい。癒やされた。


「ま、まあ。兄上は少々人としては取っつきづらいかも知れないが、魔法に関しては右に出る者が居ないと思う。俺はあの人が出来なかったこと、わからなかったことを知らん。魔法に関する真摯な姿勢も尊敬できるのだ。……追放されるような研究をしていたとはとうてい思えんくらいに」

「何か言ったかしら」

「いいや。だが、ありがとう。どこか心が軽くなった」


 上手に聞こえなかったふりをしたアルバートが、細い指を自分のあごに当てて考える。


「あなたには本当に心あたりがないのよね。まあ知らない間に嫌われているというのはそれなりにあるけれど、不思議な話よねえ。会わないうちに悪化するなんて」

「疎遠になってからは、手紙も月に一度だけにして当たり障りのない内容にしていたんだが……そのせいで、兄の窮地に駆けつけられなかったことは今でも後悔している」


 ああ、フランシスが濡れ衣を着せられて王都から追放された時のことか。

 あの時アンソンはちょうど正式にウィリアム付きの騎士になったばかりで身辺が忙しかったし、フランシスが当時関わっていた研究自体も非公表だ。そもそもアンソンはフランシスが追放された本当の理由を知らない。

 けれども、この推論が正しければアンソンがめちゃくちゃかわいそうだな。

 兄ちゃんに嫌われていると思い込んだあげく、助けられなかった無念を抱えているんだから。

 ちょっとずびっと鼻をならしつつ私は考える。

 ともかくアンソンじゃなくて、フランシスに何かがあった可能性が高くなったな。確かにゲーム上のフランシスはアンソンのことをかわいがっていたけれども、オタクな反応を示していたのは二次創作だけだった。そう二次にはありとあらゆる幻覚がある。

 だがいわばこれは公式。何らかの原因があるはずだ。

 とはいえこれでアンソンからわかる情報はほぼ抜けたはず。とりあえず撤収かな。

 と私が考えていた矢先、アルバートが動いた。

 アンソンをじっと見つめて、ほんの少し身を乗り出す。


「慰めてあげようか?」

「……は?」


 私は思わず声を漏らした。

 アンソンもぽかんとしていたけれど、アルバートは意味深に笑みながらテーブルの上に置かれているアンソンの手に自分の華奢な手を添える。


「悲しいんでしょう? 思い詰めていると悪いことばかり考えちゃうもの。なら一時的にでも忘れちゃう方が精神安定にも良いと思うんだけど」

 

 なにをおっしゃっているんですあるばーとさん???

 今アルバートが何を考えているかわからなくてまじめに混乱した。その上私は女版アルバートからあふれるあまりにも色気ダダ漏れの誘惑に脳が処理落ちした。


「あ、主殿どうしたお気を確かに!?」


 どこかで、千草の声が聞こえた気がしたがそれよりも影の向こうで展開される男女の駆け引きwith女アルバートに釘付けだった。

 アンソンは乗せられた手に目を奪われ、だがすぐに無邪気だった表情を少し険しくしながら低く問いかける。


「……君は自分が何を言っているのかわかっているのか」

「こんな仕事してて、それがわからないねんねじゃないわよ。……あなたなら良いって言っているの」


 アルバートは、アンソンの指に己のそれを絡めるように指でなぞる。

 そして、艶やかに微笑した。


「甘いこの世の快楽を、味わってみない?」


 首をかしげる仕草も、ほつれる後れ毛も女としての魅力に満ちあふれているそれに、私は脳内で絶叫した。

 アルバートなんで全力でアンソン落としに行ってるのおおお!?

 愚痴をたくさん聞いてお酒も気持ちよく飲んでいて何より超美人でスタイル良い姉ちゃんがあんたなら良いって言ってんだぞ!?

 いやこれ無理だろ、こんないい女断れる訳がないだろう!?

 えっこのままいくの、いっちゃうの!? さらに情報引き出せるって判断したの!?めちゃくちゃ影を繋いで問いただしたいけど、アルバートがどんな魔法を使っているかわからない中で集中力を乱すのも怖いよ!

 というか私の妄想力静まれ!うるせえかつて読みあさった数々の二次シチュエーションを思い出すな萌えと妄想が滾りすぎて荒ぶる訳にはいかないんだぞ!?

 いやまてまてそもそもこれやばくないか、だってアンソンはエルディアを蛇蝎のごとく嫌っていたんだぞ、こんな風に誘われたら殴りこそしないだろうけど侮蔑を浮かべて席を立つくらいしかねない!

 

 そんな美女の全力の誘いを受けたアンソンは、微かに息をのむ。

 一拍、二拍と見つめ合う様は一幅の絵画のようで眼福だったけれど。

 ふ、と小さく息をつくと、アンソンはアルバートから手を取り戻した。

 そうしてそう、たしなめるように柔らかく苦笑したのだ。


「君みたいに魅力的な女性に誘われるのはうれしいが、だからこそ利用する気はないさ。礼ならこの時間だけで十分すぎる。もう少し、身体を大事にしてくれ」

「あら、振られちゃった」


 肩をすくめるアルバートを前に立ち上がったアンソンは、騎士のお手本みたいな礼をした。


「あなたに会えたことを感謝しよう」


 脳内夢女子が滂沱の涙でスタンディングオベーションをした。

 さすが騎士の鑑だ……。そうだよ普段は結構ラフなアンソンだけれども、伯爵家の出だし何より主席に選ばれていた締めるときには締められる男なんだよかぁー!かっこいい!!

 いやでもアルバート振るなんて何様!? どうしてぐらつかなかったんだよアンソン!?

 私がもはやどういうテンションでいて良いかわからなくなっている中で、さらにのめり込みかけたとき、視界が回り腹を圧迫された。


「ぐえ」

「主殿すまない! 緊急事態にござるゆえご容赦を!」


 辛うじて影は回収したものの接続は完全に切れる。いったい?

 焦った声は千草のもので、腹の圧迫感は彼女に俵担ぎにされたせいだと思い至る。

 千草は一刻の猶予もないとばかりにぐんっと沈み込んだとたん、鋭く助走をつけて跳躍する。

 身構える間もなく、襲いかかる加速G、さらに千草の本気の跳躍は私の鳩尾を容赦なく抉った。


「本当にこっちかユリア!?」

「はいっお姉様が……あれ?」


 回転する視界の中でリヒト君とユリアちゃんの声を聞いて、この強行の理由がわかったとたん。私の視界はブラックアウトしたのだった。

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