【小話】推しの寝顔はご褒美です。


 あのヴラドの屋敷から抜け出してまだ間もない頃の話だ。

 茨月会が事実上の崩壊をしたのは四方八方に甚大な影響をもたらし、そりゃあもう裏社会も貴族も大騒ぎだった。

 やることは山積みで、事を納めるために私はせっせと各方面へと折衝へ出ていたのだ。

 けれど、まあ数日で私は魔力不足と血不足で貧血を起こした。

 萌えとパトスと気合いで乗り切れる! 乗り切ろう! と思った矢先ですよ。

 だって体は若いんだ多少は無理が利くだろうと思ったら無理でしたね。

 目の前が真っ白になって、ふらふらっと倒れようとしたところをたまたまそばにいた千草に支えられた。


「エルア殿! 大丈夫でござるか」

「ひえ、かおがいい……」


 千草の美人顔が目に入って別の意味で意識が飛びそうだった。


「……エルア様、場を和ませようとしなくて良いですから体調は」


 和ませるつもりはなくてだな。言葉が勝手に出ただけなんだよ。心の中で言いつつ、すぐにアルバートに支え直され私は正直に言う。


「ごめん、だいぶ気持ち悪いのとまだ視界がぐるぐるしてる」

「体調が万全でない中で働き過ぎですね。今すぐ休憩してください。千草すまないが使用人の誰かにベッドを整えるように言ってくれ」

「承った!」


 これじゃ仕事がままならないのは重々承知していたから、おとなしくうなずく。

 だがちょっとめまいが収まった頃を見計らって立ち上がろうとすると、体がふわりと浮いた。

 アルバートに横抱き、……否お姫様だっこされたのだ。


「立ち上がるのもつらいのでしょう? ご無理はなさらないでください」


 細身に見えてもアルバートの胸板は厚く腕もしっかりと筋肉が付いている。要するに安定感が半端ない上に顔が大変に近い。

 アルバートの黒髪のさらさら感も、紫の瞳の鮮やかさもきめの細かい白い肌も全部リアルに見えるのだ。あ、ここリアルだった。


「ひっ……い?」


 私は思いきり悲鳴を上げかけて止まる。

 アルバートの体温を感じさせない肌は吸血鬼、というかダンピール特有のものなんだけれども。

 言葉が止まったのが気になったのか、アルバートは小首をかしげて私をのぞき込んでくる。


「どうかしましたか。意識を失ってもちゃんと運びますよ」

「いやいやそう何度も意識は失いませんよ! いや、でもうん?」


 私もなにがおかしいのかわからず首をかしげたのだが、またくらりと視界が白く染まる。

 思わずアルバートに寄りかかると、少しだけアルバートが息を詰める音がした。


「ごめん、なんか安心したら、一気に来たっぽい」

「目を閉じていてください。多少はマシでしょうから」


 アルバートが滑るように歩き始める微かな振動を感じながら、意識が遠のく寸前感じた違和が形を取る。

 そうだ、アルバートの体温がいつもより低い。


 *



 ふ、と目が覚めると、夕方だった。レースのカーテンが引かれた部屋は薄暗かったが、窓の外はまだ明るい。

 気分はさっきよりもずっと良い。これなら仕事を再開できる。お昼ご飯食いっぱぐれたなーと思いつつ、また立ちくらみはごめんなのでそおっと体を起こして気づく。


 ……――アルバートが眠っていた。


 正直自分が何を言っているのかわからない。何を見ているのだろう。

 いや見ているものはわかるんだ。私が今いるのは自室のベッドだ。寝かせられた記憶はおぼろげながらある。

 彼は部屋に備え付けてある簡易の椅子に腰掛けたまま、私のベッドの端に突っ伏していた。

 いつもきれいに整えている髪を乱れさせて、私がこれだけ身じろぎをしていてもなお、健やかな寝息を立てている。

 常に冷静に表情を引き締められているアルバートだが、眠っている今はさすがに力が抜けていて、整った顔立ちをこれでもか! と引き立たせていた。

 いくらでも見ていられそうな美しさである。芸術品でしかない。私に絵が描けたら宗教画として生涯一度の傑作として描ける自信がある。

 ひえ、アルバート美しすぎないか。顔が良すぎないか。

 ……ってなぜ私が声を出していないか? 当たり前だろう!? 感動で声が出ないんだよ!

 だってだよ!? アルバートは警戒心が強くて人前では絶対に眠らないんだよ。

 やったとしても眠ったふり。だから彼の素の寝顔って貴重中の貴重SRどころかSSR級の貴重なシーンなんだよぉ!

 この奇跡の時間を少しでも長く堪能するために私は即座に無になる事を選ぶぞ。

 ほんとなんでこんなの見られてるの。私幸運すぎない? 大丈夫?課金する???

 私は混乱の中しばし息を殺していたけれども、ふと思う。

 ここまでガン見していたら、感覚の鋭いアルバートならすぐに気づいて起き上がるはず。

 そもそも私が身じろいだ時点で目を覚ますはずだった。

 もしかして……

 悩みに悩んだ私は、断腸の思いでそっとアルバートに声をかけた。


「あの、アルバート。起きられる?」


 それなりにしっかりとした声で問いかけるが、反応はない。

 これはちょっと予想以上か……? 覚悟を決めてゆっくりとアルバートの肩に手を伸ばして軽く揺すった。

 アルバートの意識のない中で触るなんて、自殺行為というか認識する前に殺されてもおかしくないんだけど、不可抗力だ許して欲しい。

 ああでも肩とはいえ微かに伝わってきたぞ。

 私には緊張の一瞬だったが、けれど、アルバートは眉をぐっと寄せるだけだ。

 その瞬間私は脳内記録モードに入った。

 絶対に忘れないという固い意志の下これから起きるだろう萌えシーンを記憶するのである。

 流石に体を揺すられたら意識が浮上したらしいアルバートは、まぶたを震わせてゆっくりと目を開けた。

 あらわになった紫の瞳は、けれどいつもの鋭さもなくぼんやりと虚空をさまよう。

 いっそあどけない仕草に私の母性という名のときめきが打ち抜かれた。

 時間にしてみれば一瞬のこと、だけど私の記憶メモリーにはしっかりと!そりゃもうしっかりと刻まれた。

 だが、アルバートの焦点が私に合ったとたん、彼の手に引き寄せられた。

 その強引な仕草にあれっと感じている間に、起き上がったアルバートの紫に赤みがかかっていることに気付く。それは吸血鬼の食欲だ。

 ずんどこ脈打っていた心臓が一気に鎮まる間に、アルバートは慣れた仕草で私の肌を唇でたどり、手首の柔らかい部分を探して顔を伏せようとした。

 これは飛んでるな? 


「アルバート?」


 私は努めておだやかに声をかけると同時に浄化の魔力を送り込む。とたん、今にも私の手首にかぶりつこうとしていたアルバートが止まり目に理性が戻る。はっと上げて私と目を合わせると、後悔にぐっと眉間に皺を寄せて。


「申し訳ありません。あなたを傷つける所でした。そもそも眠りこけるなど……」


 アルバートは悔しそうに言うと離れようとする。予想が付いた私はその前に彼の手を取った。

 思い切って手袋と袖の間からのぞく素肌に触れる。絶対領域に自らさわるなんてはっきり言ってめちゃくちゃごめんなさいって気分になるんだけども!

 案の定その手首は、さっきまで眠っていたとは思えない程冷たかった。

 無言で困惑を向けてくるアルバートに私はちょっぴり申し訳ない気分になりつつ言った。


「アルバートこそ、血が足りてないんでしょう? 無意識に噛もうとするなんて相当じゃない。そういう時はちゃんと言って」

「……あなた、今の今まで倒れていたの忘れていませんか。頼めるわけないでしょう」


 おとなしく椅子に腰を戻してくれたものの、アルバートは少しとがめるように睨んでくる。

 けど私も負けじと睨み返しますとも。


「まあ忘れてませんけども。これだけ体が冷たくなっているんだから、吸血鬼に性質がかたむいているんでしょう。私は取り返しが付くけど、アルバートの方が深刻だと思うわ」


 そう言うと、アルバートは決まり悪そうにふいと、視線をそらす。

 うん、やっぱ本調子じゃないなあ。私程度の反論でアルバートが黙り込むなんて滅多にないもん。アルバートの寝顔はめちゃめちゃおいしかったけれど、推しの体調不良を喜ぶ程趣味は悪くないつもりだ。


「おじいちゃんには相談した?」

「……話しました。俺の吸血行為はあくまで能力を使用する際の副産物です。それでも身体の強化になる。イアート老が言うには体内で消化しきれない魔力を押さえ込もうと、無意識に行う身体強化で消耗して、普段よりも頻繁に衝動を感じているのだろう、と」

「そんなに前から感じていたの?」

「……3日前から」


 特殊な子が多いうちの専属医をやってくれているイアートおじいちゃんの名前を出すと、アルバートはぼそぼそと白状した。

 なんてこったいアルバートまた隠すのうまくなってるな。私も本調子じゃなかったってことか。反省したとはいえ、私もこれ以上血を抜かれるのは危ないだろうなーというのは感じている。

 アルバートが隠して耐えていた気持ちもわかりはした。

 真祖の血が強いだろうとは感じていたけど、まさかここまでとは思わなかった。つくづくちゃんと計画立てられなかった事が悔やまれるけれども。こういうことは今までも合ったんだ。


「今の私から血を吸うのは」

「却下です。今あなたに倒れられるのも困るんですよ」


 アルバートが断固として主張する。まあそうだよな。私も倒れるわけにいかないんだが、アルバートにも倒れられるのもめっちゃ困るんだ。

 妥協案とすると、アルバートが取り込んだ真祖の魔力が悪さをしているんだから……あっ。


「ならまた、魔力だけ送るわ。浄化が足りないんだろうから、ゆっくり私の負担にならないよう段階を踏んで送り込む。魔力ならだいぶ回復しているし倒れないわよ」


 ヴラドの屋敷でやっていたのと同じ事だ。あのときよりはずっと体調はいいし、より多くの魔力を送り込むことができる。そうすればアルバートの負担はだいぶ軽減するだろう。


「……そのあたりが妥協点でしょうね。お手間を取らせます」


 アルバートはまだまだ抵抗がありそうだったけど、ここで固持してもいいことはないと理解しているんだろう。了承してくれた。

 さて、彼に直接触れなきゃいけないわけなのですが。どこに触れようかと考えていると、ぎし、とベッドが軋む。

 あれと顔を上げると私がいるベッドに腰掛けたアルバートが両腕を広げてい、る?


「アノ、アルバートサン。何ヲシテラッシャルンデスカ」

「おや? やるのはヴラドを倒した後と同じ事でしょう? なら接触面積が広い方が良いのではありませんか?」


 は??????

 なんでさも当然のような顔で不思議そうに小首をかしげてるの???


「いいいいいいやあのときは私もふらっふらだったから! 今なら手ぐらいで大丈夫ですよ! あっでもできれば素肌の方が施術は楽なので手袋脱いで欲しいってくらいです!」

「おや残念」


 残念とか言いました!? この推しは!?!?

 絶句している私に、肩をすくめたアルバートはあっさりと黒手袋をはずして素肌になった左手を差し出してきた。

 私は顔を赤らめながらも再びアルバートの左手を取るのだけど、骨張った大きな手は私の指に絡めるようににぎり込んできた。ひえっ。

 ぎょっとした私に対し、アルバートは平然としたものだ。あまつさえ愉快げに微笑みさえしている。


「接触する面は、広い方が良いんですよね?」

「ま、間違いじゃありません」


 くうう、いいようにもてあそばれてる! だがアルバートの調子が戻ってきた証拠でもあるよかったな! おいしいな!

 私は甘く握られたその感触にどきどきしつつ、意識しすぎる前に魔力を集中させたのだった。

 今日も最推しは意地悪ですがそこが好きです。






𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄




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