34 欲望には勝てません

 晴れ晴れとした顔で鍛練場に行った千草を見送った私は、感情の起伏に耐えきれずにソファで休憩タイムに入っていた。

 うん、無理。千草が残ってくれた事は嬉しいんだけれども。


「うう、どうしてこうなった」

「自業自得です」


 お茶の準備をするアルバートにばっさりと切り捨てられた。

 私が何をしたと言うんだ。推しの衣食住を完備しただけだもん。しかも……


「推しに気楽に呼びかけるなんてハードルが高いんだよぉぉ……」

「慣れてください。良いって言ったのでしょう」

「言ったけどぉ……あんな寂しそうな目で見られたら断れないって」


 そう、これから主と臣下になるのだから、千草に敬語はなしと言うことになってしまったのだ。まあ千草は砕けた関係を好むけども、しっかりと線引きはするタイプだからこういうことになるのは当たり前なんだけど。

 嬉しすぎて困ってしまうのだ。

 お茶をちびちび飲みながらも全然気が休まらない私にアルバートは無情だ。


「あれだけ彼女を口説いたんですから、責任を取って召し抱えてください。彼女のように純粋に強い護衛役は、居てくれた方が俺も行動の幅が広くなりますし」


 まさかアルバートがそんな風に考えているとは、千草のことでちょっと思うところがあったみたいだからとても意外だった。

 それが顔に出ていたんだろう。アルバートが肩をすくめる。


「あなたがやろうとしているのは、勇者達が魔神に負けないように彼らを鍛えることです。はっきり言って普通の人間なら正気を疑いますし、これから過酷になって行く以上、戦力はどれだけあっても足りません。さらに言えば勇者と聖女がまだあなたを諦めていませんから。こちらも対抗できるように増強したい」

「いやリヒトくん達は敵じゃないよ……?」

「何があるかわかりませんからね、念のためですよ」


 アルバートしれっと言ってるけれども、どう料理してくれようか感たっぷりだよね?

 確かにあの後リヒトくんとユリアちゃん、私を捜し回っていたみたいでひえってなったけど。まだ、大丈夫、だいじょうぶ。


「ともあれ、あなたが見込んだ千草であれば問題ないでしょう」

「アルバートの懐が深すぎて、推せる要素しかない」


 あんまりにあっさり受け入れられて、申し訳ないやら嬉しいやら。あとちょっと肩すかしを食らわされた気分というか。


「元々、あなたの覚えている人物をこちらの陣営に引き込めたらとは思っていたんです。それがたまたま彼女だったってことですよ。……確かに戦いやすくもありますし」


 アルバートがぽそっと呟いた言葉に、私は一気にテンションが上がる。


「でしょでしょ! 彼女は強いんだけれども搦め手の攻撃にはすごく弱いから、アルの弱体化や封じ込めが役に立つんだよ! 逆にアルのあと一歩火力が足りないってときには彼女の瞬発力がかみ合うんだ。うふふ後は回復役か強化役が居てくれれば最強パーティの完成なんだ……あ」


 うっかり語ってしまってぴたりと口を止めた私に、アルバートはやんわりと生ぬるい表情をうかべている。


「ごめんついつい語っちゃって」

「かまいません。その態度であなたが千草に対して、一切男女の情をはさんでいない事がわかりますから」

「い、いきなりぶっ込むね」

「聖女と女性化した勇者のもしもの話を聞かされたこともありますから、可能性は考えますよ」

「その節は大変申し訳ありませんでした!」


 いやまさかアルバートが聞いているとは思わなくて百合妄想垂れ流しにしちゃったんだよ。事故なんだ!

 とはいえ私が机に額をこすりつける勢いで頭を下げると、小さく笑う声がする。

 アルバートが良くやる、吐息が多く含まれた完全に気を許した笑みだ。


「だから、いいんですよ。あの時の言葉で吹っ切れましたから」


 今、きっと彼はとても良い顔をしている。

 そう直感的に感じた私が顔を上げると、アルバートはひどく愉快げに表情をほころばせて私を見つめていた。


「だって、あなた以外の誰かと幸せになる俺が許せないんでしょう? あなたが俺を幸せにしてくれるんでしょう?」


 ヴラド戦の時に宣ってしまった自分の言葉が、時間を超えて瀕死の重傷を負わせてきた。

 うわああんん。ごめんなさい、ごめんなさい! つい口走っちゃったんです。


「わ、わすれ」

「忘れる訳がないでしょう。あとなかった事にもしません。ほら俺から目をそらさないでください」

「ふえ」


 羞恥に耐えきれずに視線を逃そうとすると、アルバートに両手で頬を包まれて戻された。顔面暴力とも言えるその美貌をまともに見て、勝手に頬が熱くなる。

 けれどもひどく楽しげだった彼は、少しだけ憂いをともらせた。


「俺ばかりがあなたを求めているようで業腹だったんですよ。あなたは思いの丈を叫んではくれますが、俺に望んではくれませんし」


 顔が良い、なんて思っている場合じゃなかった。

 ざっと血の気が引く。

 なぜなら私だって本当にアルバートに対する恋情を表に出して良いのかわからず、彼がなにも言ってこない事に甘えて、今までと同じ関係を続けていたんだから。

 それで彼を不安にさせてしまったのならファンとしても主としても大失格じゃないか!

 とにかく謝らなければ! 


「ある、」


 焦った私が声を上げる前に、アルバートはするりと指先で頬を撫でた。

 そのささやかな感触だけで、私は声が出せなくなる。


「まあ、いいんです。そういうあなたに惚れたのが俺ですから。ただ、詫びはしてくれる約束ですよね」

「も、もちろん! 私にできることなら何でもいいよ! ばっちこい!」


 なんとか声を張ったはいいが、完全に空気をぶち壊しにしてしまう返事になった。

 うわあああ私のばかああ!!

 しかし、アルバートはわかっていたとでも言うようにちょっと苦笑にするだけで、紫の瞳で私をのぞき込んでくる。


「今からする俺の質問に、正直に答えてください」

「え、」


 何が来るのか、どんな事でもやってみせようと意気込んでいたのだが、そんなことを言われて拍子抜けした。


「それだけでいいの? ほしいものとかは」

「自分で解決できるものをわざわざあなたに願いませんよ」


 あ、まあアルバートの性格からしてそうか。すんとなった私だったけれども答えないなんて選択肢はない。


「正直に答えてくださいね」

「おっけー何でも聞いて」


 アルバートの願いなら何でも叶えてみせる!

 待ち構えていると、悠然と唇の端を上げる。


「俺とキスをしたいと思いませんか」


 言葉が頭にうまく入ってこなかった。

 え、ちょ、まってなんて言った。

 動揺しすぎて、一瞬幻聴か空耳だったんじゃないかと思ったけれど、アルバートは感情の読めない淡い微笑みのままこちらを見つめている。


「き、きす?」

「ええ、キスです」


 ようやく脳に浸透してきて、ぶわ、と様々な感情が一気に全身を冒した。

 堪えきれない熱がこみ上げてきて、顔が真っ赤に染まるのがわかる。


「そ、それは、あなたがそ、そのきすを、したいと、いう?」

「ちがいますよ」


 喉がからっからになるのを感じながらも、うわずった声で聞いたのだが、即座に否定された。

 ひっと声が詰まり、まだ触れられたままの頬の指を明確に意識する。

 完全に硬直する私に、アルバートがふ、と困ったように表情を緩めた。


「あなたは、俺が願えば必ず叶えようとするでしょう。まだまだ俺を変に崇拝しているし、もはや反射の域で受け入れる」

「そ、そりゃあ、アルバートだし……最推しだし……なにされてもいいし……」


 ぐずぐずと私が言いよどんでいると、アルバートの表情が固まった気がしたけれど、すぐに大きく息を吐いて引き締められる。


「俺は強欲なもので。あなたに俺と同じように望んで欲しいんですよ。少しずつ陥落させて行こうと思ったのがそもそもの間違いでした」

「もしかして、千草がきた直後に聞いてきたことも……」

「あれは話し運びを失敗しました。だから、答えてください。正直に、本心から。これが俺から望むお詫びですよ」


 ねえ、簡単でしょう? と言わんばかりに微笑むアルバートに、私はごくりとつばを飲み込んだ。


「こた、えるだけ?」

「ええ、答えるだけです」


 からっからの喉から声を絞り出すと、アルバートはいっそ優しくうなずいた。

 なのに私は蛇に睨まれたカエルの気分なんだ。

 追い詰められたと思った。いや自業自得と言えばそうなんだけれど。

 彼の魔力を安定させるために、頑張ってひっついていた最近の距離感にバグっていたけどものすごく近い!

 だけど、これは私に対する罰だと言った。だから私はアルバートの言葉に答えなければいけない。

 なのに、答えるだけだと言うのも嘘だ。

 悦を含んだアルバートの瞳は私を逃さない、あまつさえ頬にあった指先がかすかに私の唇を撫でていく。

 恋愛系の経験値が底辺を這いずっている私でも、二次でこういう展開いっぱい見た!

 ふれ方がものすごく柔くて、いとおしげで、でもその先を否応なく意識させる。

 正直めちゃくちゃどぎまぎするのに、答えただけですませるとは到底思えない。

 なぞられた唇が燃えるように熱かった。


「ひ、ひきょうだとおもいます」

「おや、何でも叶えると言ったのはこの口ですが?」


 そう言って、ふに、と唇をつままれた。

 うわあああああこんなタラシなこと実際にやってサマになるってなんだよアルバート萌え殺す気か!?

 なんで私がやられてるんだよ!? 客観的に見たかった!!


 そんな心の声が顔に出ていたのだろうか、頭が沸騰しきる直前、彼の指が離れる。

 ふっと去って行く指先を無意識に目で追ってしまい、アルバートの顔が意地悪そうな愉悦にゆがむ。


「今日は気を失わせませんよ。ねえ、エルア様。俺とキス、したくありませんか」


 今日のアルバートは全く逃がす気はない。

 どうしよう、私はあの場で宣言したし、自覚してしまった。

 アルバートが望むか望まないかじゃなくて、私が、どうしたいか。

 理性がぐらぐらと揺れているのがわかる。

 元々、主従という建前なんて彼が私の推しである時点であってないようなもので、この世界のアルバートは生身の人間として生きている。それは、私が、十分に知っている。

 いいか、悪いか。望まれているかいないか。

 推しが望んでいるなら! なんてただの言い訳だ。アルバートがそのずるさを許してくれていた。

 だから私はこれを口にしたら、どうなるか。知っている。

 ヲタクでファンなら言うべきじゃない。けれど、せり上がってくる欲が否と。いうのだ。

 私は、気を失いそうなほどの羞恥と、なけなしの勇気をかき集めて、彼の紫の双眸を見上げた。


「……したい」


 振り絞った三文字を聞いたアルバートは、今までで一番美しく微笑んで。

 一瞬でどろりと滴るような熱と色を帯びた彼に腰を抜かされたのだった。


 今日も推しの尊さに死にながら、悪役をやってます。

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