29 譲れぬものはあるんです

 ヴラドが屋敷にかけられた魔法を使うように仕向けて、屋敷全体に広げていた自分の影でその魔力の先をたどった私は、アルバートの囚われている部屋への転移に成功した。

 ふふん、だって私からなら、影をたどって彼の居る場所に行けるんだ。

 ヴラドが油断するように千草と別れたのものすごく怖かったけどうまくいった!


 そして少しよれてはいるものの無事なアルバートにほっとした後、目の前にいる本物のヴラド・シャグランと対峙する。


 ゲーム時代は、どうしてそこまで力を入れたというレベルの専用立ち絵だったけれど、実際に目の当たりにすると顔面偏差値の暴力だ。

 魔界の魔族特有のすさまじい威圧感と美貌はその身にまとう魔力とも相まって、普通の人ならいっそ恐怖すら覚えてその場で釘付けになるだろう。エモシオンやばい。

 けれども、私に怯んでいるひまなんかないのだ。

 秒で言い返した私に、ヴラドはゆっくりと瞬きをする。

 まあ彼なりの最大の譲歩の言葉を「ふざけるな」の一言で突っ返されたんだからなぁ。そもそも言い返された事がないだろうキャラクターなんだから当然だ。

 けれど、私は猛烈に怒っていた。いまだかつて覚えた事がないほどの怒りに燃えていた。

 だってごまかしようもなく、自覚してしまったのだ。


「小娘、我の慈悲をふざけるなと申したか」

「ええ申しましたとも。アルバートを飼うだなんていう、彼の良さを一切わかっていない人になんて絶対に……ううんアルバートが行きたいと言わない限りは誰にだって渡さない」


 推しなんだよ。推しなんだ。画面の向こうで愛してやまなくて、なんの因果か同じ世界に立つことになっても、絶対自分の物にならない。悪役のエルディア・ユクレールになった私とは絶対に交わらない、遠いところで幸せになるはずの人が、私に想いを向けてきた。

 少しずつ少しずつ彼を1人の人間として意識するようになっていても彼が幸福で居さえすればそれで十分なのだと何度も思っていたのに。

 あの日から、彼に生々しい想いを向けられて、今まで心の奥底に沈み込ませていた私の想いは無視できないほど大きく膨れあがってしまったのだ。


「アルバートは私の従者で、私が、幸せにするの!」


 これは紛れもない独占欲だ。

 オタク失格だ。大好きなキャラクターを自分だけのものにしたいだなんてタブーに等しい。

 でも、こうして実際にアルバートが奪われかけて、明確に思ってしまったのだ。

 たとえ推しにでも、振りでも渡したくない。私の従者だ。私のものだって。

 それにだよ。


「アルバートを安く見ないで欲しいわ。這いつくばって矜持が折られたアルバートも二次創作でいっぱい見たけど! それよりも誇り高く傲然と顔を上げるアルバートの方が百倍は魅力的だわ!」

「もっと言いようがあるでしょうに……」

「本心偽るのもあなたに失礼でしょうが!」


 もうヤケな気分でアルバートを睨んだ。

 顔は真っ赤になっているだろう。今、私は猛烈にこっぱずかしく、情けなくてどろどろしていて、子供みたいなわがままを言った自覚がある。

 大きく息をすって、吐いて、わずかな気力を取り戻した私は、絞り出すように彼へと宣言する。 


「そう、いうこと、だから。帰るわよ」

「……ええ、帰りますとも。俺の居場所はあなたの傍らです」


 さっきまで呆れていたはずのアルバートは、心の底から嬉しげに微笑した。

 表情はとろけるように柔らかく熱を帯びていて、ますます体温が上がる。

 そ、そんなに手放しで嬉しがられること言った覚えないし、アルバート今の状況思い出して!


「ふん、茶番だな」


 そんないらだちに満ちた声で吐き捨てたヴラドが玉座のような椅子から立ち上がる。

 だが私の腰に手を回していたアルバートも不機嫌に彼を睨んでいた。


「人間風情が、我の慈悲を断る選択肢などはなからない事がわかっておらぬと見える」

「わかって居ないのはお前の方だ。俺を従えられるのはエルア様のみなのだから」


 にいっと唇の端をつり上げて挑発的に笑うアルバートはものっすごく様になっている。

 ひええ、こんなこっぱずかしいことがんがん言っちゃうタイプだったっけ? というか勝ち気なのに品がある表情がすんごく似合ってやばい。

 ぐうっと萌えゲージの高まりを感じていたが、ヴラドが尊大にせせら笑った。


「そうか。時に、そなたはまがい物でありながら、血を欲するのだったな。では”アルバート”。その女の血を一滴残らず吸い尽くすが良い」


 びくん、とアルバートの体が震えた。口を押さえ、体をよろめかせる。

 それは血を分け与えられた吸血鬼からもたらされる絶対の命令権「血の従属」だとすぐにわかった。

 コネクトストーリーでもアルバートが消耗した時を狙ってしかけて来たからね! ゲームの時は鼻血吹き出すかと思ったよな。

 アルバートが荒く息をつきながら私を見るその顔には、理性と本能でせめぎ合いながらも、あらがいがたい食欲が浮かんでいる。


「従者に喰われて果てるが良い。見送ってやろう」


 ヴラドが優雅に肘掛けに頬杖をついて悦に入る中、アルバートが私を乱暴に引き寄せた。

 吐息の絡んだその声にいつもの余裕はない。


「すみません、加減できません」

「好都合だわ、景気よくやっちゃって」


 だって、わざわざどうやって私の血を飲ませるか考えなくていいんだもの。かなり悔しげなアルバートには申し訳ないんだけど、都合が良かった。アルバートにとっては良いように操られている状態な訳だから屈辱的なのはわかるけれど、ほんの少し我慢して欲しい。

 私が手にあらがわず抱き寄せられると、アルバートがますます感情を堪えるように眉を寄せる。


「くそっ」


 悪態をつきながら、アルバートは震える手で私のドレスの襟をくつろげて、首筋に牙を突き立てた。

 ドレスを引き裂かないように気遣いをするだけでしんどいだろうに。

 首筋に牙を突き立てられた瞬間、いつもと違う灼熱の痛みが襲った。

 反射的に体が竦んだのは許して欲しい。


「っくぅ……」


 殺しきれなかった声にアルバートが私の顔をヴラドから隠すように抱き込むなり、深く突き立てて一気に吸い上げる。

 この痛みも久々だ、アルバートがまだ警戒心たっぷりの頃はこれくらい痛かった。

 だけど、血がどっと失われていくのを感じながらも、背筋を駆け抜けていく悪寒に似た感覚に頭が真っ白になる。

 痛みと同時に襲ってくるそれに脳が混乱した。

 アルバートが催眠を使っている。

 痛みを和らげようと考えたのか、それとも血の従属によって強制的に使わされたのか。

 舌が這う、啜ろうと牙が容赦なく傷口をえぐる。

 まって、と言いたかったが、うかつに口を開けたらあらぬ声が出てしまいそうで唇をかみしめるしかなかった。

 痛いだけの方がまだマシだったかもしれない。

 いつものアルバートだったら絶対しない、まるで聞かせるように大きく血をすする音をさせるからどうにかなりそうだ。

 血が抜けて寒いはずなのに熱い。熱いけど、私は意識が持って行かれそうになるのを堪えて、アルバートにすがりつき念じる。


 くるりと体が掬われて浮かんだと思ったとたん、アルバートに抱えられて飛んでいた。

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