28 従者の悔恨

 


 しくじった、とアルバートは思うように動かぬ体に焦燥を覚えながらも傍らの椅子に座る男、ヴラドを見上げる。

 エルアの願いどおり撤退しようとした矢先、この男が自分の前に現れた。

 自分が対処に迷った隙をつかれて、体の自由を奪われた。

 アルバートは両親のことを知らない。だが、あの組織に居た時に己に流し込まれた血のおぞましさは覚えている。

 ダンピールを強化する。という名目で施された数々の実験の中で、自分は吸血鬼の血を注ぎ込まれた。同じく実験に使われた同胞は体内でせめぎ合う血液に耐えきれず、自分だけが生き残った。

 生涯忘れることはないが、思い出したくもない記憶だ。

 しかしその中で、疑問があった。

 あの実験で自分に注入された吸血鬼の血は誰のものだったのか。

 つまらなさそうに頬杖をついていたヴラドの赤の瞳がアルバートを見る。


「忌々しい日の光を克服できぬかと、かつて戯れに慈悲を与えた産物が我が手に戻ってくるとはなぁ」

「お前のものになった覚えはない」


 かすかに愉悦に笑むそれを、アルバートは無表情に見つめ返す。

 顔を合わせ、すぐにわかった。自分にはこの男の血を流し込まれたのだと。

 忌々しい吸血鬼としての感覚がそう訴えるのだ。

 吸血鬼は、血を受けた主となる者に逆らえない。話だけだったそれを身にしみて感じていた。

 この男は自分が欲しいといい、この屋敷に引きずり込み、己の主を害そうとしている。

 自分が出会い、殺してきた吸血鬼の中でも最上位の危険な化け物だった。


「お前を喰えば、我もようやくこの忌々しい日々から解放されるのだ」


 うっとりと微笑む男に、アルバートは冷めた目で応じた。

 欲しいと言い、熱を帯びた視線を己に向けながらも、アルバートはただ煩わしさといらだちを覚えるだけだ。

 この男が欲しているのは暇つぶしになる愉快な玩具で、アルバートではないとわかる。

 それは、本当に熱を帯びた眼差しを知っているからだった。

 同時に己が彼女を呼び寄せてしまったことに悔やんだ。

 早く早く、この場から逃れて欲しい。自分のことなど捨てておいて、この男の前に来ないで欲しい。

 己よりも、彼女のほうが危険なのだ。何より自分だからわかってしまう。

 だが、それでも彼女は迷わずここに来る。 

 アルバートが眼前の映像を食い入るように見つめていると、興味なさそうに映像を眺めていたヴラドが呟いた。


「多少顔立ちは良くて、魔力も豊富な娘のようだが、従僕などという卑しい立ち位置に納まっているのだ。混ざり物であろうと、アレ一匹しつける位は造作もなかろう。餌として飼い殺せばよかろうに、良いように使われているとは嘆かわしい」


 ああこいつは、わかっていない。

 彼女を従えたところで面白くもなにもない。己は餌としての吸血は必要ないのだから飼う必要もないし、何より自分を手放したがっていたエルディアの従者に収まったのはこちらである。

 まあ確かに、少々落ち着けと言いたいことは多々あるが、ヴラドのそれは的外れなものだった。


 確かにはじめはかりそめの主従だった。惰性で生きることになったために彼女を利用していた。八つ当たりも入っていたかも知れない。

 だが今は心底、彼女の道行きを応援し、彼女が望む未来を隣で眺めたいのだ。

 ……ただ、彼女自身がどう思っているかはわからないのだが。

 なにせ、明確な言葉らしい言葉はもらっていない。彼女が解放された時の一言だけ。

 態度では好意を感じているものの、そろそろ彼女がどう思っているかが知りたくはある。

 その心の隙をヴラドに衝かれたかと思うと不愉快だった。何より自分が救助を待つ側であることが悔しい。

 これが吸血鬼、人をただの餌としか思っていない、魔の存在か。

 こんな存在の血が己に流れて、しかも現在進行形で縛られていることが耐えがたい。


 アルバートが返事をすることを期待していなかったのか、特に気分を害する様子も見せず、ヴラドは形の良い指で眼前に広がる映像を指した。


「まあ良い。そなたも、あの小娘が眷属どもに蹂躙される様を見れば気が変わろう。猛獣の兎が付いてきたことは予想外だったが、その命綱も自ら手放している。顔は美しいが危機感も頭も足りないらしい」

「くっ……」


 さすがにこらえきれず、アルバートが失笑を漏らすと、ヴラドがいぶかしそうな顔でこちらを見るのがわかる。


「お前は勘違いをしている。あの方は、あえて千草と離れたんだ。最短距離で歩むためにな」

「……お前がなにを期待しているか知らんが、眷属どもに見つかったようだぞ」


 ヴラドの言うとおり、映像では栗色の髪にすみれ色……アルバートが選んだ己の瞳と同じ色をまとった娘が、知性のかけらも見えない濁った瞳の吸血鬼達に囲まれていた。

 なるべくなぶるように命じられていたのだろう。

 逃がさぬように数を頼みに、ゆっくりと包囲網を狭めていく。

 多少魔法や武術を使えようと、多勢に無勢だ。

 ヴラドは、彼女のドレスがちぎられ、血を絞り尽くされる様を想像しているのだろう。


「さて、どのような鳴き声を上げるか。眷属は加減というものを知らんからなあ。はしたなく泣きわめくか、それとも快楽に溺れるか」


 なぶるようにヴラドがアルバートに悪魔のささやきをもたらす。


「お前が望むのなら、あの小娘をやるぞ。助けてほしければ我の眷属になるが良い」


 絶対的な支配の声に、アルバートに根付く吸血鬼の本能がひれ伏そうとする。

 だが理性の部分はこの愉快さにおかしくてたまらず、故に脂汗をしたたらせながらもアルバートはくすくすと笑った。


「我が主が、あの程度の吸血鬼ごときに蹂躙されるとでも?」


 その嘲弄の色に気づいたのだろう。ヴラドがいぶかしげにする。しかし映像で繰り広げられる光景に目を見開いた。


 映像のエルディアは、臆することも逃げることもせず、スカートの隠しに入れていた小型のステッキを手にすると、いつもより乱暴に地を蹴り飛ばす。


闇の輪舞シャドウロンド


 ぶわっと、彼女が踏み込んだ部分の床から、闇よりも濃い影が周囲に広がった。

 影に追いつかれた吸血鬼は、できの悪い人形のように硬直しその動きを止める。

 そして、エルディアがまるで糸繰り人形を操るかのように、指を動かすと、彼らはぎぎぎときしむように体を動かして、近場に居る吸血鬼を切りつけ出した。


 同士討ちをはじめた吸血鬼達に、ヴラドの表情がかすかに変わる。

 しかしアルバートにはなんの驚きもなかった。彼女は自分が弱いと思っているようだが、それは勇者達のそばに居る英雄達と比べたらだ。

 アルバートが護身術と役に立つ範囲での暗殺術を教えた。彼女単体で暗殺者を退けたこともままある。

 己の持つ魔法の特性と敵のすべてを知り尽くし、その上で勝ち星をとれる方法を模索する彼女が、問題ないと残ったのだ。当然のごとく対策があるに決まっていた。

 そして吸血鬼にとって圧倒的に有利な夜の暗がりだが、それは彼女が使う闇魔法も同じ。

 知略を使える彼女に軍配が上がるのは当然のことだ。


 映像の中で、あっという間に吸血鬼達を沈黙させて見せたエルディアは、次いで虚空を見上げた。


『映像はないけど、聞こえているんでしょう』


 エルディアにはこちらが見えていないはずなのに、碧色の眼差しは、まっすぐこちらを射貫く。

 彼女の中身を知っている己ですら、見ほれるほど美しく堂々とした立ち姿だ。

 それは背後に凄惨な光景が広がっているとは思えないほど澄み渡っており、苛烈に煌めいている。


『アルバート。なんであなたがわざと捕まったのかはわかんないけど、変な気を起こさないでよ。いくら悔しかろうとぶつくさ思おうと殺意がわこうと自分1人でなんとかしようとしないこと! 私が行くまで待てだからね!』


 あんまりな物言いに、アルバートは閉口する。意図は伝わってくるが不本意だった。

 いくら隠そうと、こういう時の自分の思考を読まれてしまうのだから。その割にはアルバートが抱えてた感情に気づかないほどとことん鈍いのだから残酷だ。

 エルディアが本当に自分を想っているのか、という疑いを捨てきれていなかった自分に自己嫌悪に陥る。


 長期戦でやるつもりだった。なにぶん彼女がああだからこそ、無理に距離をつめようと考えてはいなかったが、自分の心に疑念を抱くとは思った以上に彼女の変わらない態度に動揺していたらしい。

 アルバートは彼女の推しに対する想いを、信仰に似たものと解釈している。

 自分を神のようなものと考えるのは正気かと常に思っているが、それくらいしか適当な表現がないのだ。

 エルディアの無条件の好意はすべて、推しの幸福のために存在しているし、望まれたらなんでも行おうとする。

 そう、命の危機がある場所にも平然と飛び込んで行くのだ。推しであれば、わけ隔てなく。

 千草に対する献身を見て、改めて彼女に対して不安が膨らんでしまった。

 彼女は推しに望まれれば何でもする。なら、果たして自分に応えてくれた事は、彼女の本心だっただろうかと。

 彼女は一度もアルバート自身を望んでくれた事がないのだ。

 我ながらここまで感情を振り回されるとは自分でも思っていなかった。

 多少なりとも、浮かれていたのだろう。まだまだ自分も甘いらしい。

 もとよりはじめから自分と同じように求めて欲しいとは思っていなかったのだから、少しずつそうしむければいい。

 すべては、ここから出て、この忌まわしい存在に決着をつけてからだ。


 アルバートが横目で見ると、ヴラドの表情にいらだちと怒気が滲んでいた。

 本当に、エルディアは、特定のキャラクターに対する扱いがうまい。


「ほう……我に命乞いをせんばかりか、勝つ気でいるのか。生意気な」


 ヴラドが虚空に指を滑らせる。この屋敷はヴラドの幻術で構成されている。

 そもそもこの場にたどりつける道など用意されていない。

 この吸血鬼が、逃げ回り、希望を持ったあと、出口がない事に絶望しながら無残に喰われていく様を楽しむための隔絶された檻なのだ。

 だが、エルディアもそのことをわかっているはずだ。

 あのヴラドの姿を見た一瞬、彼女が見せた表情はアルバートにはなじみ深い、彼女の旧知のキャラクターに出会い、特別な思い入れがある存在に対するものだったのだから。


 映像の中で壁が動く。部屋の扉が彼女の前に現れ、眷属が再び送り込まれようとする。

 そこまで映しているのは、アルバートの心を折るためだろう。

 そういう性質の男だと、この短時間で理解していた。

 茫洋とした眼差しを虚空に投げていたエルディアの焦点が、こちらを……アルバートを捉えた。


「っ!?」


 ヴラドの顔が驚きに染まる。

 その刹那、アルバートにとってはなじみ深いエルディアの魔力の気配と共に、闇のように濃い影が広がる。

 予期していたアルバートもまた、素早く手首の枷を外して地を蹴り距離を取った。


 そしてアルバートの傍らに、影の中からすみれ色のドレスを身にまとい、栗毛の髪をなびかせる娘、エルディアが現れる。

 眼差しを険しくしながらもこちらに立つアルバートを見つけるなり、心底安堵に碧色の瞳をゆるめた。


「なるほど、魔法の痕跡をたどって道をつなげたな」


 見事に一杯食わされたヴラドは怒りとも感心ともつかない表情でエルディアを睨んでいる。

 もうすでに取るに足らないものを見るものではない。

 ヴラドは明らかにエルディアという存在を認識し、興味を持ち、感情をあらわにし始めていた。

 だから来て欲しくなかったのだとアルバートは忸怩たる想いを抱える。

 エルディアは、悪に身を浸した者にとって、親しみのある暗がりになじみながらも美しくまっすぐな熱を帯びた眼差しを向ける。

 それがどんな存在であろうと絶対に目をそらさない。

 闇の世界に生きる者にとって、同じ闇に生きながら、表の世界のような明るさと朗らかさをまとう彼女はひどく魅力的なのだ。

 熱望とも、嫉妬とも、渇望とも、憎悪ともつかぬ感情を向けられ執着される。

 まさに、今のヴラドがそうなっていた。


 アルバートにむけていた興味といらだちの感情を隠しもせず、今はエルディアに注いでいる。


「ここまで来たことは褒めてやろう。だがこれは終わりだ」


 悠然とエルディアを見下ろすヴラドは、余裕を崩さずにつづけた。


「たとえ我の元にたどり着こうと、お前達は我の手の中で遊んでいるに過ぎぬ。しかし、気が変わった。そのダンピール共々、お前もかわいがって飼ってやろう。喜ぶが良い」


 傲慢に、優美に、毒のような退廃を漂わせて命じる。

 にも関わらず、彼女はこちらをすべてを見透かすような眼差しを曇らせる事はない。

 アルバートにはわかっている。なにせ10年の付き合いだ。

 彼女はアルバートの自由が奪われることを何より嫌悪している。

 だから今回も、自分の事はそっちのけで、アルバートのために怒るのだろう。

 そう、考えていたのだが。


「ふざけないでよ」


 エルディアの怒りに炎のように揺らめく碧色の瞳に、いつもと違う色がある気がした。


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