10 聖地には秩序を

 周囲からは一喜一憂する声が響いている。このルーレット卓も、上品な紳士から私よりもほんの少し上ぐらいの貴族の子弟っぽい子が、まるで命でもかかっているような真剣さでテーブルを注視していた。

 やっぱり、ハマる人はハマるんだな。

 そこで私に運ばれて来たチップの山に、同じテーブルに座るプレイヤーや見学者がざわめきが起きる。


 うむ、とはいえどうしたもんかな。カジノルーレットはソシャゲのミニゲームにあったからやり方は知っているけど、こっちに来てからも何度かたしなんだ程度なんだよな。

 ぶっちゃけカジノにハマるより、推しに直接貢いだ方が建設的だと思っちゃうし。

 ガチャ文明? ナンノハナシデスカ。



 ルーレット自体は丸い円盤に、赤と黒に塗り分けられたマスと数字が等間隔に配置されたもの。

 ディーラーに促された私は、通い詰める気もないから、さくっと交換したチップの四分の一をコラムベッド……一から十二のどこかに落ちれば三倍になる所においた。

 ただ奇数偶数や色に賭けるのもつまらないし、まあ一時間ぐらい遊べればいいわけだからそんなもんだろう。


 ルーレットが回され、玉が転がされる。

 賭けた全員が注視する中、入ったのは三だ。

 うむ、はじめから勝っちゃったぞ?


 チップが増えてもあんまり感慨が湧かず、私は特に迷うこともなくさくさくと賭けていくことを繰り返していると、おやと思う。

 私から左に三つ離れた青年客がまったく勝てていない。彼は熱くなって気づいていないみたいだけど、私が同じ所に賭けた時以外はぼろ負けだ。

 運が悪いにしても彼が高額のチップをかけた時は必ず負けている。

 これはおかしい、と思ったときにルーレットの玉が入った。


「ああ……!!!」


 絶望の声を上げた彼の前からチップが消えていく。


「……お客様」


 ぶるぶると震える彼は従業員に声をかけられると、怯えたように体をびくつかせた。


「ま、まってくれ次は、次は勝つんだ!」

「別室でお話をさせていただきましょうか」


 あの反応からするに借金をしていたのか。のめり込むのは良くないとはいえ、ううむ?

 青年貴族が従業員に連れられて去って行くのを見送ると、ディーラーから謝罪される。

 周囲の客からの反応からするとそんなに珍しいことではないみたいで落ち着いたものだ。

 むしろ彼に批難めいた目すら向けている。

 そして何事もなかったように再びルーレットが回され始めるが、テーブルから見えないところで、アルバートが指先を動かし合図してきた。


 内緒話がしたい、ね。おーけー。


 私も同じことを考えていたから、適当な場所にチップをベットしつつ、即座に影をつなげた。

 そうすることで、念じるだけで会話が出来る。

 闇魔法、攻撃には全く向かないけど、地味に便利なことが出来るのよね。


『エルア様、ここは知り合いの管轄外の店で、不正賭博の疑惑がかかっています』

『うわあ、やっぱりか。今連れて行かれた人はターゲットにされた?』

『おそらくは。このディーラーは盤を操作してますね』


 彼が言うなら間違いない。

 アルバートが言いよどんでいたのはそれが理由か。まさか私の聖地がぼったくりカジノだったなんて。

 とショックを受けてると、からん、とルーレットの玉が止まる。

 適当に賭けていたとはいえ、今回は広範囲だった。にもかかわらず、それは、私が賭けなかった場所で。


『私が次のターゲットにされてる?』

『されていますね。そのために先ほどまであなたを勝たせていたのでしょう』


 私のチップは優に十倍になっている。

 使っても使っても使い切れなかったんだよね。

 ここまで楽しく勝てていたらよっぽどのことがない限り立ち上がろうと思わないだろう。

 何も知らずにのこのことやってきた、しかも大金を持った小娘をカモにしようって魂胆か。


『なめられてるねえ』

『ええなめられていますね』

『私もさ、せっかくの聖地が穢された気分なんだよね。いかさま賭博なら売られた喧嘩をがっつり買っても良いと思うんだ。秩序はどこでも必要だよね』

『そう言うと思いました。どうぞあなたの気がすむまで』

『賭ける場所の指示だけよろしくね』

『かしこまりました。予定金額は』


 有能な従者を持つと話が早くて助かる。

 かすかに怒気を滲ませるアルバートの思念に、私はくすりと笑ってしまった。


『このカジノが買い取れるまでよ』

 

 アルバートの笑う気配を感じていると、私がこぼした笑みに気を引かれたディーラーがいぶかしそうにこちらを見た。


「どうかなさいましたか?」

「いいえ? こんなことはじめてやったけれど、とても楽しいと思って。もっとやりたいわ!」


 私が無邪気に、けれど品は損なわれない程度にテーブルへ肘をついて身を乗り出す。

 すると、アルバートがとがめるような色を浮かべて、私の肩に手を置く。


「エルア様、少々のめり込みすぎでは」

「いいじゃない! 久々に羽を伸ばさせてよ!」


 ぱっと手を払って不満げにしてみせれば、もう賭けに夢中になったお嬢様にしか見えないだろう。

 ディーラーもアルカイックスマイルで見ていたけど、完全に術中にかかったと思ったでしょ? ね?ね?

 その間に私は、ひょいと自分の影を伸ばして、ルーレットの回転軸につないでいた。

 なにせカジノは雰囲気重視で照明は暗めに設定されている。使った魔力も微量だから絶対に気づかれない。

 そしてディーラーが再びルーレットを回し始める。


『急に賭け方を変えるのは怪しまれますから、コラムダズンベットのまま。ただ俺の指示する数字分を賭けてください』

『了解』


 先ほどと同じように気軽にチップを置いていく。

 玉が転がされて、落ちたのは私が賭けた所。

 ディーラーが不思議そうにしたが、私はかまわず影を通じてアルバートの指示に従う。


『掛け金同じ。賭けなかった方』

『掛け金一増し、賭けた方』

『掛け金三増し』

『サイクル終了、四から始めて』


 必死に隠しているけれど、あっという間にディーラーが焦りだす。

 そうだろう。私は玉を転がす前に賭けているのだから、玉をコントロールすれば外すことは簡単なのに思うところに入らないのだ。

 私がルーレットの回転速度をずらしてなければうまくいっただろうけどね。

 ん?入れる場所までコントロールしないのは、その必要がないのと、ディーラーに疑心暗鬼に陥らせるためだ。

 ほうら、こっちをちらちら見始めた。

 単に調子が悪いのか、私がいかさまに気がついて何かしらの策を講じているのか、疑ってる。疑ってる。

 低い倍率にしか賭けてないはずの私のチップは当初の50倍以上になり小山になっていた。

 いつしか他の客は賭けるのすらやめて私たちに注目している。

 

『真打ち来ますね。出ます』

『りょーかい』


 アルバートの思念を聞いてすぐ、青ざめているのを通り越して真っ白なディーラーの背後から、一段上質な制服を着た男性が表れた。


「失礼、少々調子が悪いようですので、私が代わります」

「あら、じゃあそろそろ疲れて来ちゃったし、どこかに全部賭けようかしら?」


 周囲からどよめきが起きるのがおもしろい。まあそうだよね。カジノとは行かないまでもちょっとした屋敷が買えるくらいの金額になってるもの。

 惜しくないって言ったら嘘になるけど、元々この店に突っ込む気で居たお金だし、私はまだまだ平静でいられる。

 だけど、ディーラーにとってはカジノの沽券に関わる一勝負になってしまう。

 心構えが全く違う。

 ベテランを持ってきたのだろうけど、さすがに動揺と緊張が走った。 

 そこで私はくるりとアルバートを振り仰ぐ。


「せっかくだしアルバート、賭けてみる?」


 ぎょっとしたディーラーがアルバートを向いた。

 アルバートもまた動揺したようにディーラーを見たことで視線が絡む。

 彼にはそれで充分だ。

 一瞬で魅了と催眠がかけられる。

 ディーラーの目からくらりと光が消えたがすぐもどった。

 誰も気づかない。アルバートの得意分野だ。

 

『掌握しました、どの数字に賭けますか』

『26』


 アルバートの年齢だ。

 傍らに立つアルバートがあきれる気配がしたけれど表には出さず、ルーレットが回されると、困惑を滲ませながらも「では26で」と告げる。

 小山のようなチップがそのベットスペースに乗る限り積み上げられた。

 今度は私も円盤の速度はいじらない。


 カランと玉が投げこまれ、くるくるとルーレットを回っていく。

 固唾を呑んで見守る緊張感が場を支配しているけど。私は自然体のまま。


 だって、26に入ったことにはまったく驚きはないんだから。

 観客からどっと歓声が響く中、催眠が解けて我に返って青ざめるディーラーの前で、私はただ悪徳姫仕込みの微笑みを浮かべてやったのだ。

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