8 反応はご褒美です

 人生最大級の悶着がありながらも、私たちはすたこらさっさと10年暮らしたユクレールの屋敷を後に、さらには生まれ住んだ国まで抜け出していた。

 そして、あらかじめ用意していた隣国イストワにあるリゾート地、リソデアグアに用意した屋敷に落ち着いている。

 身分証明書? きっちり準備していますとも!

 今の私は「エルア・ホワード」という名の正体不明(笑)な投資家である! わーい気楽気楽!

 私が直に雇った使用人も本気で全員付いてきてくれていた。

 マジかよほんと。悪徳姫なんてやってたけど、私が思っていたより慕ってくれる人は居たんだなあ。

 聖女ちゃんも勇者くんもほんとにうれしかったんだよ。とんずらかましてごめんな。


 新しい屋敷のサンルームで、私が「”聖女、勇者、旅立ち!”」とでかでかと見出しを飾る隅っこに「”悪徳姫失踪!”」という文字が小さく載る新聞をぺらぺらめくって読みながら、アルバートの淹れた紅茶をのんびり飲む。

 庶民感覚は10年経っても矯正できなかったが、アルバートの紅茶だけはなじんじゃったのでお供にさせてもらっている。

 にしても、ユリアちゃんもリヒトくんも頑張ってるなぁ。これもコレクションしとかないと。

 私がにまにましていると、まるで心を読んだかのように、アルバートがスクラップ帳と、定規と下敷きとナイフとのりをテーブルにおいてくれた。

 さらり、と前髪を揺らしながらこちらをのぞきこむ。


「ご自分でやりたいんでしたよね?」


 さすが我が従者殿、わかってらっしゃる。

 すすっと切り抜き作業に精を出しながらも、私はそろりと傍らに立つアルバートを見上げた。

 こちらを殺しに来ているとしか思えない告白をかまされたあげく、私も大暴露をしてしまった一夜からそれなりの時間がたったのだが、アルバートはあんまり変わらない。

 元々主従という建前はあっても、上司と部下、親しい友達のような気安い関係だったからなぁ。

 アルバート自身も公私はきっちり分けるタイプだ。だからそんなものかな、と思って私のばっくばくだった心臓はちょっと平穏を取り戻していた。ほんの少し砕けた物言いが増えたかな、と言うくらい。

 だが、いつも通りの日々を過ごせているわけじゃない。


「エルア様」

「ぴっ」

 

 今の私の名前を呼ばれて、勝手に体がびくっとなった。令嬢として活動する時以外は、そちらで呼ばれることのほうが多かったから、エルアのほうが自分の名前という気がするんだけど。

 なんか、甘いのだ。アルバートが私を見る紫の瞳が前より艶を帯びているし、声にもなんか蜜のような甘さがある。と、思う。

 だからなんか不意に呼ばれると挙動不審に陥るようになってしまっていた。

 十年かけて推しに名前を呼ばれるという確定イベに慣れたというのに、進化してしまって毎度瀕死だよこちとら。

 しかも、私の動揺なんてわかっているはずなのに、アルバートはそれがどうした?と言わんばかりに悠然としている。うぐぐ。余裕たっぷりでちょっと悔しいけど顔が良い。


「どうかしましたか? これからの方針について話し合いたいと思うのですが」

「そ、そうだね。久々にゆっくり羽を伸ばせたし、次のことも考えなきゃね」


 深呼吸して落ち着いた私がそう言うと、アルバートは少し遠い目をしていた。


「……今までの推しコレクションを堪能してましたね」


 その通り、あの断罪イベの下準備で忙しかったから、自分へのご褒美が一切出来なかったのだ。

 推しコレクションは安全確保のため、真っ先に移動させていたから数ヶ月くらい触れられなくて、禁断症状出かけていたからね。

 もう心得た人しか屋敷に居ないのを良いことに人目をはばからず浸っていた。

 自分でもだいぶあかんレベルだったと思う。

 だが私はやるべきことは全力投球するが、その原動力である推しを堪能することは絶対に外せないのだ。

 この数日大変に幸せだったが、推しは今も魔神討伐に向けて頑張っている。

 そのサポートがファンの役目なのだからそろそろ再起動するつもりだった。


「リヒトくん達、旅には出てくれたから今までの傾向からして、メインストーリーは順調に進んでくれると思うんだよ。だから私がやるべきは、その周辺でよるかも知れない街で起きる限定イベの下地作りだね」

「あなたが方々に投資させていたものですね。利益に関してはこちらに」

「お、ほんと? 助かる助かる! この季節からだと……一番に引っかかるのは、水着イベかな?」

「みず……?」


 アルバートが微妙な顔をしていたが、スクラップ帳に切り抜きをぺたぺた張り終えた私は、嬉々として振り仰いだ。


「そう! ゲームのイベントは彼らのレベルアップに重要な役割を果たすと同時に、新たな一面をしれる絶好の機会! そして夏と言えば水辺、水辺と言えば水着なんだよ!」


 私も彼らの水着姿を拝むため、課金して課金して課金しまくったさ!

 

「それで、この街に大量に資金を投入されていたんですね。その収益がこのような感じになっていますよ」


 ぱらり、とアルバートに渡された資料には、私が課金した企業や店、土地で運営している事業の収支が書いてあった。

 私はこういう場所や、それに関連する商会をピックアップしてはアルバートや協力者に調べてもらい、ちょっとずつ手を回していた。

 そしてここリソデアグアは水着イベの舞台になる街なのである。

 夏の水着イベントは、最初期に配信されたものだ。本編が進んだ今、一番起きる可能性があるイベントだ。

 だからまずこの街に拠点を置いたってわけ。ふふん。

 にしても、充分定着しているみたいだね。

 

「海水浴をおしゃんてぃな水着を開発して流行らせた上で、一大イベントができるだけの体力がないといけなかったけど。これならばっちりいけるでしょ」

「これからも、聖女と勇者を推して行くのはかわらないんですね」

「もちろんよ! 私のすべては推しのために!」


 と、言い切ったところで、はっとしてアルバートを見る。

 いや間違ってないんだけども、あんなことされたあとだとやっぱり意識するぞ。

 けれども、アルバートは例のとろけるような笑みを浮かべていた。


「あなたが生き生きと楽しんでいる姿を見るのは好きですよ。だからこれからも、存分にどうぞ。俺が別格だとわかりましたしね」


 器用に片眉を上げてどや顔しやがって、そんなところも推せる!

 と、いつもの私ならここで机に突っ伏すんだけども、なんだか胸の奥が詰まって視線をさまよわせた。

 私が尊みに奇行に走ると思っていたのだろう。アルバートは意外そうな顔をしているなか、なんとか第一波に耐えることに成功した私は声を上げた。


「まったく、何でそんなことさらっと言えるかな!? どこでタラシ属性拾ってきたの」

「あなたと違って誰彼かまわずたらし込んだりしませんよ。俺はあなただけ振り向かせられれば良いんですから」

「ふぎゅう」


 むりだった。

 なんだその穏やかな表情。顔面凶器か。

 今度こそテーブルに突っ伏した私だったが、それでもいつもなら思い切り理性を溶け崩れさせて身を任せる高揚感を表に出せない。

  そう、私はアルバートにどんな風に接して良いかわからなくなっていた。

 え、変わらないように見える? ちがわい!

 だって、だってだよ? アルバートは私の最推しで10年経っても隣に居るのが信じられないくらいなんだからな。

 そして一方的に愛でて愛して崇拝して萌え転がっていた人に、急にこちらを振り向かれたんだよ。

 彼の気持ちを疑うことがない分だけ、どういう風に向き合えば良いかわからなくなったってしょうがないだろ!


 十年一緒に居たのに今更態度を変えるのもなんかこっぱずかしいし、そもそも前世から恋愛よりも二次元だったものだから、経験値が底辺を這っているのだ。

 まあ、もはや反射的に今みたいに萌え転がるけど、最近は本人の目の前ではなんだか気まずくて挙動不審に陥っているというわけである。

 アルバートにはなんか気づかれているとは思うけど、自分の中で消化して取り繕えるようになるまで待って欲しかった。

 なんとか般若心経を心の中で唱えて復帰した私は、話を戻した。


「で、たぶんこの様子だと水着イベは大丈夫だと思うから。リヒトくん達の動向は引き続きチェック。水着イベに入ったらすぐに駆けつけられるように調整して。その間は最終確認として視察するわ」


 計画の組立てに集中すると、ちょっと落ち着いてきた。

 ずっとこんな感じでリヒトくんたちの動向を見守ってきたのだ。慣れたものである。

 私がお仕事&悪巧みモードになると、アルバートは少し眉を寄せたものの、話を進めてくれた。


「わかりました、他の者にもそう伝えましょう。では、どちらに向かわれますか?」


 その言葉で、私はにんまりと笑う。

 ふふふ、この十年やることが多すぎる上、本編前でまだエモシオンファンタジーの世界を堪能するどころじゃなかった。

 だが! 悪徳姫から解放された今は! いくらでも堪能できるのだ!


「カジノ行こうぜ!」

 

 アルバートのチベットスナギツネ顔は最高だった。


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