7 急募、滑らない口
「ん、ちゃんと行けたっぽい」
感覚で到着を把握した私は、ほっと息をつく。がまだ早い。
と言うわけで、すでに私から一歩離れた所に居るアルバートを振り返った。
「アルバート、疲れてるところ悪いけど今夜中に夜逃げするわ」
「……待たないのです?」
心底不思議そうに聞かれて私は半眼になった。
「悪徳姫の役割はおおかた終わったけど、「私」にはまだまだやるべきことがあるのよ。ここでとんずらかまさないと、せっかく今まで維持してきたシナリオが崩れるわ」
「そうでした」
「それに四六時中推しと顔をつきあわせるなんて情緒が持たない」
「……あなたはそういう人でしたね」
推しを幸せに愛でるためにもな!
私が真顔で言うと、アルバートはものすんごくあきれたニュアンスでそう漏らした。
けれど、なんとなく顔色が冴えないように思える。
いや、影使いなんてものをやっているせいか、夜目はめちゃくちゃ効くんだ。
「俺だって、ゲームの中ではあなたの一番なんですよね」
「何言ってるの、ゲームとあなたは違うでしょ」
私はいまいち言葉の意図がわからなくて困惑した。
「ゲーム上のアルバートはもちろん愛してるけどね。あなたとはこの世界の人生のほとんどを過ごしてるわけで、推しだけれども生々しすぎるのよ。とにかく幸せになってほしいし、誰よりも特別だし出来ればずっとそばに居てほし」
えっと待てつまり何を口走った私。
予想外の嵐に遭遇して、ストッパーが緩んでいたのかもしれない。
きょとんとするアルバートに、我に返った私は手を振ってごまかした。
「ごめんつまりゲームとあなたを混同するつもりはなかったってこと! わ-!忘れて!お願い!」
「つまり、あなたの中で俺は『ゲームの俺』と違って、推しではない?」
「いや最推しだけど! 別格!」
押し切るしかなくて私がさらに言いつのると、アルバートは笑った。
すっきりしたような、苦しいようなこみ上げてくる感情を理性で耐えて、それでも押さえられない喜びがにじみ出ているような。
あんまりにも魅力的な笑顔に見とれて、私は硬直した。
この感覚を知っている。だって。私が推しに感じる尊さと萌えと似ているようで、でも微妙に違うこの感情を、私は少し前から何度も何度も味わっているのだから。
違う私は夢女じゃない。いや否定するつもりはないけど、推しは全力で愛でて愛して遠くから眺めて私が勝手に幸せを願うのがベストポジなんだ。
こんなことにならなければ、絶対にアルバートの人生に干渉しなかったし、一緒に過ごそうと思わなかった。
これからもずっとそばにいて欲しい、なんておこがましいことも思わなかったのに。
一歩近づこうとしたアルバートだったが、少々体をふらつかせたことで私は我に返った。
「アル!?」
「申し訳ありません。先ほど銀の武器を食らったもので。血で武器を作ったのがダメ押しだったようです」
「ああもう、そういうことは早く言う! 処理を任せちゃってごめんね!」
「……今、あなたを噛んでもいいですか」
アルバートからの申し出は願ってもなかったことだ。
珍しいとは思いつつも、私は自分の思考をとにかく途切れさせたくて一も二もなくうなずいた。
「あの子達が事態の収拾をつけるまでに移動しなきゃいけないから。今のうちに万全の体調にしておいて」
「……ええ、あなたも。覚悟してください」
え、と思った時には、アルバートに腰を引き寄せられていた。
いつもだと、渋々と言った気配を隠しもせずに指先から必要最低限を吸うだけなのに。
するり、と腰をなでる感触がとても近くて、自分が薄いネグリジェだけなことを今更思い出す。
緩い襟ぐりをあっという間にくつろげられた。
見上げたアルバートの紫の瞳に今まで見たことのない、燃えるような色があって。
アルバートが私の首筋に顔を伏せた。
彼の髪が頬を撫で、柔らかい唇が湿らせるように肌をたどると、ぷつん、と牙が肌を突き破る慣れた感触がする。
――そこからは、今までと全く違う。濁流のようになだれ込んでくる熱にのまれた。
吸血鬼の特性として、吸血される獲物側に軽い催眠をかけることができる。
それは血を吸うときに必要だったため、吸血鬼は全員無意識に使うものらしい。
けれど、アルバートは純粋な吸血鬼ではないから制御がうまく出来ず、自身の感情が勝手に相手に伝わってしまう。
まあ、それを知ったのがアルバートに初めて私の血を突っ込んだ時なんだけど。
敵意と不安だった感情が、時を重ねるにつれて警戒から困惑になったのはちょっとほっとしていたが、ここ数年はずいぶん制御が効いたのか、なんにもつたわって来なくなった。
なのに今、アルバートはあえて私に伝えてきてるんだ。
そりゃあ、ここまで長く一緒に居てくれるんだから、それなりに情は感じてくれてるんだろうな、と思っていた。
でもこんなに感謝して、嫉妬して、もどかしくて、怒って、苛立って、歓喜して、愛おしむような熱をはらんでいたなんて知らなかった。
ぜんぶ、全部私に向けられた感情だ。
彼の想いの奔流に、勘違いの芽を、冗談の可能性を、思い込みの余地を根こそぎ削り取られる。
吸血行為を嫌がるのも、感情が伝わるからだろうな、となんとなく感じていたけれど。
意味が違う、ちがった。
言葉よりも雄弁に、こんなにあからさまに伝えられることがなくて、まるでその熱が伝播して自分を内側から焼かれているような錯覚にすら陥った。
「ひぅ……」
勝手に漏れかける声を必死で押し殺すと、咎めるようにより深く牙が食い込んだ。
牙を立てられてる部分がじりじり熱く、すすられている音がダイレクトに聴覚を浸食する。耐えきれず私の足から力が抜けても、ぐっと引き寄せる手に支えられた。
だが、アルバートは血自体はさほど必要としない。吸血衝動も一時的だ。
なのに永遠のように長い気がした吸血を終えて、前髪を揺らしながら顔を上げたアルバートは、満足げに、ちろりと唇を嘗める。そしてずいぶん良くなった顔色で、満足げに笑った。
本当に本当に珍しい、ゲームの表情差分にもない。してやったりと言わんばかりの満面の笑みだ。
「つまり俺は、こういうことなんですよ……わかっていただけましたか?」
対する私はもう、何も言えずに肩で息をするばかりだ。心臓が痛いほど鳴るのがわかる、顔だってもうゆでだこのように真っ赤になっているのが自分でもわかる。
「つまり、あの、その。さっきリヒトくん達に言ったことは」
「多少真実を混ぜると、嘘の説得力が増しますからね」
そんなことをしれっとのたまうアルバートは、私のことを引き寄せたまま私が心底惚れ込んでしまった顔で見つめるのだ。
「側近で満足するつもりでしたが、あなたは俺を男として見てますよね? まあ先ほどの発言はそういうことでなくても口説きますが」
「くどっ……!?」
なんで、なんでそうなった!?
キャパオーバーして絶句する私のあごを、アルバートはすいと指で持ち上げた。
「だって、俺に負けるなんてしゃくじゃないですか。……推しであってもなくても、俺が一番なんでしょう? ねえ? エルア様」
「……ほんと、どうして、こうなった」
もはや頭を抱えるしかない。けれどもあごを持ち上げられてると動かせないって初めて知った。
私が過剰供給でぐるぐるしてるにもかかわらず、アルバートは思いっきりとどめを刺すように、長いまつげを伏し目がちにした。まるで悲しげに、あきらめるように。
「それともこの俺は解釈違い、というやつですか?」
「大好物です! そもそも惚れたら関係ないよな!」
あああああ正直な口の馬鹿あああああ!!!
でもうれしいんだよ、生身の人としてそこに居る彼から目が離せなくなってしまったんだよ!
私が真っ赤になってぐぬぬと黙り込んでいるのに、アルバートはさっきまでの最強憂い顔はどこへやら、ますます楽しげに笑ったのだった。
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