4 推しの心ヲタク知らず

 アルバート・ベネットの主は、17歳の少女である。

 世間では悪徳姫などというたいそうな名前をいただいているが、その表向きの仮面を一枚はぐと、頻繁に情緒を崩す珍妙な女だ。

 なぜ、あの本性に気づかないのかとアルバートは疑問なのだが、それは自分が教えた芝居技術によるものなのだろうとわかっているだけに、少々複雑だ。


 彼女の両親はそれぞれ秘密クラブや愛人の元に入り浸って放蕩のかぎりを尽くしており、ここには滅多に帰ってこない。

 10年前、エルディアが7つの時からずっとそうだった。

 彼女は絶望するアルバートの前に唐突に現れた。

 場末の、血しぶきや肉片の飛び散る地獄絵図の中で、不釣り合いな美しいドレスを着て、栗色の髪と深い緑色の瞳は妖精のように現実味がない少女だ。

 どこかの魔族が、自分をたぶらかしに来たのかとすら思ったほど。


 にもかかわらず、アルバートの前に現れたその少女は緑の瞳からぼろぼろと涙をこぼしていた。

 それは恐ろしく生々しく人間と感じさせるのに、美しさは一筋も損なわれる事はない。

 信じていたものをすべて奪われて、自暴自棄になろうとした自分などよりもよほど痛いと感じているようなその涙に見蕩れてしまうほど。

 そうして少女は、避けるまもなく血まみれのアルバートの手を握って。


『最推しがズタボロなの無理いいいい!!!!』


 訳がわからないことを絶叫した。

 しかも持っていたナイフで自分の指を傷つけて、アルバートの口に突っ込んできたのだ。

 自分の体質について知るものはもう誰もいないはずなのに、警戒する前にそれをなめ取っていた。

 そして、延々と泣き続ける少女に手を引かれるまま、大きな屋敷に連れ込まれた。


『傷が治って落ち着くまでうちに居てくださいマジ後生なので! なんも出来ないけどお布団とお風呂とご飯はあるし、お金盗んでもいっこうにオーケーだしなんなら雇うし貢ぐので!!!』


 少女とは思えない支離滅裂な懇願をされて、そのまま屋敷に滞在する。

 我に返ったアルバートは疑心暗鬼は解けずとも、少女が本気で自分を雇うつもりなのだと、言質を取られた次の日には制服が用意されていたときに悟った。


 すでにここが悪名高きユクレール家であることもわかっていたが、すぐに、エルディアが両親から放置され、彼女の両親を恨む使用人から虐待を受けていることも理解した。

 エルディア自身がケロリとしているために表に出ていないが、本来ならばすべてを呪って破滅へと向かうだろう。自分はそうした。

 なのに、エルディアはそんなそぶりすら見せず、アルバートを見るたびに幸せそうに言うのだ。


『今日も生きててくれてありがとう!』


 全身全霊で向けられる無条件の好意が理解できず、頭がおかしくなったのかと彼女を徹底的に観察した。

 それが心からの本心であると理解する頃には、もう、アルバートはほだされてしまっていたのだ。警戒心からの観察が、ただ目で追わずにいられなくなっていただけだと認めるのには時間がかかったが。初めて感じられたこの光と温かさを、手放せなくなっていた。


 ずっと観察していたのだから、彼女の抱える秘密に気づいたのも必然だった。

 そうすれば、自分が当てはめられている「推し」という概念について知りたくなりもする。

 彼女が世界の未来を知っており、なるべく良い方向へ向かうようこそこそ動き始めていたのもすぐに察知して問い詰める。

 あっさりと語った出来事はなぜアルバートを救ったのか、彼女の内面がひどく大人びていることへの納得につながった。

 しかし、同時に、アルバートはある感情に悩まされるようになったのだ。


 彼女は「推し」のためであれば自分を犠牲にして動く。彼女達のそれが自分の存在意義で幸せだからと言って。

 その対象は、あの勇者や聖女だけでなく周囲を固める人間達にまで及ぶ。

 にも関わらず、彼女がこれだけ身を犠牲にしているのに、誰も彼女の功績を知らないのだ。

 のうのうと彼女を悪役として扱い糾弾している奴らも、自分のすべてを捧げる彼女にも腹が立つ。

 なにより他の「推し」に心を砕く彼女が恨めしい。

 まさか自分が、そのような感情を持つとは思わなかった。


 自分の感情が、従者として全くふさわしくないのは知っている。

 何より彼女が惚れ抜いているのは、彼女の見通したゲームという世界線の「アルバート」なのだ。

「推し」の概念についてはエルディアにいくら語られようとわからなかったが、彼女に出会えなかった自分などなくて良かったと思う。

 が、それでも。




「……ゲームの俺に、いつになったら勝てるんでしょうね」


 宵闇に沈む屋敷内を巡回しつつ、アルバートはため息をつく。

 今この屋敷は最低限の使用人しかおいていないため、いっそう静かなものだった。


 エルディアは早々に寝かしつけてある。はじめはいろいろと理由を並べ立てていたが、ゲーム時代の自分がよくしていたらしい仕草で見下ろしたとたん、親指をあげてベッドに沈んでいった。

 そのてきめんぶりを見るとこの女は大丈夫なのかと少々心配になるし、割りきってはいても面白くはない。

 ことあるごとに、彼女が自分を手放そうとするのは、彼女の記憶に刻みつけられた「アルバート」との齟齬を感じているからなのだろう。

 アルバートは己の選んだ道を後悔はしない。彼女が明確に自分を必要ないと言うまでは知らない振りをしてそばに居るつもりだ。

 だがそれでも、想うことはある。


「エルディア様はなぜ、ああも気楽に血を吸わせようとするんですか。いえあの方は全部ひっくるめて『推しのためなら!』と叫ぶ人でしたね」


 だから自分が悩むはめになる。

 彼女の手足となって働くアルバートは知っている。この国がどれだけ彼女によって延命されているか。

 にもかかわらず、この国は彼女に優しくないし、愚か者ばかりだ。

 ようやく表舞台から去ろうとしている自分たちに対し、このようなものを送り込んで来るくらいには。

 アルバートがかつん、とわざと革靴の音を立てて立ち止まってやると、窓から侵入しようとしている暗殺者達がこちらを振り向いた。


 あれだけ目立つ園遊会でエルディアの爵位剥奪が宣言されれば、利用価値なしと考え、恨みを持つ組織が復讐に来るだろうとは考えていた。

 しかしこの距離になるまで自分の存在に気づかないとは、とアルバートは評価を下げる。

 だが、これでも国中から指折りの腕利きを揃えたのだろう。

 屋敷のあちこちから、交戦の気配がした。この質だとしても、ここまでの数を揃えればかなりの脅威だ。

 ここが、ユクレールの屋敷ではなく、相手がアルバートでさえなければ。


「……まったく、このような夜更けにぶしつけな訪問ですね。おおかた俺たちを始末しに来たのでしょうが。悪徳姫の居城を見くびられたものです」


 嘲弄をこめてため息をついて見せたとたん、暗殺者達は一斉に襲いかかってきた。


 しかしアルバートは慌てず、袖から取りだした暗器を無造作に投擲する。

 鋭く飛んでいったそれらを暗殺者達はたたき落とすが、その頃にはアルバートが肉薄していた。 

 アルバートはいつもよりも乱暴に、一番近い1人の胸部へ掌底を放つ。

 前屈みになったところで、容赦なく、頭を引き寄せ膝を打ち上げてやった。


 アルバートは従者となったが、その技術は彼女のそばにいれば使う機会はいくらでもあった。

 むしろ鈍らせれば即座にエルディアに危害が及ぶ過酷さだったため、今でも研鑽を欠かすことはない。

 さらにアルバートはエルディアから「レベリング」という特別訓練を受けていた。

 アレは、自分ですら良く耐え切れたと思うものだった。

 おそらく、フリーで暗殺者などをしているより、ずっと今の己の方が強い。


 鼻を折られた1人を放り投げて傍らにいた者にぶち当て、背後に回っていた1人にひねりを加えた蹴撃を加える。

 壁まで吹っ飛んでいくそれを見送ることもせず、腰の短剣を抜いたアルバートは、飛んできた針を無視して肉薄する。

 自分にはこの程度、傷のうちに入らないからだ。

 しかし、刺さった途端、じゅう、と肌の焼ける熱を感じ、軽く体から力が抜ける感覚を味わう。


「銀メッキの武器ですか。多少は調べて居るようですね」


 だが、アルバートは純粋な吸血鬼ではない。

 その弱体化を無視して相手を制圧したアルバートは、暗殺者のあごをつかむと、懐から取りだした小瓶を無理矢理嚥下させた。

 咳き込んだ暗殺者は愕然とした顔をする。


「やはり、自死用の毒を仕込んでましたね? あなたたちのような人種が失敗すれば何を考えるかくらいお見通しなんですよ」


 これはエルディアがゲームの知識を用いてお抱えの魔法研究者に作成させた、強力な回復薬だ。

 特に今アルバートが使用したのは、どんな毒薬でも死ぬ前ならばたちまち癒やすという代物。

 たとえ知識があったとしても、まだこの世界になかったものである。それをあっさりと実用化にこぎ着けさせるのだから、彼女は恐ろしいほどの天才だと思う。

 けろっと「だって推しに必要だったから」とのたまった彼女が、価格崩壊を起す値段で流通させようとした時は、壁と足で逃げ道を塞いで懇切丁寧に説得した。

 鼻血を吹く勢いで気絶されたのはかなり不本意だったが。それは今はいいのだ。


「安心してください、あなたの傷を一瞬で治す薬もあるんです。さあ、後顧の憂いを断つためにも、雇い主は知りたいところなんですよね」


 死ぬ手段を失った暗殺者はアルバートを見上げて震えている。

 これを見ても、まったく心は痛まないのだから、自分は表の職業には向いていない。

 つくづく思いつつ、きれいに微笑んだ。


「俺はいま、最高に機嫌が悪いんですよ。早めに吐かないと、指、なくなりますよ?」




 血の臭いにアルバートは酩酊感を覚えつつも、きれいに洗い終えた手に再び黒い手袋をはめた。

 銀の針が刺さった箇所がじくじくと熱を持つ。少々気が立っていたせいで乱暴な戦い方をしたことをうっすらと後悔した。

 だが、そうでもしないと気が紛れなかったのだ。


「そんなに、簡単に大事な人の血を味わえるわけないでしょうが……」


 あの娘はそこの所の情緒が限りなく足りないのだ。わかっていて心を傾けてしまっている身としてはもうどうしようもない。

 だが、だいぶ血から遠ざかっていたせいで、自制が甘くなっている。気をつけなければ。

 各所では部下達がすでに始末をつけたと報告があった。

 後は何を報復とするかだけだ。

 エルディアの身の安全を考えるのであれば、後顧の憂いは絶っておきたい。

 算段を考えつつ、一応エルディアの部屋の様子を見に行こうとしたとき。

 彼女の部屋の騒がしさに気付いて、アルバートの血の気は引いた。


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