3 ヲタク心推し知らず

 私が視線をそらしている間に、アルバートはてきぱきと傷の手当てを済ませると、服を着込み直した。

 う、生腹筋見逃したのなんて後悔してないぞ。


「俺がなぜ使用人をしているかなんて簡単ですよ。裏社会でしか生きられない職業より、屋敷の上級使用人のほうがはるかに堅実でまっとうな職業だったからに決まっているでしょう」

「ド正論ありがとう。それなら別の仕事先も紹介するって言ったよね」

「別の仕事先って、あなたが別名義で投資している会社や商会にですか? 俺は経営している事業のほとんどに関わっていて今更でしょう。それに」


 そこまで言った彼は、呆れ混じりの冷めた目を向けてきた。


「忘れてませんか。俺の体質」

「……さっきの手当はそれを考慮した上での提案だったんですけど?」


 彼は実験の副作用で、最低でも月に1度は血液を摂取しないと体調を崩す。

 私がうらめしく半眼で見上げても、アルバートはちょっと眉を上げるだけだ。

 案の定露骨に話をそらしてきやがった。

 自分の体調に関わるんだからもっと、いたわれって思うんだけどなあ。


「まあそれは抜きにしても。俺はダンピールです。差別意識が残る中で、侯爵家の家令になんてなれる機会はありませんよ」

「現在進行形で泥船なんだけどねえ」

「すでに避難場所は用意されてるでしょう。手配したの俺ですよ」


 しみじみと呟いてやったのだが、アルバートは動じなかった。こんちくしょう。

 頼んだことは何でもできてしまうスーパー従者様め。この上から目線も大好きです!

 これじゃどっちが主かわからない。

 いや元々推しを推してるんだから立場は弱いのか?

 私が思考の迷宮に陥りかけていると、ふ、と眼前のアルバートがまじめな表情に戻る。

 この少し冷たい顔立ちが真剣に引き締まるのがほんと良い。

 10年前に画面で見ていた表情差分、リアルで初めて見たときには思わず泣いた。

 だって画面ごしにしか会えなかった人が目の前で生きてるんだぞ。感極まるに決まってるだろう!?


「エルディア様こそ、よろしいのですか。今まであなたさまがどれだけあの能なしどもの補助をしてきたのか。誰にも知られないんですよ」

「当たり前でしょ? 私は推しが幸せになってくれるんなら! それ以上のご褒美はないわ!」

「その推しのために数々の事業に出資して経済を回したあげく、国中の生活水準を引き上げた功労者が何を言ってるんです」

「それは結果的にだし。私が貢がないと推しからの供給がなくなるんだもん」


 今回はまじめに。

 だってさー! ゲームではあったはずの魔法がなかったり、技術が存在してなかったらビビらない!? シナリオ通り進めるためにも、研究所を中心に資金を突っ込んだよね。

 悪徳姫だってばれたらいけないから身代わりを立てたんだけど、そしたら謎の投資家の話が一人歩きしたのは大誤算だったけど。

 一般的なOLだった私に、物語の主人公のような内政や開発なんて出来るわけがない。

 あくまで私がやったのは、ユクレールで死蔵されていたお金を推しが必要としている分野にぶん投げただけだ。

 お金がいっぱい使えるって神かよって思ったし、それで間に合ってくれて本当によかった。


「……とりあえずこれからの話をしましょうか」


 私がしみじみしてると、アルバートに小さくため息をつかれて話しをそらされた。

 をい聞いてきたのはそっちだろうが。時々私に対する扱いが雑な気がするんだけど、まあいいか。


「まずはこれでユクレール家は爵位剥奪だわ。けれどエルディアはユクレールの屋敷から幽閉先への護送中忽然と消える。つまりこれからの数日が表舞台から消える絶好のチャンスなのよ」


 この後、エルディアは後味の悪さを残して失踪する。死んだとも現在敵と言われている魔族の仲間になったとも噂される事になるが、この後暫く本編には登場しないのだ。

 そう、穏便に歩むべきシナリオを変えずに、悪役である私が生き延びられるタイミングはここしかない。

 めでたく私は悪徳姫という役割から卒業出来るのである! ここまでよくぞ頑張った。私。


「要するに手はず通りってことで」

「かしこまりました。屋敷に着いたら最後の準備をいたします」


 あとちょっとで自由が手に入る、その感動に打ち震えていた私は、アルバートのいつも通り過ぎる了承に我に返る。


「えーとさ、普通に付いてくる気みたいだけど。いいの?」


 こうしてこれから起きる未来を共有するようになって、私は気持ちの上でも軽くなった。

 けれど、アルバートは本来勇者側の人間のはずだ。

 私はゲーム通りに進んでいれば、暗殺者という日陰の存在から、ようやく表舞台に立って、たくさんの人に感謝される立場になっていたと知っている。

 この断罪前にもそれとなく匂わせてみたのだが、アルバートはあんまりにも当然のごとく私との先の話をするものだから、少々戸惑っていた。

 私は推しが逆境に負けずに頑張る姿を愛しているが、それ以上にめいっぱい幸せになってほしい。

 これからの私はうまくすれば悪徳姫から解放されるとはいえ、表舞台には二度と上がることはない。


 いや、だって私一ファンだし。たまたま役なんてもらったから頑張ったけども、本来なら私は舞台に上がることすらおこがましい人間なわけで。

 彼のためにも説得すべきなんじゃないか。と言う気持ちはぬぐえないんですよ。


 そんな私の考えなど知らぬげに、アルバートは小首をかしげたかと思うと、とん、と私の頭の隣に手をついてきた。

 変形型のいわゆる壁ドンである。ぴゃってなった。

 そしてアルバートは心底不思議そうに小首までかしげている。


「おや? 俺のこの顔、見飽きましたか?」

「もちろん見飽きるはずがない顔の良さですがなにか!?」


 若干表情豊かなだけに滾ること滾ること!

 これ一生見ほれるんだろうなあってレベルで尊い。

 ……っは! 喰いぎみに肯定してしまった!


 我に返って慌てたが、アルバートは平然としたすまし顔で離れていた。


「あなたはのんきに『推し』とやらを愛でていれば良いのですよ」

「うっわひどいなこの従者。主ぞ、我主ぞ?」

「存じておりますよ……さあ、つきました。お手をどうぞ」

「……まって今かなりときめいてるからまって」

「あなたは本当に、ゲームの俺が好きですね」


 最後になにか呟かれた気がしたけど。

 傷なんて感じさせず、優雅に振る舞うアルバートは最高に滾るほど従者様なのだった。


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