Scene#30 老人

 カレーの入ったビニール袋を掲げ家に戻った老人は、遅くなった事を詫びながら玄関扉を開け、居間に入った。だが、返事がない。


「あのう、どこにいるですか」言いながら、部屋の中を見回して、嫌な予感がした。「人の気配」がないのだ。


 共に暮らし始めて既に二週間。彼の存在を知覚する能力を老人は身につけつつあった。今、あの人はこの部屋には居ない。老人はそう思った。確信があった。


 ちゃぶ台の上にビニール袋を置いて、両手で頬を激しくしごいた。既に息が荒くなり始めていた。感情の爆発を予感した。あの人は先に戻っているはずなのに。


 自分はカレー屋だけでなくコンピューターを見にスーパーにまで寄ったのだ、倉庫からここに真っ直ぐ向かったのなら、あの人の歩みがどれほど遅かろうとも、自分より遅い到着になるはずがない。そもそも街からこの家までは一本道だ。あの農道以外に道はない。つまり、自分より先に農道に入ってさえいれば、その道中で、必ず出会っているはずなのだ。


 そこまで考えて老人ははっとした。実際には、会っていたのかもしれない。


 あの人は農道に居たのかもしれない。身体が透明だから老人は気付くことができなかったのだ。あの人はカレーを持って農道を行く老人を道端から眺めていた。そうと気付かず鼻歌交じりに通り過ぎるのを、笑いを殺して見ていた。可能性の大小を考える前に、老人はその通りの様子を想像した。想像できた。老人の脳は、活発に機能していた。


 目を閉じると、イメージはさらに鮮明さを増した。あの人は農道の縁で息を殺し、かつ、老人を見て笑っていた。思いの外混じり物のない怒りが襲った。老人は、それを抑える理由を持たなかった。居間の中心で一人立ち尽くし、呻いた。震えが来て、歯ががちがちと鳴った。老人はそんな自分を恐ろしいと感じた。落ち着きが失われ、自分が理性を持たぬ怪物になってしまうのではないかという不安を覚えた。


 老人は安定を求めた。いつもの自分を求めた。何も起こらず、何も変わらない自分に戻りたい。


 憑物が落ちるように、すっと現実感が遠ざかった。農道の路肩で自分を笑うあの人のイメージ像が、怒りの感情と共に霧散した。透明な身体は、細かな空気の粒となって、広い田畑の青臭さの中に消えた。


 感情は、めまぐるしかった。何十年もの間、あるいは生まれてからずっと低電源状態でまともに使われていなかった脳が、ここに来て突然フルパワーの燃料を得て、あらゆる機能を駆使し始めたかのようだった。


 自分の制御下にないという意味で、その状態は怪物と変わるところがなかった。老人は怯えた。不安を感じ、怒りを覚え、根拠のない想像を巡らし、あるいはそれらの一気に消える様を、恐ろしいと思った。


 人間の脳のほとんどの部分は未解明である。九割以上が、何の為に存在するのか分からないのではなかったか。老人は自分の脳内で起こる激しい感情の明滅が、細胞や染色体に何らかの影響を与え、そのほんの小さな変更が、自分を大きく変えてしまうのではないかと怖くなった。


 自分は大きく変わってしまう。そう、例えば、透明人間などに。


 思考のレールはそこで分岐点に至った。老人は笑いをもよおした。馬鹿な。


 いや、疑いの心は徐々に育ってはいたのだ。あの日、あの人の奇妙な肌に触れて以降、その透明の容貌に老人は「疑い」を持った。透明の人間など、存在するものか。だからもちろん、自分が透明人間になるなどという事もあり得ない。今の老人にとっては自明のことだった。


 人が透明になるということは、工場の若社員が携帯電話で車を買うのとは訳が違う。仮に、身に付ければ姿の消えるジャケットなどが発明されていたとして、それをまる二週間、一度も脱がずに生活する事が可能であろうか。可能だとして、あの人はなぜ、そんな事をしなければならないのか。


 唇の端から、屁のような笑いが漏れた。実際に、漏れてしまった。老人はその乾いた空気の音に、思考の決壊するのを感じた。もう抑えられない。あの人への疑いを、抑えられない。透明人間など、存在するはずがないではないか。物が透明になるなど、大発明だ。本当にそんな技術が見つかったら、世の中は一瞬で、透明になるだろう。ありとあらゆる人間が、ありとあらゆる分野に活用し、全ては世の中から姿を消してしまうに違いない。馬鹿な自分にでもそれくらいは分かる。


 長くまともな機能を失っていたせいで、老人の思考はその先にある危機を察知できなかった。躊躇なく足を踏み出した。笑い声は漏れ続けた。老人は肩を揺らして笑い始めた。分岐点を過ぎた思考は、恐ろしさから笑いに変わった。笑いは加速し、老人の気付かない危険に、近づいた。


 老人は足元から目を逸らしていた。レールを見ないまま、走り続けていた。それは唐突に訪れた。衝撃はなく、静かに行われた。異変に気づいた時、既に老人は、それまで走ってきたレールを、前後ろに走り始めていた。さっき来た道を、戻っていた。透明人間が現実に存在しないのだとしたら、その透明人間と二週間に渡り同棲生活を過ごした自分もまた、「まとも」であるはずがないではないか。こうして老人の「疑い」は逆流し、自分自身の存在へとその攻撃対象を変えたのだ。


 あの人の存在を疑い、否定する事はそのまま、この二週間の生活を疑い、否定することであり、それはつまり、この二週間の「自分」を疑い、否定することに他ならない。あの人への疑念は、つまるところ、自分自身に向けられるべきものであったのだ。


 ふと誰かの気配を覚えて、天井を見上げた。誰の顔も、目もなかった。あるのは見慣れたベニヤ天井だけだ。だが老人は、違和感を覚えた。ずっと住んできた家だ、随所に浮かんだシミの形まで覚えているが、改めて眺めてみれば、何十年も住んだ家の天井という程の実感はない。実感。自分の生活の、人生の実感。


 老人は突然、寒気を覚えた。


 自分自身が「作り物」なのかもしれないという疑惑が、脈打っていた。


 六十九年。短い時間ではない。だが、思い出せるのは、水で描いたような淡い幼少時代の記憶が少しと、あとはもう、この繰り返しの日常だけだ。このボロ屋で目を覚まし、農道を通って工場に行き、農道を通ってまたここに戻ってくる。集会所で浴びる風呂や、食事を買うコンビニでのやりとり、あるいは時々の雨やら雪やら、季節の流れも、すべて誤差のようなものである。そんな人生が、それほどに実感のない人生があっていいものだろうか。


 自分は作り物なのだ。あの人ではない、自分のほうが、作り物だった。


 この舞台のセットのような人生が証拠である。正面は現実さながらであっても、裏側に回ればそのハリボテである事はすぐに知れる。自分の人生も同じだ。今、しかない。そこに付属されるのは必要最低限の記憶だ。見知らぬ子どもに食器用洗剤を薄めたシャボン液を渡そうとした。他は水彩画のように淡いのに、一部だけ妙にリアルなのはそれが作られた記憶だからだ。


 自分の人生は、舞台のセットだ。自分は舞台の登場人物として作られた。あるいは映画か、小説か…………また誰かに見られているような気がしたが、気にならなかった。むしろ老人は、安堵した。


 突然、空腹感を覚えた。


 ちゃぶ台の上のカレーが、まるで老人を諭すように、食欲をそそる匂いを鼻孔に送り込んでいる。老人は張り切った。確かな感覚が嬉しかった。自分は今、確かに腹が減っているのである。物語が、自分の空腹を期待し、必要としているのである。


 老人はそして、カレーを食べた。


 まだ温かいそれを口に運びながら、自分が既に、あの人の存在を全く疑っていないことに気付いた。当然のことである。あの人もまた、の一人なのだ。物語の中では、フィクションの中では、どんな可能性も否定されない。夢の世界と同じだ。透明人間の一人や二人、出てきて何の不思議もないではないか。


 そして老人は、あの人が「文章を書きたい」と言っていたことを改めて思い出した。帳面と鉛筆ではなく、コンピューターで書く。先ほどスーパーの家電売場で見たものは、一台八万円程度で売られていた。並んだ商品の中には、もっと高いものも安いものもあったが、いずれまとまった出費になる。


 同居人ができた事で食費は単純に二倍に増えており、消臭剤など日用品も買い揃えた事もあって、老人の頼りない貯金はこれまでにない速度で減っていた。水洗便所への改築の事なども考えると、自由に金を使える状況にはないのである。


 だが、何を気にすることがあるのだろう。全ては物語の中の出来事だ。


 あの人は「この生活」を書き記すのだと言った。透明人間としての生活を記録し、いつかそれを出版するつもりだと言った。論文ではなく物語、実際の出来事を下敷きにした小説として、それは書かれる。


 あの人は多分、自分の事も描いてくれるに違いない。そうなると、自分は物語の中で、さらに物語の登場人物として描かれることになるのだろうか。小説の登場人物として、何かしらの役割を与えられ、何をかを思考し、行う。架空の人物である自分が、演者となり、架空の小説の中で振る舞う。


 そもそも自分は「この物語」の中に配置された演者なのだが、それがさらに、「あの人の書く小説」の中で演じることになる。何だかややこしい。いまこれを考えている自分と、小説の中に書かれる自分……。そして老人はふと考えた。


 ここが既に、あの人の書いた小説の世界なのだとしたら?


 見られているのを感じた。象徴的な行動が求められていた。老人は小さく呻き、立ち上がると、彼の定位置である部屋の角に近づいて、その頬の辺りに手を伸ばした。


 だが、手は空を切り、あの皮膚とも衣服とも言えぬ独特の感触を得ることはなかった。そこにあの人は居なかった。老人はここで、あの人を恋しく思うのだ。


 老人は考えて、そこにあの人の身体がある事とし、両手で輪郭を、まるで小さな家を設計するようになぞっていった。頭、首、肩……そして胸、腹、腰、あぐらをかいた足。全身が完成すると、老人は先ほどの位置に戻り、部屋の角を眺め、満足気に頷いた。


 強烈な納得感があった。


 ちらりと天井を見上げそうになったが、抑えた。演者は観客を見てはならない。読者を意識した振る舞いは厳禁なのだ。老人は跳ねるように立ち上がると、台所に移動し、食器棚の一番下の段、奥に隠してあった給料袋から一万円札を九枚数えて抜き出すと、家を飛び出した。

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