Scene #17 私?

 移動は緩やかだ。


 老人向けのエスカレーターのように、それは苛立つほどのろのろと上る。


 光は、物語の視界であるスポットライトは、弱々しく、黒い壁を照らしている。


 トンネルに入った新幹線内、窓に映り込む自分の顔の向こう側で蠢く暗い壁のようなものだ。だが、この新幹線は下から上に進み、スピードは遅く、そして、その窓には――窓があれば、だが――誰の顔も映ってはいない。


 五秒に一度くらいの感覚で、さっき見た気のする傷が通り過ぎて行く。同じ場所をぐるぐると回っているような気がする。反復は眠気を誘う。変化のない視点に読者はむ。物語の全容は相変わらず知れず、そもそもこの一連の、ぶつぶつと千切れた文章の塊が、最終的に一つの物語に収斂するのかも分からない。


 あてどない移動。だが、自分は関与できない。


 語り手である「私」という視点を得、さらにその「私」自体がこの物語の一コンテンツだと知れた今、読者はライトの中からライトを見る、つまり、物語の中から物語を見るという奇妙な状態に置かれることになる。


 映画館をイメージする。


 映画館では、客席の照明は消されて暗い。暗闇の内から発光するスクリーンを傍観するのが普通である。だが今や、観客席自体がぼんやりとだが発光を始めたのだ。


 激しく発光するスクリーンと、ぼんやりと発光する観客席。見る側と見られる側の境界は曖昧に融け合い、やがて消滅するのではないか。


 誰が誰を見るのか、誰が誰を見ようとこの移動は行われるのか、読者は分からず途方に暮れる。あるいは自分はこれから、誰かのスポットライトとして、物語の中に引きずり出されるのかもしれない。


 その可能性を認識した時、上から下へと現れては消えていく黒い壁の中の傷が、それまでとは違った存在感を示し始める。


 過ぎていく傷のひとつひとつ、あれはまさか、こちらを覗く「読者の目」ではないのか?


 あの傷が、自分とは違う読者の目でないとなぜ言い切れる。


 あれは、過ぎていく傷は、「物語」を見つめる人間の目なのかもしれない。


 だとするなら物語は自分の方だ。


 傷の向こう側にある観客席から、発光するスクリーン、つまりこちら側を見ている。物語だと信じていたスクリーンが実は観客席で、自分のいる側が、実はスクリーンだった。


 そんな馬鹿げた話があるだろうか。電車のホーム、自分の乗る車両と隣り合って停車している電車が移動を開始した時、一瞬、自分の乗る車両が動き出したのだと錯覚する。それと同じことが今、この物語の中で、小説の中で、起きている?


 ちょっと待ってくれ。


 見ているのは、自分だ。自分のはずだ。観られる筋合いはない。自分は、読者は、物語の外側に居る。物語の登場人物から、読者の姿は見えない。そう、見えるはずがないのだ。

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