Scene #15 あなた

 喜びは個人的なものだ。だからこそ価値がある。


 二三週間に一度会って、セックスをする。あなたは彼の存在を喜んだ。全ては価値のバランスだ、という彼の話にも共感できるところがあった。


 彼の話は面白かった。


 どういう経緯で彼がそう思うようになったのか、あなたには分からない。だが、彼が相手からの好意をその肉体で確かめていること、彼に抱かれてもいい、彼を抱いてもいいという感情によって確認していることはよく分かった。彼自身も認めた。


 まずは楽しいお喋りで場を和ませて、美味しいお酒や料理をご馳走して、口説き文句を並べて、やっとホテルに向かう、普通の男はそうするんでしょう、僕にはそういうのよく分からない。最初からホテルでいい。満足するまでセックスして、僕を気に入れば、それからご飯とか食べに行ったり、お酒飲みに連れて行ってくれればいい。なんか、順番が逆なんだよね。


 彼には女を所有しようという考えが最初からないようだった。自分はあくまで「売り物」であり、女はそれを見定める「買い手」なのだ。彼はただ、自分を差し出した。高いディナーを奢る経済力も、女を気分よくさせるような話術もない、自分にあるのはこの容貌と肉体だけで、そこにしか価値がないというのが彼の主張だ。彼の言葉を借りれば、あのバーベーキューの日あなたを連れだして突然口吻をしたのは「試食してもらおうと思って」ということらしい。それを言う時、彼は笑わなかった。


 彼との関係を誰かに話そうとは思わなかった。無論、結婚を考える相手がいながら別の男と会っているという倫理的な問題もあったが、彼との関係の魅力がどこにあるか、誰に説明しても理解してもらえないと思っていたからだ。


 彼の考えは偏っていて、見方によっては歪んでいた。自分の価値を身体で確認する、セックスによって確認する、相手がそこに価値を認めれば、それに対して支払われる対価は迷いなく受け取る。世の中にはヒモと呼ばれる男が居て、女でも愛人とかお妾とかいうのはそういうものかもしれないが、彼の考えはそういう人間のそれに近いのかもしれない。ヒモは女に食わせてもらう代わりに、肉体で女を満足させる。だが、そういう意味で言うと彼からはもう少し切実で、かつ投げ遣りなものを感じた。


 僕に会う必要がなくなったらすぐに言ってね。彼はよくそう言った。


 そんなこと言わないよ、とあなたが何度言っても、彼は首を振った。そんなの意味がないじゃないか、価値を感じられない相手と会っていたって仕方がないだろ。この点について彼は頑なで、あなたの反論に、声を荒げる事すらあった。


 そういう時、彼は高校生の頃に付き合っていた恋人のことを話した。その女は知り合って間もない彼を呼び出し唇を奪った。狭い車の中で彼の身体を貪った。そしてある日突然、好きな人が出来たと告白したのだそうだ。相手は彼の知り合いで、彼とその女が関係していることを知っていた。女は悪びれずに言った。他の人とセックスしないで欲しいと思うなら、わたしが他の人とセックスしないでもいいと思えるような男になって、と。その女の言葉が、関係が、彼の独特の考えの源になっているのは明らかだった。


 いずれにせよ、あなたは彼に価値を見出した。彼は美しく、セックスの相性もよく、何より便利だった。本命の男に知れぬよう、彼からあなたに連絡することは禁じられていたが、あなたの側からは曜日や時間を気にせず彼に連絡することができ――あなたはアパレルの販売員で勤務時間も休日も不定期だった――会いたいと言えば彼はそれに従った。


 ホテル代はいつもあなたが支払った。居酒屋やバーでの飲食代はもちろん、コンビニで一本のミネラルウォーターを買う時も、彼は財布を取り出すことすらしなかった。あなたの支払う金は彼にとっては報酬であり、その金額は彼の価値を数値化したものだった。少なくとも彼にとって、あなたとの価値のバランスを取るのに金銭の交換作業は必要なかったのだ。だから、あなたと彼との間で現金の受け渡しは一度も行われていない。彼は決して金銭そのものを要求する事はなかった。そういう意味では一貫していた。

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