<<第二章 ~一気に急接近、お買いもの~ 22>>

 ――翌朝、少女は男の予言通りのことをしていた。

「わ、わたし・・・・昨夜はなんてことを・・・・・!!」

 枕に顔をうずめ、両足をバタバタさせて布団の上をごろごろしていた。・・・・もちろん服はきている。というよりも、男に着ろと言われたからだが・・・下着姿で見た少女の身体は、文句のつけようがないラインだった。これで顔の幼さが取れたら超絶な美人と言える。

「だから言ったろ?」

 男は自分で入れたコーヒー(もちろんブラック)を飲みながら、少女が落ち着くまで待っている。昨夜告げることができなかったことを、伝えるタイミングを探していた。

 少女は時々、ああ、どうして、そんなと、声を漏らしていた。

「あ~、このブラックの安定感・・・・たまんないな・・・・・しかも、今日は休日。奴隷解放宣言の日だ」

 一方、男は朝から至福の時間を過ごせていた。朝一番に広がる香り良い風味と、口内に広がる眠気を飛ばす苦味が、心身に活を与えてさわやかな気持ちにさせる。

「え・・・? ちょっと! どうして貴方ミルクを入れずに飲んでいるの?!」

「おいおい、そこに反応するか?」

「・・・昨夜から、ダメね。わたし・・・」

 布団を片付けてコタツへと入ってくると、そのままテーブルにうつぶせになる。

「いや、そこまで落ち込むことないだろ? 俺が勝手にしただけだし・・・」

「・・・役割を果たさないわたしに・・・価値なんてないわ」

「いや、だからそこまで深刻に考えるなって・・・・それに、昨夜のお前がすごくかわいくて、俺としては得もした」

「あれ・・は・・・その・・・・うれしくて・・・・つい舞い上がって・・・・・迷惑かけてごめんなさい」

「迷惑は・・・うん、理性が大変だった」

「・・・どうして怒らなかったの? わたしが不快なことをしていたのなら・・・・容赦なく言ってくれていいのに・・・・貴方にはその権利があるもの・・・・・」

「えっと、とりあえず勘違いしているぞ? いいか、まず俺は昨夜のお前に対して不快だなんて思っていはいない。そして、ここからが本題な。俺は男。お前は女。これでわかるな?」

「・・・なにが?」

「いや、だからだな・・・」

 言葉を濁しながらコーヒーを一口含む。

「オスの本能を刺激するなと言うことだ・・・ちくしょう、言っててなんか情けなくなってきた・・・・・」

「どうして?」

「はっ?」

「わたしのような女を・・・・そんな目でみる男性はいないもの」

「・・・お前まじで言ってんのか?」

「・・・どういうことなの?」

「普通の神経をしていたら、昨夜のお前を抱きたがらない男はいない」

「つまり、貴方はわたしのことを・・・」

「・・・・」

 黙ってコーヒーを一気に飲みきる。それが全てだった。

「あう・・・っ」

 一瞬にして少女の顔が赤くなる。そういう目で見られていると意識した瞬間、急に恥ずかしさが込み上げてくる。感情を抑えなくなると、こういうところで不便だった。とはいえ、少女にはもう感情を抑えようという気は一切なかった。今や、男が自分を受け入れてくれているという、心からの安心があるからだ。

「あ~、まあ、朝からそんな夜の話は置いといて・・・」

「なんで・・・昨夜そうしなかったの・・・・・?」

「・・・頼むからそっちの話題は勘弁してくれ」

「ごめんなさい・・・・でも、そんなこと言われたのも、思われたのも初めてだから・・・つい・・・・・」

「やれやれ・・・普通そんなこと聞かないぜ? それと、俺を気持ち悪いと思わないのか?」

「貴方を気持ち悪いなんて思うわけがない! それならむしろ、わたしがそうだもの・・・・それに、わたしをそうする権利くらいあなたにはあるわ」

「まあ、それだな」

「え?」

「そういった感情を無視した権利っていうのは好かない。それに俺は人間だ。本能のままに動く獣じゃない。誇りなんてものは特にないが、それが俺の誇りになるのかな?」

「・・・ごめんなさい。貴方を侮辱することをいってしまって・・・・」

「そこはいいさ。俺はそんな立派な人間じゃないからな」

「そんなことない、貴方はいい人よ!」

「・・・そうか、ありがとうな」

「ふぁ・・・っ?!」

 男が少女の頭に手を伸ばして撫でる。初めてされたその温もりに、少女は驚いてしまう。いままで、誰からも愛でられたことなどなかったからだ。

「悪い、いやだったか?」

「あ、大丈夫・・・驚いただけだから・・その、止めないで」

「あ、ああ」

「ふふっ・・・あったかいわ・・・・」

 目を細め、小動物のような愛くるしさを見せてくる。少し前までの、感情や表情が凍りついた少女はもうどこにもいなかった。溶けた凍土から若草が萌えるように、少女も男へと感情を咲かせていく。

 少女の上質な絹糸のような髪が手に馴染んでくる。撫でる側としても、ずっと触っていたくなる手触りだ。

「・・・・」

「・・・・」

「あ~、昨日言い忘れていたんだがな・・・・」

 無言で続く撫でまわしに男が声を上げた。

「・・・なぁに・・・・」

 目がとろ~んとして、今にも眠りに堕ちそうな少女が返事をする。

「今日は外にいかないか?」

「ふぇ・・・っ? お外で寝るの??」

「お前・・・なんで眠くなってるんだよ?」

「貴方の手が気持ち良くて・・・・落ちちゃいそうなの・・・・・」

「じゃあ止めるな」

「あうっ・・・・」

「そんな露骨に残念がるなよ・・・俺が悪いことしたみたいじゃないか」

「また・・・してくれる・・・・?」

 甘えるような声でそんなことを言われては、断れるわけがなかった。

「帰ってきたらしてやるよ。で、今から外にいくぞ」




 寒い外を歩き、電車に乗っての移動。色々とモノが集まる、近くで大きな場所へと出る。

「で、今回の目的なんだけどな・・・・お前の服を買おうと思っている」

「えっ?」

「なにせお前ときたら服は着た切り雀のようなものだしな」

「ちゃんと同じ服をもっているわよ?」

「それだとバリエーションがないだろ? だから適当に職場のやつに聞いてきたから、そこを回るぞ。金なら俺が出すから気にするな」

「え、ええっ」

 男が歩き出したので少女もついていく。

「せっかくかわいいんだから、服もそれに見合ったものを選ばないとな」

 ゆっくりと歩く、男の隣に並んで声をかける。

「・・・本当に、わたしってかわいいの?」

 話しながらも、向かいから来る人とぶつからないように注意して歩いていく。

「当たり前だろ? だから色々とかわいい服を着てもらいたいっていう下心もあるわけだ」

 こう言えば大人しく「貴方がそういうのなら」と、買ったものを着ると思った。それは外れてはいないのだが、今の少女には必ずしも当てはまっていなかった。

「わたしがそういう服を着たら・・・貴方は『うれしい』?」

「んっ? まあ、おまえの着飾る姿は見てみたいな」

「そうなの? ・・・・ふふっ! だったら、貴方が『うれしい』って思うような服を着るわ・・・・わたしだって、その・・・・貴方に・・・・いっぱい『うれしい』って・・・そう思ってもらいたい・・・もの・・・・・」

 着飾った自分を見てみたいと言われ、少女から嬉しさが滲み出てくる。

 さらに、ほほを染めながらそんなことを言われると、男も若干気恥ずかしくなってくる。

「なあ、お前ってそういう性格だったのか・・・?」

「そんなのわたしにはわからないわ。今はただ――」

 少しの間をとり、はにかみながら続きを伝える。

「――――貴方の・・・・かわいい女でいたい・・・の」

 照れながらも、男をまっすぐに見て微笑む少女にしばし言葉を失う。

「・・・もう十分かわいい女だよ。お前は」

 ぽんぽんと頭をたたくと、少女は嬉しさを隠さずに目を細めていく。

「じゃあ、もっと・・・かわいい女に・・・なるわ」

「お前・・・昨日から拍車をかけてヤバいくらいにかわいくなってるな」

「・・・貴方がそうさせるのよ?」

 笑みを絶やさない少女への愛おしさが、いやでも積もっていく。

 そんな甘い空間を壊すかのように、固まった人の群れがこちらにやってきた。

「あ・・・っ!」

 決して大きくない少女が人波にさらわれそうになる、その寸前。

「・・・間に合ったか。よかった」

 男が少女の手を掴まえていた。そしてそのまま引き寄せる。

「ったく、歩行者は右側通行だろうが!」

 周囲を見ながら男が毒づく中、少女は黙って握られた手を見ていた。その手の存在から、昔を思い出すような懐かしい感覚が呼び出される。

「だい――」

 少女の様子を確認しようとして、かけた言葉が途中で消える。

 幸せという感情が漏れ出ているような、破顔したその表情を前に、なにも言えなくなってしまった。

「・・・ねえ、このまま・・繋いだままで・・・いてくれる?」

「そんな顔を見せられて、断われるわけないだろ?」

「そうなの・・・? わたしにはわからないわ。わたしに分かるのは、貴方がこの手をつかんでくれたことが・・・・『うれしい』ってことだけよ」

「・・・いくぞ」

 これ以上少女を見ていると、男の中で何かが壊れそうだった。それを避けるように、視線を前へと向けて少女を引きずらないようにして歩く。

「んっ・・・」

 離さないようにと握ってくれた手を、少女も握り返す。

 冷たい世界の中、確かに存在する温もりを感じながら、二人で目的の場所へとたどり着く。




 目的地へ着くと、そこはもうあれだった。

 女性のモノを買いに行くということは、つまりそこに男という存在は―――

(俺くらいだよな・・・)

 幸い下着売り場ではないので、まだ居心地の悪さはましである。

(肩身が狭いぜ・・・)

 周囲の女性客の視線が気になってしまう。特になにも感じなくても、見えない何かが息さえもしづらくする。

 少女は今店員に頼んで、彼女にあった服を選んでもらっているところだ。

(外で待てたらよかったんだけどな・・・・)

 そういった時の少女の悲しげな表情を思い出す。

(あの娘は反則だな・・・昨日の朝の件まではとんでもなく固い娘だったのに、一旦ほぐれると一気に気を許し始めた。ツンデレも真っ青だ。まあ、嬉しいがな)

 淡々として業務的でつれない、感情を押し殺した少女。

感情をさらけ出した―――そして自惚れていなければ―――恋する乙女を具現化したような少女。その差がとんでもなく激しい。

(だが、それだけ辛い場所で・・・救われない世界に生きてきたってことなんだよな・・・・なんで、あの娘がああまでなっちまったんだ? なんで、あの娘の心が受け入れられる世界じゃないんだよっ?!)

 感情移入をした対象が救われないことに怒りを覚える・・・男の悪い癖である。どうしようもないということは分かっている。しかし、分かっていても憤ってしまう。世界の理不尽さと、それに対して何もできない己の不甲斐なさを呪う。

(お、とりあえず試着に入ったか・・・まあ、何着ても似合うのは目に浮かぶがな)

 試着室の前まで移動すると、店員が声をかけてきた。

「すごくかわいくて、日本語がお上手な娘さんですね! 知り合いの娘ですか? 歳は何歳はなれていらっしゃるんですか?」

(普通そう思うわな・・・あの娘は見た目で言えば日本人の高校生くらいで、おれは若く見えても三十前だからな・・・・)

「いや、彼女です」

「・・・・・」

(店員やっていくつもりなら、今後はそこで固まるなよ?)

 仕方なく助け舟をだす。少女が着替え終わった時に、怪しい目で見られるのが嫌だったから、仕方なくだ。

「海外じゃ、これくらいの年齢差は普通にあるみたいですよ? それに、日本人は若く見えるので、彼女から見て、外見の比較ではそんなにかけ離れた歳じゃないみたいです」

「そ、そうでしたか・・・・失礼いたしました」

 上品に頭をさげる。歳の割にはできた動作だった。

 店員は一応の納得はできていても、歳の差的にはどうなのよ? そういった雰囲気をかもしだしていた。だから男は言葉を続ける。

「それと・・・・驚くと思いますが彼女はもう大人で、俺とそう大差ない年齢ですよ?」

「・・・・・・」

(うん、この気持ちはよくわかる。この店員はあの娘より若い。なのに外見で見られると、どうみてもあの娘が若くなってしまう・・・・外見と年齢の不一致さという、不平等だな)

「あの・・・着替えたけど、どうすればいい・・の?」

「カーテンを開けたらいいんだよ。それとも開けようか?」

「あ・・・あけるから、少しまってて・・・・・!」

 男がすぐ前にいるということに戸惑いを隠せずにいる。

 やがて決心したようにカーテンが開かれる。

「ど、どう・・・かしら・・・・・?」

 飾り気のない簡素な黒のワンピース―――そんな普段着とは真逆の、フリルを重ねた純白のティアードワンピースに身を包んだ少女が現れる。

 その長いスカート丈と袖口は肌を覆い隠して清楚さをアピールする。また、それらに重ねられた、着る人を選ぶフリルの華やかさ。それを少女は難なく着こなす。むしろ、それすらも少女の持つ可憐さを引き立てるわき役にしかすぎなかった。純白なそれが少女の白い肌、白くて長い髪に金色の瞳と相まって、どこかの美術画から抜け出てきたかのようで、目の前に異次元の世界が降臨していた。

「・・・・・」

 男は心すら超えて、魂まで奪われてしまう。思考だけでなく、呼吸すらも自然と停止してしまった。

言葉が出ない男に代わって、店員が答える。

「とても似合っておりますよ」

「・・・そう? ありがとう」

 いつものような感情のない淡々とした口調も、今の異次元的な魅力をもつ少女であれば何の気にも障らなかった。逆に、人間離れしているからこそ、それが映えるのであった。

「その・・・あなたは・・どうなの?」

 そんな少女も、男には色づく声音で訪ねてくる。

「あ・・・・悪い。あんまりにもかわいすぎて見惚れていた」

「前よりも・・・もっとかわいい・・・・?」

「かわいすぎてやばいくらいだ」

「『かわいすぎる』。うん・・・・この服にする。じゃあ、早く・・・帰りましょ?」

 男の返事に満足したのか少女が購入を決意する。

「いや・・・他のはいいのか?」

「いらない・・・・一つあれば十分。それに・・・初めのこの服以上に・・・貴方がかわいいと思ってくれるものはないわ・・・・初めての感情を上回るものはないもの・・・・」

 予想もできないくらいのかわいらしさを、初めに少女はたたき出した。だが、それは二回目以降からは最初の物差しができてしまい、どうしても0からの感情で服を着た少女を見ることができなくなってしまうことを意味する。そうすれば、初めて以上の感情が出てくることはない。

そもそも、少女にとって重要なのは服の数ではなかったし、興味事態もなかった。

「わたしは・・・・貴方が一番かわいいと思う姿をしたいの・・・・・だから・・・一つだけでいいの」

「・・・わかった。俺もこれ以上かわいいお前を想像するのは難しいしな・・・・じゃあ、着替えて会計するぞ」

「ええ・・・分かったわ」

 カーテンが閉じられ、着替えるところから離れていく。美少女の生着替えを聞かされては、色々と煩悩が大変だからだ。

(もうちょっと自制には自信があったんだが・・・・あいつがかわいすぎて本気でやばい)

「あの、お客様・・・・」

 二人の甘ったるい会話を聞かされて、辟易していた店員が声をかけてくる。

「ん?」

「あちらの服はお値段が少々張るのですがよろしいでしょうか?」

 金額を見せられる。それは思った以上に高い値段だが、今の男からしたら、どうでもいいことだった。

「これくらいの値が張るっていうことは、かなり上等なものだな」

「それもそうですが、なにぶん複雑な工程を経ているようでして・・・・」

「長持ちするか?」

「そこはご安心ください」

「だったらいい。あいつのかわいさに代えられるものはない。カード、一括で頼む」

「・・・・わかりました。では―――」

 さらりと惚気られて店員がしばし閉口するも、少女が着替えている間に会計の手続きを行う。

 着替え終わった少女に、梱包されて紙袋にいれられた服が手渡されると、素早く店から出て歩き出す。もちろん手はつないだ状態で、歩きながら会話をしていく。

「さてと、次の物を買いに行くぞ」

「どうして?」

 握り合っているため、片手で荷物を抱くようにして少女は歩いていた。

 男が持とうとしても、買ってくれたものは自分で持っていたいとの少女の願いだった。

「お前の寝間着が必要なんだよ・・・・」

「・・・別にいらないわよ? それより、早く帰って・・・・また頭を撫でて欲しいわ」

「頼むから買ってくれ。俺の理性を助けると思って、寝間着を着てくれ」

 苦悩する男を見て、少女が今朝の言葉を思い出す。

「・・・わたしが『抱いて』と言えば・・・・貴方としては問題ない?」

「んなっ?!」

「両者合意の上であれば、貴方としてもいいのよね?」

「おいおい、そんな安売りをするなよ」

「・・・そんなんじゃないわよ? 貴方に抱かれるのならわたしは構わないし、それにわたし達『恋人』でしょ? だったら、そういうのも普通じゃないの・・・・?」

「お前な~。今朝は恥ずかしがっていたくせに、今は何を淡々と言って―――」

 隣で歩く少女と目を合わせる。その顔は真っ赤に染まっており、その熱は耳にまで達していた。

「・・・・ばかっ」

 男に顔をみられ、俯くことでその視線から逃げる。かける言葉がなかった。

「・・・・」

「・・・・」

 互いに黙り込み、気まずい雰囲気になってしまう。だが、幸いにもそんな空気を変える出来事が二人に起こる。

 すぐ近くで、少し重たげな音を立てて収縮する何か。それも一回ではなく何度かにわけて行われ、聞くものの同情を誘う音が立つ。

「・・・ふふっ!」

 思わず少女が笑いだす。子供を優しく見守る母親のような笑みを浮かべて男をみる。

「貴方のお腹・・・かわいそうなくらいに鳴ったわね・・・・・」

 くすくすと、さっきまでの空気はどこへやら。普段ぶっきらぼうで近寄りがたいけど優しい男の、どこか哀愁を誘う生理行動に、少女は言葉にできない気持ちを抱く。

「・・・まあ、ちょうどショッピグモールに行くわけだったし、そこで先に昼飯でも食うか」

「ええっ、そうね」

「人が増えるから、ちゃんとついてこいよ?」

「・・・大丈夫。だって、貴方が掴まえてくれているから・・・・」

 男を信頼しきった少女が、強くその手を握る。すぐに男からも握り返す感覚に、少女の笑みがこぼれる。そうして強く繋がった二人は歩を進めていくのであった。




「そういえば・・・」

「・・・なに?」

「次は何の作品読んでるんだ?」

 注文を頼んだ後は時間をつぶす必要がある。そのため、男は昨夜に続いて同系列の話題を上げる。

「・・・主と巫女が出てくる話よ」

「ああ『Blessing』か・・・どこまで読んだ?」

「主人公がカミアガリの儀式を受けている所よ」

「だったらもうすぐ終わるな。あれの最後は衝撃的な展開だから、多分お前も驚くんじゃないか?」

「そうなの・・・? 貴方がそこまでいうのなら、期待しちゃうわね・・・・」

 テーブル席に向かい合って座っている、少女の顔が穏やかに綻ぶ。男が感じたものを、ひょっとしたら自分も同じように感じられることを夢見ていた。

「その・・あの・・・ね?」

「ん?」

「あの本たちは・・・どういう順番で読んでいったほうがいいの・・・・・?」

「ん~、自分の好きな順番でいいと思うが・・・俺だったら、作者の書いていった系列順の作品から読んでいくな。あれだと『Fragment』、『創破神世』、『あの日の約束』、『創破新世』、『創破真世』、『お薬大戦バクテリア』、『Blessingシリーズ』、『QOL』、『短編集』かな?」

「そう・・・なの? わたし・・・いきなり飛んでしまったのね・・・・」

 どことなくしょげてしまう少女に男が不思議がる。

「別に気にする必要ないだろ? 自分の好きに読めばいいんだよ」

「だって、わたしは・・・・貴方のことが知りたくて・・・・・それで・・・」

 俯きながらつぶやいた、周囲の喧騒で消え入りそうな声がかろうじて耳に届く。

 もじもじとしながらも言葉を繋げる。

「貴方が思ったこと・・・・感じたことを・・少しでも・・・知りたい・・から・・・・・だから、あの・・・・・・できれば、同じ順番で読んだ方がって・・・いいことに今きづいて・・・・でも、ちがちゃってて・・・・それで・・・・ぁぅ・・っ」

 恥ずかしそうに、上目遣いでそんなことを言ってくる。最後は少女自身、言っていてよく分からなくなったようで、困ったように言葉が途切れる。

「あー、その・・・なんだ。一つ言うぞ? お前かわいすぎだろ」

「い、今・・どうして、そんなこと言うの??? 今は、わたしが貴方のことを理解したいって、ずっとそう思っていたという話しで・・・・」

 思わず顔を上げ、相手を見ながら感情的に正直な気持ちを伝える・・・・伝えてしまった。そう言って、胸中を吐露してしまったことに気付く。ここまで言ってしまって、自分がずっと何を考えていたのか、頭の中を何で埋めていたのかを、男に知られてしまったと悟ると同時に、自身も自覚してしまう。

「~~~~っ!」

 顔がすぐに熱を帯びて、思考は白く染まる。俯くことも、逸らすこともできず、男の顔を、熱に浮かされたかのように見ているだけだった。

「ずっとって・・・表情を殺していた時からか?」

 優しく、穏やかに、少女が持った感情に寄り添うように問いかける。

「わたしにも・・・わからないわ・・・・・」

 男の視線に絡め捕られたかのように、顔も目も動かすことができない。

 顔を逸らしたい。こんな恥ずかしい顔を見られたくないから。

 でも逸らしたくない。彼の優しげな顔を見ていたいから。

 そんな相反する感情の中、唯一自由に動く唇だけが、今この瞬間自覚した想いを伝える。

「・・・でも、きっと・・・・・そうなんだと・・・・・思う・・・・・初めて貴方と会った時から・・・・ずっとわたしは・・・・・・貴方のことを・・・・・・っ!」

 身体が小さく震える。

 瞳も熱くぬれてくる。

 感情が極まって、言葉が出なくなる。

 それでも、男をみることだけは止めない。

 金色に輝く瞳を熱く潤ませ、精一杯の微笑みを向ける。

「ありがとう。それだけ思われて、俺は幸せ者だ」

 そっと少女の頭に触れて、労わるように撫でていく。

 撫でながら男は思う。

 こんな場所でなければ、少女を抱きしめていた・・・・抱きしめていたかった。

「んっ?」

 不意に頭を撫でていた少女が席を立つ。周囲の状況を見て恥ずかしいからかと思ったが、どうも違うようでこちらの席へとやってくる。

「おい・・・どうし・・たっ?!」

 少女が人目もはばからず抱きついてきた。驚く男の声が聞こえた、近くの人の視線が二人に集まる。

 そんな状況をしり目に、少女は男の首に腕を絡みつかせ、身体を密着させる。そのまま耳元へと顔を寄せ、魔性の言葉を囁いてくる。

「・・・抱きしめて、いいのよ? ううん・・・おねがい、抱きしめて」

 男の心を読んだかのように、ぞっとするほど妖艶な声で誘ってくる。いままで聞いたことがない、熱のこもった声音だった。

「いや、お前何を言って―――」

 幼い顔つきに油断していたが、隙間なく密着してくる少女のやわらかさは、間違いなく女のそれだった。

 場違いで雰囲気もあったものでないからこそ、男は未だ理性を保っていた。が、それもいつまで持つかというところだ。

「・・・だめぇ?」

 甘えてくる声に頭がおかしくなってくる。

 耳元にかかる息が熱い。

 いますぐここを出て―――

「あの・・・お客様?」

「は、はいっ?」

「その・・・お料理をお持ちしたのですが・・・・よろしいでしょうか?」

「ああ、すいません・・・買ってあげた服がとても嬉しかったのか、どうも抱きついてまでお礼を言ってきてしまいましてね・・・・ここは日本なのだから、あれほど外では抱きつかないようにと言っておいたのですが・・・・ほら、離れなさい。食事の時間ですよ?」

 間一髪のところで、二人だけの世界が壊される。

 男は清々しいまでの好青年を演じ、あくまでも親しい外国の娘がじゃれついてきたかのように振る舞った。

 幸いにも、少女が言った通りすぐに離れて席に戻ったので、周囲も外国のスキンシップなのだと思い込んでくれた。

 料理をテーブルへとおいて、ウエイターは礼儀正しく去って行った。

「じゃあ、食べるか」

「・・・・・うんっ」

 運ばれた料理を前に、二人は今までのような会話をすることなく、ただ作業のようにもくもくと食べていった。少女が見るからに沈んだ顔つきをしていて、食事中ということもあって男は話しかけることができなかった。だからか、この日の昼食は味気のないものとなってしまった。まるで一人で生きていた時に、ただ生命活動を維持していくだけの、惰性で摂っていた頃のようだった。




「ありがとうございました!」

 店を出て歩き出す。手を繋ごうとしても少女は両腕で荷物を抱きしめるようにしており、握りしめることができなかった。そんな状況が続く中、少女が申し訳なさそうに口を開く。

「ごめんなさい・・・また浮かれてしまったわ」

「・・・まあ、いいって。そうやって感情を出すことはお前には必要だしな。ただ、もう少し周囲の目を見るようにしてくれればいい。それより、早く寝間着買いに行くぞ?」

 少女が話しかけてくれたことに男は安心する。だからいつものように振る舞って、明るい声を出す。

「その前に一つおねがいがあるの」

 懇願するような声に男の足は止まる。

「んっ? 改まってなんだ?」

「・・・・わたしを妹や知り合いの娘のように扱わないで。わたしは・・・貴方の『恋人』としてありたいの。だからおねがい。・・・二度とさっきのような扱いはしないで・・・・・。迷惑をかけた上で図々しいのはわかっているわ。・・・・でも・・すごく・・・・すごく悲しかったの・・・・」

 切なさあふれる感情を前に、男は自分の落ち度を後悔した。確かにあの場合はああいった方が場を治めやすかった。だが、決して『恋人』のじゃれあいということにしても別におかしくもない。なにせ少女は見た通りの外国人であり、そういった愛情表現ということにしても何ら問題はなかったのだ。

 一見上手くいったようにみえても、実はそれは最高の手ではなく、次善の手にしか過ぎなかった。男はいつも自分と相手にとって、肝腎なところでそういった失敗をしてしまう。現に、目の前にいる少女を男は苦しめてしまった。自分がうまく逃げることしか考えておらず、少女の心を無視していたからだ。なのに、少女は自分に謝り『恋人』でいたいと言ってくれた。こんな・・・自分勝手な男のだ。

「ごめんな・・・・お前を苦しめるつもりなんてなかった」

「わたしこそ・・・ごめんなさい・・・・貴方がそういう人じゃないとわかっているのに・・・・・勝手に傷ついて・・・・・また貴方を困らせてしまっている・・・・本当に・・ごめんなさい・・・・」

 今にも泣き出しそうな姿を見せられ、男は周囲の状況など構わず少女を抱きしめる。いまさらだと自覚していながらも、抱きしめるしかなかった

「えっ?! あの・・・貴方・・・・?!」

 人の通行が多いモール内で、目立つ行為を嫌う男がした行動に、少女が恥ずかしがる間もなく驚く。思わず見上げてみれば、男の後悔した顔が少女を見下ろしていた。

「すまん。悪かった・・・・ごめん・・・な」

 心の底から悔やむ声に少女の胸が痛くなる。

「そんな・・・貴方は何もわるく・・・・」

「いいや、できることをやれなかった俺が悪い・・・・だから、お前は何も悪くない。俺がもう少しうまく対処していれば・・・お前が傷つかなくてすんだんだ」

「貴方・・・・」

 この言葉に少女は悟った。この男は相手が傷ついてしまった時、自分にかすかでも落ち度があると感じたならば、それを全て自分の責にするのだと・・・そんな、不器用な生き方をして苦しんで、傷ついてしまう人間なのだと。それは見方を変えれば、優しい心を持っているといえるだろう。


 優しいから傷つく。

 優しいから気にしてくれる。

 優しいから背負おうとしてくれる。

 優しいから守ろうとしてくれる。

 優しいから寄り添ってくれる。

 優しいから受け入れてくれる。

 優しいから理解してくれる。

 優しいから慰めてくれる。

 優しいから『      』


 少女は抱えていた袋を床に落とし、腕を自由にする。

(彼が苦しんでいるのに、こんなものを持っている場合じゃないわ・・・)

 そこには酷く冷静に考えている少女がいた。

(わたしが彼に甘えすぎたせいでこんな顔をさせてしまった・・・・)

 自由にした腕をそっと・・・・・男の背中に伸ばして強く抱き返す。自分という存在を強く認識させるために。少しの間、男の胸に顔をうずめて考える。

 こういった時、自分はどうしたかったのか。かつて、自分は何をしたかったのか。そもそも、どうして自分は『今』彼の側に居るのか。それを少しでも示したかった・・・・示せないといけなかった。

(ごめんなさい・・・何度そう言っても、貴方がくれた優しさにはとどかない・・・・甘えるばかりで、何も気づいてあげられなかったわたしだけど・・・・)

 自分がすべきことを見つけ、抱きしめていた腕を解き、上へと持ち上げてそっと・・・・優しく両手で男の頬に触れる。

(貴方の心を・・・少しでも軽くしてあげたい・・・・!)

 優しく・・・限りなく優しく口を動かしていく。

「ありがとう・・・・こんなわたしを・・・これほどまで『想ってくれている』のは・・・貴方、だけよ・・・・」

 男は少女の言葉と表情に驚く。

 今の少女は慈愛に満ちたまなざしと、全てを許した笑顔を浮かべていた。

 そのまなざしは聖母。その笑顔は女神。

 普段は見られない、自分を抱きしめている男のあっけにとられている顔を、少女は妙に愛おしく感じていた。

 瞳に映る自分の姿を見て、ふと先ほど男に言われた言葉が急に蘇る。



『ありがとう。それだけ思われて、俺は――者だ』



(ああ・・・そっか・・・・わたし・・・・・・『幸せ』で・・・・・だから、こんな顔をしているのね・・・・)

 胸の中からあふれ出てくる想いがあった。

 これまでの少女では絶対に、持つことができなかった『感情』。

 一人では、決して気づくことができない『想い』。

 だけど、今は違った。

 『今』は違う。

 少女は独りではなかった。

 共に寄り添ってくれる存在がいる。

 『想ってくれている』。

 だから思いだせた。



 『うれしい』



 だから気づけた。



 『幸せ』



 だから抱くことができた。



 抱いたそれは抑えきれないほど強くて、抑えきれるものでもなかった。

 とまらない想いに突き動かされる。

 少女が踵を浮かせて指先で立つようにしていき、背を伸ばしていく。

 男の顔が近くなってきて、やがてすぐそこまで来ると瞳を閉じ――――

「ん・・・っ」

 男と重なりあった。

 時間にすれば数秒にも満たない触れあいだったため、男が状況を把握する前に少女は離れたことになる。それでも、少女は指先で触れた場所に、確かな感触が残っていることを自覚した。自覚すると、はにかみながら微笑み、抱いたこの想いを男へと告げる。

「愛してるわ・・・・だいすき・・よ」

 まっすぐに男を見つめて、混じり気のない想いを伝えた。

「だから・・・貴方だけが苦しまないで・・・・? もしも、貴方が悪かったとしても・・・・それは半分だけ・・・・・・残りの半分は・・・・・・わたしが悪いの・・・・」

「おま・・え・・・」

「一人じゃなくて、二人で背負いましょう・・・? だって、わたし達『恋人』なんだから」

「・・・・ありが・・・とうな」

「・・・わからないわ。それはわたしが貴方に言う言葉よ・・・?」

「・・・・いい女だな、お前・・・・・」

「わたしは、貴方のかわいい女でいたいわ」

「・・・ああ、お前は・・・かわいくていい女だ」

「ふふっ・・・・うれしいっ!」

 手を降して再び男へと抱きつく。男も強く抱き返してくる。

「・・・いいの? 今、わたし達すごく恥ずかしいことしているわよ?」

「そうだな・・・・でも、もう少しだけいいか? 今は・・・おまえをこうして抱きしめていたいんだ・・・・・・」

「ええっ・・・うれしいわ・・・・!」

 周囲を気にすることなく、満足するまで二人は抱き合って、互いの存在を確かめ合う。

 そんな抱擁もいつかは終わり、どちらからともなく二人は離れる。離れて互いに見合う。

 少女は変わることのない目つきと笑みで、愛しい存在を見ていた。

 男はそんな少女の表情に惚(ほう)け、魅入っていた。

「・・・行きましょう?」

「・・・・どこにだ?」

 男の、心ここに在らずといった返事に、少女がこらえきれずに声を潜めて笑う。

「もう・・・わたしの寝間着を買いに行くんでしょう?」

「ああ・・・・そういやそうだったな。悪い、おまえにすっかり見惚れていた」

「貴方が必要ないと思っているのなら、わたしはそれでも構わないのよ?」

 少しだけ意地悪な言い方をする。男が未だ、はっきりとした顔をせずに少女を見ているからだ。

 男は今の少女が下着姿になって、もしものことを想像してしまい・・・・どこかに飛んだ意識が流石に戻ってきてくれた。

「勘弁してくれ・・・・」

「だったら、早く行きましょう? わたし、早く帰って貴方と二人っきりになりたいの・・・・」

 落とした荷物を拾い上げ、男へ満ち溢れた想いを口にする

「あ、ああ・・・そうだな。とりあえず行くか」

 少女からの想いに押されていた男は、一連の行為と最後の言葉について深く考えることはせず、今は目先のことをこなすことに集中する。

「え~っと・・・・店の名前は・・・っと」

 男が行先の店名を確認するためにメモを出して口に出す。

 周囲を見渡していた少女はそれが聞こえた瞬間、思わず声を上げた。

「ここよ・・・」

「はっ?」

「そのお店・・・・目の前にあるここみたいよ?」

 言われて視線を上に向けて店名を確認する。メモにかかれている店と完全に一致していた。

 視線を降ろせば店内が見えて、さらにその奥に見えるレジには女性店員がいて、とどめにこちらをばっちりと見ていた。その店員が、さわやかで気持ちが良い笑顔を浮かべてこちらを見てくる。

「・・・ねえ、帰りましょう? 寝間着なんていらないから、早く帰りましょう? わたしは貴方がいればそんなのいらないわよ? 貴方に抱いてもらえば暖かいもの。だから抱いて寝ましょう? そうしましょう? ね? わたし、暖かいわよ? わたしじゃダメ?」

 全身赤くなるような熱を持った少女が、一刻も早く逃げたがっていた。男の手を掴んで引っ張ってくる。酷い混乱状態で、言っている内容は滅茶苦茶だった。

「いや、だが・・・・寝間着姿のお前も見てみたいんだがな・・・・・」

 卑怯だと思っていても言ってしまった。自分の要求したことに対して拒否することができない少女の想いを利用する。けれど、少女の寝間着姿を見たいのは真実であり、男の感情としても事実である。

「家だけで見れる・・・お前の寝間着姿が見れなくなるのは残念だな・・・・絶対にかわいいのに・・・・・」

「・・・・そんなにみたいの・・・・?」

 初めて聞く、男からの我が儘という願いに、少女が反応する。それは嬉しさと恥じらいの混ざった反応だった。

「当たり前だろ? かわいい女の子にかわいい服を着てもらうのは男の夢のようなもんだ。だから買って着てほしいんだが・・・・ダメか?」

 嘘偽りのない言葉。だがしかし、胸が痛い。文字通り、いたいけな少女の心を弄んでいる自覚があるからだ。

「・・・ダメ・・・・じゃない・・・・・だって・・・貴方の・・・・かわいい・・・・女で・・・・いたいもの・・・・・・」

 健気にも少女は男の望み通りにする。

「・・・ありがとう。じゃあ、行くか」

「・・・・う・・ん・・・」

 そうして、手を引かれて少女は店へと入ることになった。




 店に入ると事の顛末を見ていた店員が出迎えてくれた。

「いらっしゃい」

「すみませんが、彼女に似合う寝間着を一緒に探してくれませんか? なにぶん、お互いこういうのが苦手なもので」

「ああ構わないよ。でも、アタシが決めちゃっていいのかい? かわいい彼女さんの服を決めたくはないのかい?」

「それはもちろんそうですが・・・・」

「・・・・ああ、なるほど。それはつまりあれだね・・・・自分の趣味丸出しの服を着せると夜になったら大変ってやつだ。こんなにかわいい彼女のそんな姿をみたら、もう抑えられなくなるだろうね」

「よくもまあ、初対面なのに馴れ馴れしくそんなことをいいますね・・・・」

「店の前で突然ラブシーンを始められたこっちの身にもなって欲しいね」

「・・・・・・っ!!」

「あらまあ・・・さっきはあんなに積極的だった彼女さんだったのに、思いだして恥ずかしいのかな? 初々しくていいわね~。というより、よく入ってきたわね。その勇気というか、誰かにラブラブしてるところを見せつけずにはいられない意志には敬意を表するわ。ぶっちゃけ、むかつくけど」

「貴女は一体なんなんですか・・・・」

「紹介で来たなら聞いてるだろ? あたしのこの感じについてこれないなら、ほかの所にいけばいいと思うよ? あと、あんたも似合わない言葉づかいなんかしてないで、普通にしなさいな」

「・・・やれやれ、変わった人とは聞いていたが、それでよく客商売ができているな」

「趣味でやってるようなもんだし、嫌な相手には売らない主義なんでね。そんな奴に着られる服が可哀想で仕方がない」

「じゃあ、彼女は問題ないんだな」

 さきほどから恥ずかしさに染まって、男の背中に隠れている小動物のような少女を目でさす。

「そりゃそうよ。かわいいは正義よ? かわいい娘がかわいい服を着ないのは両者に対する冒涜もいいもんってところよ」

「そうか・・・・じゃあ、かわいい俺の彼女に見合ったかわいい寝間着を頼む」

 ほら出てこいよと、男が声をかけるとためらいながらも少女が出てきて姿を見せる。

「あらあら~、なあにこの超々弩級レベルの美少女は~っ! やばいやばいっ! かわいすぎてやばいってこの娘! なにこのアニメのようなかわいさは! 異次元的すぎるでしょ?!」

 改めて間近に少女をみた女店員が興奮してまくしたてる。

 軽口をたたきながらも、少女へ向ける視線は真剣そのものだった。

「あんたどうやってこんな美少女ゲットしたのよ?! なにか悪い手使ってない? 犯罪に手、染めてない? なんか上手く騙してない? なんであんた程度の男にこんな娘が手に入るのよ?」

「まあ、俺にはもったいなさすぎる彼女だという自覚はあるが、別に悪いことはしてないぞ?」

 女店員の言葉に男はさして気も悪くせずに答える。今は興奮して思い浮かんだままを話しているだけだから、細かいところは気にする余裕がないのだと分かりきっている。

 けれど、そんな中一人だけ納得できない者もいた。

「・・・・彼はそんなことしない」

 黙っていた少女が男に対する言葉に、機嫌が悪そうに反論する。

「なにより・・・・彼を・・悪く言わないで・・・・・っ!」

「あ・・・ごめんごめんっ! 悪くいうつもりはなくて、ただつい信じられなくてね・・・・ごめんよ?」

 静かながらにも、見えざる少女の剣幕さを感じて女が謝る。

 軽薄な口調ではあるが、その顔つきは真剣そのものであり、少女もそこは理解できた。

「・・・謝ってくれたのならいいわ・・・・わたしも、感情的に勝手なこと言ってごめんなさい」

「え、いやべつに彼女さんは悪くないでしょ? あたしがつい調子に乗って悪口いっちゃったからだし・・・・」

「それでも、そういったことを考慮できないわたしにも落ち度があるわ・・・・彼ならそういって謝るはずだもの・・・・・そうでしょう?」

「俺はそこまでの人間じゃないさ」

「貴方は・・・無意識にそういうことができる人だから・・・そう感じるだけ・・・よ? だって、貴方は誰よりも優しいから・・・・・」

 静かな激情を湛えていた瞳が、男を見るとすっかりと恋する乙女のそれになる。

「俺はそこまで信頼されるような男か?」

「信頼よりも・・・それ以上に愛しているわ・・・・・」

「お前・・・さっきからストレートすぎだろ・・・・・」

「だって、本当のことよ? 隠す必要なんてないわ・・・」

「そんなかわいいことばっかりしてどうするんだ?」

「貴方のかわいい女でいたい・・・それだけよ?」

「だからなんだってそうお前はかわ―――」

「あ~、うん。わかったわ。あんたらがとんでもなく熱いバカップルってことがね。さっさと買ってお帰り下さい・・・・・」

 放っておけば延々と続きそうな、バカップル過ぎる会話に女は涙目になりながら言葉を吐き捨てる。

「バカップル・・・?」

「ああ、仲の良い恋人って意味だ」

「違うわよ! 頭の悪いはた迷惑なカップルの意味よ!」

「こいつ頭悪くないぞ?」「彼は賢いのよ?」

「迷惑なのは認めるが・・・」「たしかに迷惑かもしれないけど・・・」

 二人の息はぴったりだ。

「・・・・服選びは彼氏さんも一緒に見ていく? それとも帰ってからのお楽しみにする? 申し訳ないんだけど・・・・できればこういう店だから男性にはなるべく居てほしくないのよね~」

 ああ言えばこういちゃつく。こう言えばそういちゃつく。そんな二人のいちゃいちゃぶりを観察するのはこりごりだった。だからこそ、体よくそんなことを適当にいって二人を分断する。そうすればこの状況を打開できると踏んだからだ。

「まあ、そりゃそうかもな・・・・」

「・・・・・・・・」

「あ・・・なんだ、その・・・・・そんな目で見られても・・・な・・・・」

 女の武器の使い方が見事な少女だった。どうすれば自分がかわいく見えるか。どうすれば男に言うことを聞かせられるか。どうすれば男が一番くすぐられるのかを、無自覚に心得ていた。しかも、無自覚であるからこそ、男は女に騙されているという意識なく従ってしまう。せいぜいが『あー、俺この娘に弱いな・・・』くらいの認識だろう。この少女ほどのかわいさで、自然と感じるいじらしさをされたら抗うことができる男はいないだろう。

「・・・・だめぇ?」

 凶悪な殺し文句を告げる。

 これはヤバいと思った。こんな娘にそんなことを言われて、首を横に振れる恋人は誰一人としていない。

「だめだめっ! やっぱり女性ものだから、他のお客さんが買いにくくなってしまうのは勘弁してほしいね!」

「お客さん・・・・他にいないのに?」

「入って来にくくなってしまうでしょ?」

「彼はわたしの『恋人』だから・・・・わたし以外は見ないわよ?」

「ラブラブなのはもう本当にうざったいくらいよく分かったわよ・・・・」

 男が自分に夢中で、自分以外には興味がないと言い切る自信に、正直嫉妬を超えて羨ましさを覚えてしまう。そして、それが疑いようのない事実であるのがまた悔しい。相手の男の目には、この少女以外は入っていない。自分を少しでも興味ある目で見てこないのである。

 女自身の容姿は悪くないどころか、正直美人といえる。それに身だしなみにも気を使えるので、そういう部分において少女が勝てる要素は一つもなかった。恐らく一目見ただけならば、普通の男であれば全員が少女ではなく女を選ぶだろう。だが、もしも男の気を引くのではなく、どちらが愛されるかと言う話になれば、それは間違いなく少女となる。それは男だからとかそんなものではなく、本能的なレベルで少女を愛したいと思わせる魅力にある。それは誰も少女に危害を加えようなどとは露程にも思わせない。思えないものだ。

 女が少女に対して羨ましさを持ってしまうのは、跪かせるということと、跪きたくなるの違いを見せられているからだ。似ているようで両者は根本的に異なっている。だが、女は知らないし知ることはできない。なぜ、少女がここまで愛されるような姿をしているのか。そして・・・男がどういった人間なのかを。

「さすがに店に迷惑をかけるわけにもいかないし・・・・悪いがこの店員さんと話し合って決めてもらえるか? 分かるだろ?」

「えっ?」

 女は男がこの少女の要求を断ったことに間抜けな声を上げてしまった。

「・・・そう・・ね。あまり我が儘をいって迷惑をかけるわけにもいかないわね・・・・」

 少女の言葉に女は二度驚く。この少女は残念がってはいるが、それが自然であると受け入れている。これほどの美少女であれば、この程度の我が儘が通って当たり前だ。むしろ女がこの少女であれば、なぜ自分の我が儘が通らないのかと男に対して不満を隠せずにいるだろう。

「それに・・・お前のかわいい格好は楽しみとしてとっておきたいからな」

「・・・・うんっ。楽しみにしていて・・・ね?」

「あ、荷物は俺が持っておく。ずっと持っていると辛いだろ?」

「・・・ありがとう」

 当たり前のように恋人らしい会話。さっきまでなら、そんな二人をみて歯がゆいと思っていただろう。けれど今は、二人の掛け合いがなぜか普通のように感じていた。

「じゃあ、悪いが頼んだぜ? 財布は彼女に持たせたから、会計の時呼ばなくてもいい。しばらくコーヒーでも飲んでくるから、ゆっくりと決めといてくれ」

 言うが早い、荷物を持った男はすぐに店の前にまで出て行って・・・・・素早くそこから逃げ出した。今のいままで、女性関係の場所にいて恥ずかしかったからということが見え見えだった。

 自分の恥ずかしさよりも少女を優先していた男に、女は僅かながら人としての好意を抱いた。

「それじゃあ・・・・彼女さん? どうしたの?」

 男を見送って、残された少女を見るとその視線が上を向いていた。特に服はないのだが・・・。そんなことを思っている間に少女が視線を落として女を見てくる。

「・・・ごめんなさい、大丈夫よ。それじゃあ、お願いするわ」

 少女をパジャマがあるほう―――店の奥―――へ連れて行く。そこで服を見繕うのだが・・・・

「かわいい娘は何を着ても似合うってホントなのね・・・・」

 自分が考える限りの服、その全てを問題なく着こなす少女のポテンシャルにただただ呆れる。初めのうちは美少女の着せ替えを楽しんでいたが、考えず適当に選んでもかわいいということに気づいてからは、それはもう苦行でもあった。

 全てが問題ないということは、ぶっちゃけて言えばどれでもいいのである。どれでもいいということは、ある意味解答がないのと同じだ。

 どれでも、少女が着ればかわいくなる。女が考えて選んだ服も、そうでない服も同じレベルでかわいいと思わせる・・・・そんな反則な存在だった。

「・・・よく言われるわ。『お客様は何を着てもお似合いですね』って・・・・だからわたしは何を着たらいいのかわからないわ・・・・」

 一見自慢にも聞こえるが、実際にやってみるとそれ以外の言葉が出てこないので、逆に耳が痛かった。全部が高レベルで平均ということは、一番がないのである。一番がなければ考えること自体が馬鹿馬鹿しくなり、興味をもつことができなくなっても仕方がないだろう。

「あ~・・・じゃあ、彼氏さんの好みはどんなのですかね? それに合わせて選びましょう」

 なぜか少女には丁寧に話しかけてしまう。よく分からないが、自然とそうなるのでそうすることにした。

「彼は・・・あまり肌がでていないのが好きみたい」

「ふんふん。何かそういった服を着たときに好きだったと?」

「ミニスカートは目のやり場に困るとか言っていたわ。あと、胸元が開くのもそういっていたわね。脇が見えるのも・・・けしからん? そんなことを言っていたわ」

「それって・・・単純に彼女さんをそういった目でみてしまうからじゃあ・・・・・」

 その言葉に少女が反応する。

「そういった目って・・・・やっぱり・・その・・・・・」

「本能的な雄の目ですよ。まあ、そういったところを刺激するものでもあるわけだから。アボリジニなんかは普段は半裸だけど、女性が男を欲情させるときには服を着るとかいうわね。今はどうか知らないけど。脱ぐのではなく、着てそういう気持ちにさせることもあるらしわ。まあ、いわゆる普段からのギャップってやつね。そういった非日常な状況がそういった感情を引きずり出す。そういうこともあるっていうことです」

 女の言葉に少女の顔がわずかに赤く染まる。初な反応に、見ているこちら側のほうが正直恥ずかしかった。

「で、彼女さんとしては彼にそういった目をされたいですか? されたくないですか?

「・・・わからないわ。そういう風に見られるのは恥ずかしいもの」

「―――じゃあ」

「でも、そういう風に見られるのもどこか嬉しくて・・・・これって、なんなのかしら?」

「・・・うーん、彼女さんとしては彼が迫ってきた時にどうするつもりですか?」

「彼がそうしたいというのなら、わたしはそうされるだけよ? 彼にならそうされてもいいと思えるし・・・・・」

「それが答えってことじゃないんですかね・・・・?」

「えっ?」

「ぶっちゃけていうと、彼に襲われたいんじゃないですか?」

「そんなこと・・・・ない・・・・・・・・はずよ・・・・・・・・・たぶん・・・・」

「まあ、今のは極論だけど・・・・つまり彼女さんは女として見られたいわけですね?」

「・・・・かわいい女って言ってくれるわよ?」

「『かわいい』と『女らしい』は別物ですよ? だから、女として彼氏さんを誘惑してみたいわけじゃないんですか? 『あなた・・・わたしを抱きたいんでしょ?』な感じで、逆に迫ってみたいな~とか」

「そ、そんな言い方しないし・・・・迫ったりなんかもしないわよ・・・・・きっと・・・・・」

「まあ、話をもどして・・・・とりあえず、ある程度彼氏さんに意識されたいってことでいいですか?」

「そ・・・れは・・・・・」

 黙り込む。沈黙は肯定としてとらえられた。

「はい、じゃあ決定。ぐずぐずしていても仕方ないから決めますね」

「でも・・・・」

 こういう決められないのにはこっちがスパッと決めてやらないといくらでも時間がとられてしまう。だからこそ強引にでもまとめに行く。

「でもも、ヘチマもゴーヤもないです。彼氏さん待たせるわけにはいかないでしょ?」

「う・・・・っ」

 男を引き合いに出すと簡単に少女が黙る。あの男のどこがそんなにいいのか? やはり恋は盲目であると思う。が、今このときは都合がよかった。

「で、参考までに普段の寝間着は何かしら?」

「・・・ないわ」

「はいっ?」

「ないから・・・・下着で寝てるの」

 寝間着がないとはどういうことか? いや、そもそも何か着て寝なさいよとか言ってやりたいが、あまりにも突拍子すぎて言葉がでない。あまりにも意味が不明過ぎた。

「本当は寝間着は必要ないのだけど、彼がずっと下着姿は勘弁してくれと言うから、せめて彼が嬉しいと思ってくれるのを着たいと思ってるわ・・・・」

「よく風邪ひかないですね・・・・」

 訳が分からなさすぎてそんなバカみたいなことしか返せない。普通、寝間着くらい持っているものでしょうと・・・・

 よくよく見れば、少女の体つきは男を虜にするにはもう十分な成長具合な訳で、それが下着姿でずっと男の前でうろうろとされたらそりゃ・・・・・ずっと??

「えっ?! もしかして同棲してるの?」

「『恋人』なら同棲するものじゃないの?」

「いやいや、普通しないっしょ!」

「『恋人』なのに?」

 女はこの時少女がちょっとどころか、その容姿と同じ異次元レベルでずれていることを理解した。なんというかもう、温室育ちと何か混ぜてはいけないモノを一緒にして育つとこうなる感じというべきか・・・・・よく今まで無事に生きてこれたものだと本気でそう思う。

「えーっと・・・・ちなみにこれまで男と付き合った回数は?」

「彼が初めてよ・・・? むしろ、彼以外の男の人はわたしをそういう風に扱わないし、そういう目でも見てこないわよ?」

「そんだけかわいいのに・・・言い寄られないの?」

「寄るな、触るな、近寄るなとしか言われないわ。少し前・・・数年のことでいえば・・・犯罪者とか、死んでしまうとか言われたわね・・・・」

「確かに・・・中学生くらいの貴女をいい大人がそういう風にしたらそうなるけど・・・・普通同級生でしょ?」

「わたしにはそんな存在いないわ」

 地雷を踏んだと思った。それと同時に、あまりこの少女のことを聞かないほうがいいとも思った。色々と闇が深そうだ。

「そ、そう・・・・」

 なんだか嫌な汗が出てきた。根本的に理解ができないというのは、こうも気持ちが悪いことなのか。

「そうなると・・・彼氏さんって凄いのね」

「ええっ。そうね・・・彼だけはわたしと接してくれたわ」

 男の話になると少女の表情が和らぐ。それだけでどれほど想っているのか、嫌でも感じ取れてしまう。

「だからわたしはこの気持ちを抱くことができた・・・彼だけが、この気持ちをくれた・・・・」

「・・・いい彼氏さんなんだね」

「そうね・・・わたしにはもったいないくらい優しい人よ・・・・・・」

「そんな人だったら、彼女さんのかわいい姿見れたらそれでいいって感じですね」

「そのかわいいが分からないのだけど・・・」

「大丈夫ですよ。彼氏さんがどんな人かを少しでも見れたので、おおよそ検討はつきます。それに彼女さんの希望を足したものを選ぶだけですから。少し時間もらえたらいくつか選びますんで、後は彼女さんが好きなの一つ選んでください」

「そう・・・? ありがとう。貴女もいい人ね・・・・」

「なんといいますか・・・面と向かってそういわれると恥ずかしいわね・・・・」

 そういって服を見ていく、少女のかわいさをベースにして、大人な部分をアピールするような服を。その間少女はまた視線を上に向けてどこかを見ていた。




「ありがとう・・・これで彼に目を逸らされることがなくなるわ」

「いえいえ、毎度どうも。これで彼氏さんも少しは落ち着けるでしょう」

「でも・・・・こんなに買った覚えはないのだけど・・・・?」

 服一つとは思えない大きさの袋を見てそう言う。他にも色々と入っていそうだった。

「色々とサービスしときました。というより、在庫処分な感じなので、お礼はいいですよ。昔にアレなものを少々作っちゃいましてね・・・・彼女さんなら問題なく似合うんでどうか持ってってください。あ、もちろん寝るときのものだから、それで外出しちゃだめですよ?」

 見ればわかることだと思うが、この少女にそんな常識は通用しないと思って念を押す。

「彼氏さんに見せるための服ですからね?」

「んっ・・・わかったわ」

 理解したとうなずくと荷物を手に取る。

「それじゃあ・・・いくわ。もうすぐ彼が困る頃だろうし・・・・」

「コーヒー飲むのに困ることって・・・・?」

 この疑問に、少女がおかしそうに笑いながら答える。

「ふふ・・・っ! 彼ね・・・お財布渡したときに、小銭入れも一緒に渡していたみたいなの。あの時なにかおかしいなって・・・思っていたのだけど、今お会計して気づいたわ」

「それは早く行ってあげないとだめですね・・・・笑っている場合ではないかと思いますが?」

「そうね・・・でも、つい彼がかわいくて・・・・・こういうのはいけないわね・・・・」

 抱いた感情をかみしめながらも、少女はすぐに自戒する。

「場所分かるんですか?」

「ええ、彼の居場所ならわかるわ。じゃあ、本当にもう行くわ・・・・・さようなら」

「ありがとうございました」

 その背中を見送り、店内に一人となる。

「・・・なんだか変わった娘だったね。また来るかしら?」

 もしまた来たときには、その時こそ彼女に似合う一番を見つけてみせると、そんなことを考えていたら次の客が入ってきた。

「あ、いらっしゃい」

 そうして少女のことは隅によけて、さっきまでの少し変わった時間が、いつもの日常へと塗り替わっていった。




(しくじったな・・・・)

 だらだらと飲んでいたコーヒーが終わりそうになり、会計の用意をしようとしたところで、失態に気付いた。

(なんで全部渡してんだ俺・・・・)

 思わずため息をつく。

 少女の悲しみと自分のミスを消すためにした行為から、少女が自分へとしてきた行為を思い出す。

(・・・・完全にやられちまったな)

 純粋極まりない想いを向けられ、示され、思い知らされた。その結果自分は平静さを失い、単純なミスを今もまたしてしまった。

(に、しても・・・・)

 思い返すのは少女のまなざしと笑顔。愛というものを形で持って表せば、あの時の少女という存在がそうだった。何の打算もなく他者に寄り添い、傷を癒し、惜しむこともなく情を注ぎ、背負う苦しみを分かち合ってくれる。そんな誰もが夢見るような理解者。

(・・・『愛してる』か・・・・・)

 使い古された陳腐なセリフだ。だが、使い古されるというからにはそれだけの理由があり、使われ続けている力もある。複雑に飾り立てられたものよりも簡潔で単純。いつの世も人が動かされるのは後者であり、核心をつくありふれた言葉である。

 本質がずれていれば、それがどんなに元が優れていても意味がない。だが、本質をとらえた上でそれが行われれば、その力は絶大な―――というよりも本来の―――効果を発揮する。

(・・・『ありがとう』から、その流れは反則だろ・・・・・っ!)

 もしもあの時に感情のままに行動していたら・・・・自分は恐らく少女を――――

(だめだ、考えたらヤバ・・・それにしてもだっ!)

 頭の中に浮かびそうになった邪な考えを強引に散らしていく。意味もなく叫ぶような切り替えだった。

(なんで急にあんなに化けたんだ? 悲しみから何がきっかけでああも・・・・って、ちくしょう! ちょっと死にたくなってきた!)

 単純に、男の不甲斐なさを見た少女が奮起しただけのことであった。それに気づいてしまって、自己嫌悪に陥ってしまう。

(何をやっているのやら俺は・・・・これまで散々かっこつけたあげくが、あの娘から逆に慰められるとか・・・・情けなさすぎるが・・・・・・それでも、嬉しいもんだな。誰かから、ああも思われるっていうのは・・・・・)

 残っているコーヒーを全部飲みきる。そして、とるべき行動をしようと顔をあげる。

「あら・・・もう少し・・ゆっくりと飲めばよかったのに・・・・・」

 対面に件の少女が座っていた。テーブルに両肘をつき、両掌の上に顔を載せて、微笑みながらこちらを見ていた。その姿がかわいらしいことは言うまでもなかった。

「いつからいたんだ?」

「ついさっきよ・・・? なにか考えていたみたいだから・・・・邪魔しちゃいけない・・・って思って・・・・・・待たせてごめんなさい・・・・」

「そういう時は普通に声かけてくれていいんだぜ? 待ってるの退屈だろ?」

「別に・・・普段みられない貴方を見られるから・・・・大丈夫よ?」

「そうか?」

「ええっ」

「買い物は無事に終わった・・・んだよな?」

「・・・問題なく終わったわよ?」

「疲れとか大丈夫か? 疲れたようならここで休んでいくぞ?」

「平気よ。それより早く帰って二人になりたいもの・・・・」

「そうか・・・じゃあ行くか」

「でも・・・その前に、最後に買いたいものがあるのだけど・・・それだけ買ってからでもいい・・・? すぐに済むから・・・・待っててくれる?」

「んっ? 一緒だとなにか都合悪いのか?」

「そ、そんなことないけど・・・・その、荷物が一杯だと動くのが大変でしょ? だから、おねがい。荷物を持って待っててもらえる?」

「んー・・・まあ、いいか。わかった、大人しく待っておく」

「・・・ありがとう。それじゃあ、出たところで待っててね?」

 咲き誇るように笑顔を浮かべた少女が出ていく。男を少しでも待たせまいと、小走りで目的の場所へと目指していく。そんな姿をかわいいなと思いながら、男は重大なことに気付く。

「・・・・財布もらうの忘れちまったな。仕方ない、いなかったら気づくだろうし・・・・御代わりでもして時間稼ぎしておくか・・・・」

 男は開き直って、少女のいない間にコーヒーを堪能することとした。なお、少女の買い物は言葉通りすぐに済むため、御代わりのコーヒーを見咎められることになるとはまだ男は知らなかった。

 部屋へ戻れば日は暮れてもまだ夕方。晩御飯の準備には早いし、だからといってどこかに行くには遅い。中途半端な時間を二人は有意義に過ごしていた。それは、朝の約束である『帰ってきたら頭を撫でる』であった。

 二人していつもの席でコタツに入り、寒い季節を吹き飛ばすかのように甘い空間が展開されていた。

「なあ、そろそろよくないか?」

「・・・あと少しだけ・・・・ね? やっと頭撫でてもらえたんだから・・・・あと少しお願い・・・・・」

「そうだな。それを俺は何回聞いたんだろうな?」

「まだ五、六回のはずよ・・・? だから、ね・・・?」

 それだけすれば『少し』ではなかった。しかし、男も強く言うことができなかった。

「かわいいってのはそれだけで得してるよな・・・・まあ、その分相応の面倒くささもあるわけだが・・・・お前はそういうのとは無縁そうだな」

「ふぇ~・・・っ?」

 ぼんやりとした声を出して、眠たげな眼をしはじめた。

「眠たいならやめるぞ」

「ん~・・・いじわるぅ・・・・・」

「寝ても覚めてもかわいいとか、お前本当に超すらこえるかわいさだな」

「えへへ~っ。うれしい・・・っ!」

 あどけない笑顔がこれまた愛らしい。

 ころころと表情を変える少女にも男は慣れてきた。

「キャラ崩壊してんぞ・・・・まったく、昼間のあの凛々しいお前はどこに行ったんだ? かわいいからいいけど」

「ひるま・・・? そういえば・・・・」

 少女が何かを思い出したかのように男に近づいてくる。

「んっ? わざわざ隣に移動してどうした? もう撫でなくて―――」

「ん~っ」

「って、なんで抱きついてくるんだ?」

 少女の柔らかさを服越しに感じる。冬服だからこそ生地が厚くて弱いが、それは確かに感じられた。

「このままなでなでして・・・・」

「はいはい。分かったよ」

「・・・・・」

「・・・・・」

 無言で頭を撫で続けることしばらく。

「貴方って暖かいわよね・・・」

「ん? そういうお前もな」

「もう・・違ってはいないのだけど・・・今はそういう意味じゃないのよ?」

 子供のかわいい間違いを指摘する母のような声と、笑顔で見上げてくる。

 また変わる少女の表情に・・・男が焦る。

 少女が時々見せる外見不相応の――年上や同年代に感じられる――表情には弱いみたいだ。

「でも、そんな貴方はどこか可愛いから・・・・それでもいいのかもね・・・・・」

 そういって、淑女のように少女は笑う。

「・・・なあ、お前ってある程度人格でも変えられるのか?」

「そんなのわからないわ・・・・ただ、そういう風になってしまうだけだもの・・・・」

「少しは安定してほしいな。さすがに俺の心臓に悪い・・・」

「ドキッとしちゃう?」

「ああ、ドキッとするからだ」

「うふふっ! そう・・・・貴方をドキッとさせられるのね・・・・・」

「・・・普段は子供みたいなところもあるのに・・・・本当に不思議だよ」

「もしかして・・・時々子ども扱いしているのかしら?」

「お、怒るなよ・・・子供みたいでかわいいって意味でだな・・・・・」

「・・・本当かしら?」

「ほ、本当だ・・・・」

「・・・そういうことにしておくわ」

 少女が急に離れる。男はなんとなく終わりだなと感じ取った。

「・・・いっぱいなでなでしてもらったから、今夜も頑張ってご飯作るわね?」

「ああ、頼む。俺は飯作るなんてやってられないから、お前には迷惑かけるな」

「いいのよ・・・その分、昨日から貴方にたくさん甘えさせてもらってるんだもの・・・・・」

「じゃあ、食材買いにでも行くか?」

「そうね・・・・荷物持ちお願いするわね?」

「それくらいなら任せとけ」

 そうして二人で買い物に出かけ、おばちゃんズのつまみにされて帰ってくることになった。そこから少女は素早く調理に取り掛かり、男はそんな光景を眺めながら仕事関係の本を読んだり、スケジュールの確認などをしていく。出来上がったものを二人で食べていき、少な目の会話で食べることに集中する。食後は食器を片づけ、少女が洗いものをしている間に男は風呂に行く。上がれば少女が入れてくれたコーヒーがなくて、今日は昼間に飲みすぎと言われたので、少女と同じホットミルクが用意されていた。それを飲みながらまた仕事関係に時間を使い、その間に少女が湯浴みを済ませる。そして、上がってきた少女は昼間に買った寝間着を着ていなかった。

「な・ん・で・だ・よ?!」

 ちらっと眼の端で姿を確認して、男は頭を抱えて苦悩していた。こんなはずではなかった。そういう思いがあふれ出ている。

「だって・・・買ったら一度は洗濯しないといけないし・・・・・今日はこれで我慢して・・・ね?」

 対する少女は男に見られる恥ずかしさを自覚してからは、わが身を腕で抱くようにして少しでも肌を隠す。それにまたそそられるのが男という動物だというのに・・・・

「我慢の意味がおかしいが・・・まあいい。今日はコタツで寝るから、お前が布団を使え」

 明後日の方向を向きながら、男がコタツムリへと成ろうとしたところで少女が口を挟む。

「だめよ! ちゃんと毛布使って寝ないと風邪ひくわよ?!」

「それをお前が言うか?」

「わたしはいいのよ・・・貴方とは身体の作りが違うのだから・・・・」

「虚弱で悪いな。というかな、昨日一緒に寝て、寝具にお前の香りが移っていて眠れないんだよ」

「え・・・っ?」

「ああ、いや違うぞ?! クサいとかそんなんじゃないからな? むしろめちゃくちゃいい匂いだから、興奮して―――」

 誤解を避けるため思わず少女のほうへと向けば、踏み荒らされていない新雪のように綺麗で、ふわっとして柔らかそうな肌が晒されていた。

「ぁぅ・・・っ!」

 少女が身じろぎして肌を隠そうとする行為が、確実に男の本能をそそる。

「悪い! ってか、俺何言ってんだよ?!」

 男もこれまでとは違う少女の反応にどうしようもなく感じるものがあり、すぐさま顔を逸らす。初めはさして思わなかったのに、今やそういう風に見てしまうのだから感情というものは恐ろしい。

「う、ううん・・・貴方は悪くないわよ? むしろ、わたしも少しうれしい・・・し・・・・・貴方に・・女として見られてるんだって・・・・思うと・・・」

 男の理性は限界点ぎりぎりのところで踏ん張っていた。

「お前な~・・・・そういうこと言うと襲われるぞ?」

「忘れたの・・・? わたし、貴方になら襲われてもいいって・・・そう言ったわよ? むしろ・・・・わたしじゃ・・・抱きたくならないの・・・・・?」

「そんなわけあるか!! ○か×かで言えば、文句なく○だ!!」

「じゃあ・・・抱いて・・・・・いいのよ?」

「だがな、何か違う! 何か違ってるんだよ!! こんな本能としての刺激だけで行動するのは、何か違う! 俺はそれを許すわけにはいかない!! 俺は・・・お前を! ・・・大切にしたいんだよっ!!」

「・・・・・!」

 男の言葉を理解できずとも、想ってくれていることだけは理解できた。

「あの・・・その・・・・ごめんなさい・・・・・」

 少女が背後によって来るのが分かった。すぐ近くまでくると、少し躊躇っている気配を感じたが、思い切って少女が後ろから抱きしめてきた。

 男が僅かに身体を強張らせる。

「・・・ありがとう・・・・・大切にしようとしてくれて・・・・・・大好き」

 強く抱きつかれ、少女からの温もりを強く感じて身体が緩まる。そういう意味ではないと分かったからだ。

「・・・ねえ、一緒に寝て? 昨日貴方と寝たとき凄く寝心地がよくて・・・・・凄く・・落ちつけたの・・・・」

 甘えてくる声音に女の色はなく、離れたくないという純粋な気持ちだけがあった。そんな感情を断れるような男ではなかった

「・・・・やれやれ。添い寝職人になるくらいならいいか。飽きるまで安眠道具になってやるよ」

 男は諦めて、素数を数える覚悟を決めた。

 これ以上話を長引かせると、切りどころが見えなくなるからだ。

 少女に身体を解くようにと手で伝えると、すぐに解放された。人肌の温もりが離れるが、すぐにまた戻ってくることになる。

「じゃあ、寝るか?」

「ええっ、お願い」

 寝る準備が終わって布団に入ると、思った以上の問題はなかった。

 柔らかい、暖かい、いい匂い、かわいいがそろった少女が身を委ねてくるが、それは何のことない、子供のようであり、そんな少女に男の毒気が抜けていった。

 毒気だけでなく起きている力も抜けていき、男もいつ以来になるか、心からの睡眠を得るのであった。

そうして夜は更けていった。

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