第40話 紅蓮に燃ゆる


 この自称愛らしい黒ウサギは放っておくといつまでも無駄に喚き続けて話が進まないので、私は無駄話をさっさと切り上げるべく話題を変えることにした。


「ありがとう。二人のおかげで助かったわ」


 私は、今も目の前でぎゃあぎゃあと息巻いているルノワをスルーして鉄虎と花穏にお礼を言った。


「俺は何もしてないよ。全部花穏ちゃんのおかげ」

「ええ、全くその通りです。二人ともひどい怪我でしたからね。私がいなかったら今頃大変なことになってましたよ。鉄虎君は私と違って人を癒す力を持っているわけではないので、あまり無理しないでくださいね。私の仕事が増えてしまいますから」

「はは……気をつけるね」


 そら笑いするおとなしそうな少年とは対照的に、花穏は随分とはっきりものを言うタイプらしい。それは気が強そうというよりも芯が強そうな印象で、凛とした立ち振る舞いからもそれは伝わってきた。


 それにしても傷を癒す魔法か。かなり便利だな。しかも生命の危機に瀕するほどの重傷を負っていたつぐを一瞬のうちに全快させてしまうほどに強力。

 ネロアが言うには私たちがさっき戦った怪物はレベル1の降魔なんだとか。たった一体で私たちを壊滅寸前まで追い込んだほどの脅威。そんな怪物が今後わんさかとこの世界に現れるらしい。にわかには信じ難い話だけど実際に降魔は現れた。そんな手前、ネロアの話には疑う余地がない。疑ったところでしょうがないのだ。

 桁外れに強い降魔たちと戦う上で花穏の魔法は必須とも言ってもいい。でも……。


 鉄虎と花穏。二人の魔力を密かに探ってみる。二人とも決して弱くはないけれど、全開時のつぐよりかはうんと弱い魔力。つぐでさえも一撃で瀕死に追い込むほどのデタラメな強さを持った敵との戦い。全員がただの一撃で命を落とす危険さえある。重傷は免れないだろう。回復魔法は必須だ。花穏をいかにして守るかが今後の戦いの鍵になるかもしれない。

 とは言えレベル1の降魔とまともに戦えるほどの力を持った魔法使いは私たちの中にはいない。ただ一人、燐子を除いては。


 そう。燐子だ。

 私たちの中で唯一レベル1の降魔とまともに戦う力を持っていた彼女。そんな彼女は今や降魔と戦う前よりもはるかに強い力を手にしていた。オーブだっけ。それを手にしたから。

 つまり降魔とまともに戦えるのは今も燐子ただ一人しかいないのだ。彼女こそ間違いなく今後の戦いの要。私たちの生命線。


 今の燐子が放つ魔力は、あの巨大で不気味な黒い降魔さえも遥かに凌駕していた。元々燐子自身が持っていた魔力に降魔の持っていた魔力がそのまま上乗せされた感じ。つまりオーブを一つでも手に入れればレベル1の降魔とまともに戦える、ということになる。

 そんな燐子はいまだに校舎の上空で一人ぽつりと静止していた。どこかを見つめているようだった。


 もし――。もしもオーブを手にしたのが別の誰かだったとしたら――。どうなっていただろう? 例えば花穏がオーブを手にしたとすると?

 その場合、レベル1の降魔と戦う魔力を持った上に回復までできる魔法使いが誕生する。パワーアップした花穏と、元々強い力を持った燐子が組めば戦いがうんと有利になったはずだ。もしも戦いで傷ついたとしても花穏の魔法で回復できるし、負ける確率はぐっと下がる。


 魔力の差は戦闘能力の差。そして魔力はトレーニングなどでは一切増えない。いつかネロアから聞いたそんなセリフを思い出す。

 そう考えると燐子がパワーアップしたのは正解だったのかもしれない。

 圧倒的な魔力で戦いに臨めばレベル1の降魔にだって引けを取らないはず。

 でも万が一燐子に何かが起こったら? その場合誰が降魔と戦えるんだ? ……誰も戦えない。一人に全てを託すのはあまりにもリスクが高いんじゃないだろうか。そう考えるとやっぱり花穏がオーブを取るのが最適解だった気がする。私たちの行動はひどく迂闊だったんじゃないか? もしかしたら何か致命的なミスを犯したのかもしれないんじゃ?

 ……いや、やめよう。今更そんなこと考えたって遅い。物語はもう前へ進んでしまったんだから……。

 ……なんにせよ破格の魔力を得られるオーブの扱いは間違いなく最重要。要注意だ……。……何か面倒なことにならないといいんだけど。


「あ、ねえ花穏、街はどうだった? 君は街の様子を見てきたんでしょう?」


 ネロアの質問を受けた花穏の表情が一瞬、本当に一瞬だけ翳{かげ)ったのが目に留まってしまった。花穏はすぐにさっきまでの落ち着き払った雰囲気を装ったものの、言葉を失っていた。発する言葉を選んでいるような、そんな感じを受ける。

 何かよくないことになっていそうなことだけはすぐに察しがついた。

 すごく、嫌な予感がした。


「街は………………もうダメです」


 花穏はしばらくの沈黙の後、どこか諦めたように言った。


「ダメって……どういうこと?」

「見ればわかりますよ。……空へ」


 見ればわかる。そう、その通りだ。見れば嫌でもわかってしまう。

 車道のど真ん中に突っ立っていた全員で上空へ舞い上がる。地面はたちまち離れていき、視界が広がっていく。

 高度が増すにつれて徐々に遠くの景色が見えてくる。

 それは、想像をはるかに超えた地獄だった。

 街全体が火の海に包まれていた。あらゆるところから火の手が上がっていたのだ。その範囲はあまりにも広すぎて、もはや人の手でどうこうできる水準をはるかに超えていた。

 建物という建物が崩れ去り、瓦礫の山がそこら中にできている。

 消防車か救急車かわからないけど――いや、その両方かもしれない――ひっきりなしにサイレンのけたたましい音が鳴り響く。


「どうなってるの……」


 最初に口を開いたのはつぐだった。その顔は蒼白で、その言葉は誰にともなく囁くように彼女の口から溢れた。降魔の攻撃で意識を失っていたつぐは、あの降魔がめちゃくちゃに暴れ回ったことを知らない。街へ向かって魔力の光を幾度となく放ったことを知らないのだ。


「た、助け……助けないと!」


 動揺するつぐが街へ飛び出そうとすると花穏がすぐにその行く手を阻んだ。そして淡々と告げる。


「もう手遅れです」

「そんなことっ……!」

「見てきたからわかるんです。私たちが行ってもできることはありません。街は完全に火の手に包まれているんです。そんな中に飛び込むなんて自殺行為。いくら魔法使いの力があったとしても無謀というものですよ」


 それを聞いてつぐは悔しそうに歯を噛み締める。そしてそれ以上食ってかかるようなことはしなかった。つぐ自身花穏の言ったことが事実であると感じ取っているんだろう。それに今のつぐは降魔との戦いで魔力の大半を使い果たしていた。だとしたら救援活動なんてなおのこと無理だった。

 そんなつぐを見つめていると、突然肩をぽんと叩かれた。

 耳元でネロアが囁く。


「律火。ちょっといいかい?」


 他のみんなをはばかるようなネロアの態度。何か内緒話でもするつもりだろうか。

 みんなの輪から外れてネロアと共に後方へ移動する。周りのみんなから十分に離れたことを確認したネロアは、藪から棒に。


「次のオーブは律火が取ってよ」


 なんの前置きもなくそんなことを言われて、私は訝しげな顔で「……なんで?」とだけ返した。


「もちろん律火が最も適任だからだよ」

「根拠は?」

「律火の魔法は遠距離攻撃。無理に前線に出る必要もなく安全に降魔を撃破できる」

「それなら蜜姫も同じじゃない」

「一撃の威力なら申し分ないね。でも万が一攻撃を外したら一貫の終わりだよ。リスクが高すぎる。その点律火の魔法なら安定する。射程距離も弾速も律火の方が上だ。何度も考えたけど君が適任だと思う」

「私は花穏の方がいいと思うけどな。あの子なら傷を治しながら戦えるでしょう?」

「いや、そうもいかない」

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魔導の残骸 清澄武 @kiyosumitakeru

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