第39話 車道にて


 私たちの目の前で横たわるつぐの、残り少ない魔力が急速に減少していく。


「どういうことなの? なぜつぐの魔力は減っていくの?」


 つぐのかたわらに屈み込んだ聖さんは、務めて冷静に尋ねる。だけどその声はかすかに震えていた。


「体へのダメージが大きすぎるんだ。……おそらくは生命を維持できないほどに」


 魔力がゼロになればつぐは死ぬ。

 おそらくはそういうことだ。


「教えてネロア。どうすればつぐは助かるの?」

「……」

「桃璃さんの時みたいに何か助かる方法はないの?」

「……」

「ネロア!」


 沈黙が答えを示していた。

 携帯は繋がらない。助けを呼ぶことはできない。かと言って重症のつぐを無理に動かすことも危険だ。このままでは病院に連れていくことすらできない。いや、連れて行ったところで助かる保証だってない……。……そもそも街は無事なのか? 怪物が幾度となく吐き出した魔力の光によって大地は広範囲にわたって削れていた。既に壊滅している可能性だってある。

 八方塞がりの状況で、私たちはただ押し黙ることしかできなかった。誰もつぐを救う方法を示せないまま、時間だけが残酷に過ぎていく。

 あれだけ凄まじい魔力を持った降魔からまともに攻撃を喰らったんだ。ただで済むはずがなかった。戦うべきじゃなかったんだ。でもそんなこと今更言っても遅い。

 その時ふと、校舎の上空に見知らぬ人影が浮かんでいることに気がついた。


「ネロア、あそこ」

「え?」


 私たちの視線の先には、見知らぬ男の子。空に浮いてるところを見るとあの子も魔法使いなんだろうか。


「鉄虎(てとら)だ!」

「知り合い?」

「鉄虎がいるってことは……。もしかしたらなんとかなるかもしれない。待ってて、呼んでくる!」


 そう言い残してネロアは学校へ向かってすごい速さで飛んでいった。



「酷い傷だね……」


 優しそうな顔立ちの男の子は、私たちの元までやってくると開口一番深刻そうな顔でそう言った。

 黒髪の少年が着ている制服は、蜜姫や燐子の来ているものとも違うデザイン。当然私やつぐたちの制服とも違う。そもそもうちの学校は女子校だし。

 少年の身長は170センチちょっとくらい。歳は多分私と同じくらい。


「ねえ鉄虎。花穏(かおん)は? 花穏は来てないの?」

「花穏ちゃんは一度街の様子を見てくるって言い残して一人で飛んで行ったよ。多分もう直ぐここに来るはず」

「なんてことだ……。もう、一刻の猶予もないっていうのに」

「この子の傷、花穏ちゃんさえ来ればきっと直ぐに治してくれるはず。それまで耐えれば――」

「ダメだ! それじゃあつぐがもたない。……ねえ鉄虎。君の魔法でなんとかできない?」

「……俺の?」


 魔法という言葉を聞いた途端、どういうわけか少年がピクリと表情を堅くする。


「……俺の魔法は花穏ちゃんと違って傷を治したりとかはできないんだ。ネロアも知ってるだろう?」

「でもこのままじゃまずいのはわかるでしょ? この子の魔力は今にも消え去りそうだ。もう時間がないんだよ。頼むよ鉄虎! つぐを助けてあげて!」

「そんなこと言っても……」

「私からもお願いするわ。この子を……つぐを助けてあげて!」


 立ち上がった聖さんが必死に懇願すると、男の子は逃げるように視線を外す。


「お願い!」


 食い下がるように一際強い言葉で頼まれて、少年は何かを観念したかのように目を瞑って、ため息をひとつ吐く。


「……やってみるよ」


 男の子は、仰向けに寝転がるつぐの横にひざまずくと、つぐのか細い手首をそっと握る。持ち上げられたはずみにつぐの手首が、電池の切れた人形のように力無くだらりと垂れた。

 つぐは目を閉じたまま一切の反応を見せない。――と。

 つぐの全身が黒いモヤのようなものに包まれていく。そして少女を包むモヤは、つぐの手首を掴む少年の手を介して、少年の全身へと移動していく。

 このモヤにどんな意味があるのかはわからないけど、なんとなく嫌な感じが伝わってくる。具体的にどうとは言えないけれど、直感で、何かあまり良いものではない印象を受けた。その様子を黙って観察していると。


「……あ……くっ……」


 つぐのモヤが半分くらい少年へ移動したあたりで、少年は呻き声を上げたかと思うとスイッチが切れたかのようにいきなり倒れ込んだ。


「て、鉄虎! 大丈夫かい!? 鉄虎! ……く……ダメだ。意識を失ってる」

「ど、どうなってんのよ。つぐを治すんじゃなかったの? なんでその男の子まで倒れちゃうのよ」

「待って! 見て、二人とも!」


 少年は倒れてしまったけど、その隣で眠っているつぐの様子が先ほどまでと明らかに違う。


「魔力の減少が止まってる!」


 そう。さっきまですごい勢いで減っていたつぐの魔力が、今は安定していた。

 どんな魔法を使ったのかわからないけど、少年がほんの少しつぐの腕を握っただけで、なぜかつぐの魔力減少は治っていた。ただ……。


「目を開けないじゃない。どうなってんのよネロア。回復させたんじゃなかったの?」


 どういうわけかつぐは目を開かない。

 つぐ、蜜姫、少年。

 車道のど真ん中で川の字に横たわる三人。

 つぐを助けにきたはずなのになんで犠牲者が増えてんだか……。


「鉄虎の魔法は傷を治す類のものではないんだ。……でもこの感じだととりあえず窮地は脱したと思う。あとは花穏さえ来てくれれば……」

「あら、お呼びですか」


 聞き覚えのない声が背後から話しかけてきたので振り返ると、そこには見覚えのない少女が佇んでいた。

 淡い緑色の髪をアップにした少女は、少年と似たデザインの制服を着ていた。そして寝転がる少年を見ると、さっきと変わらない感じで淡々と話し出す。


「あらら……。ねえネロア。あまり鉄虎君をいじめないでくれます? この子、人がいいから嫌なことでも断れないタイプなんですよ」

「花穏! 待ってたんだよ! みんなを――」

「わかってますよ」


 花穏と呼ばれた少女は一目で状況を理解したのか、すぐにつぐの近くまで行くと先ほど少年がしたようにつぐの手首を握った。つぐの全身が柔らかい光に包まれる。


「ひどい怪我。魔法使いがこちらの世界でここまでの重傷を負うなんて普通は考えられませんよね。……何があったんです?」

「それは……」

「少し前に現れた凄まじい魔力と関係があるんですか?」

「……うん」


 ネロアはこれまでの経緯を説明した。

 その内容は実際にその現場を体験した私でも信じられないような内容だったけど、花穏はネロアの話を疑うような素振りも見せず淡々とした様子で話を聞いていた。


「……そうでしたか。犠牲者がいなかったのは何よりです。さて、と。治りましたよ」


 花穏が握っていた手を離すと、程なくしてつぐが呻き声を漏らす。


「う……」

「つぐ!」

「あ……聖ちゃん。ここは……。私、どうして……」


 花穏が鉄虎の手に触れるとつぐ同様、その全身が淡い光に包まれる。


「それがあなたの魔法なの?」


 私が尋ねると。


「ケガを治癒するのが私の魔法です。あなたは大丈夫なようですね」

「その子を治したら蜜姫を診てもらえないかな。隣で寝てるそのピンクの髪の子ね」

「その方なら大丈夫ですよ。ケガはしていません。ただし魔力がほとんど残っていないところを見ると相当疲労しているはず。寝かせてあげましょう。じきに目覚めるでしょうから」


 しばらくすると彼女の言葉通り、蜜姫は目を覚ました。


「お、おい! あの化け物どこ行っちまったんだよ! おいらのこの愛くるしい顔を吹き飛ばしてくれたイカれ野郎はさ!」

「だからもう倒したんだってば」

「冗談言うなよ律火! 人間があんな化け物に勝てるわけないだろ」


 すっかり元通りになったルノワは蜜姫に召喚されてからずっとこんな調子。


「そんなこと言ったらなんで吹き飛んだ顔、治ってんのよ。ルノワも大概化け物じゃん」

「ひっどーい! なんザンスか、その暴言は! おいらは召喚獣だから召喚し直せば傷は消えてなくなるの!」

「はいはい。わかったわかった」

「ああっ、何その適当な返事! 絶対おいらのことめんどくさい奴だと思ってるでしょ。こんなに愛らしいのに!」

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