第38話 魔導の残骸


「レベル1の降魔……? どういうことネロア。あれが降魔だって言うの?」

「そうだよ」

「ちょっと待って。おかしいじゃない。だって降魔は黄昏の世界からは出られないはずでしょ?」

「ノーレベルの降魔は確かにそうだね」

「ノーレベル……?」

「君たちが今まで黄昏の世界で倒してきた降魔のことだよ。あれらは全てノーレベルの降魔なんだ。レベルを持たない降魔たちは、黄昏の世界から出ることすらできない脆弱な存在。だからこそ並の魔法使いでも相手が務まる。でも今君達が倒した降魔は違う。レベルを持つ降魔はこの世界へやって来ることができるんだ。その絶大な魔力ゆえにね。あれこそが真の降魔と言ってもいい」

「ちょっと待って。じゃあ私たちが今までやってきたことはなんだったの?」

「黄昏の世界での戦いのこと?」


 ネロアに問い返され、私は静かに頷いた。


「もちろん経験を積むためだよ。この世界で降魔と戦うためのね。いきなりレベル1の降魔と戦ったところで全滅するのは目に見えてる。だから向こうの世界で“予行練習”をしていたってわけさ」

「私たちは降魔の犠牲になる人を減らすために戦ってたんじゃないの?」

「もちろんそれもあるよ。それに律火にとっては魔力を手に入れて命を繋ぐっていう大事な意味もあるし」


 レベル? そんな話、今まで一度も聞いてないし。ネロアは急に何を言ってるの?

 わけのわからないことをいきなり色々言われて、頭が混乱してくる。


「時が来たんだよ。今後はさっきみたいな降魔が次々に現れるはずだよ」

「……何ですって?」


 ネロアの言葉に私は言葉を失った。

 すると私の横で、ずっと黙って聴いていた燐子が。


「ちょっと待ってネロア。あんな怪物がまだたくさんいるって言うの?」

「うん」

「ネロアはさっきレベル1の降魔って言ってたよね」

「降魔のレベルは全部で5段階。君達が今倒したのは最も弱いレベル1の降魔だね」


 そんなふざけたことを飄々と言い放ったネロアへ、私は取り乱しながら。


「あんなとんでもない怪物が一番弱いですって!?」

「大丈夫。しばらくはレベル1の降魔しか現れないよ」

「そういうことじゃないでしょう!? たった一体でこの惨状なのよ。あんなのがまた出てきたら今度こそ……今度こそ本当にお終いじゃない!」


 私がまくし立てるように言うと、ネロアはボソリと。


「……そうとも言えない」


 ネロアは確かにそう言った。

 それはどういう意味だろう。

 ここまで追い詰められて何でそんなことを言えるのか。

 冷静に考えてこちらの戦力はすでに壊滅状態。唯一まともにあの降魔と戦った燐子でさえ、今は手負い。しかもさっきの戦いで彼女は大きく魔力を減らしていた。もしも今再びレベル1の降魔が現れたら、さすがの燐子でも手に負えないだろう。


 だというのにネロアからは悲壮感のようなものは感じられない。むしろあの顔は何かを企んでいるような……。

 感情を読み取りにくいその顔からは、何を考えているかまではわからないけど、もしかしたら何か秘策でもあるんだろうか。

 

「……あれは」


 ネロアの顔色を窺っている私の隣で、ポツリと呟いた燐子が、不意に上空へ飛んでいく。

 背中まである青い髪を風に揺らしながらさっきの降魔を倒した辺りまで上昇すると、その姿はピタリと止まった。

 燐子の前には光り輝く何かがあった。

 よく見るとそれは手のひらに乗るくらいの大きさの白く輝く宝石だった。

 燐子がその宝石に手を伸ばそうとすると、ネロアが突然慌て出す。


「あっ! ま、待って燐子!」


 しかしネロアの静止が届くよりも早く、燐子の手が宝石に触れる。すると、手のひらサイズの宝石は彼女の手に飲み込まれるように沈んでいった。

 その直後、燐子の全身からとてつもない魔力の光が湧き上がる。もとより強かった彼女の魔力が一気に膨らんでいくのがわかった。初めて会った時よりも明らかに強い魔力を燐子は纏っていた。


「どうなってるのネロア。燐子の様子がおかしい」

「……間に合わなかったか」


 燐子を包む強い光が緩やかに彼女の体に収まっていく。


「これは……」


 自分自身でも何が起こったのか理解できていないのか、燐子は両手に視線を落として戸惑っている。


「あれは魔導の残骸〈オーブ〉」

「オーブ?」


 ネロアが静かに語ったその言葉を、私は繰り返す。


「オーブとは魔導の力を宿した欠片。燐子はたった今あの降魔の力を得たんだ。魔力が格段に高まったのがわかるでしょ?」

「降魔の力を得た……?」


 私が解せないという顔をしているとネロアは説明を続ける。


「簡単に言えばあの降魔の魔力を吸収したってことだよ。レベルを持つ降魔が倒れる時、その力は結晶化する。それがオーブなんだ。……その力をうまく使えば今後現れる降魔たちとも渡り合えるはずだ」


 そこまで説明するとネロアは口を閉じた。そして黙ったまま夕焼け色の瞳で私を見つめ、何かを言いたそうにしている。どことなくその白い顔全体が緊張しているようにも見えた。

 

「どうしたのネロア?」

「いや……。つぐが心配だ。行こう」


 そうだ、つぐ……!

 ついさっき戦いの最中、降魔の攻撃で校舎の遥か外、車道にまで飛ばされたつぐは、依然道路の上で倒れたままだった。遠目には正確にわからないけど、どうやらまだ意識が戻っていないらしい。

 一方私の腕に抱きかかえられた蜜姫は、目を閉じたままぐったりと動かない。ルノワの姿も消えたまま。こっちはこっちで心配だけど……。……とりあえず今は合流しよう。


「行きましょう」

「うん」


 私たちはその場を飛び立つとつぐの元へ向かった。

 ……オーブか。

 あれを手にした瞬間、燐子の飛び抜けて強かった魔力がさらに飛躍的にアップした。そう言えばネロアは昔……。


「ねえネロア」

「うん?」

「前に魔法使いの魔力は不変だって言ってたでしょ? だから鍛えても意味がないって」

「そうだね。魔力はトレーニングの類では一切強化できない。持って生まれた才能が全てなんだ」

「でもオーブを使えば強化できる」

「その通り。通常の方法では一切の強化ができない魔力を強化できる唯一の方法がオーブなんだ。言わばオーブとは魔法使いにとってのパワーアップアイテムだね。ねえ律火」


 チラリと後ろを振り返ったネロアの視線の先には、先ほどの場所に浮かんだままの燐子の姿。燐子はなぜか私たちにはついて来ず、何をするでもなく宙に佇んでいた。

 呼びかけてきた割にはなかなか続く言葉を発しないネロアへ、こちらから切り出してみる。


「どうしたの? 急に黙り込んじゃって。何か言いたいことがあったんじゃないの?」

「……あ! つぐたちが見えてきたよ!」


 ネロアは急にわざとらしく大きな声を出したかと思うと、私の質問には一切答えることなく、スピードを上げてつぐ達の元へ逃げるように飛んで行く。どうもさっきから歯切れが悪い。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのに。そんなことを思いながらもつぐのことが気に掛かったので、深くは追求せずに黒い紋様の描かれた白い背中を黙って追いかけた。


 道路のど真ん中で眠るつぐの元までやってくると、その隣に屈んでいる聖さんが私たちに気づく。私の思い過ごしか、その顔にはどこか生気がなかった。そして開口一番。


「ネロア、つぐの様子が変なの……」

「……見せて」


 深刻そうな聖さんの口ぶりから察したのか、ネロアは何も質問することなく仰向けに寝転がるつぐの元まで行くと、彼女の体を小さな白い前足でペタペタと触る。すると初めは無表情だったネロアの顔がすぐに曇り出す。


「酷い……。全身の色々な箇所の骨が折れている。もしかしたら内臓もいくつか傷ついてるかもしれない」

「え……。す、すぐに救急車呼ばなきゃ」


 私はつぐの横に蜜姫を寝かせると、ポケットから取り出した携帯に素早く番号を打ち込んで耳に当てた。だけど受話口の向こうからは呼び出し音すら鳴らず、「ツー、ツー」という無慈悲な音が鳴るだけだった。


「電話が繋がらない……」


 よく見ると聖さんの手にも携帯が握られていた。


「何度もかけたけど繋がらなかったのよ。でもこんな状態だと下手に動かすわけにもいかなくて……」


 つぐの魔力は普段よりも明らかに少なくなっていた。あの降魔との戦いで魔力を使ったから? いや、それにしては……。

 目を凝らしてよく観察してみる。するとと、つぐの魔力が少しずつだけど減っていくのがわかる。

 これってまるで普段の私みたいだ。

 まさか……。


「ネロア!」

「まずいぞ。つぐの魔力が底をつきかけている!」

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