第37話 闇の魔槍


「二人ともすぐにここを離脱するんだ!」


 いまだ意識を失ったままの蜜姫を抱えた私と、私の隣に浮かぶ青い髪をした謎の少女に向けてネロアは叫んだ。


「でも逃げたら学校が……!」


 背後の校舎内には、いまだ取り残されている人影。

 怪物のあのあり得ない威力の攻撃を喰らえば校舎ごと消し飛ばされることは容易に想像がつく。


「それでも全員でやられるよりはマシだ!」


 そうこうしている間にも怪物の口にはさらに魔力が集まっていき、闇のように暗い巨大な口腔が魔力の光で満たされていく。

 なんで馬鹿げた魔力……!

 私の力でどうこうできるレベルを明らかに超えている。

 私の魔法ではあの怪物に傷一つつけられなかった。しかも蜜姫を抱えたままじゃ戦うなんて尚更無理だ。このまま見捨てて逃げるしかないのか……。――と。


「ネロア。これがいつかあなたの言っていた強大な敵なの?」


 ずっと黙っていた少女は、やっと口を開いたかと思うと、こんな状況にも関わらず至って冷静な口調で言った。


「そうだよ」

「本当にふざけた強さね」


 そう言い残すと青髪の少女は突然上空へ舞い上がる。そして怪物と同じ高度まで達すると、怪物の正面で止まった。

 直後、怪物は魔力溢れる口の向きを変え、正面にやってきた少女に照準を合わせ直した。

 怪物は私や学校じゃなくて明らかにあの子を狙っていた。


 矛先を向けられているというのに、少女は一切取り乱さない。あれだけの魔力を見せつけられても至って冷静。

 不意に少女の手に一本の黒い槍が現れた。闇のように黒い槍だ。

 一目でそれがとてつもなく強い武器だとわかる。槍から放たれる圧倒的な魔力。それを見れば私でなくても同じことを思うだろう。魔法使いでさえあれば。

 怪物と対峙する少女が槍の矛先を、目の前で輝く口へ向けた。

 まさかあんなデタラメな怪物と本気でやり合うつもりなの……。


 槍を構えた少女の腕がかすかに動いた次の瞬間。

 怪物の口から突然光が吐き出された。

 それは不意打ちに近い攻撃。街に放たれていた光線よりも一回り小さい段階で魔力は放たれたのだ。

 少女の全身が一瞬で光の中に消えた。


「燐子ッッ!」


 叫びと共にネロアの目が見開かれる。まさかあの子を助けるつもりなのか、次の瞬間にはネロアは上空へ飛び出そうとする。そんなネロアの足を、私は咄嗟に掴んだ。


「落ち着いてネロア! あなたが行ったところで何もできないでしょう!?」


 それは私自身へ向けた言葉でもあった。私が行ったところで何もできない。そんなことはわかりきっている。魔力の次元そのものが違いすぎるんだ。私は助けに行きたい気持ちを噛み殺した。


「り、律火……」


 しばらくして冷静さを取り戻したのか、ネロアは私の手の中で暴れるのをやめた。

 頭上では怪物の放った光の筋が次第に晴れてきた。

 さっきまで青髪の少女がいた場所には、もう誰もいなかった。

 一瞬の出来事だった。

 なんてこと……。あれほどの力を持った子でも敵わないなんて……。

 あの子、きっと相当強い魔法使いだったに違いない。だとしてもあれほどの魔力をぶつけられたんじゃ、いくらなんでも耐えられるわけがない。………………あれ?


「ねえネロア。なんか妙じゃない?」

「妙?」

「なんだろうこの感じ。何かどこかから……」


 これは……魔力?

 そう。魔力だ。それもとてつもなく強い。


「見て律火!」


 怪物がいる場所よりもさらに上空に、小さな影がある。


「あれは……」


 あの青い髪の女の子の姿がそこにあった。

 少女は黒い槍に片手で捕まってぶら下がるような体勢で浮いている。しかも見た感じ無傷。


「どうなってるの? あの子、なんで……」

「そ、そうか! 闇の魔槍だ!」

「え?」

「燐子が持ってる槍だよ!」

「あの黒い槍のこと?」

「そう。あの槍は自分の好きな方向へ飛ばすこともできるんだ。魔力を込めて念じればものすごい速さで飛んでいく。燐子は攻撃を喰らう瞬間、槍を空高くへ向けて飛ばしたんだ。そして槍を掴んでその場から脱出した」

「だから攻撃を喰らわずに済んだ……」


 あの一瞬でよくそこまで……。

 遥か上空の少女は、槍をクルリと器用に回転させると眼下の怪物目掛けて投げつけた。

 漆黒の槍が怪物の頭に突き刺さる。


「ギゲガァァッグァッッッ!」


 世界に響く絶叫。

 怪物は体の中央付近まで裂けた巨大な口から咆哮を上げ、世界を震わせる。


「や、やったの?」

「いや、まだだ!」


 怪物の頭頂部で蠢いていた膨大な数の触手が、突然伸びて少女へ襲いかかる。

 わずか一撃でつぐの鎌をへし折って、彼女を遥か彼方まで吹き飛ばした計り知れない破壊力を持った黒い触手。

 無数に襲いくる攻撃を素早く飛びながらかわし続ける青髪の少女。

 しかし数が多すぎた。そのうちの一本が少女の動きを完全に捉えた。


「燐子!」


 打ち付けられる直前、少女の前に黒い槍が再び現れ、触手の攻撃を防いだ。――かに見えたが。


「ぐっ!」


 少女の顔が歪む。

 触手から繰り出される常軌を逸した破壊力。攻撃を堪えきれず、少女の体が吹き飛んだ。


「きゃあああっ!」


 槍を握ったまま吹き飛んだ体は、数十メートルほど飛んだあたりで急停止する。少女はその絶大な魔力で衝撃を打ち消したらしい。空中ですぐに体勢を整え出す。

 しかしそれが仇となった。

 吹き飛ぶ少女へ追撃する触手に、少女はその時になって初めて気づいた。

 自らに迫り来る無数の触手を前に固まる少女。そんな少女へ触手が激突した。

 いや、違う。

 触手が激突する瞬間、少女の体が上空へ高速移動した。

 少女は真上へ飛び出す黒い槍に捕まって追撃を交わしたのだ。さっき光線を交わした時のように。


 上空へ飛び出した少女が、槍の向きを変える。その矛先は怪物に向いていた。

 槍が再び高速射出された。

 槍に掴まった少女が怪物の巨体へ向かって一気に距離を詰める。

 触手たちを後方へ置き去りにして、無防備な本体へ迫る。

 しかしその直後、怪物の口に魔力の光が急速に集まりだした。それは瞬く間に巨大な塊となり、向かいくる少女へ今にも吐き出されようとしていた。

 少女はお構いなしに怪物へ向かっていく。その表情は険しい。共にダメージを負った両者には、最初の頃のような余裕はもはや無かった。


「よすんだ燐子! いくら君でもあの攻撃には耐えられない!」


 怪物が攻撃を放つべく口を大きく開き、予備動作に入る。

 触手とは比べ物にならない破壊力を持ったあの光線。流石のあの子でもあれに耐えるのは無理だ。

 でも少女の槍が届くまで、まだ僅かな間がある。このままでは怪物の攻撃の方が先に発動してしまう……!


「はあっ!」


 私は無我夢中で魔弾を放っていた。

 それは光の筋を残しながら弧を描き、怪物へ向かっていく。そして怪物の右目に激突すると、一瞬で粉々に砕けた。まるでダメージは与えられていない。そんなことは最初からわかっていた。しかし砕けた魔弾は、眩い光となって散り、怪物の目を覆い隠した。

 怪物が両目を閉じる。

 その一瞬の間に、少女の槍が怪物の巨大な目と目の間に直撃した。


「グエガガガァッッッ!」


 怪物の光線が誰もいない上空に放たれると同時に、声にならない叫びがそこら中に響く。

 怪物の額に槍を突き刺した少女は、すぐさまその場から離脱した。

 怪物はしばらく叫び続けた後、まるで煙が消えるかの如く消滅していった。


「やった! すごいよあの子。まさかあんな怪物を本当に倒しちゃうなんて……!」


 そうこうしていると少女が校舎前に浮かぶ私たちの元まで帰ってくる。

 流石に相当こたえたのだろう。その顔からは疲労が色濃く滲んでいた。魔力も最初と比べると明らかに減少している。それでもまだ私よりは遥かに多かったけど。

 とにかくこの少女は私や蜜姫たちだけではまるで手に負えなかった怪物をたった一人で倒してしまったんだ。


「……ありがとう。あなたのおかげで命拾いしたわ。あなたの加勢がなければ最後、危なかった」


 少女は意外にもそんなことを口にした。


「そんな……私は何もしてないよ。あなたがいなければ私たちは今頃やられてた。助けられたのはむしろこっちの方」


 それは紛れもない事実。この子には感謝してもし足りない。


「あまりに強い相手だったから勝負を焦りすぎた。……もっと冷静に戦うべきだった」

「ま、あんなの相手に冷静になれってのも酷だよ。私は律火」

「燐子。美咲燐子」


 そんな感じで軽く自己紹介をかわす。

 ネロアのさっきの感じから言って二人は知り合いなんだろう。と言うかさっきから珍しくネロアが黙ったままだ。いつもはべらべらと余計なことばかり言うくせに。

 なんてことを考えていると、ずっと黙り込んでいたネロアが。


「すごいよ! 君たちはレベル1の降魔を一体倒したんだ!」


 とても嬉しそうな顔でそんなことを言った。

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