第36話 決別
「ねえ燐子、こんな所にさっきの降魔がいるの?」
「ええ」
二人の前に佇む小さなおもちゃ屋。今どき珍しい個人で経営しているであろうこじんまりとした店舗。
店内は照明こそ点いていないものの、天気の良い昼間であることが幸いして天窓から差し込む光でそれなりに明るい。
「入りましょう」
「あ、うん」
店内にはテレビゲームやカードゲーム、ボードゲーム、パズルなどさまざまなおもちゃが所狭しと並んでいる。果たしてそんなもので遊ぶ者がこの世界にいるのかは、はなはだ不明ではあるが。
「き、気をつけて燐子」
「平気よ」
冷静な口調で答えると燐子は先陣を切って店の奥へ向かう。まるで臆する様子もなくスタスタと軽快な足取りで。
狭い店内だ。最奥に辿り着くまで、さして時間は必要なかった。
店の奥には壁一面の棚に大量のぬいぐるみが並んでいた。
ここに例の降魔がいる。そう直感したネロアは壁に並んだぬいぐるみを端から端まで順番に見つめる……が。
「いない……?」
壁のどこを探しても降魔の姿は見当たらない。戸惑うネロアの隣で燐子がポツリと。
「出てきなさい」
確実にここにいる。そう確信している声だった。それはまるで死刑宣告でもするかのような熱のこもらない冷たい声でもあった。
しかししばらく待っても降魔は現れない。
「い、いないみたいだよ」
痺れを切らしたネロアがそう言うと、燐子の手に闇の魔槍が現れた。
少女は槍の先端を壁に座る黒いクマのぬいぐるみへ向けた。と、次の瞬間。
「うわあああっ!」
クマのぬいぐるみが押しのけられ、その後ろから金の髪に銀の羽を持った小さな降魔が飛び出した。
降魔は燐子たちから逃げるように脇目も振らずに店の入り口へ逃げ出す。
しかし燐子がそれをさせない。降魔の進路を遮るように立ちはだかった。
「無駄よ。ここからは逃がさない」
「あうう……」
冷たい目の少女を前にして降魔は怯えていた。
圧倒的な魔力差の前に、敵いっこないとわかっていたからだ。
そんな降魔を前にして、燐子がネロアに尋ねた。
「ねえネロア、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
「降魔を倒さずに向こうの世界へ帰る方法ってないの?」
「……ない。時空の裂け目を通ることでしかこの世界からは離脱できない」
「どうしても?」
「世界のルールを捻じ曲げることなんて誰にもできないよ……」
「そっか」
ネロアの答えを聞いた燐子は、いつものように淡々としてはいたけれど、心なしかいつもより悲しげだった。
「恨んでもいいよ」
震える降魔にそう告げると、燐子はそっと槍を放った。
◇
荒れ果てた廃病院に二人はいた。
どこか遠くから子供達の楽しそうな声が聞こえる。
燐子は割れた窓からどこか遠くを見ていた。
「ありがとう燐子」
少女がいつまで経っても何も喋らないので、少しだけ気まずくなったネロアが先に口を開く。
「怪我はない?」
「うん」
「それはよかった」
感情のこもらない少女のセリフ。
それはいつも通りのことではあったけど、今のネロアには心に引っかかるものがあった。
「ねえ燐子」
「うん?」
ネロアは言いにくそうにしながらも意を決したように。
「これからも僕と一緒に戦ってくれるよね?」
ネロアにとってそれはとても大切なことだった。彼は残された時間が少ないことを知っていた。一人でも多くの魔法使いを覚醒させねば。それもできるだけ強い魔法使いを。
燐子はネロアの問いに答えることなく、ただ沈黙したまま佇む。
「り、燐子?」
「魔法使いは私以外にもいるんでしょう?」
「それは……そうだけど」
「だったら私が戦う必要はないわ」
「でも! キミほど強い子はどこにもいないんだ」
「探せばいいよ」
「無理だよ。キミレベルの子なんてまず見つからない」
「じゃあ育てれば?」
「それはもっと無理だ」
「……どういうこと?」
ネロアの言うことが理解できず、燐子が訝しげな顔を浮かべる。
「魔法使いの強さは不変なんだ。覚醒した時点……ううん、生まれた時点で既に決まっている。鍛えて強くなることはない」
「初耳ね」
「初めて言ったからね。だからこそキミのような強大な力を持った魔法使いは貴重なんだよ」
「へえ……」
燐子が突然闇の魔槍を作り出す。
「な、なにしてんのさ燐子」
「……どうやらこっちの世界でも魔法は使えるみたいね。今まで使ったことなかったから知らなかった」
魔槍を手にした燐子の体が宙へ浮く。
「空も飛べるみたいね」
「向こうの世界でできることはこちらの世界でもできるよ」
「じゃあこのまま街まで行って街を破壊することだってできるということね」
「そんなことしたら他の魔法使いが黙っちゃいないよ」
「でも私に敵う魔法使いなんていないでしょう?」
「そ、それは……」
少女の言葉にネロアが緊張した表情で身じろぐ。
事実、燐子クラスの魔力を持った魔法使いはただの一人として存在しなかった。
しかし次の瞬間、少女の手から突然魔槍が消え、地に足をつくと。
「魔法」
「え?」
少女がポツリとこぼした言葉に、ネロアは一瞬身を固くした。その反応を少女は見逃さない。
「使える魔法は一人一人違う。そうだったよね」
「……うん」
「じゃあヘタなことはできないわけだ」
「……どういうこと?」
ネロアの言葉に燐子は内心白々しさを感じながらも続ける。
「相手の魔法次第では負ける可能性もある。たとえ魔力では勝っていても。でしょう?」
「……かもね」
「私の魔法を無効化するような魔法があれば、私はその魔法使いに勝てない」
まるで本当に戦う気でいるかのような少女の言葉に、ネロアは諭すような声で。
「ねえ燐子。降魔から人々を守れるのはキミのように特別な力を持った子だけなんだ。キミはその力を使って今までずっと世界を守ってきたんだよ。このかけがえのない世界を。それってすごいことだと思わない?」
ネロアのその言葉を聞くと、少女は顔を笑顔の形にしてこう返した。
「世界なんて、そんなに尊いか?」
この日を境に燐子は降魔と戦うことをやめた。
◇
目の前にいる青い髪の少女は、無機質な顔でネロアを見つめたまま黙っていた。
しかしネロアの名を呼んだところを見ると、どうやら二人は知り合いらしい。
ネロアはこの子を燐子と呼んだけど、それがこの子の名前だろうか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
上空に浮かぶ異様な魔力を持った怪物から逃げないと……。
直径50メートルはありそうな黒い楕円形の奇妙な生き物は、依然として校舎の上空で暴れていた。
とてつもない魔力を口に溜めては街へ向けて放っている。一撃ごとに大地が深く削られ、街は無惨なまでに姿を変えていく。
「ネロア! ここにいたら危険よ。逃げましょう!」
「う、うん。そうだね」
私たちがこの場を逃げ出そうとしたその時だった。
「ま、待って律火。何か様子がおかしい」
「え?」
どういうわけか上空の怪物が街への攻撃を突然止めた。
「な、何? どうしたっていうの?」
謎の挙動をしたかと思うと、怪物は真っ暗で異様に大きな顔を私たちの方へ向けた。巨大な楕円の半分くらいまで裂けていた口はいつの間にか閉じられている。
反対に二つの瞳は気色悪いほど大きく見開かれ、校舎前に浮かぶ私たちをじっと睨みつける。
「そ、そうか! 燐子だ、燐子の魔力に反応してるんだ!」
隣に浮かぶ青髪の少女は、とてつもない魔力を持っている。もしかしたらあの怪物に匹敵するかもしれないとてつもない魔力を。
少女はあれだけの怪物を前にしているというのに、ひどく落ち着いているように見えた。
しばらくの間少女を睨みつけていた怪物の口が、再びその楕円の体の中央付近まで避けていく。そして闇のように黒くて巨大な口の中に魔力の光が集まっていく。信じ難いほどの絶大な魔力は確実に私たちへ向けられていた。あんなのまともに食らったら確実に消し炭だ。
「ま、まずい。僕らを攻撃する気だ。この角度で撃たれたら校舎ごと吹き飛ぶ! り、律火、すぐにここから逃げるんだ!」
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