第34話 あるお昼時に
ある休日の昼間。
この日も燐子はいつものようにネロアと共に黄昏の世界へ出向いていた。
今回ネロアが見つけた時空の裂け目は街の外れの廃病院にあった。そんなわけで二人は廃病院にいた。
十年以上前に放棄された病院内は散らかり放題で、床には放置された書類やら、医療器具の残骸やらが転がり、足の踏み場に困るほどの惨状。
窓ガラスという窓ガラスが全て割れ、外からは丸見え。吹きさらし状態の階段では金属製の手すりに見事なまでの赤錆がこびりつく。
床の痛みも激しく、ところどころにできた窪みには雨水が溜まっている。
ひどい有様の病院内には生き物の気配がまるでなかった。
「ここにはいないみたいだね。ま、スタート地点に降魔がいないのはいつものことだけど」
「とりあえず出ましょうか」
近くに降魔の姿が見当たらなかったため、二人は空を飛ぶと割れている適当な窓から外へ脱出する。
しばらく病院上空を漂って降魔を探すも、それらしい姿は見つからない。
「いないなあ」
「街の方へ行ってみる?」
「そうだね。でもこんなに天気がいいとピクニックでもしたくなるよ」
「降魔を倒したらそれもいいかもね」
「僕の姿は目立ちすぎるんだよなあ。向こうの世界じゃ気軽に遊びにも行けないよ」
めずらしく不満そうにネロアがぼやく。
「私がネロアを抱えてお出かけしようか? みんなただのぬいぐるみだと思って怪しまないんじゃないかな」
「うーん、でもさあ、燐子の歳でこんな大きなぬいぐるみを抱えてたら余計に目立つんじゃないかなあ」
「そうなんだ」
「ま、気分転換したくなったらお願いしようかな。さて、とりあえずまずは降魔をなんとかしないとね。街の方を探してみよう」
郊外から街の中心に近づくにつれ、高層の建物が増えていき、視界が騒がしくなる。しかし、それに反して世界は静かなままだった。
「いつも思うけど降魔って見つけるまでが一苦労だよ」
上空を飛ぶネロアが、大きな瞳で街を見下ろしながらつぶやくと、何かに気づいた燐子が。
「ネロア、あそこ」
眼下に広がる光景のある一点へ、燐子が視線を送る。そこには小さな公園があった。
「あの公園がどうかしたの?」
「見て、砂場になにかいる」
公園の砂場の上をなにか小さなものが羽ばたいている。それも一体ではなく何匹も。動く者のいないこの世界ではそれは異常以外の何物でもない。
「なんだろう、あれ」
「……行ってみよう。油断しないでね燐子」
公園に降り立った燐子たちの前には、手のひらサイズの生き物が五体、飛んでいた。
金色の髪に銀色の羽、白くて縫い目のない服を身に纏っていて、そして目だけが不気味に赤く光っていた。端的に形容するならそれはおとぎ話などによく出てくる妖精のようにも見えた。しかしおとぎ話のそれと比べると随分と邪悪な雰囲気。
その生き物たちは燐子たちの姿に気づくと口々に。
「ねえ、誰か来たよ」
「本当だ。お客さんかな?」
「違うよ。これ人間」
「人間? じゃあ敵じゃん」
「……人間」
妖精のような外見をした五匹の小さな生き物たちは、思い思いに喋ると口を閉じた。どうやら燐子たちの出方を窺っているようだ。
五体の生き物と睨み合う燐子の顔に、僅かに緊張が走る。
「……この生き物たち、魔力がある。どうやらこの世界の降魔みたいね」
「気をつけて燐子。どんな攻撃をしてくるかわからない」
二人が話していると降魔たちの瞳がより一層強く輝き、不吉な赤い光を放つ。
「ケケケケ……」
一体の降魔が燐子たちを睨みながら不気味な声を漏らす。
(すごい殺気。……何かする気ね)
警戒した燐子が構えると、五体の降魔が魔力を開放し、眩く光り輝く。そして突然、弾丸のように飛び出し、ネロアへ襲いかかった。
「ケーケケケ!」
閃光のようなスピードで襲いくる降魔にまるで反応できないでいるネロアが。
「うわああっ!」
「ネロア!」
身動き取れないでいるネロアの体を掴んだ燐子が、素早く飛び退いて降魔の攻撃からネロアを守る。
「へえ、今の攻撃をかわせるなんて、すごいね。でも……」
攻撃をかわされた降魔がUターンして宙に飛び上がった燐子たちに再び迫る。
(――早い!)
かわした側からすぐに追撃してくる降魔たちに、燐子は反撃の体勢すら整える暇がない。既に眼前にまで接近した降魔たちを視認し、反撃は不可能と判断すると、燐子は降魔の攻撃からネロアを庇うように、小さな白い体に覆い被さった。
直後、無防備になった燐子の背中に、降魔たちが次々と激突する。
連続攻撃をモロに喰らった燐子の体が、勢いよく宙を跳ね飛ばされる。
「ケケ……あっけない」
自らが放った攻撃の衝撃で飛ばされる燐子を見て、一体の降魔がほくそ笑む。しかしその直後、少女の体は空中で急停止した。
「な、なにっ!?」
空中で体勢を立て直した燐子の手に、黒い槍が現れる。燐子は指先で槍を回転させると、振り向きざまに降魔に投げ放った。
「ギゲエエエッ!」
短い悲鳴と共に一瞬で一体の降魔の姿が消滅する。降魔を貫いた槍が公園の地面に突き刺さった。
「ナンダ、あの強力な魔法は!?」
別の降魔がそう叫ぶと、さらに別の降魔が。
「気をつけろ! あの人間、ただものじゃない!」
燐子の槍から発せられる尋常ならざる魔力を感じ取った降魔たちが、一斉にざわつき出す。
「全員でかかるんだ!」
さらに別の降魔が叫ぶと、四体の降魔全員が一箇所に集合すると。
「食ラエッ!」
魔力を纏い光り輝く降魔たちが一斉に空中の少女に迫る。燐子は迫り来る降魔たちに一切動じることなく、闇の黒槍を作り出し、降魔に投げつけた。
「はっ!」
槍は宙を舞う降魔たちのど真ん中を貫く。一瞬のうちに三体の降魔が同時に掻き消えた。
「やった!」
「まだ一体残ってる。油断しないで」
背後で喜ぶネロアをいさめながら、燐子が再び闇の魔槍を作り出す。
残された最後の降魔は、何が起こったのか理解できていないのか、唖然とした表情で周囲をキョロキョロしながら。
「み、みんな?」
しばらくの間、状況を理解できないでいた降魔だったが、仲間達の魔力が完全に消滅している事を知ると、堰を切ったように悲痛な叫びを上げた。
「ウ、ウワアアア! みんなあああああ!」
頭を抱えて絶叫する降魔が、悲しみと憎悪に満ちた赤い瞳で燐子を睨みつけた。
「な、なんてひどい! 僕らはただ楽しく遊んでただけなのに! それをこんな……! ゆ、許さない、よくもみんなを!」
降魔の全身が先ほど以上の強い光に包まれる。
そして異様に素早くジグザグに動き、燐子に向かっていく。
(――早い! これじゃあ照準を合わせられない……!)
想像以上の降魔の素早さに、燐子が攻めあぐねていると、一瞬のうちに燐子を間合いに捉えた降魔が、膨大な魔力を纏ったまま燐子に体当たりを決めた。
「!?」
なぜか攻撃を決めたはずの降魔の顔が驚驚愕に染まる。
完璧に決まったはずの攻撃だったのに、降魔はまるで手応えを感じなかった。降魔が恐る恐る顔を挙げると、目の前の少女は無傷のままそこに佇んでいた。
「あううう……」
全力で放った攻撃でさえ一切のダメージを与えられず、降魔は目の前の少女との圧倒的な実力差を理解し、怯えた。
燐子が手に持った槍の先端を降魔へ向けた。
「さようなら」
少女が冷たく言い放つ。
目の前の黒槍は莫大な魔力を放ち、自らの魔力では絶対に防ぎきれないことを降魔は瞬時に理解した。
「あ……あう……」
黒槍の穂先を見て自らの死を確信した降魔が、嘆願するような顔で。
「こ、殺さないでっ!」
公園の上空に降魔の縋るような声が響いた。その言葉に、動きかけていた燐子の手が止まった。
「うわああああ!」
その隙をついて降魔が叫びながら彼方の空へ飛び去っていく。白い服を着た小さな影は、金色の髪を振り乱し、銀色の羽をバタつかせ、あっという間に街のどこかへと消えていった。
降魔が姿を消すと戦いの音は消え、世界は再び静寂を取り戻す。
ひとまずのピンチを乗り切ったことで安堵のため息をついたネロアが。
「ふう、危なかった。助けてくれてありがとう燐子」
「……ええ」
燐子の手から魔槍が消えていく。
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