第33話 最強の魔法使い
「ここは……」
薄暗い廊下の奥で、燐子は微かに戸惑いをみせる。目の前にはずいぶんと立派な木造の廊下が、長く長く延びている。ついさっきまで屋外にいたはずなのにである。
「そう。ここはキミが元いた世界。キミは時空の裂け目に囚われて、あの黄昏の世界に迷い込んだんだ」
「帰ってきたということ?」
「そういうことだね」
ここは町屋屋敷の二階廊下。いつもここで時間を潰している燐子にとっては、見慣れた光景だった。
壁に備え付けられた大量の窓は、今は夜を映していた。
燐子が窓へ向かって歩き出すと木造の床がキィと軋む。うっすらとホコリを被った窓から見下ろす街には、一面に明かりが灯っていた。人のいる世界に帰ってきたことを実感し、少女は安堵した。
「それにしてもキミはよくこんなところに来ようと思ったね。ここってお化け屋敷って言われて、地元の人は近付かないんでしょ?」
燐子の肩先まで飛んできたネロアが、一緒に窓の外に広がる夜景を見て言った。
「ここ、静かだから落ち着くの。……ずいぶん遅くなっちゃった。家に帰らないと」
ネロアの夕焼けのような瞳を、燐子は氷のような青い瞳で見つめて。
「私は燐子。美咲燐子(みさき りんね)」
「そうか燐子。いい名前だね」
「今日は助けてくれてありがとうネロア」
「僕はなにもしてないさ。あの降魔を倒したのは燐子だしね。いやあそれにしても、すごい強さだったなあ。……驚いたよ」
「私もあんなことに巻き込まれて驚いた」
「怖かった?」
「少し」
燐子は顔色一つ変えずに答えた。
「ねえ燐子。もしキミさえよかったらの話なんだけど、明日また会えないかな?」
「明日? なにかあるの?」
「もう一度降魔と戦ってほしいんだ」
◇
静寂の世界に青い髪の少女と白い体の猫のような生き物がいた。
二人の前には拳サイズの黒い穴があって、そして二人の周りには壊れた街があった。
大量の瓦礫に覆い尽くされた大地に突き刺さった無数の黒い槍は、まるで墓標のようにも見えた。
「いやあ、やっぱり燐子は強いね。あれだけ強力な降魔を一瞬で倒しちゃうなんて。あの降魔、魔力量で言ったら相当上の方だったよ」
燐子の一騎当千の強さにネロアは心から感心していた。
「通りで昨日の降魔よりも強いと思った」
「でもあのレベルの降魔でさえ、キミにはまるでダメージを与えられなかったね。きっとあのレベルの降魔が束になっても燐子には敵わないだろうね」
「たぶんね」
大地に刺さる無数の魔槍はその一本一本が莫大な魔力を放っていた。しかし少女を包む魔力はこの世界に来た時からほとんど変わっていない。依然として強い輝きを放っていた。
「疲れてない?」
「平気」
激しい戦いの後だというのに平然とした燐子の態度にネロアは感動し。
「すごいよ! きっと燐子は魔法使いになるために生まれてきたんだ」
「大袈裟だよ」
口ではそう言った燐子ではあったが、自身の力を認められて内心嬉しかった。
「正直言って、常軌を逸した強さだよ。間違いなく僕が知る中で最強の魔法使いだ」
「それって良いことなの?」
「凄いことだよ。降魔を倒せば降魔の犠牲になる人を減らせる。世界を守ってるんだよ燐子は」
「世界を……」
「魔法使いは誰もがなれるわけじゃないんだ。ごく一握りの限られた子しかなれない」
「なぜなれる子とそうでない子がいるの?」
「素質だよ。決まってるんだ、最初から、全てね。つまり世界を守れるのはキミのような特別な才能を持った子だけってわけさ」
「……降魔って他にもいるの?」
「たくさんいるよ」
翌日も、その翌日も、さらにその翌日も、燐子はネロアと共に黄昏の世界を舞う。
燐子にとってネロアと共に過ごす日々は楽しかった。なにより、居場所のなかった燐子には、自身が誰かの役に立てるという実感が嬉しかった。
黄昏の世界で過ごす時間は、彼女にとってとても大切なものになっていった。
人の中にいながら、いつもどこか蚊帳の外にいるような微妙な居心地の悪さ。
同じ会場にいるのに自分ひとりだけが観客席に座り、舞台の上で活躍する人々を眺めている。自分以外のみんなは舞台の上で、それぞれ役割が与えられている。自分にはそれがない。
疎外感を感じながらずっと生きてきた燐子にとって、魔法使いはまさに天職だった。
これまでどこか世界に馴染めない人生を送ってきた燐子は、誰かのために戦っているという実感を得て、生まれて初めてこの世の登場人物になれた気がした。
「凄いよ燐子! この調子ならいつか世界から全ての降魔を倒せる日がやってくる」
ネロアのその言葉に燐子はドキリとした。
「……降魔っていなくなるの?」
「全て倒し切ることができれば、だけどね」
「そっか……」
眩しい笑顔のネロアとは対照的に、燐子の顔はどこか憂いを帯びていた。
「大丈夫! 燐子ならきっとできるよ」
燐子の態度が自信なさげに見えたのか、ネロアが燐子を励ますように勇気づける。
「そうだね」
少女は感情の籠らない声で答えた。
(降魔と戦うことこそが私の価値。だったら世界から降魔がいなくなってしまったら……)
燐子は、自らの倒した降魔の亡骸とも言える時空の裂け目を、冷たい瞳で見つめた。穴はなにも言わず、ただ静かにそこに浮かんでいるだけだった。
(私の存在意義は……)
◇
燐子はクラスメートからは非常におとなしい生徒だと思われていた。しかし実際はなにを話したらいいのかわからずただ黙っているだけで、おとなしくしていることは彼女の本心ではなかった。とは言っても口数が極端に少ないのは事実なので、周りの生徒にとっては寡黙な少女にしか見えなかった。
その上、勉学においては非常に優秀で、さらに生活態度も真面目であったため、軽々しく絡むのがはばかられるタイプの生徒だった。ただし本人にその自覚はなかった。
感情を表に出すことは皆無と言っても差し支えないほどで、そのためミステリアスな生徒だと周りからは捉えられていた。悪く言えばなにを考えているかわからない、どこか不気味な子、とも言える。
窓際の最後列に座る燐子がいつものように空の遠くをぼんやりと眺めていると、隣に座る生徒がたわいもないことを言った。それを聞いた周りの生徒たちが笑い出す。彼らがなぜ笑うのか燐子にはわからなかったけれど、たぶん今は笑うタイミングなんだろうということだけはわかった。燐子も一緒になって笑ってみた。ごく自然な笑顔で。
「あ、私、美咲さんが笑ったところ初めて見た」
クラスメートのその言葉で、燐子は自分が上手く笑えていることを確認できた。
この時、燐子は生まれて初めてクラスメートと一緒になって笑えた。
周りの人と一緒に笑い合えたらどうなるんだろう。その時いったいどんな気持ちになるんだろう。燐子はその疑問に答えを得た。答えは、なにも感じない、だ。
人々のために戦っている自分。人々に溶け込めない自分。いつまでたっても異物のままの自分。
自分は一体なんのために戦っているのか? 自分だけが命懸けで戦う必要なんてあるのか? 無関係な人々のためになぜ戦う? 戦い続ける毎日に意味なんてあるのか?
舞台の上の人々はいつも楽しそうで、観客席に座る燐子にはひどく眩しく見えた。
(私はなんのために戦っているんだろう)
世界のために戦いたいという気持ちと、一体なんのために戦っているのかという思いが彼女の中で次第に乖離していった。
家に帰ると、燐子は鏡の前に立って笑顔を作った。
毎日の日課だ。
鏡の中には見事な笑顔があった。誰が見ても見間違えることはない。それは完璧に笑顔にしか見えなかった。
いつの間にか燐子は笑うのがうまくなった。
顔を笑った形にするのがうまくなった。
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