第22話 静かな世界で


「……どうなってんだよネロア。なんで降魔を倒したのに時空の裂け目が出てこないんだ?」

「わからない」

「というか裂け目が出てこないとどうなるんだっけ?」

「その場合、僕らは永久にこの世界に閉じ込められるね」

「はあ!? じょ、冗談じゃねーぜ。こんなしみったれた世界で一生過ごすなんて、おいら絶対やだぞっ」


 真っ白なネロアに詰め寄る真っ黒なウサギが、短い手足をじたばたさせて抗議の意思を示す。


「どうするのネロア?」

「うーん……。……ところで聖の様子はどう?」


 ネロアは私の問いから逃げるように視線を背けると、聖さんを抱えるつぐに尋ねた。


「大丈夫。気を失ってるだけみたい」

「そっか。ならよかった」

「で、どうするんだよネロア」


 ネロアは無言のまま辺りを見渡すと、どことなく力ない声で、


「そうだなあ……」


 そこまで言って黙り込む。白くて長いしっぽの黒い先端がソワソワと揺れていた。

 誰もが口をつぐんだ。途端に痛いくらいの静寂が世界を包む。そう言えばこの世界はやたらと静かなんだった。こういう時に静かになると急に気分が沈むんだよなあ。

 なんてことを考えていると、静寂を破るように蜜姫が口を開く。


「ねえねえ、なにか聞こえない?」

「なにかってなんだよ蜜姫」

「なんていうか地鳴りみたいな……」


 周囲に意識を向けると、ごおおという低い音がどこかから聞こえる。なんだか不気味な感じの音だ。

 次第に足元が揺れ出した


「なに……地震?」

「お、おいおいマジかよ。後ろだ律火!」


 隣に浮かぶルノワがなにかを見つめて取り乱している。私はとっさに背後を振り返ると。


「嘘でしょ……」


 私の目に飛び込んだのは、地上数十メートルはあろうかという巨大なビル。そんな超巨大な建造物が私たちに向かってスローモーションのように倒れ掛かってきたのだ。まるで映画のワンシーンみたいな現実離れした光景。そんな現実とも思えないような現実に私が見入って身動き取れないでいると。


「飛んでみんな!」


 鬼気迫るつぐの叫びで私はハッと我に返る。

 つぐが聖さんを抱きかかえて、空へ飛び上がる。


「行こう律火ちゃん!」

「ええ」


 残された私たちも、すぐさまつぐの後ろ姿を追って空へ飛び出した。


「あわわ……急げよ蜜姫! つぶされちまうって!」


 振り落とされまいと蜜姫の肩を握り込んだルノワが、大声で急かす。倒れこむビルが陽を遮り、私たちを覆う影が徐々に広がっていく。ビルは、すでに私たちの目前に迫っていた。

 このままじゃ逃げきれない……! あんなのにぶつかったらいくら魔法使いでもただじゃ済まない!

 すると蜜姫を覆う魔力が一段と高まり、


「しっかり掴まってて!」


 蜜姫のスピードが途端にアップする。ピンクの巻き毛を揺らす背中が、一瞬で私から遠ざかる。

 魔力を高めればスピードアップできるのか。そういや聖さんを抱えてるってのに、つぐは私たちよりもずっと早く飛んでいく。もう! ネロアってばこういう大事なことは最初に説明してよ。


「ネロア!」


 私はネロアの真っ白な胴体を掴むと、蜜姫を真似て魔力を高める。宙を進むスピードがぐんと増す。


「そういえば言い忘れてたけど魔力を高めるとスピードアップできるよ」

「今更!?」


 倒れ来るビルから逃れた私たちは、近くにそびえ建つビルの屋上に降り立った。私たちを襲った巨大な灰色のビルが、ちょうど轟音と共に硬い大地へ沈んでいくところだった。

 意識のない聖さんを抱きかかえたつぐが、固い表情で眼下を見下ろしながら、


「いったいなにが起こったの?」

「まさか新手の敵か? 明らかにおいらたちを狙ってたよな」

「いや、黄昏の世界にいる降魔は基本的に一体だけだよ」

「じゃああのビル、老朽化でもして勝手に崩れたとでもいうの? 都合よく私たちに向かって?」


 先頭に立って地上を見つめるネロアの白い背中へ、私は投げかける。


「それもたぶん違う。あのビルは意図的に倒されたんだ。見てよ」


 倒れずに残ったビルの下層部分。そこには、黒い木の枝が幾重にも巻き付いている。


「あれは……!」

「おそらく、あの降魔のものだろう」

「どうなってるの? さっき倒したはずじゃ……」

「通常、降魔は倒れるとその姿を時空の裂け目へと変化させる」

「でも裂け目は現れなかったでしょ? それって……」

「そう。つまりあの降魔はまだ生きている」


 ネロアの言葉で全員が黒い木の降魔がいた場所に視線を移す。そこにあるのはアスファルトに開いた大きな穴だけ。先ほどまであったはずの巨木の姿が、いつの間にか消えていた。


「こ、降魔がいないよ! ど、どこいったんだろう?」

「天気がいいからお散歩にでも出かけたんじゃないか? はしゃいじまったんだよアイツ。植物だしさ」

「もうっ! ふざけないでよルノワ」

「お、怒んなって蜜姫。ちょっとした冗談だろ? でも気をつけろみんな。おいらなんだか嫌な予感がするんだ……」


 屋上から降魔を探していると、足元揺れる。


「な、なんかまた揺れてる」

「き、気をつけろ蜜姫! 油断するなよ」


 そう言いながらルノワは一目散に蜜姫の背中に隠れた。

 揺れは次第に轟音へと変わっていき、私たちの足元のコンクリートがいきなり崩れ出した。

 ビルの天井の崩壊と共に、下から黒い大木の幹が生えてくる。

 ビルの屋上を突き破り、天へ向かってぐんぐん伸び続ける黒い幹には、あの青白い女の顔が。


「体をよこせええええええ!」


 今となっては見慣れた顔が、歪みながら叫んでいる。

 幹に開いた穴はいつの間にか塞がっていて、再生した幹の中央であの青白い女の顔が叫び続ける。

 崩れるビルの屋上から浮かび上がった私たちが、突然の状況になにもできないでいると、降魔は吟味するような視線を私たちへ送る。

 かと思うと突然、我を忘れたかのように。


「なんで私だけええぇ! なんで私だけこんな場所にいいぃ! 体が欲しい! 体さえあれば! 体さえあればああぁ……!」


 な、なんなのこの降魔。よくわからないけど突然なにかに怒り出したぞ……。

 降魔は上空に浮かぶつぐをじっと見つめて。


「ちんちくりん……いらない……」

「は、はい?」


 降魔の放った謎のセリフにつぐがポカンとする。そんなつぐへ降魔は続ける。


「貧相な体はいらない」

「はあ!? なにその言い方! 失礼でしょ!」

「お、おい落ち着けよつぐ。怒らせて隙を作る作戦かもしれねえぜ」

「短い手足。かわいそう」


 つぐをなだめていたルノワに降魔が毒を吐く。


「な、なんだと。オイラのたいそう立派な手足を……」

「かわいそー」


 降魔は心底同情するような顔で呟いた。


「ムッキー! な、なんなのあの子! 失礼ざんすね!」

「お、落ち着くんだルノワ。隙を見せたらつけいられる」

「小さい。サイズ合わない」


 ネロアにはそっけない反応の降魔。


「どうやら僕は不適合とみなされたみたいだ」

「よ、よかったねネロア。降魔なんかに気に入られてもいいことないよ」

「悪くない……かも」


 ビルの屋上からじっと蜜姫を見つめる降魔の瞳が怪しく輝く。


「うう……」

「大丈夫よ蜜姫。これだけ離れてればそうそう簡単には捕まらないから」


 ビクリと怯える蜜姫を私がなだめた途端。


「これほしいぃぃぃっ!」

「はあ!?」


 興奮した降魔の黒い枝が伸びて、私へ接近してくる。一直線に伸びる枝を私は空中で難なくかわした。


「くっ。な、なんなのよ」

「律火ちゃん後ろ!」


 振り返るとかわしたはずの枝がターンして、再びこちらへ直進してくる。

 なんて工夫のない動き。そんなんで捕まるわけないでしょ!

 再び迫った黒い枝を私がかわそうとすると、黒い枝がまるで網のように広範囲に広がり、私の逃げ道を奪う。


「なに!?」


 逃げ場を失った私に枝が絡みつく。


「し、しまった……」

「ひ、ひひ! ひひひひひっ! やったああああ! 捕まえたぁ! すぐに首を切り落として交代してあげる……!」


 くっ……。な、なんて力……! 振りほどけない……。

 魔力を最大まで高めたというのに、黒い枝はまるで振り解けない。

 必死にジタバタしていると、降魔の頭から伸びる黒い蔓が、身動きの取れない私の首に巻き付き、ミチミチと締め上げてくる。肺が酸素を取り込まなくなり意識が急速に遠のいていく。


「り、律火ちゃん!」

「逃げ……て……」

「私の体ぁぁぁぁっ! 早く来てぇぇぇぇ!」


 興奮した青白い顔が我を忘れて叫ぶ。

 こ、この降魔、そこまでして体が欲しいわけ。くっ! ……な、なんて力。魔力全開でもビクともしない……。はあ、私って死ぬまでこれ続けなきゃいけないわけ? 毎日毎日命懸けで戦ってさ。勘弁してよ。ほんと強いよ、この降魔。

 でも残念ね。これは私の間合いなの……!

 怪力で首を締め付けてくる黒い蔓に、私は手を伸ばした。その瞬間、降魔の顔が歪み、


「ぎぐげえええええええっ!?」


 耳をつんざく降魔の絶叫。

 降魔の全身を包む膨大な魔力が一気に私の体に流れ込む。魔力で全身が満たされていく。体の底から力があふれ出す。

 私を縛り付ける降魔の力が一気に弱まる。そのタイミングを逃さず、私は首に巻き付いた黒い蔓を力いっぱい引きちぎった。絞められていた首が解放され、肺に大量の空気が入ってくる。ふう、生き返る。


「うがああぁっ! き、貴様ぁ……な、なにをしたああぁぁぁぁ!」

「軽々しく私の体に触れたのが運の尽きね」


 このまま残りの魔力も奪いつくす!

 体に絡みつく黒い枝へ、私は手を伸ばした。

 と、その仕草を見た降魔がそれを避けるように、私の体をビルの屋上から地上へ向けて投げ捨てた。


「貴様など地上に落ちて潰れてしまえ!」

「ふーんだ! こんなことしたって、こっちは空飛ぶ魔法使い!」


 空中で体勢を整えた私は、そのまま光の魔弾を作り出す。


「食らえっ!」


 手の中で光り輝く魔法の弾を、頭上の降魔めがけて放った。


「ああああああああっ!」


 飛び出す魔弾を見た瞬間、降魔の目が憎悪に満ちる。

 それと共に黒い蔓を大きく振りかぶった。


「うがあああっ!」


 降魔は向かってきた魔弾を、蔓をしならせて激しく打ちつけた。

 一瞬、激しい光がほとばしった後、魔弾が進行方向を180度変える。

 打ち返された魔弾がものすごいスピードで私へ直進してくる。


「なっ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る