第21話 嗤う黒
アスファルトの大地を突き破って天へと生える黒い大木。幹の中央に不気味に浮かぶ、人間の女のようにも見える降魔の顔が、木の表面を伝い、枝の先に捕らわれた聖さんへと向かっていく。
「ああああ……顔おおおおお……」
華奢な胴体を黒い枝でぐるぐる巻きにされた聖さんが、悲鳴を上げながら両足をバタつかせる。しかし何重にも巻き付いた枝はビクともしなかった。
「律火! 二人を助けてあげて!」
「無理よ! 今魔弾を撃っても二人に当たっちゃう!」
つぐと聖さんを盾にしながら、その陰に隠れるように顔だけを移動させる狡猾な降魔。
攻めあぐねる私たちを尻目に、枝を伝って聖さんの目の前まで迫った青白い女の顔が、なぜか無言のまま聖さんの顔をじっと見つめている。
「な、なにしてるの、あの降魔。急に黙り込んで」
「あの雰囲気からして、どーせロクなこと考えてねえぜ」
ルノワの感想に私も同感だった。あの降魔はなにか不吉なことを考えている。そう思えてならなかった。
「顔……邪魔……。体……ホシイィィィ……」
ぽつりぽつりとつぶやきながら降魔の口元が徐々に歪んでいく。無表情だった青白い顔が邪悪な笑みへと変わっていく。
「見て、あそこ!」
蜜姫の指が黒い大木の上部を指す。黒い枝葉が生い茂る巨木の上部から、黒くて長い蔓がだらんと、次々に垂れる。
「蔓……? あんなもんでなにする気だ、あの降魔」
だらりと垂れる蔓の一本が、まるで意思を持ったかのようにうねうねと動き、聖さんの首をぐるぐると何周も巻きついていく。
「顔……いらない……消えて……」
怨みのこもった降魔のつぶやきとともに、巻き付いた蔓が聖さんの首にじわじわと食い込み、少女の首を締め上げる。
「あがっ……かっ……はっ……」
蔓が締め付けられるたびに少女の口から声にならない声が漏れ、その顔が苦悶に歪む。
「あ、あの降魔、聖の首を切り落とす気だ……!」
「はあ!? 本気なのそれ。やばすぎでしょ」
「り、律火、魔弾を放つんだ! 早く!」
ネロアに急かされ大急ぎで魔弾を作り出した私は、降魔に照準を合わせる。
私の動きに反応してこちらを一瞥した降魔が、黒い枝に捕らえたつぐを振り回す。つぐの奥に降魔と聖さんの姿が隠れた。
「無理よ! これじゃあつぐに当たっちゃう!」
「ひひ。綺麗な体……私のもの……」
苦痛に顔を歪める黒髪の少女をニタニタと見下ろす降魔は、欲しかったおもちゃでも手に入れたかのように愉快そうに口を吊り上げる。その直後、黒い木全体を覆う魔力が膨れ上がった。
「な、なんて魔力だ。あの降魔、あんな力を隠していたなんて」
聖さんの首を締め付ける黒い蔓へ、膨大な魔力が流れ込んでいく。その魔力は聖さんの全身を纏う魔力量を遥かに凌駕していた。
「なんてことだ……。あんな魔力差で攻撃されたらひとたまりもないぞ……!」
「ひひ……。さよなら、さよなら」
「せ、聖ちゃん!」
黒い枝の中でもがくつぐが、背後で苦しむ黒髪少女へ顔だけを向けて叫ぶ。
「がっ……かふっ……」
聖は声にならない声をあげながら、華奢な両足をバタバタさせ、もがく。
「蜜姫、あなたの魔法でなんとかならない!?」
自分の魔法では無理だと悟った私は隣にいる桃色の髪の少女の頼る。
「ム、ムリだよっ! この状況じゃ私たちの魔法は使えない!」
その間にも聖さんの首に巻き付いた蔓は締め上げられ、彼女の両足がより一層強くばたつく。
顔を歪ませた聖さんが巻き付いた蔓に爪を立てるが、まるで剥がれる気配はない。それどころか蔓はさらに深く深く首に食い込んでいく。
「やべえぞ、おい! 律火! もう一か八か撃っちまえ!」
「……くっ!」
これ以上は聖さんの体が持たない……!
私が腕を振りかぶって魔弾を投げつけようとすると、これ見よがしに枝に巻き取られたつぐの体をちらつかせる降魔。つぐの体が聖さんを隠し、魔弾の軌道を完全に遮る。
「くっそー! 卑怯だぞお前!」
「ヒヒヒ……」
ルノワの叫びもむなしく、聖さんの首に巻き付いた蔓に力が込められていく。それと同時、女の絶叫が灰色の世界にこだました。
「ギゲエエエエエッ!」
響き渡る降魔の絶叫が無数にそびえ立つビルの壁に反響する。
同時、聖さんの首に巻き付いていた蔓が緩み、少女の体が宙に投げ出される。肩口までの短い黒髪を揺らしながら、少女が地面へ落下していく。意識を失っているのか、聖さんは受け身を取るような素振りを一切見せない。無防備なまま正面からアスファルトの地面に接近する。
「聖!」
ネロアの白い小さな体が誰よりも早く飛び出し、聖さんの元へ向かう。
魔力を高めた私は地面を強く蹴って飛び出すと、ネロアの後を追う。
しかし聖さんの体はすでに固い地面の直前にあった。
ダメだ……間に合わない……!
私が諦めかけていると、地面にぶつかる寸前、少女の体はふっと動きを止めた。
聖さんを抱きかかえるように支える小さな両腕。
「ふう……。間に合った。聖ちゃん、しっかりして!」
いつの間にか枝から解放されていたつぐが、腕に抱えた聖さんに呼び掛ける。しかし聖さんは目を閉じたまま一切動かない。
よく見ると聖さんの手首には黒のリストバンドが巻かれている。この前、目玉の降魔と戦った時にも使った魔法だ。リストバンドからは銀色の鎖が伸びていて、さっきまで聖さんの首に巻き付いていた蔓とつながっている。
ほどなくして、リストバンドと鎖が消えた。
「だ、大丈夫、聖ちゃん!?」
再びつぐが声を掛けるも反応はない。
「大丈夫、息はしてるよ。蔓が締まる直前に魔法を発動したんだ。だから致命傷には至らなかった」
「なにが起こったの? なぜ急に降魔が苦しみ出したの?」
話がよく飲み込めない私はネロアに尋ねた。
「聖が魔法を使ったんだよ」
「あの銀色の鎖のやつでしょ?」
「そう。あの魔法には聖が受けたダメージを相手にも与える効果があるんだ。聖の具合からいってあの降魔、相当なダメージを負ったはず」
「そうだ、降魔は?」
さっきまで聖さんの前にいた青白い女の顔が消えている。
「あそこよ、律火ちゃん!」
「うああああ……」
いつの間にか幹へ逃げ帰った降魔の顔が、苦悶に表情を歪ませてうめいている。
「なあ、降魔のやつ正面がガラ空きだぜ!」
「チャンスだ律火! 魔弾を放つんだ!」
「ええ!」
私は幹でうめく無防備な顔へ狙いを定めると魔弾を撃ち放った。
きれいな光の筋を描きながら、光輝く魔弾が降魔へ一直線に飛ぶ。
黒い幹にあっけなく魔弾がぶつかり、眩い光が辺りを包みこむ。私たちは視界を失った。
「や、やったの?」
徐々に光が治まる中で、薄目を開けた私の視界に飛び込んできたのは……。
「あれは……」
黒い幹の中央、さっきまで降魔の顔があった場所に大きな穴が開いて、向こう側の景色が見える。どうやら私の攻撃は完璧に降魔を捉えたらしい。
「やったよ律火ちゃん!」
「ひゃー見事なトンネルできてら。ま、俺と蜜姫ほどじゃないにしても、まあまあやるじゃん。お友達になっとく?」
私の放った魔法の威力にルノワと蜜姫が二人して盛り上がっている。
私自身、思った以上にうまく魔法を扱えて、内心驚いていた。この魔法を使った経験はほとんどないはずなのに。
「飛び道具か。その魔法なら先に相手さえ見つけちまえば、遠距離からの不意打ちで一瞬で片がつきそうだよな。いいなーそれ。めちゃ便利じゃん」
「私は降魔から魔力を奪わないといけないから、不意打ちで倒すわけにもいかないのよ」
「そういやそうだっけ。難儀だなあ律火も。あーあ。でも残念だな。このおいらの勇姿を見せてやりたかったのに」
「よく言うよ。怯えて私の後ろにずっと隠れてたくせに」
「ばっ……! 隠れてたんじゃなくて勝機を窺ってただけだよ。おいらは慎重だからな。……ん? どうしたんだよネロア。さっきから便秘三日目みたいな顔して」
「……変だ」
「そりゃ三日も出なけりゃ変だろ。もうちょっと野菜とか食えよ。お前普段好きなもんした食べないだろ?」
「そうじゃないんだ。……わからない?」
「なんだよ。なにかあったのか? もったいぶらずに言えよ」
「時空の裂け目が現れない」
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