第20話 顔


「あわわわ……。どうすんだよネロア! もう後がなくなっちまったぞ!」

「む、むう……」


 黒い枝は今や私たちを完全に取り囲んでいた。コンビニの奥に押し込められた私たちを押し潰さんと、徐々に私たちへ迫って来る。


「こ、この木の枝、明らかに意思を持って僕らを襲っている」

「ど、どうすんのよ。高枝切りばさみでも探してみる?」


 テキトウに投げかけた言葉だったけど、私のその言葉にネロアがピクリと反応する。


「そ、そうか! つぐ、冥府の鎌だ! 君の鎌であの黒い枝を切るんだ!」

「無理だよ! こんな狭い場所であんな大きな武器だせない!」

「な、なんだって……」


 目と鼻の位置にまで迫ってきた黒い枝が、私たちの目の前を埋め尽くす。もはや一刻の猶予もないのは、誰の目にも明らかだった。


「あわわわ……。お、おい蜜姫! おいらだけでも外へ逃がせよ!」

「薄情なこと言わないで! というかなんとかしてよルノワ。いつもいつも遊んでばかりなんだからこんな時くらい働いてよねっ」

「働かないのがおいらのビジネスなんだぜ、お嬢さん。……って、わわわ! やめろ、押すな蜜姫!」


 蜜姫に押し出されたルノワがバタバタと宙をもがき、つぐの後ろへ大慌てで隠れる。

 そんなつぐの横では、伏し目がちに遠い目をした聖さんが、


「短い人生でした」

「ちょっと聖ちゃん、あきらめないでよ!」


 どこか達観した様子の聖さんへ、つぐがすかさずツッコむ。

 目の前の黒い枝は今にも襲いかかってきそうだ。……仕方ない。

 私は右手に光の魔弾を作り出し、目の前の枝に向けて構えた。


「り、律火! なにをするんだ!」

「もちろん、こうするのよ」


 今にも私たちに襲い掛からんと密集した黒い枝に向かって、魔弾を放った。

 弾けるように発射された魔弾が、黒い枝を掻き分けて前進する。

 ばりばりばり、と砕ける音を立てながら、大量の黒い枝がコンビニの床に飛び散る。

 光の魔弾は入り口のガラスさえ粉々に砕き、そのまま地平線の彼方へ飛んでいった。

 ついさっきまで私たちの目の前をみっちりと覆っていた黒い枝は吹き飛ばされ、代わりに私たちの前には道ができた。黒い枝やガラスでずいぶんと散らかってはいたけどね。


「す、すごいよ律火ちゃん!」

「逃げるよみんな!」


 私はみんなに声を掛けると、目の前にできた道を駆けた。

 コンビニを出たところでネロアが、


「ここは危険だ! 近くのビルに避難するんだ!」


 すぐさま全員の足が地から離れ、宙へと舞う。

 なんとか窮地を脱した私たちは、コンビニ近くのビルの屋上へ逃げ延びた。


「いやあ、ずいぶん乱暴な歓迎だったね。みんな大丈夫だった?」

「だ、大丈夫なもんかよっ! 死ぬかと思ったよ、おいらはさあ! ううぅ……」


 よほど怖かったのか、大声でネロアに反論しながらガクガクと震えるルノワ。


「うん! 元気そうで安心したよ」


 鬼畜か、この白猫。


「でもあの黒い枝、いったいどこからやってきたんだろう?」


 私はビルの屋上から遥か下にあるコンビニを見下ろした。

 コンビニの入り口から、先端の砕けた黒い枝が、うぞうぞとどこかへ退いていく。

 その様子を目で追うと、コンビニから少し離れた道路のアスファルトに穴が開いているのがわかる。黒い枝は、その中へ潜り込んでいき、姿をくらました。


「ふむ。地面の中へ逃げたみたいだね」

「何者なのあいつ」

「おそらくこの世界の降魔だろうね」

「結構バラバラに壊したのに時空の裂け目は出なかった……」

「たぶん本体は別の場所にいるはずだ。それを倒さない限り時空の裂け目は現れないはず」


 どこかへと消えた降魔。道路には、アスファルトに空いた大きな穴だけが残されている。


「ねえネロア。あの穴の先に本体がいると思う?」

「おそらくはね」

「……行ってみる?」

「いや、深追いはやめたほうがいい」

「どうして? このままだと逃げられるよ。どのみち戦わなきゃいけないんだから追いかけたほうがよくない?」

「コンビニでのやり取りで降魔はこちらの戦力が相当なものだと理解したはずだ。間違いなく警戒されているよ。あの穴に僕たちが誘い込まれるのを待ち構えているに違いない」

「じゃあ別のルートで本体を探すってことか」

「そのほうがいいと思う。わざわざ相手の誘いに乗る必要は無いしね。上空から探そう。どこに潜んでいるかわからない以上、地上は危険すぎる」

「でもよーネロア。こんな広い街だぜ? おいらたちだけで探してたんじゃ日が暮れちまう。いったいどうやって見つけるってんだよ?」


 街には見渡す限りの高層ビルが建ち並ぶ。

 そのためビル同士が重なり合って見通しはすこぶる悪い。


「考えもなしに飛び回ったら無駄に魔力を消費しちゃうよ。それこそ相手の思うつぼだよね」


 蜜姫の言うことはもっともだ。むやみに魔力を消費するのはまずい。魔力が自然回復しない私は特に。


「そうだね……」


 悩み込むネロア。しばしの沈黙。

 黙り込んだネロアに変わって私は、


「リスクは高いけどみんなで別れて探してみる?」


 私が提案してみると、ネロアが渋るように。


「それが一番早いとは思うけど、でもその分、危険も大きいからなあ……」


 その時、背後から悲鳴が響いた。


「ど、どうしたの!?」


 慌てて振り返ったネロアの視線の先で、聖さんとつぐが、体に巻き付いた黒いなにかに持ち上げられている。


「さ、さっきの黒い枝だ。いつの間に……!」

「おいおい! どうやってここまで来たんだ!? 地上何メートルあると思ってんだよ!」


 黒い枝に持ち上げられた二人の体が屋上から消える。

 二人を連れ去った黒い枝は高速で地上を目指していた。


「きゃあああああっ!」


 枝に連れ去られ高速落下するつぐの悲鳴が、ビルの壁を伝って屋上のここまで届く。


「な、なんてことだ! お、追いかけないと!」


 残された私たちは即座にビルから飛び降りた。

 地上に降り立つと、そこには黒い枝が体に巻き付き、身動きを取れないでいる二人の姿が。


 そして二人の背後には、高さ五メートル以上はありそうな巨大な黒い木が生えていた。

 木の幹には女の顔のようなものが浮かび上がっていて、幹から無数に伸びる黒い枝が、木の周囲で蠢いている。

 どうやらこれがこの世界の降魔らしい。


「ちょっと! 二人を離しなさい!」


 私が投げ放つと、降魔が熱を感じさせない不気味な瞳で私を睨み、


「ああぁぁぁ……」


 幹に埋まった降魔の顔が、恨めしそうな声を上げる。

 その直後、つぐたちに巻き付いた枝がミシミシと音を鳴らした。


「ぐうっ!」

「きゃあああああっ!」


 黒い枝に締め付けられたつぐが、顔をわずかに歪める。しかしそこまで深刻なダメージには見えない。魔力の量は防御にも関係する。魔力全開の今日のつぐならこの降魔の攻撃にもある程度なら耐えられるということだろう。

 しかし問題はその隣で絶叫する聖さんだ。彼女の顔には明らかに余裕がなかった。


「り、律火ちゃん! 二人を助けてあげて!」

「ええ!」


 私が幹へ向けて腕を構えた途端、降魔が二人の体を盾にするかのように幹の前方へ移動させた。


「こいつ……! これじゃあ打てない!」

「ま、まずい! 聖の魔力じゃ、あの攻撃に耐えられない!」


 二人を締め付けた降魔が、つぐと聖さんを交互に見つめて、「カオ……カオ……」と、つぶやいている。一体なにをしているの……?


「か、顔……?」


 つぐたちを交互に見つめていた降魔が、聖さんに視線を合わせたまま、動かなくなった。かと思ったら降魔の顔が、幹から移動を始めた。


「な、なんだよありゃあ。降魔の顔が移動してるぞ」

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……」


 幹から枝へ移動した降魔の口元が、不気味に笑う。

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