第18話 境内の黒い影


 茂みからなにかが見つめていた。

 それもこの黄昏の世界ではなく元の世界のほうで。


「どうしたの律火?」

「そこの草むらから、なにかが見てたんだよ」


 社の裏手側には緑が多く残っていて、周りを草木に囲まれている。

 私は謎の影が隠れていた草むらに視線を送る。


「え、どこどこ? ……もしかして降魔かな」


 つぐの顔が緊張からか微かに強張る。


「いや、向こうの世界の草むら。裂け目を通る直前にたしかに見えたんだよね」


 つぐがよくわからないといった顔で。


「降魔はこの世界にしかいないはず。勘違いじゃないの?」

「勘違い……なのかな。でもたしかに見えたんだよね。草むらの影に身を潜めてじっと私のことを見てたんだよ。見間違い

じゃないよ、あれは」

「なんにせよ油断しない方が良さそうね。なにが起こるかわからない。二人とも気を抜かないでね」


 聖さんが言い終わると同時、蜜姫とネロアの姿が社の裏に現れる。


「おまたせー!」

「よし、全員揃ったね。あれ? どうしたのみんな。怖い顔して」


 私は先ほどの影の話をネロア達にもした。


「謎の影、か。でも妙だね。この世界じゃなくて向こうの世界で見たんだよね?」

「ええ。……降魔が向こうの世界にも影響を及ぼしてるとか?」

「普通の降魔にそれは無理だね」

「じゃあなんだったんだろう……」


 すると近くの茂みで、ガサガサと物音がした。

 即座に反応してそちらへ目を向けると、例の影がそこにいた。

 黒い影はじっと黙ったまま草影から私達を見つめる。草に隠れてその全貌は明らかではないけど、その視線は明らかに私たちへ向けられている。

 どうなってるの、なんであの影がここに……。まさか時空の裂け目を抜けてきたっていうの?


「いた! あれだよ、私が見た影は!」


 私は影が覗き込む茂みを指さすと、すかさず駆け寄った。


「ま、待つんだ律火! 不用意に近づいちゃ危険だ!」


 ネロアの制止も聞かず、茂みに近寄る。

 すると草陰に隠れていた黒い影が、私から逃げるように茂みから飛び出す。小さな体に反して素早い。


「待ちなさい!」


 黒い影が私の真横を通り過ぎようとした瞬間、私はその片足を掴んだ。


「うげぇ!? マジかよ!」


 私に片足を掴まれた影が、露骨に取り乱しながらそんな言葉を漏らす。


「捕まえた! もう逃がさないわよ!」

「し、しまったー! まさかこんな簡単に掴まっちまうなんて!」


 私の手の中でジタバタしているのは、全身が黒いウサギ……のぬいぐるみ。

 長い耳にボタンでできた目。そして短いしっぽ。

 黒ずくめのウサギのぬいぐるみは、もがくように短い手足を動かしながら、いまだ私の手の中から逃げようとしている。短い腕で宙を掻く動きが、ちょっとマヌケだ。


「こいつだよ! さっき向こうの世界で覗いてたのは!」


 駆けてきた聖さんが私の横で立ち止まると、


「あら? ルノワじゃない。なにしてるのよ、あなた」

「ルノワ? 聖さんこのウサギのこと知ってるの?」

「もちろん知ってるわよ。だってこの子は……」

「もうー。だからこんなことやめようって言ったのに」


 バツの悪そうな様子の蜜姫が、聖さんの言葉を遮った。


「いや、おいらもこんな簡単に捕まるとは思わなかったし。このおいらをこんなあっさり捕まえるなんて。反射神経いいじゃん」


 私を見つめながら黒ウサギが感心する。


「律火は運動神経だけはいいからね」


 つぐがそんな失礼なことを平然と言いのける。


「だけってなによ、だけって」

「あら、他にも特技があるの?」

「そりゃーあるでしょ」

「例えば?」

「それはまた今度教えてあげる」


 私が手を離すと黒ウサギは落下することなく、その場に浮かんだ。この子もネロアのように宙を飛べるらしい。


「ごめんね律火ちゃん。ルノワが律火ちゃんのこと驚かせたいって言うからさ」

「第一印象は重要だろ? だから思い出に残るようなサプライズをプレゼントしたまでだぜ! おいらって気が利くだろ?」


 私はいまいち状況が飲み込めないでいた。そんな態度が伝わったのか蜜姫が、


「この子は私の魔法なの」

「おいらは蜜姫の魔力で呼び出されたのさ。おいらの名前はルノワ! よろしくな律火!」

「別に普通の自己紹介でも忘れたりなんかしないと思うけど」

「ほんとだよ! 律火ちゃんの言う通りだよ!」

「お前なぁ。協力しといてよく言うぜ。本気でやめといた方がいいと思ってたんなら軽々しく付き合うなよなー」

「う……。でもこんなことやめとこうって最初に言ったじゃん!」

「でも協力したじゃんか」

「う……」


 言葉に詰まった蜜姫が助けを求めるように視線を泳がせる。

 呆れ顔のつぐが、


「どうりで姿が見えないと思った。相変わらずいたずらに精が出てるみたいだねルノワ」

「なんだよつぐ。おいらはこの退屈な世界にサプライズを提供してるだけだぜ。サービス精神ってやつ? ま、律火の反射神経が予想以上にいいもんだから、あっさりと掴まっちゃったんだけどさ。せっかくもうちょっと驚かせてやろうと思ったのに」

「あなた、ずいぶんお調子者みたいね」


 私は得意そうに語るルノワへ率直な感想を述べた。


「なんだよ、怒ったのか?」

「にぎやかになって楽しそうって思ってるよ」

「……へへ! 律火って結構ノリいいじゃん! なんだかおいらたち気が合いそうだな!」

「ルノワってなんだかお調子者ねえ……」

「だったら律火とお揃いだから、いい感じのコンビになるんじゃない?」

「ちょっとつぐ? 私のどこがお調子者なのよ。……で、賑やかな仲間が増えたのはいいんだけど、この世界の降魔はどこにいるの?」


 私は社の周りを見渡すが、それらしい姿はない。


「例のごとくこのあたりに降魔はいないらしい」

「じゃあどこに?」

「たぶん街の中だろうね」

「ええー!? 今度はあの階段を下れってこと? 来るとき大変だったんだからね。というかなんでこんなへんぴな場所に裂け目があるのよ」

「そんなこと僕に言われても……」

「大丈夫だよ。堂々と飛んでいけばいいから。ここなら動画を撮られる心配もないでしょ? というか来るときだって途中でズルしたじゃん。私は止めたのに」


 じっとりとまとわりつくような目で私を見つめるつぐ。まだ根に持ってるのか。

 少し気まずくなった私は、意識的につぐから視線を外し、話題を変えることにした。


「やっぱりこの世界にも人はいないの?」

「迷い込んだ人がいなければそうだね。でも万が一そんな人がいたら大変だ。今頃降魔に襲われてるかもしれない。行こうみんな!」

「うぇーい! そんな奴いたらこのおいらが助けてやるぜ!」


 陽気に語ったルノワが石階段のほうへふわーっと飛んでいく。小さな黒い背中はあっという間に境内から消えた。


「あ、ちょっとルノワ! 危ないから勝手に行っちゃダメだよ! 降魔に襲われたらどうするの」


 蜜姫の体が浮かび上がりルノワの後を追いかける。

 ルノワの単独行動を咎めた割には私たちから離れて一人で飛んでいく蜜姫。

 黒いウサギとピンク髪の少女。声の大きな二人が消えたことで境内が急に静まり返り、ここが静寂に包まれた世界だということを思い出す。


「……あの二人、なんだか似た者同士っぽいね」

「蜜姫とルノワはいつもあんな感じなんだよ。仕方ないなあ……。行こ、みんな」


 来るときはあんなに時間のかかった石階段も、空を飛んで降りれば一瞬だ。あっという間に下り終わり、私たちは街まで降りてきた。ほんと便利だよなあ。魔法使いの力って。

 地上を歩いていて最初に思ったのは、この世界は、相変わらず静寂に包まれているってこと。人のいない街はここまで静かになるのか。

 そんな街の中を私たちは警戒を怠らず歩いた。

 しかし今のところはなにかが出てくるような気配はない。


「なんかのど乾いたな」

「あ、私も! やっぱあの階段は堪えるよね。上りは普通に歩いて行ったから疲れちゃった」


 私がつぶやくと蜜姫もどうやら同じ気持ちだったようだ。


「そうそう。今日結構暑いしね。あんなハードな運動したせいで汗かいちゃったよ」

「水筒持って来ればよかったねー」

「なんだよ、戦う前から二人はお疲れなのか? だったらどっかでお茶でもするぅ?」

「なにルノワ。この世界にそんな気の利いた場所があるっていうの?」

「わかんねえけど、なんか店くらいあるんじゃないの?」

「店員がいなければ店に入ってもなにも出てこないでしょ」


 なんて話し込んでいると、視線の先、道路わきにお店らしき建物が見えてくる。

 コンビニだ。

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