第17話 もう一人の魔法使い
「ねえー……ネロアはどこなの?」
長々と続く石段の中腹で足を止めると、私は一息ついた。夕方とはいえ、辺りはまだ結構暑い。汗で背中にピッタリと引っ付くシャツが気持ち悪い。上着の裾を摘まみ、パタパタと動かす。冷たい外気が肌と服の間に流れ込み、制服の中に溜まった熱が外へ押し出される。
「社で待ってるんじゃない?」
すでにかなり上って来たというのに、見上げればそこにはまだまだ終わりの見えない石階段。
もう! なんでわざわざこんな高台に社なんて作るの。
まるで修行のように延々と続く道のりに嫌気がさす。
「ねー疲れたー。飛んでいこうよ」
「ダメだよ。誰かに見つかって録画でもされたら面倒だよ。ネットにアップなんてされた日には、すぐに特定されて有名人になっちゃうよ?」
「人が空を飛ぶなんて、どうせ誰も信じないよ。きっとAIで合成したとでも思うんじゃない? 魔法を使ってもバレないなんて便利な時代になったものね」
そう言い放つと、私はふわりと浮かび上がった。一気に体が軽くなる。どう考えてもこのほうが楽だ。
「ああっ、ちょっと律火!?」
階段の斜面ギリギリに沿って飛びながら、ふと身をひるがえすと、眼下ではつぐが露骨に慌てている。停止を求めてぴょんぴょん跳ねるつぐの姿がおかしくて吹き出しそうになる。
「低めに飛べばバレないって。ほら! 早くおいでよ」
「あらあら……。仕方ないわね。つぐ、私たちも行きましょ」
聖さんのスラリとした長身が音もなく階段から離れ、軽やかな動きで私の隣まで飛んできた。
「ちょっと聖ちゃんまで! ……もうっ!」
最後まで不満そうにしていたつぐが、しぶしぶと浮かび上がる。そして態度とは裏腹に素早い飛翔で、一瞬のうちに私たちのもとに追いついた。
「もう、二人とも。こっちの世界で軽々しく魔法を使っちゃダメなんだよ」
「なんでよ? いいじゃない。こんな便利な力、使わなきゃもったいないでしょ?」
「誰かに見つかって万が一面倒ごとにでも巻き込まれたら、困るのは私たちなんだよ?」
「まあまあいいじゃない。ここなら人影も見当たらないし。それに低く飛べばそんなに目立たないわ」
「そうよそうよ。お堅いんだからつぐは。もっと気楽に生きましょう?」
「まったく。あとでトラブっても知らないからね」
つぐにたしなめられながら斜面を飛んでいると、あっという間に石段の終わりが見えてきた。
「ほら、どう考えても歩くより早いでしょ?」
「はいはい」
石段を登りきった私たちは頂上に着地する。
靴底が石床に触れたはずみに、硬い音が鳴った。周りが静かなこともあってその音がいやに響いた。
目の前には小さな社が一つ、ぽつんと立っていた。
「あら? ネロアの姿が見当たらないわね」
聖さんの言うように、そこにネロアはいなかった。
「まだ来てないのかな?」
「あれだけ私に釘を刺しておいて……。まさか忘れてるんじゃないでしょうね」
「律火じゃないんだからそれはないでしょ」
あたりを見渡してもやはりネロアの姿は見当たらない。社の前は無人だ。参拝客も一人もいない。
「もうっ。こっちは飛んで来たってのにネロアめー。こんなんならもっとゆっくりでよかったじゃん」
「だから歩いて行こうって言ったのに」
「だってダルいじゃん。あんな大量の階段上るの」
「……あら? ねえ二人とも少し静かにして」
「どうしたの聖ちゃん?」
「なにか聞こえた気がしたの」
なにかを探すような素振りで、聖さんが社へ向かって音もなく歩いていく。
「こっちの方から……」
聖さんの後についてぽつんと佇む社の前までやってくると。
「誰もいないね」
「変ねえ……。物音が聞こえたんだけど」
そうこうしていると社の奥から見慣れた白い顔がひょこっと現れる。
「あれ? おーい! みんなー!」
社の影からひょっこりと姿を見せたネロアが、私たちの元へ飛んで来た。
「なんだ、忘れてたわけじゃなかったんだ」
「なんのことだい律火?」
ネロアと話していると社の奥からもう一人、見知らぬ女の子がぴょこりと顔をのぞかせる。その子と目が合う。
「あれ、あの子は?」
「おーい! 出ておいでよ!」
ネロアに呼ばれた少女が、社の影から姿を見せる。
巻き毛でボリュームのある桃色の長髪。髪と同色のクリっとした瞳。明るい表情の、いかにもかわいらしい少女がそこにいた。私たちと違う制服を着ているところを見ると別の学校の子らしい。
少女は私たちの元まで小走りで駆けてきた。
「あら、彩花さんじゃない。久しぶりね」
「聖ちゃん久しぶりだねー! また背のびた?」
「ふふ。前にあった時から変わってないわ」
「そっか、ネロアの言ってた助っ人って蜜姫のことだったんだね」
「つぐちゃんも久しぶりだね!」
「なになに? 二人の知り合いなの?」
聖さんとつぐはどうやらこの少女のことを知っているらしい。
はつらつとした明るい声の少女へつぐが、
「そっちは相変わらず元気そうだね」
「うん! あ、そっちの赤い髪の子が律火ちゃん?」
少女は、ぱあっと明るい顔を見せると、私の前までやってくる。
「あなたは?」
「私は彩花蜜姫(さいか みつひ)! 律火ちゃんと同じ魔法使いだよ」
へえ、この子も魔法使いなのか。
蜜姫の魔力をこっそりと探ってみると、彼女の周りにはたしかに魔力が漂っている。しかも結構強い。つぐほどではないけど聖さんと比べるとその何倍もある。魔法使いは私たち以外にもいるって本当だったんだ。
「彩花さんが来てくれるなんて心強いわ」
「いきなり学校までネロアが来るから何事かと思っちゃった」
「学校まで押し掛けたのネロア? 見つかってないでしょうね」
「大丈夫だよ。僕は律火と違って慎重だからさ」
「今日は付き合ってくれてありがとう。でも大丈夫だった? 急だったけど」
つぐが心配した様子で語りかけると、
「大丈夫だよ! 降魔が出たのなら放っておけないし。私で力になれることならいつだって協力するよ! それに律火ちゃんはいろいろ事情があるんでしょう? ネロアから聞いたよ。魔力を手に入れないといけないんだよね」
「そういうわけで律火のことはすでに説明しておいたよ」
「それは気が利くこと」
「こう見えて僕は仕事ができるタイプだからね。じゃあさっそく黄昏の世界へ行こう」
「行こうって、裂け目はどこなの?」
「こっちだよ律火。ほらみんなもついてきて」
宙を飛んで案内するネロアの後についていくと、社の裏側についた。こちら側は日陰になっていてずいぶんと薄暗い。
社の裏にはたしかに時空の裂け目があった。直径十センチちょっとの黒い穴がそこに浮かんでいる。
「でも毎度思うけどよくこんな場所の裂け目を見つけられるね」
私は真っ黒な球体に顔を近づけながら言った。
「パトロールの甲斐があったよ。こういう人気のない場所は要チェックなんだよね」
「ふうん。見つけるコツがあるのね」
ネロアは裂け目を見つけるのがずいぶんと上手らしい。こんないかにも見つけづらそうな場所の裂け目まで見つけてしまうなんて。何事も経験なのかな。ちょっとだけ感心する。
「じゃあ先に行くね」
つぐが裂け目に触れようとするとネロアが、
「あ! 裂け目を抜けたらすぐに襲われるかもしれないから気をつけてね。それと向こうについても全員が揃うまではその場待機でよろしくね」
「うん、大丈夫」
うなずいたつぐが小さな指先で黒い穴に触れる。その瞬間、少女の小柄な体が一瞬で穴へ消えていく。毎度思うけど、これってどんな原理なんだろう。
つぐに続いて聖さんが裂け目に消えた。
「いいよ先に行って」
「律火ちゃんからどうぞ」
私が蜜姫に先を譲ると、少女はそれを遠慮して、私に先をうながす。
「そう? じゃあ遠慮なく」
指先が黒い穴に触れる瞬間、近くの草むらになにかがいた。はっきりとは見えなかったけれど、それは黒い影のようだった。影は静かに私を見つめていた。
視線に気づくと同時、世界が暗転する。すぐに視界が開け、目の前にはつぐと聖さんがいた。
再びさっきの草むらを見たけれど、例の影はもういなかった。
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