第16話 神様の眠る場所


 私はもう一口ご飯を口へ運び、


「もぐもぐ。で、ネロア、どうしたの?」

「食べながらしゃべるのはよくないよ律火」

「うっさいな。さっさと話して。もぐもぐ」

「理不尽だ……」


 ついさっきまでご機嫌だったネロアの顔が途端に憂鬱に染まる。ガクリとうなだれた白猫の、夕焼けのような橙色の目が、いつもより二割増しくらいで昏くなった……気がする。


「ちょっと、冗談じゃない。本気で落ち込まないでよ。で、なにが変だって言うの?」

「……まあいいや。えっとね、変っていうのはもちろん律火の魔力のことだよ」

「なにがもちろんなのかわからないけど。私の魔力のどこが変なの? 別に問題なんてないと思うけど。今日は昨日と違って調子もいいし」

「問題がないことが問題なんだよ」

「うん? 言ってることがよくわかんない。問題ないなら問題ないじゃん」

「よく見てよ律火。自分の魔力を」


 自分の体へ視線を落とす。白く沸き立つような大量の魔力が私の体を包んでいる。昨日、目玉の降魔を倒したときより若干少ない程度の魔力。……そういうことか。


「たしかに変だね」

「そうなんだよ。律火の魔力、なぜかあまり減ってない。昨日降魔を倒してから丸一日経ったのに、だ。順調にいけば今頃空っぽのはずなのにさ」

「順調にって、縁起悪い言い方ねえ。けどたしかにおかしいよね。なんでだろう?」

「わからない」

「けどそれって良いことだよね? 魔力があんまり減ってないってことは……もぐもぐ……慌てて降魔と戦う必要もないし」


 と、つぐがエビフライを食べながら言った。


「つぐ、食べながらしゃべるのは、お行儀が悪いんだよ。ね、律火?」

「ネロアはダメだけどつぐはいいよ。女の子だし」

「理不尽だ……」


 真っ白な首と前足をガクリと落とし、うなだれるネロア。先端だけが黒いしっぽも力なく垂れている。


「冗談よ。でもこの感じだと今日は黄昏の世界へ行く必要もなさそうね」

「かもね。でも残念だなあ。昨日頑張って新しい裂け目を見つけたのに」

「え、そうなの?」


 ネロアは真っ白な前足を毛づくろいしながら、


「そうだよ。街のあちこちをずっと飛び回ってやっと見つけたんだ。律火のことが心配だったからさ」

「そうなんだ。ネロアって案外優しいところあるんだね。ありがとう」

「僕は普通に優しいよ。律火と違ってさ」

「そうだね、私とは違うね。私はすっごく優しいからさ。普通の優しさのネロアとは違うね」

「もぐもく……もー、つまんないことで、もぐもぐ……張り合わないでよね……もぐもぐ」


 つぐってば、今度は大量のご飯を頬張りながらほっぺを膨らませてる……。よく食べるな……。


「そんなに食べたら胸に使えちゃうわよ? はいお茶」


 聖さんは水筒のお茶をコップに注ぎ、つぐに渡す。つぐはそれを一気に飲み干した。

 よく飲むな……。


「時空の裂け目かぁ……」


 魔力に問題がないなら無理に行かなくてもいい気がする。でも魔力に余裕があるからこそ、行ったほうがいいとも言える。その方が戦いが有利だし。残量ギリギリの弱体化状態で行くよりもずっといい。昨日はそれでひどい目にあったし。

 私が悩んでいると、隣に座るつぐが箸をお弁当箱に置き、


「私は行ってもいいよ。今日は魔力も全快だしね。きっと役に立てると思う。それにさ律火。昨日ほどじゃないにしても魔力が減ってきてることは事実でしょ? だったら余裕のあるうちに行ったほうがよくない?」


 つぐを見つめて目を凝らすと、彼女を包む魔力の光が見えてくる。つぐの全身を覆う魔力の量は明らかに昨日よりも強く、私が持つ魔力の量を遥かに凌駕している。肉体的な強さと魔力の強さはどうも比例しないらしい。私よりも一回り以上小柄なつぐのほうが私よりも明らかに魔力が多い。なんだか不思議な感じ。ネロアが魔法使いの中でトップクラスというだけあって、つぐの魔力はすさまじく強い。

 そんなつぐの言葉に聖さんもうなづきながら、


「そうね。私も今日行くのがいいと思う。魔力が落ちてきてから戦うのは桃璃さんにとってもリスクでしょう?」

「じゃあ決まりだね。ま、今日は急ぐ必要もなさそうだし授業後にしようか」


 リスク、か。

 今の私は昨日の朝よりも、うんと魔力が多い。それに昨日と違って体調も悪くない。むしろいい。つぐも調子よさそうだ。私もつぐもコンディションは昨日よりも明らかに良好だ。だけど私たちだけであの黄昏の世界へ行ってもいいんだろうか。


「ねえネロア。その時空の裂け目の先にはどんな降魔がいるの?」

「それは行ってみないとわからない」


 どんな相手が待ち受けるかすらわからない場所へ飛び込むのか。冷静に考えてかなり危険だよな……。万が一私たちの魔法だけでは勝てない相手が待ち受けていたら詰みだ。


「思ったんだけど私たちだけで黄昏の世界へ行くのってリスク高くない? 昨日はたまたま勝てたからいいけど、もしも降魔を倒せなければ一生向こうの世界に閉じ込められるんでしょう?」

「勝てなければそうなるね」

「そんな場所へ私たちだけで行くの? なんだか不安なんだけど」

「うーん。今の君たちの実力ならそうそう負けないと思うけど。律火って案外心配性なんだね」

「ネロアが楽観的すぎるんだよ」

「ふーむ……。よし、念には念を入れて助っ人を呼ぼう」

「そんな人がいるの?」

「うん。僕の知り合いなんだけど、すってごく強いんだ。それなら律火も安心できるでしょう?」

「まあ……」


 すっごく強いがどのくらい強いのかよくわかんないけど、数が多い方が有利なのは確かだろう。


「じゃ、放課後、街の北の桜楼社(おうろうやしろ)まで来てね。時空の裂け目はそこにあるから」

「そこってボロボロの神社でしょ? なんでそんなところに裂け目が」

「さあ? 神社には神様が祀られてるし降魔がいてもおかしくないんじゃない?」

「神様がいるんなら逆に寄ってこなさそうなもんだけど」

「……言われてみればそうかもね。まあ時空の裂け目は神出鬼没だからさ。とにかく学校が終わったら忘れずに来てよ? 特に律火」

「大丈夫よ。つぐと聖さんが覚えててくれるから」

「ちょっと? うっかり私も忘れてたらどうするの?」

「ふふ。大丈夫よ。二人が忘れてたら私が呼びに行ってあげる」

「よーし! そうと決まれば、午後の授業は眠って体力回復させとくかー!」

「まじめに受けなさい」


 眠る気満々の私をつぐがあきれ顔でたしなめる。

 そう言えばつぐが授業中に居眠りしてるところって一度も見たことないな。


「まじめねえ、つぐは。そんなんじゃ鬱になっちゃうよ?」

「律火が不真面目すぎるんだよ」

「足して二で割ればちょどよくなりそうよね、あなたたちって」


 その後も四人……というか三人と一匹での楽しく昼食は続いた。

 そして午後の授業が始まる……も、寝てたらあっという間に放課後になっていた。


「よく眠れたかな?」


 窓際の最後列でぼんやりしながら目を擦っていると、私の席までやってきたつぐが笑いかけてきた。


「おはようつぐ。はー、それにしてもあったかい。この季節の午後の窓際って眠るために存在してると思わない?」


 五月下旬はやっぱり暖かい。


「そんなに寝てばっかいるから律火って発育がいいんじゃない? 身長いくつだっけ?」

「166」

「たっか!」

「つぐは?」

「153cm」

「寝不足じゃない? つぐももっと寝たほうがいいよ。今からでも成長するよ。たぶん」

「夜、ちゃんと寝てるんだけどなあ。……って、それよりも、行くでしょ?」

「もち。ねえねえネロアが連れてくる助っ人ってどんな人だと思う?」

「わかんない。けど、魔法使いなのは確実だよね」

「魔法使いって私たち以外にもいるんだ」

「私は数人しか見たことないけど、ネロアの話だとどうもたくさんいるらしいね。ま、行けばわかるよ。聖ちゃん呼んでくるから先に昇降口に行ってて」

「はあい!」


 眠気覚ましも兼ねて元気よくつぐに返した。


「もう、返事だけはいいんだから」



 桜楼社は街の北に位置し、木々に囲まれた高台にある。この街では数少ない、今も自然が色濃く残る場所。

 人のあまり寄り付かないこの場所は、まだ夕方だというのに、なんだか妙に静かだ。ちょっと怖いくらいに。

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