第12話 大空へ舞う


 聖さんの体が、音もなくふわりと宙に浮いた。

 地面から数十センチ浮いた状態で膝を曲げ、空中に座るような姿勢で浮遊している黒髪ショートの長身美少女は、綿菓子のように重さを感じさせない。

 実際に自分の目で見なきゃ絶対に信じないであろう光景を前にして、私は言葉を失った。

 聖さんに続いて、つぐの小さな体も浮かび上がる。ネロアを挟むように二人の少女が宙に浮かぶ。

 どう考えても真似なんて出来っこなさそうだけど、ネロアの口ぶりだと私にもこんな不可思議な力が備わっているらしい。


「どうすれば飛べるの?」

「飛びたいと願えば魔法使いは飛べるのさ。ほら」

「なによ、その説明になってない説明は。流石に適当すぎない? もしかしてふざけてる?」


 魔力を見たいと思えば見えるとか、飛びたいと思えば飛べるとか、あまりにもいい加減だ。今どき無料の小説ですら、設定もうちょっとマシだぞ……。


「まあまあ。いいからやってみてよ」


 飛びたいと願う、か。

 言われた通り、心の中で飛びたいと念じてみる。……でもそんな簡単なことで本当にいい訳? 鳥ですら必死に羽ばたいてやっと空を飛ぶと言うのに、なにその『願えば飛べる』って。そんなんでいいのか魔法使い。

 しかし私の考えとは裏腹に、飛びたいと願った途端、全身が軽くなったような気がした。いや、気のせいではない。私の足はかかとから順にゆっくりと地面から離れていく。


「わあっ!?」


 私の体はさらに浮かび続け、ついにつま先が地面から離れた。ぷかり、と私の全身が宙へ浮かんだ。


「う、浮いたよネロア!」

「見ればわかるよ。便利でしょう? それが魔法使いの力のひとつだ」

「すっごー……」

「さあ行こう! うかうかしてたら見失っちゃう」


 眼下に敷き詰められたアスファルトの黒い地面がどんどん離れていく。

 信じられない。

 空まで飛べるなんて、これじゃあまるで魔法使いじゃない。あ、魔法使いか。

 私たちはそのまま空高くへ浮かび続け、ついに上空をたゆたう降魔の高さにまで達する。私たちの前方では、例のオレンジ色の降魔が奇妙な音を発しながら漂っている。


「でもさあネロア。こんな便利な力があるなら最初から飛んで探せばよかったんじゃない? 歩くより早いよね」

「あ、言い忘れてたけど、飛ぶと魔力を使うから気をつけてね」

「はあ!? なにそれ、最初に言ってよ! 死期が早まるじゃない」

「さあ! 寿命が尽きる前にあの降魔の魔力を頂くとしよう」


 ふよふよと漂っていたショッキングオレンジの降魔がピクリと身を震わせ、こちらへ目を向ける。どうやら私たちに気づいたようだ。


「pi?」


 私たちを見た途端、動きを止めてポカンとする目玉の降魔。どことなく間抜けな容貌の降魔ではあったけど、巨大な目玉が目の前で瞬きする様は、なかなかにグロテスクで、きも怖い……。瞬きするたびに巨大な目玉の表面にうっすらとした粘液が広がっていく。


「う……近くで見るとすごい外見ね……」


 私の全身よりも遥かに大きな目玉が、ほんの数メートル先からつぶらな瞳で見つめてくる。しかも実に毒々しいオレンジ色の皮を全身に被って。


「さあ律火! やるんだ! 降魔に手を触れて魔力を奪い取るんだ」

「うう……やだな……」


 めちゃくちゃキモいよ……。なんでこんなことしなきゃいけないの。

 とは言ってもやらなきゃ魔力が手に入らないし。それに空を飛んでるとそれだけで魔力を使うらしいし、うかうかしてられない。仕方ない……。

 空中を前進し、目に眩しいオレンジとの距離を詰める。距離が縮まるにつれてその顔……と言うか目玉が大きくなり、段々とキモいから怖いへと悪化していく。残り三メートルくらいまで近づいたところで。


「piーーーーーーーーー!」


 目玉の降魔が突然つんざくような大声で叫ぶ。


「うるっさ!」


 私はとっさに両耳を塞ぎ、目の前から発せられる怪音波から耳を守った。

 と、目玉の降魔がとてつもないスピードで一目散に逃げていく。一瞬のうちにその後ろ姿が小さくなる。


「ああっ! ちょっと! 待ちなさい!」

「なんだかずいぶん臆病な降魔ねえ。ちょっと魔力を分けてもらいたいだけなのに」


 怪音波をまき散らしながら去っていく降魔を、おっとりと見つめる聖さんの横で、つぐが亜麻色の髪を振り乱しながら、


「まずいよ! あの目玉、早い! うかうかしてたら見失っちゃう! ネロア!」

「お、追いかけよう!」


 すでに降魔の姿が見えなくなりつつある。見た目に似合わずなんて速さ。

 あの方角……学校方面ね。



「へえ、この世界にも学校があるんだ」


 目玉の降魔を追いかけて空を飛んでいると、眼下に私たちの通う学校が見えてくる。

 誰もいない世界に学校、か。なんだか不思議な光景。いったい誰が通うっていうんだろう。


「見て、みんな。運動場の上!」


 つぐの言葉に、全員の視線が運動場の上空へ集まる。そこには「pipipipi」と音を立てながら空をふよふよと漂う目玉の降魔が。時間が経って落ち着いたのか、今は怪音波を発していないし、動きも穏やかだ。


「近づいたらまた逃げてくんじゃない?」


 そしたらまた追いかける羽目になって余計に魔力を使う。それはまずい。私を包む魔力はこの世界へやってきた時よりもさらに減少している。もうこれ以上、無駄に時間も魔力も使えない。


「その可能性は高そうだね。……よし! ばらけて飛び掛かろう。全員で逃げ道をふさぐんだ。僕が合図したら三人で一気に距離を詰めて」

「向こうが逃げるなら、あらかじめ逃げ道を塞いじゃえばいいってことね」

「その通り」


 私、つぐ、聖さんはそれぞれ分かれて目玉の降魔を囲める位置につく。

 三人がポジションにつくと、私の右肩近くに浮かぶネロアが、


「よし! 今だ!」


 その合図で三人が同時に飛びかかる。

 まずは聖さんが目玉の背後から飛びついた。


「pi!? キャーーーーー!」


 背後から迫る聖さんに瞬時に気づいた降魔が悲鳴を上げる。のほほんとした見た目に似合わず、かなり勘がいい。ていうかしゃべれるのか、あの目玉。

 わたわたと焦るグロテスクな目玉が高速移動でその場から逃げ去る。降魔に掴みかかろうとした聖さんの腕が虚しく空を切る。


「くっ! 素早いわね」


 目玉が背後の聖さんに気を取られている隙に、つぐが目玉の横から一気に飛びかかった。


「つかまえ――」


 つぐの手がオレンジの突起につかみかかる瞬間、目玉の降魔はスピードをぐんと上げ、巨大な体でボスン! とつぐに突進する。


「きゃああああっ!」


 もろに体当たりを食らったつぐが、宙を転がるように吹き飛ばされる。

 軽々と吹き飛ばされた少女の小さな体は、十メートルくらい転がった先で急停止する。目に涙を浮かべながら、つぐが鼻を押さえる。


「痛っ……たぁ~!」

「ぷぷぷぷ。鈍い。貴様らごときに掴まる私ではないのだ」

「痛ったいじゃない! なんてことするのよっ」


 相当頭に来たのか鋭い目つきのつぐが降魔をキッと睨みつける。


「ふん。その程度の魔力でこの私に勝てるわけなかろう。ここへやってきたのが運の尽きだ。この静寂の世界を干からびるまで彷徨い続けるがいい!」


 つぐを小馬鹿にするようにあざ笑う目玉。

 つぐに気を取られてのんきに笑っている目玉へ背後から忍び寄った私は、オレンジの突起にそっと手を伸ばす。


「ひいいっ!?」


 私が突起を掴む直前、オレンジ塊がビクッと反応し、残像を残すほどの超スピードで空高く浮かんでいく。


「ウ、ウロチョロと何匹も! 束になれば勝てるとでも思ったか! 浅はかな!」


 ビビりながら一目散に逃げていった割には強気な言葉を吐き捨てるオレンジボール。とはいえそのスピードは本物だ。私の反応速度ではまるで捉えられそうもない。


「やっぱり無理よ! 早すぎる!」


 叫んだ聖さんの視線の先で、遥か上空まで逃げ切った降魔が、再びふらふらと宙を漂う。


「うう……気持ち悪い……」

「だ、大丈夫、桃璃さん!?」

「……しかたない。一旦屋上に降りよう」


 この調子では、いつまで経っても捕まえられそうにない。

 一旦降魔の捕獲をあきらめた私たちは、学校の屋上に降り立った。

 屋上に降りるなり私はその場にへたり込む。


「うう……ダル……」


 体がなまりのように重くてうまく動けない。

 魔力の残量はもはや底を尽きかけていた……。


「さて、もはや一刻の猶予もなくなってきたわけだけど……」


 ネロアの声はどこか頼りなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る